おいしい生活(6)
金平糖
金平糖(こんぺいとう)といえば、子供の頃食べた記憶はあるが、ここ数十年、食べるどころか見かけた記憶もなかった。ところが最近、あることがきっかけで金平糖に興味を持ち、そうなると立て続けに金平糖に関しての記事や情報が目に飛び込んできた。先日も芦屋でレストランに入ったとき、レジの横に置いてあった「芦屋倶楽部」という無料のタウン紙を手に取ると、金平糖のことが載っていた。京都で150年間、金平糖だけを作っている店、緑寿庵清水(りょくじゅあんしみず)とご主人、清水誠一氏の紹介記事があった。
緑寿庵清水は京都の百万遍、京都大学の角の交差点を少し西に行ったところにあり、今も昔ながらの製法で金平糖を作り続けている。ひと月ほど前、私もこの店の金平糖を食べる機会があった。そのときはまだ何も詳しいことは知らなかったこともあり、金平糖から出ているあの角(つの)は、何かの型に流し込んで作っているのだとばかり思っていた。ところが実際はそうではなく、直径が2メートルくらいある大きな釜に餅米を砕いたイラ粉と呼ばれるものを核にして、それにグラニュー糖を溶かしたものを掛け、根気よく釜を回転させることで徐々に砂糖を結晶させてゆくことを知った。直径1センチ程度の金平糖が出来るまでに、最低でも2週間、ものによっては3週間近くも蜜をかけ、釜を回転させ続けなければならないと聞き、驚きを通り越して感動してしまった。釜に付着した砂糖が引っ張られて、徐々にあのような星形に育っていくらしい。
緑寿庵の方に電話でうかがった話によると、気温や湿度によって結晶ができる速度が微妙に変わってくるためマニュアルやレシピも作れないそうだ。金平糖が釜の中を滑り落ちる音を聞きながら、たえず火加減や釜の角度、速度などを調整する必要がある。一通りの金平糖が作れるようになるまで、十年はかかるとおっしゃっていた。
またつい先日、寺田虎彦(1878−1935)のエッセイ集、『椿の花に宇宙を見る』(夏目書房、1998年)を読んでいると、「金平糖」に関しての一文にも出くわした。漱石の弟子であり、地球物理学の研究者でもあった寺田は金平糖の角を見ているだけで生命の起源にまで想いを馳せてしまう。砂糖が星形のように角を出しながら成長する原理を考えているだけでそこまで行ってしまうのだから、天才というのはとんでもないことを思いつくものだ。そういえばニュートンだってリンゴは落ちるのに、月はなぜ落ちてこないのかを不思議に思い、それで「万有引力の法則」を発見してしまうのだから何ともおそろしい。
緑寿庵では他にも色々と教えてもらった。歴史的には金平糖が日本に伝わったのは1546年、ポルトガルの宣教師によってもたらされたそうである。ポルトガル語ではconfeitoと言い、織田信長が献上物のひとつとして受け取っている。ただし製法は教えてもらえず、長い間、どうやって作るのか謎であったらしい。大変貴重なお菓子であったことは間違いない。先の寺田のエッセイが書かれたのは昭和2年であるが、その当時すでに、「この面白い金平糖が千島アイヌか何ぞのように亡びていくのは惜しい」と記している。現在、昔ながらの製法で作っているのは、京都では緑寿庵だけだそうだが、皇室の引き出物や、茶会の茶請け菓子として、今でも一部ではよく使われているそうだ。
元来は砂糖を結晶させただけのものであったが、緑寿庵清水のご主人が昭和58年頃から、イチゴやリンゴ、メロン、ミカン、ショウガ、コーヒー、お酒、チョコレート、他、天然の素材を使ったものを作り始めた。砂糖を結晶させるだけでも大変難しく、現在、ポルトガルでさえ、この技術は途絶えている。ポルトガルから来た料理研究家が緑寿庵を訪れ、昔ながらの金平糖を見て感激して帰ったという話をうかがった。とにかくそれくらい砂糖を結晶させることは大変なことのようだが、さらにそこに何かの素材を加えると、砂糖がドロドロになり、結晶を作ることは一層難しいのだそうだ。普通に考えても、グラニュー糖に何かの味をつけることくらいすぐに思いつきそうなのに、それがなかったのは技術的な問題が大きかったのだろう。
味覚や嗅覚を言葉でいくら説明してもうまく説明できないのだが、ひとつ口に入れてみると、駄菓子屋で売っているようなものとは香りがまったく違う。何とも上品な味と香りで、さすがに150年もだてに作り続けているわけではないことがわかる。"コテ入れ十年、蜜かけ十年"と言われる技術は、昨今のレシピさえあれば誰でも作れるような洋菓子ともひと味違っている。
真夏でも、砂糖を結晶させるために冷房は使わず、50度を越える部屋で2週間以上もかけてできたものだと思うと、おろそかには食べられない。手にとって眺めているだけで真珠のように思えてくる。実際、核を中心にして少しずつ成長してゆく様子は真珠と同じなのだろう。
上の写真にある小袋が500円程度だから、少し高いと思うかも知れないが、2週間以上もかかっている手間を考えると、全然高いとは思えない。夏季限定のものでは、冷凍室でコチコチに凍らせて食べるとおいしいソーダー味の金平糖もあった。これなど、洋酒のあてにもなる。大変日持ちもするそうで、常温で部屋に置いておくだけでも1年や2年は何ともなく、実際には30年前に作ったものでも、まったく変質しないで食べられるそうだ。
現在、緑寿庵では数多くのオリジナル商品を開発しておられる。大量生産できないため、京都以外の人は手に入れにくいかも知れないが、大阪では梅田の阪急百貨店の地下で購入できる。地方発送もしてもらえるので、興味のある方は下記まで連絡してみて欲しい。
緑寿庵清水
住所:京都市左京区吉田泉殿町38−2
電話:075−771−0755