大モンゴル展
ため込まない文化
1998年9月9日
大阪の万博記念公園にある国立民族学博物館で、「大モンゴル展」(1998/7/30-11/24)が開催されている。民博にもしばらく行っていなかったので、先週、久しぶりに行って来た。
現在のモンゴルは私たちが想像している以上に都市化している。上の写真のような、「ゲル」と呼ばれるテントに住み、季節の移り変わりと共に場所を移動し、昔ながらの遊牧の生活を営んでいる人たちなど、今ではすっかり少数派になっている。
地理的には中国やロシアなどに挟まれているため、社会主義体制にどっぷり組み込まれていた時期はチンギス・ハーンのことにふれることさえタブーになっていたようである。最近はそれも徐々に緩和されており、積極的に自分たちの祖先の偉大さと知恵を継承して行こうとする意識が復活してきているのだそうだ。とはいえ、現在のモンゴルは政治、経済、治安、仕事、その他様々な分野で問題が山積しており、私たちがぼんやりと描いている牧歌的な国家というイメージからはほど遠いのが実状のようである。
都会では職業としてタクシードライバーもあればロック歌手、その他諸々の職業がある。しかし、都会でこのような仕事をしている人より、今一番元気なのは、田舎で昔ながらの遊牧の生活をしている人達なのだそうだ。それはそうだろう。都会での新しい仕事など、ここ数十年のことでもあり、様々なストレスもあるが、遊牧民には過去数百年に渡って受け継がれてきた、生きて行くための知恵がある。
また遊牧の生活では、一カ所に定住しないため、必要以上の物をため込むことがない。そのため、物に対する執着も強くないのだろう。数百年に渡り、家畜や野生の木の実を食べながら移動し続けていると、人間も動物も草や木も、すべては同じであるという意識はことさら強くなるはずである。
私たちの感覚では、一緒に暮らしている動物を食べることには抵抗があるが、彼らには人の命も羊の命も同じことなのだろう。どのような生き物も、所詮他の生き物を食うことでしか生きられないのだから、そこには安っぽいセンチメンタリズムなどない。一匹の羊を食べるときは、羊に感謝し、どこも無駄にしない。捨てるところなど、まったくと言ってよいほどない。肉は勿論、毛皮も骨も使う。
子供達は左の写真のような「シャガイ」と呼ばれる玩具で遊ぶ。羊のひざの関節部分である。これで「おはじき」のようなゲームをしたり、占い、その他色々な遊びに使っている。実際にはもっとたくさん使うが、4個入ったセットがおみやげとして販売されていた。
農耕民族のように、長い間、一カ所に定住していると、世代の積み重ねとともに様々なものがのしかかってくる。背負わなくてもよい荷物を大量に抱え込み、知らないうちに実体のない諸々のものでがんじがらめになっているのが、今の私たちの生活である。しかし、彼らのような生活をしていると、「人は何のために生きるのか」という問いかけすら出てこないように思える。花や草木が何のために自分はあるのかを問わないように、人が生まれ、また消えて行くことも草木の生滅と本質的には同じはずなのだ。遊牧民はそのことを一番よく知っているのではないだろうか。
民博に展示したあったゲルには、昔ながらの厚い羊毛でできたフェルト製のものとならんで、「未来のゲル」として、合成樹脂でできたものがあった。フェルトで作ったものより、このほうが保温性も良く、軽いため移動にも便利なので実際に使われるようになるかも知れない。また、ストーブを燃やす燃料としては、牛の糞が中心であったが、これもポータブルの電力が一般的になるかもしれないそうだ。モンゴル高原は風と太陽は豊富なので、それを利用して、持ち運びの出来る太陽電池のパネルや風力発電の装置をゲルの横に置いて、電線のないところでも電気を利用できるようにする装置まで研究されている。最初、これを見たとき、悪い冗談かと思ったのだが、日本の目ざといメーカーが、商売になると思えば遊牧民用の太陽電池や発電器を作るくらいわけもないことなのだろう。
モンゴルの都会にあるホテルでは、すでに衛星放送で日本やアメリカ、イギリス、香港、ロシアのテレビ番組をリアルタイムで見ることができるそうだから、ゲルの中でBSを見ながらインターネットをやっているなんてこともそのうち珍しいことではなくなるのかもしれない。
日本でエアコンの効いた部屋で暮らしている私たちが、年間の半分以上が氷点下という地で暮らしている遊牧民の人達に、昔ながらの生活を続けて欲しいなどと言うことなどできないのはわかっているが、それでもやはり、ゲルの横にある太陽電池のパネルを眺めていると、何かしっくりこないものを感じてしまう。太陽電池や風力発電それ自体は比較的クリーンなエネルギーなのだろうが、一度、ゲルの中で電子レンジで調理するようになってしまうと、数百年をかけて培われてきた知恵も、「チーン」という音と共に消えてしまうのではないかと心配する。なんにしろ、ゲル用の発電器まで作ろうとする発想は遊牧民の人達から出たものではなく、おそらく商売人の発想なのだろうが、いい加減にしろと言いたくなったのも事実である。。
館内では様々なイベントもやっている。無料でモンゴルの衣装を貸してもらえ、衣装を着たまま館内を自由に見物したり、写真を撮ることもできる。隣接しているレストランではモンゴル料理も食べられる。私は食べていないので味はわからないが、モンゴルのうどんや、岩塩で調理した羊の肉などがあるそうだ。また土曜、日曜はホーミーや馬頭琴の実演も楽しめる。
追加情報(2001/10/30):風力発電の装置は、現地からの要望があり、開発されたようです。それに都城市の工業高専が、国際協力の一環として取り組んだものだそうです。
マジェイア