年を経るにつれて氏姓(うじかばね)などに関心がおもむく。
宇田川という名の川の存在にも気がいく。
そんな宇田川を発見し、長い間、気にかけていた。


10月はじめ、幸運にもそこを訪れることが出来た。
これは、宇田川紀行である。




環境庁が「名水百選」を選定した昔のこと、
○○湧水群などの名称のなかに、唯一 異例な名前の泉があった。

天の真名井(あめのまない)である。
神話の世界で使われた呼称であり、非常な尊称である。
その泉が実在している。

その天の真名井が水源となり宇田川平野を潤してきたとあった。
え〜っ! である。
調べてみると宇田川が流れていた。


場所は鳥取県西伯郡淀江町。
中国地方の名峰大山の山麓が海に近づいた地域である。

鳥取県の西のはずれ。 島根県との境に近い。 国引き神話の弓ヶ浜も近い。



天の真名井と 宇田川と 宇田川平野

 


大山山麓での仕事を終えて米子空港に向かって帰る途中であった。
時間があったので、長い間の念願であった宇田川平野へ向かった。

この日、大山山麓は激しい雨であった。
山麓から米子方面に降りてきたら雨がやみ始めた。
きれいな田園地帯に入る頃には雨はあがった。




丘陵を背にした小さな集落に向かって登っていった。
集落のなかに入り、あがりきると等高線に沿った小さな道があった。
その小道は手前から先に向かって少し登り坂になっている。

手前にはカシの大木が茂っている。
坂道の先にはちょうど満開の金木犀(きんもくせい)があり、花が道に落ち積もり黄金色になっていた。


 カシの木の後ろには池。 
 道の反対側は水車で轍の一部が写っている。
 中央奥の白いのは案内板で、水源はその右奥となる。


その金木犀と手前のカシの大木の間の道路の山側が細長い池になっており、
それが「天の真名井」であった。長さは15メートルくらい。


カシの木から先の道端は池になっている。





雨のあとであり水は多少濁っていた。

とはいえ、清冽である。




ニジマスが泳いでいる



道路を挟んで池の反対側は民家である。

 



「天の真名井」は深山幽谷ではなく、人々の暮らす集落のはずれにあった。


細長い「天の真名井」の泉の上手には細い橋がかかり、その橋の下は洗い場になっている。
向かいの民家からおばさんが出てきて、菜っ葉を洗い始めた。

ちっちゃな橋が架かっている。左手奥が水源。 橋の下の洗い場



水源はその先である。説明板と石碑が建っている。
注連縄の張られた水源からは勢いよく水が流れ落ちている。



説明文は概容以下のようである。

                説明文(要約)
 環境庁指定 「名水百選」  天の真名井(あめのまない)

 この泉は淀江町大字高井谷(たかいだに)字泉川にあり、「天の真名井」と呼んでいます。
「天の真名井」とは、「古事記」「日本書記」において、高天原(
たかまがはら)の神聖な井戸を意味し、
神聖な水につけられる最高位敬称です。
その湧水量は、一日2500トンに及び、夏は冷たく、冬は温かく、実に味わい深い天然水で、
今は、地元の水道水源としても使われています。

この「天の真名井」泉川の下流の宇田川平野には、弥生時代の角田遺跡があり、
すでに2000年もの昔から、人々の生活と耕作の水源として大切にされてきたことを物語っております。

昭和19年に完成した昭和用水の水源もこの清水です。
文字通り、郷土の文化と産業を興し、歴史を築いた清水であり、地元「高井谷集落」では、四季折々に、
「底ざらえ」をして、水神を祭り、今も古代そのままの神聖な域として、その姿を保っています。



池の水はカシの大木のあたりから、道路の下をくぐって反対側から流れ出ていた。
流れ出た水路には水車があった。

  おじいさんが杖をついて散歩に現れた。

 

 

           流れは傾斜を下っていく。→

流れに沿って下ってみた。

坂下には上の道と並行する小道があった。
流れはその小道の下をも潜って下流へ流れている。
そこにも2台目の水車が設置されていた。

郵便配達さんがオートバイでやってきた。

   水車の上の柿の実が色づいていた

  水車を下って。 配達ごくろうさん

道の先で集落は終わる。
  遊歩道があり、コスモスが咲き乱れていた。


池は樹木に囲まれて静謐であり、そこから豊かな水量が流れ出ている気配はない。
しかし、流れ出た水路をみると流れ落ちる水の勢いは凄く、湧水量の豊かさを実感した。
この流れが集落を抜けて宇田川になる。

  激しい流となって道の下を潜っていく    郵便屋さんが去っていった。






天の真名井が宇田川となり、宇田川が宇田川平野を潤し、古代の人々の暮らしを成り立たせていた。

   宇田川平野(1)    宇田川平野(2)


中世の荘園・田染荘を訪れたたときもそうであったが、治水灌漑技術が未熟な時代は、耕作適地は自然条件に大きく頼っていた。
一部の恵まれた環境でのみ水田・耕作などが可能であった。

深山幽谷からの湧水と違って生活の近場から豊かに湧出する泉。
古代にあっては 一年を通して枯れることのない水源は、貴重なものであり、人々の暮らしを支える泉として大切にされてきたのであろう。

人々はその恵みを感謝し、天の真名井という特別の尊称をつけたのであろう。
泉のおかげでこの地は早くから開け、そういう名称を許す大きな勢力も誕生した。

高井谷地区の風景


豊饒で美しい宇田川平野。それを造り出す宇田川。

その神聖な水源である「天の真名井」。現地で目にしたものは美しかった。





しかし、旅人としては、もうひとつの妄想にも魅かれてしまう。
それは...

天の真名井は、その由来通り、高天原(たかまがはら)にある泉であり、実は、高井谷は高天原なのであり、
そこで生活しているオバアやお爺いは、実は、八百万(やおよろず)の神サマたちである。

杖をついて散歩しているオジイ、天の真名井で野菜を洗っているオバア 
郵便を配達に来るオヤジ .. みな八百万の神サマたち。と。

「カミサマも今の世の中で暮らすのは大変なんだ〜」と、ぶつぶつ言っている神サマたち。
 八百万の神々は今もこの地で隠れて生活している。と、いう

 ...  旅人の勝手で自由な楽しい妄想である。


高天原から宇田川は流れ出し、人々の暮らしを支えてきた。
なんか とても楽しく満足した、というのがこの地を訪れた感想である。





淀江町には古代の遺跡と湧水が多い。

吉野ヶ里遺跡より規模が大きいという弥生時代からの集落遺跡がある。
出土した壷には、太陽、4人の人が乗った船、長い梯子をもつ櫓風の建物、高床倉庫のようなもの、
銅鐸をつるした木、鹿が、パノラマ風に描かれ、古代の淀江の港の風景といわれている。

高井谷の隣の中西尾では大型古墳と多くの埴輪が出土した。鹿・鶏・水鳥、家などのほかに
盾を持ち、入墨、ヒゲ、鉢巻をした人の埴輪も出ている。
天の真名井を中心に栄えたクニがあった。 

白鳳時代の寺院の遺跡(金堂・塔・中門跡)も見つかっている。
金堂跡からは法隆寺の壁画と並ぶ日本最古の彩色仏教壁画が出土した。


繁栄していたこの地域は古代史の盲点になっているようである。
いつか天の真名井のクニの姿があきらかになってほしいと願う。

秀峰大山の伏流水がこの地に湧出するのか湧水が多い。
その一つの「本宮の泉」は宇田川のもう一つの水源になっている。


【 追 記 】
 Google Earth の衛星写真で 大山と天の真名井を見てみました。起伏は1.5倍に強調してます。(2006.10)


   写真 :

ソニー サイバーショット U10


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