「改案」と言う前に
マニアの人にマジックを見せてもらうと、「これは誰々の何々というマジックを私が改案したものです」と言われることがよくあります。しかし大抵の場合、「改案」というより「改悪」になっています。せいぜい、「これは私流のバリエーションです」とでも言うくらいの謙虚さは持ってください。まあ、どっちでもあまり変わらないけど(笑)。
一口に「改案」といっても、あるマジックを改案するという場合、「表」に現れる現象面と、表には現れない「裏」(技術面やタネ等)の改案があります。
どちらにしても、それが本当に改案になっているかどうかの判定は難しいものです。 原案者に改案と称するものを見せると、大抵うんざりするはずです。いったいそれのどこが改案なんだ、と言いたくなる代物がほとんどです。 アル・ベーカー(1874-1951年)も、「多くの優れたマジックが、改案という名の下に無茶苦茶にされている」と嘆いていました。
私も先日マニアの人に、フレッド・カップスのマジックを見せてもらいました。彼流の「改案」だそうです……。見たとき、私は頭がクラクラしてきました。最後まで直視できずに、途中で目を伏せてしまいました。
「改案」と言うのは勝手ですが、フレッド・カップスという今世紀最大の天才マジシャンのトリックを「改案」するということは、自分の方がカップスよりセンスが上だと思っているのでしょうか。
少なくとも、カップスのマジックをやるのなら、原案どおり100回くらいは実演して、それでもどうしても自分にはしっくりこないと思えるのなら、どこかを変えるのも悪くないでしょう。しかし、2、3回やってみて、ここは自分には難しそうだからという理由で変えただけのものを気安く「改案」などと言って欲しくありません。
先のマニアの場合はもう致命的でした。永遠にhopelessです。根本的に何もわかっていません。「フレッド・カップスのマジックを改案するなんて100年早い!」と言ってやろうかと思いました。そのときは他にも人がいたので黙って見ていましたが、血が逆流しそうになりました。アル・ベーカーの嘆きがよくわかります。
魔法都市の住人 マジェイア