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”ふてんま”という呼称には神秘的な響きがあり、どんな神宮か訪れたくなります。
実際に行ってみると、思っていたよりずっと小さなお宮さんでした。 (※注1)

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futenm022.jpg (29102 バイト)  本殿は木造の赤瓦葺きです。

 沖縄風の簡素で趣がある建物です。


 本殿前の両脇の像は狛犬でしょうか?
 顔つきからしてシーサーのような感じがします。


 普天満宮は、沖縄の聖地にふさわしい、沖縄らしい落着いた神社です。


※注1: 2005年6月に再訪したときには、本殿は新しく建替えられていました。もう沖縄風の簡素な建物ではなくなっていました。

 

考えてみれば、沖縄での神社は珍しい存在です。
「普天満宮略記」によると別称普天満権現ともいい、琉球八社の一つだそうです。
琉球王朝時代には、旧暦9月に国王・三司官らによる普天満宮参詣の習慣があり、境内はたいへん賑わったそうです。

この神社の奥の院は鍾乳洞です。 それには不思議な伝説があります。といっても神社は山の中などにあるわけではなく
、ごくフツーの場所にあります。

futenm03.jpg (28400 バイト) 拝殿の裏に洞窟が奥宮としてあります。

巫女さんに参拝を申込むと拝殿の奥へ案内されます。

鍾乳洞となっている洞窟の入口があります。

 


そこから少し下ると大きな広場があり、巨大な鍾乳石や拝所があります。
洞窟の長さは220bほどあるそうです。
神秘的な奥宮です。

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この洞穴には、有名な首里の桃原(とうばる)の乙女伝説があります。



≪ 普天満女神の由来 ≫  〜普天満宮略記の文章を簡略化して引用〜


 昔、首里の桃原というところに、世にも美しい乙女が住んでおりました。
人々の評判となっているのですが、不思議なことに誰ひとりその乙女を見た人はいないのです。
いつも家にこもりきりで機織りにせいをだし、外出もせず他人には決してその美しい顔を見せません。

 父と兄が船出した数日後のある夕方、乙女は夢で荒波にもまれた父と兄が、目の前で溺れそうになっている情景を見ます。驚いて助けようと手を伸ばし、兄を抱き、父へ手を伸ばした瞬間、母に呼ばれてハッとした隙に父をつかんでいた手を放してしまいました。
幾日か過ぎて、遭難の悲報とともに兄は奇跡的に生還しましたが、父はとうとう還りませんでした。

 妹が嫁ぎ、その夫が、美人と名高い姉を一目見たいと妹に頼みました。妹は、しかたなく、姉の部屋に行って挨拶するのでその隙に覗きなさい。と答えました。
乙女はいつものように機織りの支度をしていました。妹の声に振り向いた乙女は、障子の陰から妹の夫が覗いているのを見つけました。
その途端に乙女は逃げるように家を飛出だしました。

 末吉の森を抜け、山を越え、飛ぶように普天満の丘に向う乙女に、風は舞い樹々はざわめき、乙女の踏んだ草はなびき伏してひら草(オオバコ)になりました。
乙女は次第に清らかな神々しい姿に変わり、普天間の鍾乳洞に吸いこまれるように入っていきました。
そしてもう再び乙女の姿を見た人はありません。現身の姿を消した乙女は、普天満宮の永遠の女神となったのです。



この話のストーリーを描いた、大きな素晴らしい屏風絵が客殿に飾ってあります。
美人画の石田和歌さんが描いたものです。

   明るい入口の格子戸の影が、屏風絵を収めたガラスに映ってしまっています。 しかし、絵の雰囲気はわかるでしょう。 (2005年6月撮影)



石田和歌さんは「琉舞」という画集を出しています。

 そして、普天満宮は琉舞と深い縁があります。



 

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先代の宮司・新垣義志さんは、戦前から宮司を勤められ、戦後は普天満宮の再建などに大変努力された方ですが、
一方、琉球舞踊の舞踊家として、また創作舞踊家としても著名な方でした。舞踊「本花風」の唯一の継承者として
それを伝授し広めたりもしたそうです。

13回忌にあたる平成11年3月には、宜野湾市民会館で「新垣義志追悼舞踊の会」が催されました。

和歌さんが描いた、新垣義志氏の舞踊姿絵を、現在の宮司の新垣義夫さんにお願いして社務所の中で見せて戴いた
ことがあります。一番奥の部屋に「作田節」が無造作に掲げてありました。

「新垣義志追悼舞踊の会」のプログラムに、新垣義夫さんの踊りを描いた和歌さんの絵が二点掲載されていました。 
それが下の絵です。

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 作田節  (新垣義志氏舞之図 石田和歌筆)  恋しあかちら  (新垣義志氏舞之図 石田和歌筆)

 

新垣義志さんが創作した普天満宮の神楽舞「初穂」は高嶺久枝さんの踊りで見て感激しました。
ノロ姿の白装束で、一束の初穂を持って舞う優美な巫女舞です。

知り合いの若手舞踏家・比嘉いずみさんに、踊ったことがあるかと訊ねたら、とんでもない、という反応で、伝授され
た佐藤太圭子さんら、踊れる人はまだ限られているようでした。
現在は”太圭流華の会”とか”琉舞かなの会”などで演じられているのでしょう。

私は普天満宮の屏風絵以来、石田和歌さんの絵が大好きになりました。
那覇の久米にある「料亭四つ竹」の入口ホールで、和歌さんの、首里城から天妃が見下ろす那覇の俯瞰絵を見つ
けたときは嬉しかったです。これも素晴らしい大作です。



沖縄に数少ない神社の一つに、那覇の「波の上宮」があります。

futenm21.jpg (10284 バイト) 海に突き出た巨大な琉球石灰岩の岩山上にあります。

琉球の風水思想では、ここが巨大な竜の頭の部分といわれています。
尾の先が、那覇バスターミナル構内にある「仲島の大石」で、それを結ぶ胴体部分が久米大通り、だそうです。

そういわれると、この巨竜のイメージは明快です。

 

 

波の上宮がある若狭のまちは、表通りから一歩入ると、まだ昔ながらの瓦葺き木造の家が残っていたりします。

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 巨大なガジュマルが二階にかぶさっている畳屋さんです。  波の上宮入口の向いの食堂です。

 

波の上宮のお祭りが「なんみん祭」です。

このときに、拝殿前に小さな舞台がしつらえ、そこで琉球舞踊が奉納されます。この踊り手はスゴイ顔ぶれです。
各会派の家元・会主たちです。

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       親泊久玄さん      山内小夜子さん        玉城秀子さん


99年5月16日(日) この日 私はなんみん祭を眺めに行っており、本殿で奉納舞踊に出会いました。
すぐに内に入り参列者にまぎれ込み観覧しました。神域でまじかに観る琉舞はまた格別でした。
全く予期してなかった演舞だったので、この日はひどく得をした感じでした。(翌年は、忘れず参列し、お下がりも戴いて帰りました。)

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 99年のプログラムは、


1. 不明
2. 作田節      宮城幸子
3. 天川       島袋恵美子
4. 鳩間節      谷田嘉子
5. 高平良万歳   山内小夜子
6. 前ぬ浜      池原勝子
7. 八重瀬の万歳  親泊久玄
8. 加奈ヨー     宮城能鳳
9. 瓦屋節      玉城秀子
10. 本花風      玉城節子

  

【左図】 この日の玉城節子さんは、素晴らしい紅型でした。




 私は沖縄在住の間に、かなり頻繁に琉舞を見に行きました。
自慢出来るのは通った回数ぐらいでしょうが... 
しかし、門前の小僧云々といわれるように、何回も通っているうちに、上手の踊りを見ていくうちに、次第に眼が肥え
てくるというか、分かってくる部分はありました。
劇場でプログラムを手にして、好きになった天川、花風、加奈ヨー天川などを目にすると、どんな舞踊が見られるか、
と楽しみになるようになりました。

それにしても、踊りがこんなに盛んだとは、話には聞いていましたがこちらに来て吃驚しました。琉球舞踊の道場は
各町に1つ以上はある感じです。

 

私が琉舞を見るのは、県立郷土劇場で行われる「かりゆし芸能公演」が中心でした。

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そのきっかけは単純です。暇をもてあましていたからです。(笑)
もともと落語が好きで、趣味は寄席通い。定寄席に頻繁に通ってました。


ところが、沖縄に単身赴任で来ると、寄席はないし、夜は暇をもてあまします。当時、毎週火曜日の夜に郷土劇場で琉球舞踊をやってましたので、寄席の代わりに覗き始めたのが発端です。

芸というものは、先入観なしで何回も観こんでいかないと面白さは分かってこない、との思いがあったので、とりあえず、毎週毎週見ることにしました。ほんと暇人です。


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最初に見たのが、99年1月5日の、初踊り特別公演「迎春の舞」。
沖縄の代表的な名人たちが集って踊る華やかなもので、この始まりが良かったのかもしれません。

そして、翌2月の第1週。 
まさに衝撃的な素晴らしい踊りに出会って目が覚めました。「鳩間節」です。
若い女性が踊ったのですが、まるで重力がその人にはきいてないような素晴らしい軽快な動き、見事な踊りでした。比嘉いずみさんでした。
そして鳩間節はかっぽれの影響を強く受けた踊りということが分かりました。勿論、かっぽれは寄席では馴染みの芸です。
そんな親近感のある踊りを若手の名人が修練を積んで踊ったので心に届いたのでしょう。


見方も寄席通いと同じです。最初の演目から期待したり、緊張して観ることはありません。
かりゆし芸能公演の場合は約12演目が演じられますが、3〜4演目、見ごたえがあればいいな、という気持ちで通いました。

寄席の落語と同じです。上手が現れ踊り始めると、自然に舞台に引き付けられます。それが上手の力量で
ジャンルが異なっても同じでした。
こちらの体調、精神状態にもよりますが、5〜6つ良いものが観られると、本当に良い公演であったとかみしめながら帰途につけます。


 
 メモを見返して思い出すと特に印象に残っているのは、

天川 登川清子 作田節 玉城節子
島袋恵美子 鳩間節 比嘉いずみ
花風 山田多津子 ヘイ助おじー(創作) 花岡勝子
比嘉明美 本花風   玉城節子
喜屋武まゆみ むんじゅる 嘉数紀美子
渡久地美代子 島袋安子
前川美智子 護身の舞(創作) 比嘉涼子
神谷静枝 日傘踊り(創作) 當山芽美
佐辺良和 瓦屋節 嘉数紀美子
宮城裕子 高平良万歳  高嶺久枝
加那ヨー天川 奥原めぐみ&喜屋武まゆみ 初穂(創作)  高嶺久枝
首里城賛歌(創作) 玉城節子 与那国ションガネー 久手堅一子&安座間明美
白鳥(創作)  佐藤太圭子 (ムルカ星) 取納奉行 嘉数紀美子
白百合(創作) 花岡尚子 汀間当    嘉手刈幸代

 まだまだありますがこのあたりで....


    印象に残った群舞では

琉舞無憂華の会 四つ竹 蕾が開くような9名の構成
宮城流薫風の会 国頭サバクイ  辻の華 男性6名によるサバクイにおばあ達は大熱狂
宮城流美能留会 貴花  京太郎  四つ竹 宮城早苗の鳩間節、宮城園美の汀間当も強く印象に残りました。
レベルが高い流派です。
玉城流華豊の会  油断するな 島生活の季節推移を12名構成で
琉舞寿の会 二面踊り 12名による双面をつけた踊り
八重山勤王流トキの会   ゆったりとした動きと伝統衣装
玉城流冠千会 貴花  20名構成で絢爛

 

群舞は、同じ演目でも会派などにより様々な演出形式があります。

 打ち鳴らし鳴らし 四つ竹は鳴らち
   今日や御座御座出でて  遊ぶ遊ぶ嬉りさ



 沖縄の代表的な踊りで、花笠・紅型衣装で親しまれている「四つ竹」には色々なフォーメーションがあります。
 普通は、舞台左手奥から入り身で入ってくるのですが、その他様々な様式が考案されています。

 例えば、幕が上がると、華の蕾のように丸くなって蹲っています。
 それから花びらが一枚々開いていくように優雅に身を起して大輪が咲き、群舞が動きはじめます。
 これが無憂華の会です。

美能留会は4名で踊っており途中から4名が加わるフォーメーション。
敏風会は11名で2−(3−3)−3のフォーメーション。
華豊の会は8名構成ですがマーチングバンドにヒントを得たような面白い動きかたをします。
柳清本流は4名が立ち4名がひざまづいて開始。


「四つ竹」は目も鮮やかな衣装と踊り手が打ち鳴らす四つ竹の音によりとても華やかです。

私が見た屋内での最大は、コンベンションセンターでの杜の賑わいの70名でした。
野外のものは第1回ジュリ馬スネーの際で約100名。まさに圧巻でした。


                写真:沖縄観光コンベンションビューロー提供→

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 東京では寄席の機関誌として「東京かわら版」があり、寄席ファンは購読しています。

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驚いたことに、那覇でも「月間琉球舞踊」という雑誌が刊行されました。
県内のローカル紙ですが、カラー頁がかなりあります。
これを読んでいるだけで通になれてしまいます。

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私が見続けた琉球舞踊の公演数は,2000年末までで58回でした。
寄席通いの回数とは雲泥の差ですが、十分に琉舞の魅力を味わい、
楽しむことが出来ました。

 

 
沖縄の芸能はどん々どん々進展している真っ最中です。その勢いがまた面白いです。
踊りも、琉球王朝時代の古典女踊りから、明治以降に雑踊りが発展し、今はまた創作舞踊が頻繁に踊られています。
この進展しているのが楽しみです。

エイサーが良く似ています。
旧盆に踊られる、もともと地味な踊りだったものが、戦後、コザの園田や勝連の平敷屋などで青年たちによって急速に発展し影響し合って今のようになっています。
更に、琉球国祭り太鼓のように、ロック、シンセサイザーを取り入れて発展しています。
「あけもどろの詩」、「風の結人」、「ミルクムナリ」など、日出克が作曲したものはスゴイ人気があり、私も大好きで、これを聴くと体が動き出します。


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 古いものを単に保存するのではなく、どんどん型を破って発展していく若いエネルギーが沖縄の魅力です。
そのエネルギーの原点には、人間中心&人生は楽しむもの、という沖縄の楽天的ライフスタイルがあるように感じられます。



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