平成の伊能忠敬

 

伊能忠敬(いのうただたか

 

1999年7月26日

江戸時代後期、日本中を歩きながら測量をして、精密な地図を作ったことでよく知られている人物として、伊能忠敬がいます。私も最近、忠敬に影響を受けて、真似をしたくなりました。「平成の伊能忠敬」を目指して、私も日本地図を全部塗りつぶしながら歩くことに決めました。

伊能忠敬が第2次調査に歩いたのは、江戸から青森までの約1,700キロです。これを105日かけて歩いています。一日平均、17キロ程度ですから、意外なくらい少ないと思うでしょう。測量をしながら歩いていましたので、この程度が限界であったのかも知れません。今なら飛行機で行けば1時間ちょっと、鉄道でも十数時間で着いてしまいます。それを約100日もかけて歩くのは大変と言えば大変ですが、これはこれで心地よいはずです。おまけに昔は距離を測定するのに、歩数を数えながら歩いていましたから、意識は歩くことだけに集中され、瞑想的と言ってもよいような旅であったはずです。

私は歩き始めて、まだ日数が少ないのですが、それでも九州・四国の全県を調査して、現在、山口を抜け、広島を調査中です。(汗)

とは言っても、本当に九州、四国を歩いているわけではありません。万歩計で、『平成の伊能忠敬』という商品名のものがあり、歩くときこれをつけていると、歩数が累積され、それに応じて日本地図が順に塗りつぶされて行くようになっています。これで伊能忠敬をやっています。目安は1日一万歩で、一ヶ月で日本地図が完成するようになっています。

私の場合、歩く距離は日によって差がありますが、大体、一日7,000歩程度です。この調子で行くと、一月半ほどで日本地図が完成するのでしょう。(笑)

伊能忠敬の話はさておき、はじめての土地で、歩いてどこかに行かなければならないとき、どっちの方向へ進んだらよいのか、わからなくなることがあると思います。特に地下から地上に出たときなど、そこがはじめての場所なら、東西南北が全然わからず、へたをすると目的地と逆の方向へ行ってしまうことさえあります。格別方向音痴でなくても、地下から地上に出てくると、位置関係がわからなくなる経験は、たいていの人はあるのではないでしょうか。

ハンガリー出身の数学者で、大道芸人もやっているピーター・フランクル氏が、十数年前はじめて日本に来たとき、驚いたことのひとつに、日本人の、地図を描く能力の高さがあったそうです。地図を描く能力といっても、伊能忠敬の地図に感心したわけではありません。

彼が道を歩いていて迷ったとき、通り掛かりの人に行き場所を言うと、紙の裏に簡単な地図を描いてくれるのですが、それが誰に描いてもらっても、交差点や目印となる大きな建物などを的確に描いてくれるので、迷うことなく目的地まで行けたそうです。

日本人はこのことを当たり前のように思っているようですが、日本以外ではこのようなことは考えられないと言っていました。これは日本人の、数学的な能力の高さから来るものだろうと推測していました。

私がこの話を聞いたとき、道を教えるだけの簡単な地図を描くのに、何で数学が出てくるような大げさな話になるのか不思議でした。紙の裏に略図を描くことが数学的な能力とどのような関係にあるのかわからなかったのです。しかし、少し考えてみると、自分が今いる場所と目的地までの位置関係を空間的に把握し、それを紙の上に表現するという能力は、私たちが思っているほど簡単なことではないのかも知れません。中学で関数を習うとき、「座標」を教わります。X軸、Y軸があり、そこに点を打って位置を示すという訓練が、こんなところに役に立っているのかも知れません。

地図を描くという能力は、確かに数学の能力のひとつなのでしょう。ピーター・フランクル氏は、世界中の大学で数学を教えたり、大道芸人をしながら各国をまわっている人なので、その説にも信憑性があります。

この話を聞いたのはもう10年ほど前のことです。そのときは「そんなものなのかな」とは思いましたが、すっかり忘れていました。

何年かして、私がローマで観光地巡りをしているとき、サン・ピエトロ大聖堂の中で迷ってしまいました。迷ったといっても建物の中のことですから、日本から持っていったガイドブックを広げて、今、自分のいる場所を確認しようとしたのです。内部の簡単な地図が載っていたので、私が今この地図のどこにいるのかを知りたかったのです。辺りを見渡すと、係員がいましたから、その地図を見せました。今いる場所が、この地図の上ではどこになるのか、指さしてもらおうと思ったのです。ところが、係員にこの地図を見せても、全然要領を得ません。建物全体の位置関係がわかっていたらそれくらいすぐにわかりそうなものなのに、地図を逆さまに見たり、横から見たりしていましたが、わからないというのです。この係員は人のよさそうなおじさんでしたが、ひょっとしたらよほど頭の悪い人なのかも知れないと思い、あきらめました。

このときピーター・フランクル氏の先の話を思い出しました。本当に外国の人って、みんなこのようなレベルなのでしょうか。自分の職場の地図でさえわからないのですから、道をたずねても、紙に書いてくれたものなど、信じる気にはなれないでしょう。

それからさらに数年後、これは日本での話ですが、知人の家に行くことになりました。簡単な地図を描いてもらったら、駅から7,8分のところにあることがわかりました。場所もわかりやすく、線路沿いに行けばよいので間違いようもないと思い、安心していました。

当日駅に降りて、線路に沿ってしばらく歩くと、目印として描いてくれていた病院もすぐに見つかりました。地図の上ではこの病院の向かい辺りに家があるはずなのです。しかし、その付近を見ても、それらしい家はありません。電話で確認しようとしても、閑静な住宅地であったのと、日曜日で病院も閉まっていたため、公衆電話が見つかりません。携帯電話もないころの話です。駅まで戻ろうかと思いましたが、それも馬鹿馬鹿しいので何とかその辺りで、公衆電話を捜しました。電話を見つけるだけで、10分くらいかかりました。

「今、○○病院のそばまで来ているのだけど、家が見つからないよ」

「何で?病院の真向かいだよ。電話を切ったら病院の前に行って立っていて。窓から手を振るから」

病院の前まで戻り、近所の家の二階を見ていると、確かに二階の窓から手を振っている姿がありました。しかし、それは病院の向かいと言えば真向かいなのですが、病院とその家とは数十メートル離れており、おまけに線路を挟んで反対側にあります。地図を描いてくれたとき、線路も描いてあったのですが、自分の部屋の窓からは病院がいつも窓のすぐ前に見えているので、家も病院も、線路の同じ側だと思っていたそうです。

近くに踏切もないので、また駅まで戻り、駅の通路を通り抜けて反対側に出て、家にたどり着くまで、30分近く、うろついたことになります。

やっとそこの家に着いたとき、「中学時代、数学は1だったのか」と聞いてやろうかと思いました。日本でも、まともに地図を描くことができない人がいますから、うかつに信用しないことです。

 


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