ボトル・メール

あて先のない手紙

 

郵瓶

2003年2月19日一部改訂
1998年10月1日


「ボトル・メール」という一風変わったメール用ソフトがある。これを「メールソフト」と呼ぶのは適切でないような気もするが、それでもメールソフトの一種なのだそうだ。何がヘンって、これは宛先を指定できない。特定の誰かに向けて発信することが不可能なメールソフトである。

 このソフトのコンセプトは、「自分のほか、だれもいない無人島から宛先のない手紙を書き、瓶に詰め、海に流す」というもの。1年ほど前に入手し、何度か遊んでみた。 (シェアウエア、300円)

 見知らぬ相手にメールを送るといっても、世界中にある無数のメールアドレスがターゲットというわけでない。あくまでこのソフトを登録した人達だけの間でやり取りするのだが、誰が登録されているのかわからないため、特定の人に送ることはできない。

 ソフトを立ち上げると海岸の画面が現れる。日によって、浜に瓶が打ち上げてられていることもある。瓶を拾い上げ、ふたを取ると中から手紙が出てくる。

 小学生の頃、何かの本で読んだ話に刺激され、実際に手紙を瓶に入れ、海に流したことがあった。今と違い、ペットボトルもなかった時代なので、ジュースかビールの瓶に入れて流したのだと思う。すぐに何かにぶつかり、割れてそのまま海の底に沈んだと思うが、それでもイマジネーションは随分刺激された。夜寝るとき、流した瓶のことを思い浮かべると、自分自身が大海の真ん中で、あてもなく浮かんでいるような錯覚におちいることさえあった。

 このような体験があったからか、「ボトルメール」というソフトを知ったとき、すぐに試してみた。ノスタルジーというより、むしろ強烈なギャグの精神に感動したのかもしれない。

 自分がいる島の海岸に、見知らぬ人からのボトルメールが届く確率は、自分が流した瓶の数に比例するらしい。実際にやってみると、数日後、初めての瓶が海岸に転がっていた。少しどきどきしながら瓶を開けてみると、あきれるほどくだらない絵が描いてあった。このあとのものも含めて、10通くらい受け取った中で、2、3通は「ウンコ」の絵が描いてあった(汗)。ボトルメールのサイトを見ると、どうやらこの「絵」が一番多いらしい。

 ほんとに無人島から何かを書いて瓶に詰めるとき、「ウンコ」の絵なんか描くか? とは言え、私も初めて流したときは、たいして違わないようなものを描いたような気がする(汗)。

 このソフトは文字も入るが、画面に出てくるのが小さなスケッチブックとクレヨンのため、マウスで画面いっぱいに大きな絵を描いてしまう。

 たまには意味ありげなメッセージを添えて流したこともあったが、数回遊んでいるうちに、すぐ飽きてしまった。考えてみれば今書いているこの文章そのものが「宛先のない手紙」のようなものなのだ。

 話が逸れるが、最近大抵のホームページには「掲示板」と「アクセス・カウンター」がついている。しかし私は最初からこの二つはつけないと決めていた。一番の理由は自分のペースを守りたかったからである。もしそのようなものがついていれば、いやでも書き込みの数や、カウンターの数が気になるだろう。

 掲示板も、書き込まれたメッセージに返事をつけることが面倒な場合もある。また管理者だけにわかるログ情報も気になる。どのような経路で、何時ごろ誰が来ているのか、このようなことがわかるだけでも、その人のプライバシーの一部をのぞき見するようで、いやであった。このような情報は私には煩わしだけであり、関心もない。関心はなくても、あれば目にするであろう。目にすれば気になることもある。とにかく、そのようなことはすべて排除し、特定の読者など設定せず、自分の書きたいことを書くだけでよかった。もし誰か共感してくれる人がいて、メールで感想でも送ってもらえたら、それが一番うれしかった。1年間で、たとえ一人でもこのサイトを通して同じようなことに共感でき、同じようなことを素敵だと思えると人と知り合いになれたらそれで満足であった。

 ほんとうに好き勝手なことしか書いていないため、最初は反応など期待していなかったのだが、それでも1年ほど発信し続けていると、「類は友を呼ぶ」なのか、同じような感性の人が知らず知らずのうちに集まってきてくれた。予想外にたくさんの方からメールをいただいた。1年ほどの間に、往復書簡まで入れると、メールの数はのべにして800通前後になっている。何人かの方とは数通から数十通のメール交換をしている場合もあるので、人数だけで言えば150人くらいだろうか。このサイトを開いていなかったら、知り合うこともなかった方ばかりである。

 アクセスカウンターの数が数万、数十万になっているサイトがある。またYahoo!等、検索エンジンのサイトで「クールマーク」がついているところに行ってみても、一体どこがおもしろいのか、全然わからないところが大半である。私が毎日行くサイトなど、どこもアクセス数だけでいえばマイナーなところばかりである。しかし訪問者の数は問題ではない。私にとっておもしろく、その人の感性に共感できればそれで十分楽しめる。そのような方のサイトで知った本、映画、芝居、コンサート、食べ物をなどを試してみるのは新しい発見と出会えることも多く、楽しいものだ。

 その人のライフスタイル、あるいは性格はフラクタルになっているのであろう。どの「部分」も「全体」の相似であり、すべての情報はその「部分」の中に含まれている。 一見些末なことであっても、それがその人のすべてに通じている。

 自分のサイトで好き勝手なことを書き散らすのも、「宛先のない手紙」を発信しているようなものだが、瓶に詰めて、実際に海に流すよりかは拾ってもらえる確率は高い。縁があれば、誰かに拾っていただけるだろう。


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