呪術誕生
昨晩、数日前に購入した『岡本太郎の本1 呪術誕生』(みすず書房 1998/12)を読み終えた。それと並行して、10数年前に読んだ、『紫匂ひ』(立原正秋・加藤唐九郎著 講談社 1981/2)も一緒に読み返していた。 岡本太郎というのは、「芸術は爆発だ!」でおなじみの、あの岡本太郎である。 昨晩これを読んだ後、その数時間後に、まったくの偶然であるが、深夜の1時頃、テレビをつけるとNHKで、「巨匠たちのアトリエ 『造形への闘魂』」という番組をやっていた。これには岡本太郎や棟方志功、池田満寿夫など、すでに亡くなっている芸術家が7,8名紹介されていた。 この人たちがアトリエで作品を制作している場面を見ていると、何かに取り憑かれたような表情になっている。棟方志功が板に顔をすりつけるようにしながら彫刻刀を動かしているときなど、まさに遊戯三昧の境地なのだろう。この瞬間、棟方志功という「人」は消えている。魂だけが板を切り刻んでいる。 岡本太郎が言っていた。 「芸術はきれいであってはならない」 「精神が、心が、宇宙に向かって飛び散るのが芸術だ」、とも言っていた。 確かに、芸術は魂との葛藤である。魂が葛藤するところにスパークが飛び散る。作品はその残骸にすぎない。岡本太郎の有名な言葉を借りるなら、「芸術は爆発だ」ということになる。 自分の精神があるものに感応し、戦い、爆発する。スパーク自体は一瞬の現象であり、残すことはできない。それが宇宙に向かって飛び散るとき、その「残骸」が作品になる。 人によってはそれが絵であり、彫刻、版画、陶芸、写真、音楽、映画、舞踊、小説、詩....、表現形式は、たまたまその人の魂が感応するところのものなのだろう。 1970年、大阪で万博が開かれたとき、岡本太郎の「太陽の塔」について、賛否が渦巻いていた。一見すると奇妙な塔なので、拒否反応を示す人も多かった。 30年近くも前のことなので記憶が定かではないが、当時、何かの番組で作家の飯干晃一氏が岡本太郎氏と議論をしていた。飯干氏は「太陽の塔」に反対していた。議論の細かい内容は忘れたが、番組終了間際に、飯干氏が岡本氏に、「企業に金を出してもらわないとできないような芸術ならやめなさいよ」と言った。 岡本太郎は例によって、あの大きな目を一層大きくむいて、「なっ、何を言っているんだ!」と叫んだあと、一瞬、絶句した。そのあと、何か言ったようだがよく聞き取れなかった。明らかに狼狽していた。これは生放送であり、その後すぐに画面が変わり、番組は終わった。 私はこの後、岡本氏が何と答えるつもりであったのか知りたかったが、そのまま番組が終わってしまったので、番組終了後もしばらく気になっていた。私が高校生くらいのときのことである。 この最後のセリフは、飯干氏が前もって、番組終了間際に言ってやろうと準備していたのかと思ったくらい、タイミングのよい一言であった。カウンターパンチのように決まった。 私自身は昔から岡本太郎は好きで、あの「太陽の塔」も万博当時から、おもしろいと思っていた。 昨年の秋、数年ぶりにエクスポランドに行った際、「太陽の塔」も見てきたが、万博のときにはあった大きな屋根もなくなっており、大地にむき出しでニョキっと突っ立っている塔はユーモラスで、万博当時より、一層よくなっている。岡本太郎の魂がそのまま天に向かって立っているようでおかしく、しばらくながめているうちに、周りを一周してしまった。 たぶん、「太陽の塔」ができた頃であると思うが、岡本太郎はウイスキーの宣伝にも出演していた。そのとき、そこのメーカーのウイスキーを買うと、岡本太郎がデザインしたグラスがもらえるというキャンペーンをやっていた。うちにはそのときのグラスがあり、今も愛用している。
「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」 一世を風靡したセリフなので、知っている人も大勢いるだろう。 今回、『呪術誕生』を読んで、岡本太郎のことがはじめてわかった。あれはやはりタダモノではなかったのだ。いや、勿論、ただのタダモノでないことはわかっていたが、こんなことを考えていたのかと思うと、見慣れた「グラスの底の顔」まで、表情が今までと変化して見えてくるから不思議なものだ。 芸術家、中でも作品がかたちとして残る人はうらやましい。音楽や舞踊は一瞬にして消えて行く。今では録画や録音もできるが、やはりそれは本物とはどこか違っている。ビデオを再生すれば何度も見ることはできるが、その瞬間の魂のスパークまでは記録できない。こればかりは、その場で一緒にいて、そのときのステージを見ることでしか体験できないのだろう。だからこそ、ライブはおもしろい。再現性がなくても、保存性がなくても、そのときの魂のスパークこそが芸術家のメッセージであり、自己表現である。 何の因果か、「呪術」とでも言うしかない何かに取り憑かれ、しかし、それに対して欺瞞も韜晦もなく、いつも本気で戦い、完全燃焼し続けている人達、そのような人達は美しい。 |