ドリーム・キャッチャー

 

 

2000年3月17日

先月のヴァレンタインデーに、チョコレートと一緒に「ドリーム・キャッチャー」をもらった。そのことを別の女性に話したら、「何、それ?ゲーセンにあるユーフォーキャッチャーの景品?」って言われてしまった。これだから夢のないオバサンとは話がはずまない。

「ドリーム・キャッチャー」というのは、「UFOキャッチャー」の景品でも新機種でもない。アメリカ先住民族のお守りである。最近、キムタクが出ているテレビドラマでこれが使われてから、突然、若い女性の間で評判になっているらしい。 髪につけるもの、ペンダント、イヤリングなどがある。

大きさも色々で、私がもらったものは直径5,6センチのリングに、糸で蜘蛛の巣が編んである。中央に穴があり、ビーズが使われていることも必須条件のようだ。身につけていると、眠っているとき、この蜘蛛の巣に、良い夢も悪い夢もいったん引っ掛かり、悪い夢は中央の穴から下に落ちてしまう。網に残るのは、良い夢ばかりになるそうだ。

人は夢を見るが、動物、少なくともうちの犬も夢を見ていることはわかっている。それも人と同じように、犬も「悪夢」を見るようだ。

半年ほど前、私がテレビを見ていると、横のソファーで寝ていたチャッピーが、寝ながら「ウーン、ウーン」とうなされたような声を出している。しばらくすると、大きな声で「キャインー」と叫び声をあげた。体を揺すって起こしてやると目を覚まし、不思議そうな顔で辺りを見渡していた。このようなことは、私にとってもはじめての体験であった。実はこの数日前、犬にとってストレスのかかることがあり、それを夢の中で見て、悲鳴をあげたようであった。そのストレスが解消してからは「悪夢」を見ることもなく、うなされることもなくなった。

フロイトが夢を研究し、「夢判断」の論文を書いたのが100年ほど前のことである。うちの犬の例を持ち出すまでもなく、起きているときの経験が夢に影響を及ぼすことは明らかであるが、自分が意識していないことも夢には現れる。昔の人はこれを神託、つまり神のおつげと解釈していた。今では神託というより、心の奥底、無意識からのメッセージと解釈しているようだが、どちらにしたところで大差はない。

そのようなことよりも、ドリーム・キャッチャーのようなお守りが存在していることに私は興味を覚えた。

夢の中の出来事と、目覚めているときの出来事が互いに影響を及ぼし合っていることに気づいていたため、夢をコントロールすることで、現実の生活もコントロールしようとしたのだろう。また、現実の出来事が夢に反映されるのと同様に、夢の中の出来事が逆に目覚めているときの自分自身に影響すると考えたのだろう。もしそうなら、よい夢だけをセレクトしておけば、目覚めているときも良いことだけが起きると考えるのは方法論としても筋が通っている。いずれにしても、夢と現実には差はなく、両方をひっくるめた渾然一体としたものが自分自身であると理解していたにちがいない。

夢が先なのか現実が先なのか......。たいていの人は子供の頃、「鶏が先か、たまごが先か」という問を出されて困惑した経験があるはずだ。しかし、この問は問自体が間違っている。問が間違っていれば、出てくる結論も間違っている。同じように、夢と現(うつつ)も、どちらが先ということもないのだろう。

シェイクスピアは「人は夢という糸で人生という布を織る」と言っている。バシュラールは「人はまず夢見たものだけを研究することができるのである。科学は実験に基づいてというよりも、むしろ夢想に基づいて形成されるのだ」(火の精神分析)と言っている。

先にイメージがあり、それを「現実」が追いかけると思ったほうが、希望が湧いてくるのではないだろうか。


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