趣味との関わり合い方
「マジェイアのカフェ」開設4周年のお礼に代えて
2001年7月31日(2004年2月23日改訂)
この頃、趣味といふこの言葉程、癪(しゃく)に触るものはない。釣りが好きな人間がゐると、その人間の趣味は釣りだと言ってゐた間はまだよかった。それでも、釣りが本当に好きな人間ならば、釣りとの結び付きは趣味などといふ洒落たことの限度を超えてゐる筈である。
吉田健一「甘酸っぱい味」 (61)「趣味」
熊本日日新聞 1957年5月17日掲載
マジックの専門誌『奇術研究』(力書房)が1956年に創刊された。1979年の最終号まで、毎回表紙には「高雅な趣味・健全な娯楽」と添えられてあった。私が『奇術研究』を読むようになったのは1960年代初頭である。当時、私は小学生であったが、この「高雅な趣味・健全な娯楽」というキャッチコピーを見るたびに、違和感と同時に気恥ずかしさを感じていた。
マジックは私に驚きを与えてくれて、好奇心を刺激してくれる興味深いものではあったが、ただ好きでやっているにすぎない。それにたいして、「高雅」や「健全」などという仰々しい言葉は余計であった。第一、マジックのどこが高雅で、何が健全なのかさっぱりわからなかった。
昨今、大手のカルチャーセンターや公民館では驚くほど多くの講座が開催されている。先日偶然見かけた某カルチャーセンターの案内書には、ざっと見ただけでも500くらいの講座が掲載されていた。
細分化された講座の一覧表をながめていると、大学の授業科目かと思うような難しそうなものから、タイトルだけでは何の講座なのかよくわからないものまである。個人の好みが多様化しているため、受講者を満足させようと思えば硬軟織り交ぜて取りそろえる必要があるのだろう。
それに加えてインターネットの普及も、趣味を取りまく状況に大きな変化を与えている。端的に言えば、自分のペースで、好きなことをやり続けるのが難しくなってきている。
私がマジックに興味を持ったのは4,5歳のころなので、すでに40年数年になる。これだけ長くやっていると、吉田健一が言っているように、「趣味などといふ洒落たことの限度を超えてゐる」というのが実感である。 趣味というより自分自身の一部になってしまっている。むしろ「道楽」と言ったほうがしっくりくる。人は生きるために仕事をするが、それは必ずしも自分の一番したいこととは限らない。身過ぎ世過ぎのため、あるいは家の都合で何かの仕事をしなければならないこともある。このようなとき、趣味や道楽は、もうひとつ別の生を生きる機会を与えてくれる。仕事でたまったストレスを緩和してくれる作用もある。そのため、忙しい人ほど、仕事以外で自分が熱中できる何かを持っているものだ。
「マジェイアのカフェ」は、7月11日でホームページを開設してから丸4年が過ぎ、5年目に入った。振り返ってみると、いつの間にか自分でも驚くほどの分量になっている。
昨今はホームページ作成用のソフトがよくできているため、面倒な勉強をしなくても、誰でもすぐに自分のサイトを開設できる。しかし2、3ヶ月で更新が止まり、1年後には消えてしまっているサイトも少なくない。書きたいことがなくなってしまうのが一番の理由かもしれないが、それ以上に、思っていたほど訪問客が増えないことや、感想のメールなどもほとんど来ないため、書き続けようという気持ちがなくなってしまうのだろう。
また逆に、ある程度反響もあり、訪問者の数も増え、メールをもらうようになると、うれしいと同時に、それがプレッシャーとなってくる場合もある。自分の楽しみのために始めたはずのサイトなのに、更新しなければという義務感や、訪問者の期待を裏切ってはならないというプレッシャーに堪えきれなくなり、閉鎖してしまう例も数多く見てきた。
なんであれ、他人のことなど気にせず、自分が好きでやっている間は楽しいのだが、他人の目を意識し出すと、初めの頃のような楽しみ方は維持できなくなる。本当は義務でも何でもないのだが、このあたりのバランスをどう取るかが難しい。
私が丸4年も続けてこられたのは、当初、訪問客に関しては何も期待していなかったからかも知れない。年に一人か二人、共感してくださる方からメールでもいただければ十分だと思っていた。それがオープンして半年ほどしたころから予想外に多くの方が来てくださり、2年目を過ぎたあたりからは、年間数千通のメールをいただくようになった。こんなことはまったく予想もしていなかった。また昨年の暮れには、NIFTY主催の「ホームページグランプリ」で、3500を越える応募サイトの中から、26しか選ばれないグランプリ候補にノミネートされるという予想外の出来事もあった。
さすがにここまで反響があると、ホームページを開設したばかりの頃のような気持ちで、好き勝手に書くことができなくなってきた。いや、本当は好き勝手に書けばよいのだが、つい有形無形の圧力に影響され、自分本来のペースが維持できなくなってくる。実際、今年の初めから、しばらくはそのような時期もあった。幸か不幸か、私の場合4月から仕事が猛烈に忙しくなったこともあり、どうがんばっても、それまでしていたような週に3回くらいのペースでの更新を続けるのは無理になってきた。それがよかったのか、今では開き直って、サイトをオープンしたときのように、好きなときに好きなことを書くということに徹している。と言っても、少なくとも週1回の更新ペースだけは維持したいと思っている。この程度のプレッシャーはあったほうが心地よい。
近年、インターネットの普及は様々な人とのつながりをもたらしてくれる。これは活用しだいでは大変役に立つのは間違いないのだが、ともすれば自分のペースを見失いがちになる。ホームページを開設することが趣味に入るのかどうかもわからないが、趣味や道楽は、他人の目など意識せずに、自分がそこに没頭できる時間でなければ楽しくはない。三昧の心境で、無目的、没我的になれるかにかかっている。そうなってこそ、他人に振り回されることもなく、日常から離れた、もうひとつの生を満喫できる。
無目的で、自分だけが没頭するようなものは意味がないように見えるかもしれないが、実は生活にとって「合目的」、つまりそれには十分な意味があり、自分自身にとって不可欠なものとして存在しているものなのだ。今の時代、他人との関わりが大変難しくなっている。うっかりするとつい自分のプライバシーに踏み込まれたり、他人のプライバシーに踏み込んだりしてしまう。趣味や道楽は、他人を巻き込むことも、巻き込まれることもないように意識しながら、徹底的に自分のペースをかたくなに守りながら続けて行くのが一番ではないかと思っている。