駄洒落は100%カットしよう
追加更新:2001/1/30
1997/7/24
アメリカのクロースアップマジシャンは観客を笑わせなければならないという強迫観念にでも取りつかれているのでしょうか。あきれるほどギャグを連発します。プロもアマチュアも同じです。
しかし笑わせることは泣かせたり怒らせたりするよりずっと難しいものです。「お笑い」が職業として成立するくらいですから、決して簡単ではありません。少なくともマジックを見せるより数倍難しいことはまちがいありません。
笑いには様々なパターンがありますから一概には言えませんが、一般には相手の感情を刺激するというよりも、何らかのかたちで知性を刺激しないとできません。それにもかかわらず、アメリカ人の客がマジシャンのギャグにあれだけ反応するのは、「相手がギャグを言ったと思ったら笑ってあげること」とでもいったことが、アメリカの「礼儀作法の本」には載っているからでしょうか。
私が小学校の4,5年生の頃、昭和30年代にはNHKのラジオ放送で、演芸の番組が週に何度かありました。落語、漫才、浪曲などです。私はこれが大好きで、毎回、聞いていました。このようなものが一番好きな番組というのですから、今思うと珍しい子供であったのかも知れません。おまけに私は生まれも育ちも関西ですから、とにかく笑わせてくれることは大歓迎です。これだけ「お笑い」が好きな私でも、駄洒落に代表されるようなくだらないギャグは勘弁して欲しいのです。特にマジックの中で、このようなダジャレやシモネタを連発されるともう耐えられません。マジックからそのようなものは100%カットしてください。
駄洒落にいちいち義理で反応していると、マジックを見る以前に疲れてしまいます。
マジックという芸は真面目にやっても、自ずと観客から笑いが起きることは珍しくありません。別に笑いが起きなくても、エンターテインメントとしては何ら不満のないマジックもいくらでもあります。
マジックもヘタ、さらにつまらない駄洒落などを連発されると、もう腹が立ってきます。 高木重朗氏など、「くだらないダジャレネタ」を連発することで有名なある方のマジックが始まると、恐いものに出会ったかのように、いつもそそくさと部屋から出ていっていましたね(汗)。 私の場合、最近は目を開けて寝る技術を開発したので、平気で寝ていますが。
どのようなギャグが面白いかは人によって様々ですが、とりあえず、程度の低い駄洒落を100%カットするだけでも、少しはマシになるでしょう。落語家の世界では駄洒落なんて論外です。小学生でも言わないような駄洒落を平気で連発している人のマジックは、しょせんマジックも同じレベルです。
センスのよい、しゃれたジョークはその場を盛り上げてくれます。質のよいジョークにはそれだけのパワーがあります。「マジックと笑い」を研究したいのであればそれはとてもよいテーマです。誰かがやってくれるのでしたら大歓迎です。観客の「レベル」を的確に見抜いて、ジョークを使い分けるということができればよいのでしょうが、それは至難のワザです。実際マジックを見せることより何倍も難しいことです。
人間的なセンスは、隠そうとしても自ずとにじみ出てくるものです。無理に笑わせようとしなくても、不思議な現象はそれ自体おかしいものだということを知っているだけでも、多少は気が楽になるでしょう。自分のセンスに合わせて、普通にやればよいのです。
追加更新1 (2001/1/10):「駄洒落」って何のことかわかりますね?『広辞苑(第5版CD-ROM版)』によると、「つまらないしゃれ。まずいしゃれ」となっています。少し補足すると、一般に駄洒落というのは落語の世界で「地口落ち(じぐちおち)」と呼ばれるようなものです。英語では"pun"(パン)と言われています。例をあげると「スキーが好き!」とかいった語呂合わせのたぐいです。
私がここで100%カットして欲しいと言っているのはこのようなもののことですよ。なにもマジックに、ジョークやギャグを入れるなと言っているのではありません。
今日、マジック関係の某サイトを見ていたら、私の上記の文を読んだ人がジョークについて書いている文に出くわしました。しかもそれが何とも頓珍漢なもので呆れました。どうやら、マジックにはジョークやギャグを絶対入れるなと私が主張しているかのように思っているらしいのです。しかしそれはとんでもない誤読です。
私はジョークやギャグは大好きです。質のよいジョークやギャグは大歓迎です。そのようなものなら、どんどんマジックに取り入れて欲しいくらいです。ただこれは簡単ではありませんよ。その人の人間としてのセンス全般に関わってくることです。切れのよいジョークがマジックのなかに適切にはさめているなら、それだけで私はその人を全部認めてしまいます。しかし世間で市販されている「ジョークマジック」と称するものには悲惨なものが山ほどあります。先日、知人から見せてもらった市販のビデオも、見ているだけで血が逆流しそうになりました。
「ピザパイ」の写真をゴム製の乳房に変えて、「これはオッパイです」とか、2枚の食パンを女性の下着に変えて、「パンが2枚でパンツー……」、うーん、書いているだけで熱が出てきそうです。他にもここで書けないような下品なネタや、口にするのも恥ずかしくなるようなダジャレばかりでした。これ以上具体例をあげてることはやめておきますが、私が100%カットして欲しいと言っているのはこのようなレベルのことです。
先のビデオにはこのようなものばかり20以上詰まっていました。本人はこれがジョークだと思っているのでしょうが、なんとも情けないことです。以前から書いているように、このようなことをおもしろいと感じている人のマジックは、マジック自体もしょせん同じレベルです。人間は金太郎飴のようなもので、一部が全体を表しているものです。 私が100%排除して欲しいと言っているのはこのようなもののことです。
追加更新2 (2001/1/11) :昨日10日付けの追加更新を載せましたら、すぐに上記の某サイトの管理者からメールをいただきました。以下にその一部を引用して紹介させていただきます。
新しく更新されているところを読んで自らの恥かしさを痛感しております。
>ピザパイをゴム製の乳房に変えて、これは「オッパイ」ですとか
>2枚の食パンを女性の下着に変えて、「パンが2枚でパンツー……」こんなレベルのマジックを見たことのない私は幸せ者です。 というかそんなマジックをマジックとしてやっている人がいる事がはずかしい。 それがビデオになっているということはもっと恐ろしいですが。
やはりわかる方はすぐにわかってくださるようです。私も実際のところ、この方ならわかってくださると思ったから「追加更新1」を書いた次第です。予想どおり早速削除してくださったようで、こちらが恐縮してしまいました。
追加更新3 (2001/1/30):上のメールをくださった方の場合、サイトを読ませていただきますと私と共通する感性をお持ちだと思いましたので、あえて「追加更新1」を書いた次第です。しかし「追加更新1」を読んでも、読解力がないのか、本質的に救いようがないのか知りませんが、いまだにわけのわからないことを言ってくる人もいます。ジョークと駄洒落の区別もできない人に何を言っても無駄です。「パンツー」程度のダジャレでも好きだという人がいてもそれは仕方のないことですが、そのような人は、マジックを見せるのは同じクラブのメンバーか、家族だけにしておいてください。
本人に会わなくても、その人の友人を見ればその人のことがかなりの部分わかってしまうように、「類は友を呼ぶ」というのは事実です。ある人の周りには同じレベル、同じ感性の人が集まっています。「パンツー」や「ピザパイ」で喜んでいる人の周りには、そのようなものでもおもしろいと感じる人が寄ってきます。それについては、私がとやかく言う筋合いのことではありません。好きにやってください。
魔法都市の住人 マジェイア