おいしい生活

番外編


ヴィンテージもの?!


瓶

2001年1月31日

近ごろ「ヴィンテージ」という言葉をよく耳にする。元来、ヴィンテージというのはワインに使用されているブドウの生産年を示す用語であったはずなのだが、今では「ヴィンテージ物のジーンズ」など、古着や靴、鞄、万年筆、何にでも古くて、製造された年度がわかっていればヴィンテージという言葉がついて販売されている。ワインの場合、製造年を明記するにはいろいろな条件があり、勝手につけることはできない。ある一定の条件を満たしたものだけがヴィンテージワインと呼ばれている。

先般、台所の電気工事をする際、冷蔵庫やワインラックなど、大型の家具を移動させる必要があった。その際、普段、保存庫として使用しているレンジ下のスペースものぞいてみた。ここには野菜や油、保存用のビールやワインなど、よく利用するものを置いてあるのだが、奥の方には何があるのかさえ忘れていた。ひさしぶりに奥まで首を突っ込んで探ってみると、焼き物の瓶(かめ)が見えた。片手で引っ張り出そうとしたが、ずっしりと重く動かない。何とか外に出し、ふたを開けてのぞいてみると、塩がびっしりと詰まっているのが見えた。塩を保存する容器なのかと思ったが、塩の下に団子のようなものも見えた。おそるおそるひとつ取りだしてみると、団子のように見えていたのは梅干しであった。水分はすっかりなくなり、全体に塩が吹き出した状態になっていた。母もこのようなものがあったことをすっかり忘れていたようで驚いていたが、どうやら祖母が漬けていた梅干しであることがわかった。昔は毎朝祖母がこの瓶から梅干しと、もうひとつ別の瓶からぬか漬けを取りだし、朝食に並べてくれていた。

祖母は74歳で亡くなる数日前まで元気であったため寝込むこともなく、家族の朝食は祖母が準備してくれていた。父は毎晩のようにどこかの宴会や接待に出ていた人なので、朝は祖母の作るみそ汁、梅干し、焼き海苔、浅漬けにカツオを削ったものがあればそれで十分であったのだろう。母はその時間まだ寝ていた。朝は祖母が作り、夜は母が担当していた。結婚してからずっと祖母とさらに曾祖母とも同居であった母にしては、祖母が元気な間は家庭内の仕事は分担したほうが、ボケ防止にもなり、祖母にとっても生活に張りがあって、よいと思ってのことだったのだろう。実際、このため、祖母は亡くなる直前まで元気でいてくれた。

これ以外には風呂を沸かすのも祖母の担当であった。うちの風呂は釜が二つあり、ガスでも薪(まき)でも沸かすことができた。今なら薪で風呂を沸かそうと思えば、かえって経費がかかるのだろうが、当時は薪も手軽に入手できたのかも知れない。嫁と姑が同居していれば細々としたトラブルはあるが、その点に関して比較的うまくいっていたのは、二人の間にしっかりと役割分担ができていたからではないだろうか。家庭内の仕事が、きちんと分担されていたため、協力関係が維持できたのがよかったのかも知れない。そのため、世間でよく耳にするような深刻なことにならなかったのではないかと、今になって思っている。

梅干し

嫁と姑の話はともかく、瓶に入っている梅干しをガラスの容器に移し替えてみた。 昔、テレビで梅干しの専門家が出演していたとき、江戸時代の梅干しでも、保存が良ければ今でも食べられるという話をしていたのを思い出したのだが、目の前にある梅干しを見ていると、これを口に入れるのは勇気がいる。とりあえず消毒を兼ねて、一個だけ湯飲み茶碗に入れて、熱湯をかけてみた。1時間ほどそのままにしておくと表面がふやけてきて、種からはがせるようになっていた。もう一度熱湯をくぐらせて、少しかじってみるとふつうの梅干しとかわらない味がしている。これなら食べても死ぬことはないはずだ。

梅干しを箸で突っつきながら祖母のことを思いだしていると、亡くなってもう30年近くなることにあらためて驚いた。仏壇にある過去帳で確認してみると昭和47年に亡くなっているから、この梅干しは1972年物ということになるのだろう。天皇家には100年前の梅干しもあるそうだから、勇気さえあれば食べられないこともないはずだ。

昔の梅干しは塩がよくきいているから、これくらい古くても何とかなるのだろうが、最近のものは塩鮭にしても大変甘くなっているので、ずっと短期間しかもたないだろう。健康志向はわかるが、昔はご飯の上に梅干しが一個だけのっているだけでも食べられたものだ。思いっきりしょっぱくてすっぱい梅干しなら、少しかじるだけでも口の中に唾液があふれてくる。梅干し一個で弁当箱一杯の飯が食べられたが、今の甘い梅干しや味付けされた梅干しでは丸ごとだって、いくつでも食べられてしまう。とにかく昔は貧乏人だけでなく、金持ちの旦那衆でも同じようなすっぱい梅干しを食べていたはずだから、塩辛い梅干しが貧者御用達というわけでもなかったはずである。保存のためには、ある程度塩を入れておかないことには日持ちがしないため、自ずと塩の量が決まっていたのだろう。

あれこれ思案しても、私や家人が思いつく食べ方といえばお茶漬けか日の丸弁当くらいしかない。とりあえず料理に詳しい知人にメールを送ってみると、1時間後には梅干しの食べ方や、梅干しにまつわる話などをどっさりメールでもらった。

●塩味だから調味料がわりにしてもいい。おすまし、にゅうめん、天ぷらそばに入れてもさわやか。豚ロースに青じそと梅干しをはさんで豚カツに。ドレッシングやマヨネーズにも。梅チャーハンにして、青じそぱらぱらもおいしい。

●子どもが大好きなのはウメジュース。梅にぽちぽち穴をあけて、瓶に入れて蜂蜜たらたら。冷蔵庫に入れておいたら、わくわくしながら何度も扉をあけて、おこられる。梅ゼリー、シャーベット、作ってみたいのに全然作れない。全部飲まれてしまう。残った梅はジャムやなんかになるらしい。

●お弁当のごはん。ごはんとごはんの間に梅干しをちぎって、のりと青じそをきざんで入れてお醤油をぴっとかけるのが我が家の定番。

●風邪を引くと、お湯の中に黒焼きにした梅干しと刻んだネギを入れてたものを飲まされた。どうして黒く焼くのかいまだにわからない。

●梅をつける時期になると、家中梅だらけになる。あまい香りでいっぱいになるから親の目を盗んで、1年に1度はかじってしまう。すっぱくておいしくないのだけど、やってしまう。

●「1個で5,000円もする梅干しなのよ」と能書きをたらたら言いながら、大嫌いなおばさんがその梅干しの入ったおむすびをくれたけど、ふつうだった。まろやかな味といえばそうだけど、おいしさは好きな人と食べなければあんまり感じないものなのかも知れない。

実際にはこれの倍以上、いろいろと教えてもらった。こんなのが1時間で届くのだからインターネットはありがたい。

しかし結局何を作ったかといえば、梅干しを入れた雑炊とおにぎりだけ。梅干しを千切っておにぎりをつくってもらい、一口食べたらあっという間に、30年前にタイムスリップしてしまった。味覚や嗅覚が脳のどこかを刺激したのか、昔食べたなつかしい祖母の味がよみがえってきた。パブロフの犬でなくても、人間だって味覚や嗅覚を刺激すると条件反射が起きるのだろう。

中学生の頃、祖母にソフトボール大のでかいおにぎりを握ってもらったことや、あまりのでかさにそれを見て仰天していた友人のTのことなどもうかんできた。私が20歳を過ぎても、祖母は私が出かけるとき必ず「ハンカチ、鼻紙は持った?」と声を掛けていたことなども思い出してしまった。

古い梅干しなど、「お宝鑑定団」に鑑定してもらったところで値段のつけようもないだろうが、1972年の梅干しは、私にとってささやかなヴィンテージものであった。


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