2000/8/17記
大阪城夏まつり 「伝統芸能フェスティバル」
水芸&江戸奇術
藤山新太郎&東京イリュージョン
日時:2000年8月15日(火)・16日(水)
会場:大阪城天守閣前・特設ステージ
開演時間 15日:14:30-15:10
16日:10:30−11:10/14:30−15:10
無料
大阪城の天守閣前・特設ステージで、日本の古典芸能を紹介するイベントが開かれていました。大阪市の主催で、お盆の頃、毎年開かれているようです。今年はその中で、日本に古くから伝わる「水芸」(みずげい)も行われていました。関西ではほとんど見ることのできない芸でもあり、以前から一度生で見ておきたいと思っていたので、暑い中、行ってきました。
水芸自体はこれまでにも何度かテレビや芝居などで取り上げられていますので、大抵の人は一度くらい見たことがあるでしょう。しかし、これをライブで見る機会はほとんどないはずです。現在、日本でこの水芸を継承しているのは東京のマジシャン、藤山新太郎さんだけになっています。
この芸は江戸時代からありました。それが明治になり、松旭斎天一の一座がこれを売り物にするようになりました。当時のスーパースター、天勝などもこれを得意芸としてよく演じており、戦前、天一一座はアメリカ興行でもこの水芸を演じ、好評を博したようです。
江戸時代の文献では、当初は演者一人だけで行い、自分の手や、とっくりから水を吹きだして見せる程度のものでした。それが明治になり、天一一座がこれを行うようになってからは、最近まで続いていたような水芸のスタイルが一通りの完成をみました。
ざっと紹介しますと、舞台の上には朱塗りの欄干を模した高座があり、その中央に裃(かみしも)姿の大夫が、両側には数名の太夫(女性)が座ります。大夫の左には花台に乗せた洋杯、右側には刀身だけを乗せた刀掛けがあり、そばに舞扇と羽子板をおきます。欄干の前面には菖蒲(ショウブ)の花などが飾られています。(『図説・日本の手品』を参考にしました。)
これが大夫のかけ声ひとつで、とっくり、刀、扇子、羽子板、太夫の体、欄干と、いたるところから水が噴き出し、またぴたりと止まります。
ざっと以上のようものですが、近年、この水芸は舞台ではほとんど見られなくなってしまいました。その理由は色々あります。
ひとつは、遊園地などでもコンピューター制御された噴水があり、音楽に合わせてライトの色を変え、自由自在に水の高さなども変化するものがありますので、少々のことでは観客が驚かなくなったからです。江戸時代であれば、この水芸はそれだけで飛び切りのイリュージョンになっていたに違いありません。実際、当時は水を通す管ひとつにしても現在のようなゴムの管などはなかったため、竹筒をつないだり、針金をコイル状に巻いたものに上から油紙をかぶせたもので管を作っていたそうです。また、水道や電動のポンプなどもなかったのですから、確かに無茶苦茶不思議な芸であったはずです。
それが今では透明なビニールパイプもあり、スイッチひとつである程度自由にコントロール出来ることを知っていると、不思議さが大幅に減ってしまうのも無理はありません。
また、実際に水芸を昔ながらの方法で演じようとすれば、大変な数の裏方と出演者も必要であり、簡単に出来る芸ではありません。裏方とのタイミングなど、微妙な間を演奏に合わせてぴたりとあわせるためには、準備だけでも気が遠くなるほどの時間が必要でしょう。金銭面でも半端なことでは済みません。
出てくる水の量も半端でないため、ステージで演じる場合、出てきた水をどうやって処理するのか、それも問題になります。
このようなことを考えてみますと、水芸というのは途方もなく贅沢な芸であることがわかります。デビッド・カッパーフィールドやランス・バートンのステージも金が掛かっていますが、水芸の場合、絹でできた高価な衣装を水浸しにし、ステージ全面から水が噴き出してくるのですから、ラスベガスやディズニーランド等のショーと比べても、全然遜色のないものになっています。昔はこのような芸を楽しむ観客や演者がいたことを考えると、当時の日本人が、いかに質の高い娯楽を楽しんでいたかがわかります。
今回、特設ステージが作られたのは大阪城の天守閣前という、日本の古典芸能を楽しむにはこれ以上ない舞台設定でした。ただ、客席は真夏の炎天下、それも屋根もない場所なので日射病、熱射病の心配をしながら、命がけの見物でした。私も頭からタオルをかぶり、汗だくで見ていました。席は最前列の中央という特等席であったため、水をだいぶかぶりましたが、ぶったおれそうなくらい暑い中のことでもあり、そのことはまったく気にもならないというより、ひんやりして心地よかったくらいです。
大変な猛暑の中でしたが、つくづく感じたことは、やはり芸は生で見るに限るということです。テレビの画面を通してしまうと、本来の良さは伝わりません。
最近では、松旭斎天勝の生涯を演じた名取裕子主演の「花の天勝」でも、水芸の場面がありました。しかし、これは大変美しく演じておられたのですが、今ひとつおもしろくなかったのです。それに対して、藤山新太郎さんの水芸が大変楽しかったのは、口上のおもしろさと、長年マジシャンとして培ってきた不思議さのポイントがしっかり押さえられているからでしょう。水芸を演じる藤山さんは最初から座っているのではなく、水芸を始めるとき、はじめて欄干の中央に設えられた席に着き、女性二人も最初は舞台の上で踊りながら水を出していました。これも驚きました。芝居などで演じられるものは、最初から席に着いたままなので、どこかから管が通っているのだろうと思ってしまいますが、このように自由に動き回ったまま体から水が噴き出してくると、古典的な原理を知っている者でさえ、不思議に見えます。
水芸の前に、「江戸奇術」と題して、約20分間、藤山さんの和妻がありました。これも大変すばらしく、羽織袴で演じられる奇術は不思議さだけを追い求めたり、ただ仕掛が巨大化している昨今のステージにはない優雅さがありました。
マジックと言えば、タネさえ教えてもらえば何とかなると思っている人が多いのですが、今回のような芸を見ると、タネに関する部分などある意味些末なことであることがわかると思います。タネよりも、もっと他に重要な部分が山ほどあること、また一朝一夕では身に付かない立ち居振る舞いの重要さなどもわかるはずです。藤山さんはもちろんのこと、太夫役の女性お二人もとても身のこなしが優雅で、このようなことがすべて整ってはじめて満足できる舞台ができるのですから、大変と言えば大変な芸です。
気温が35度を超え、雲一つない炎天下での約40分間のショーではありましたが、見ているときはそのような暑さも忘れるくらい、すばらしいものでした。
★参考
『図説・日本の手品』(平岩白風著、青蛙房、昭和四十五年発行)によると、文献に残っているもので、水芸に関する最も古いものは、『唐土(もろこし)秘事の海』(享保十四年以前、西暦1729年頃、環沖仙著)に載っているものとされています。「ともしびのうちより、をのれと水を出し、火きへざる術」として、火と水を使ったものが紹介されていました。
この後、『仙術夜半楽(せんじゅつ やはんらく)』(宝暦五年正月-西暦1755年、幾篠述)に「とくりのうちより水をたかくふき出すからくり」というのが紹介されています。
さらに『盃席玉手妻』(天明四年正月-1784年、離夫著)、『秘事百撰・後編』(弘化四年1847年、智徳斎)、『手妻早伝授、二篇』(嘉永二年初冬-1849年、十方舎一丸著)、『御伽秘事枕』(明治十三年−1880年、立野藤治郎著)『西洋利学伝授物』(明治十九年四月-1886年、安江文五郎編集)他、数多くの書物に水芸に関する記述が見られます。
魔法都市の住人 マジェイア