1997年10月17日
秘すれば花なり秘せずは花なるべからず これは世阿弥の書き残した『風姿花伝』の中の、よく知られた一節です。
この伝書で、世阿弥は芸上達のアドバイスと、興行を成功させるための方法論を具体的かつ詳細に書き記しています。残念ながら、我々は世阿弥の演技を、今、鑑賞することはできません。彼の役者としての才能がどのくらいのものであったのかわかりませんが、演出家、能作者としては間違いなく天才です。
花伝書を読んでみると、世阿弥がこれを書いたのは抽象的な演劇論、芸術論などを書きたいからではなく、やむにやまれぬ心情からであったことがひしひしと伝わってきます。ただただ、一座の発展と、この芸を志す者に、世阿弥自身が獲得した奥義を伝えたいという、それだけで書かれています。
私たちが今読んでも迫ってくるものがあるのは、決して空理空論ではないからです。生き残って行くための方法論と自分自身の心の軌跡を記録しておきたいという、そのことだけで貫かれていますから、世阿弥の生の声が伝わってくるのでしょう。
この伝書は、能についてのものですが、観客を相手に何かを見せて、また再び来たいと思わせるためのコツなど、どのような分野にでも当てはまります。音楽などのライブでも、芝居でも、サーカスでも、何にでも当てはまります。
先に紹介した一節、「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」というのもそのようなものです。
その前に、「花」という言葉ですが、これは世阿弥自身、広範囲に、様々な意味で使っています。そのひとつとして、「花と面白きと珍しきと、これ三つは同じ心なり」と言っています。
人が舞台で発見する「珍しさ」、この感動が花であり「面白さ」である。つまり、「花」と「珍しさ」と「面白さ」、この三つは全く同じものであると言っているのです。そして、
ただ珍しさが花ぞと皆人知るならば、さては珍しきことあるべしと思ひ設けたらん見物衆の前にては、たとひ珍しきことをするとも、見手の心に珍しき感はあるべからず。見る人のため花ぞとも知らでこそ、為手の花にはなるべけれ。されば見る人は、ただ思ひのほかに面白き上手とばかり見て、これは花ぞとも知らぬが、為手の花なり。さるほどに人の心に思ひも寄らぬ感を催す手だて、これ花なり。
つまり、「意外性が感動である」と観客が知ってしまえば、その効果は激減すると言っています。ここで重要なことは、「感動とはそのような心のメカニズムで起こるのだ」という原理を観客に知られてはまずいということなのです。 観客が予想もしていなかったときに、ふと予想外のことを見せると、観客は驚き、感動します。意外性など期待していないときに、そして演技者の側も、意外なことなど起こすつもりはまったくないというような態度のなかで、ふと予想外のことを起こすと、観客は感動します。
観客が「何か珍しいものが見られる」と、最初から期待しているのでは、意外性の効果はそれほどありません。同じようなことを、あるアメリカ人の少年が体験しています。
トム・マリカというマジシャンがいます。彼の子供時代の思い出を綴った文で、サーカスを見たときのエピソードを紹介しましょう。トムは母親にサーカスにはじめて連れていってもらい、マチネの興行を見ました。
ショーのある場面でハプニングが起きました。舞台裏にいた一頭の馬が、突然、舞台上に飛び出し、暴れまわったのです。係員やピエロがあわてて飛び出してきて、総出で馬を取り押さえ、中に連れ戻しました。観客はみんな驚きと大笑いで高揚したまま、その後もショーを楽しみました。トム少年は、はじめて見たサーカスがあまりにも面白く感動したので、母親にねだり、夜の部も見せてもらいました。
この夜の部で、トム少年を昼の部より一層驚かせたことが起こりました。
それは、昼間と同じ場面で、またあの馬が現れ、暴れだしたのです。そうです。これは最初から演出として組み込まれたハプニングであったのです。このときトム少年は、観客を驚かせる秘密の一端を垣間見てしまったのです。日本でも、ミュージシャンのステージも年々派手になり、様々な趣向が凝らされています。 派手な舞台装置を使ったものから、見た目はささやかでも、さりげなく、観客を驚かせるものまで、数多くの工夫が懲らされています。
小林幸子の紅白歌合戦での衣装。あれも段々とエスカレートしてきて、数年前など、衣装が顔の数百倍もあるようなものを着ていました。テレビの画面一杯が衣装で、顔は虫眼鏡で見ないと見えないのです。観客が前もって「珍しいもの」を期待しているところへ、それを裏切らないようなもの出し続けるのは難しいことです。一度や二度ならともかく、毎回となると、至難のワザです。
「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」は古今東西、共通ですが、これが観客を驚かせる秘訣であると、観客に知られることなく使ってこそ、はじめて威力を発揮するのでしょう。
マジェイア