瑪瑙
(めのう)
学生時代のある日、当時つき合っていた女の子と梅田の地下で待ち合わせしていた。この日は私の誕生日でもあった。喫茶店に入り、席に着くとすぐに、彼女は鞄から何かを取り出した。よく見ると、それは「石」であった。ぶつけられるのかと思ったが、心当たりもない。
「お誕生日おめでとう。これが私からのプレゼント」
そう言って手渡されたのは、河原に転がっている、にわとりの玉子をひとまわり大きくしたくらいの石であった。
当時は二人とも金はなかったが、それにしても石ころはないだろう。これはきっとシャレで、この後に本当のプレゼントが出てくるのを期待した。
それならここはひとまずどう反応するのがよいのだろう。あとの展開を考えると、こっちもシャレで大げさに喜んでみせたほうがよいのか、それともがっかりした様子をみせたほうがよいのか一瞬躊躇した。
しかし、あとには何もなく、本当にその石だけが誕生日のプレゼントであった。ただ、この石は河原で拾ってきたものでなく、瑪瑙(めのう)の原石であった。さらにめずらしいのは、瑪瑙の中に水が入っている「水入り瑪瑙」と呼ばれるものであった。
何万年か何十万年なのか詳しいことは知らないが、その当時の「水」が瑪瑙の中に閉じこめられたままになっている。振ってみると、かすかに音がした。表面の一部だけ磨き込んであるので、光に透かしてみると、中で水が動いているのがわかった。
当時から私は妙なものが好きだったので、このようなものを探してきてくれたらしい。どこで手に入れたのかたずねたが、笑って教えてくれなかった。
大昔の水が入っているとはいえ、ただの石に過ぎないのだが、イマジネーションは猛烈に刺激された。私はこれがすっかり気に入り、それ以来、いつも机の前に置いては眺めたり、触ったりしていた。
それから数年経ったある日、石が割れているのに気がついた。前日までは変わりはなかった。落としたわけでもなく、静かに置いてあっただけなのに、桃を割ったように、パックリとふたつ割れて、中にあったはずの水も、跡形もなく気化してしまっていた。
二日ほどして、彼女が亡くなったことを知らされた。石が割れたのと、彼女が亡くなったのは、ほとんど同じ日であった。
彼女の「魂」(エネルギー)が体から離れたとき、それと同調するかのように、瑪瑙の中に閉じこめられていた水も再び全体の中に溶け込んで行った。 万物は流転する。
オマル・ハイヤームも詠っている。
一滴の水だったものは海に注ぐ。
一握の塵だったものは土にかえる。
この世に来てまた立ち去るおまえの姿は
一匹の蠅(はえ)−−− 風とともに来て風とともに去る。
『ルバイヤート』(小川亮作訳 岩波文庫)
この宇宙全体は互いがすべてと関連しあって存在している。数万年前の水と、彼女の「魂」が同調していたとしても、不思議ではないのかも知れない。
合掌。
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