生きものとの別れ
「生きもの」と暮らしたことのある人なら、誰でも経験していることだと思いますが、一緒に暮らしていた犬や猫、その他どのような生きものであっても、それが亡くなったとき、まさに家族の一人が亡くなったのと何ら変わらない、大きな悲しみにつつまれます。 うちには昔からいつも犬がいました。以前はボクサーなどの大型犬もいましたが、ここ30年ほどは小型のヨークシャーテリアばかりです。今いるのはチャッピーという名の7歳の雌で、ヨーキーとしては5代目です。 この子は大変元気であったのに、昨年の11月末、生理が始まった頃から様子がおかしくなりました。年に1,2回ある生理はいつも大抵軽く、数日で終わります。ところが今回は、2週間近く続き、量も今までにないほど多いので、気になっていました。 もうそろそろ終わりだろうと思っていたのに、2週間目くらいには食欲がなくなり、二日間ほど何も食べなくなってしまいました。食べていない割にはお腹を触ると張っています。ひょっとしたら、これはただの生理ではないかも知れないと思い、12月上旬、かかりつけの動物病院へ連れて行き、検査をしてもらいました。 血液検査やレントゲン、エコーなどで調べてもらうと、子宮に膿がたまり、それが破裂して、急性の腹膜炎を起こしている可能性があり、すぐにでも手術をしなくては助からないと言われました。子宮を摘出して、腹膜炎の処置をする必要があったので、即刻入院し、手術をしてもらうことに決めました。 翌日、昼過ぎからの手術が終わり、午後8時頃、意識が戻ったという電話が獣医からありました。家人が駆けつけると、終わった直後なのに立ち上がり、寄ってきたそうです。 翌朝、私も行ってみると、喜んで立ち上がり、盛んに私の顔をなめに来ます。細い腕には点滴の針が刺さっていて痛々しいのですが、管を噛んだり、ひっぱたりすることもなく、おとなしくしている様子でした。 毎日、朝と夕方、様子を見に行くと、術後2日目、3日目とだんだんと弱ってきています。食事も、家から好物の肉やリンゴなどを持って行っても全然食べません。手術の直後は興奮からか、私たちの顔を見ると立ち上がって寄ってきたのに、2日目、3日目くらいは立ち上がる元気さえなくなってきました。頭を伏せて、じっと寝ています。 母が、狭い犬小屋に頭を突っ込むようにしながら、お腹に手をおいて「愉気」をしてやると、気持ちよさそうにじっとしています。「愉気」(ゆき)というのは「整体」でやっている気功のようなものです。客観的に、どれだけ効果があるのかわかりませんが、ガン末期で、夜中、痛さに絶えられず悲鳴を上げている患者さんに、看護婦さんや身内のものがやさしく手を握ってあげると、それだけで痛みが緩和されるのはよく知られている事実です。人の心と体は分離できない一つのものですから、心の平安が体に影響を及ぼすことは充分あり得ることなのでしょう。 実際、私も7,8年前、あることで緊急入院したとき、同じような経験をしました。座薬も、どんな痛み止めも効かなくて、とうとうモルヒネしか効かないほどの激痛があったとき、「愉気」をしてもらうと、本当に痛みがやわらいだのです。おふくろの手のひらが熱くなり、いかにもエネルギーがこちらに伝わってくるような感覚がありました。 今回、手術を担当してくれた獣医の話によると、急性の腹膜炎が相当ひどかったようです。術後、3日ほどしても白血球の数値も高いままで、あとは体力勝負だと言われました。特に3日目の夕方は衰弱がひどく、もしこのまま死ぬのであれば、それがこの子の縁なのだろうと、私自身、心の整理をしました。 今までにも何度か犬の最期を看取ってきましたが、たいてい、母に数時間抱かれている間に、眠るように逝ってしまいました。本当なら、最期はそうしてやりたいと思いながらも、今回は病院の中なので、それもできません。しかし、もし助かるものであれば助けてやってほしいと、帰り道、この宇宙を取り巻く<存在>に念じていました。 4日目の朝、行ってみると、担当の獣医から、昨晩私たちが帰った後、突然、食事を食べ始めたと言われ、驚きました。それまでは一口も食べなかったのに、その夜から、急に食べ出したそうです。私の祈りが通じたのか、おふくろの愉気が効いたのかわかりませんが、とにかく、劇的に変化したそうです。 点滴をしているとはいえ、実際に口から食べないと体力は回復しません。食欲が出てきたことを聞き、きっと回復すると確信しました。事実、その後の回復はめざましく、日に日に元気になり、手術後、8日目で無事退院できました。
家に帰ってからもしばらく通院しましたが、12月の中頃にはすっかり元気になり、今では完全に元の状態に戻り、家の中を大変な勢いで走り回っています。 この子にはまだ生きて行く縁があり、死ぬ縁はなかったのでしょう。今回、うちの場合は、元気になって帰ってきましたが、犬や猫の死も、人の死も、実際には何ら変わりません。悲しみの大きさに差はありません。今、これを読んでいる人の中にも、そのような体験をなさっている方がいらっしゃらないとも限りません。そのような方へ、私自身が自分の心を納得させるのに、思い出した逸話を紹介します。お釈迦様が亡くなるときの話です。これで癒されるとは思いませんが、少しでも心の整理ができたらと思い、ご紹介します。 お釈迦様は伝道の途中、チュンダという若者の作った食事を食べ、それが原因で亡くなりました。食中毒であったようです。自分の差し出した食事のため、釈尊が苦しむ姿を見て、チュンダは声を上げて泣き、自分を責めました。釈迦はチュンダに言いました。
『人は必ず死ぬ』(松原泰道 主婦の友社) 人も犬も、生まれたからには必ず死にます。ありとあらゆるもの、諸行は無常であり変化しないものは何もありません。いつか、物質としての体は消えます。誰かとの別れ、それが人であっても、犬であっても、自分と何かの縁があったものとの別れはつらいものです。しかし、すべては時節と因縁の中で動いています。今、ここで別れることが、あなたにとっても、去って行くものにとっても、何か意味のある必然なのだと思えば、少しは癒されるのではないでしょうか。 あなたと一緒に暮らしている生き物がいるのなら、何かあったときは、どうか最期まで看取ってあげてください。 |