毎年旧暦5月4日(ユッカヌヒー)に糸満漁港内で行われる、伝統の旧3村対抗のハーリー舟競漕行事である。
この日、沖縄各地の漁村でハーレーが行われるが最も盛大なのがこの糸満である。
糸満は沖縄南部に位置しており、うみんちゅ(海人)と呼ばれる漁師のまちである。 糸満のうみんちゅは、潜りと操船技術にたけた世界最高の漁師である。 昔、彼らはサバニと呼ばれる小船でどこまでも漁に出かけた。 風があれば帆をかけ、無ければ漕いで...嵐に会うと舟を沈め、舟端にすがって嵐の過ぎるのを待ち、また舟の水をかい出して航海を続けた。 彼らの活動範囲は広く、日本近海も手狭になり、海外にまで進出した。 シンガポール、ジャワ、スマトラ方面まで出かけ、そこに留まってボタンの原料となるタカセガイ、ヤコウガイなどを潜水採取したり追込漁を行なったという。 また、糸満は、集団で行う勇壮な潜水追込漁 「アギャー漁」で有名である。 サバニ7〜8隻に30〜40人の海人が乗り込み、深度20〜30尋もの海底に素潜りで潜って網をはり、水底で共同で魚群を網に追込む海の狩りである。 そのための水中眼鏡(みーかがん)は糸満の発明品である。 当初(明治20年頃)は、宮古の池間島では糸満からもたらされたみーかがんは牛一頭と交換されたという。 漁法についての高度な技術力と、共同作業という組織力、国境にこだわらない広域な移動力
− これらが糸満の海人(うみんちゅ)の社会である。 |
朝 9時前に糸満に着く。9時半から漁港周辺の交通規制が開始。
糸満の氏神の白銀堂は、御願バーレーが終了し、漕ぎ手が勝利順に詣でるのを待っている。
参加者は1年間の大漁祈願、航海安全祈願をここに願う。
この日は糸満をあげてのお祭り日である。学校も半休ないし休日となる。
何日も前からみんな練習に明け暮れる。
←会場の糸満漁港 |
コの字型をした漁港を取り囲んで、向い側が本部のテント・屋台、こちら側は各村のテントが一面に建っている。
みんな陽気に伝統のお祭りを楽しんでいる。
応援に集まる人々 |
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屋台 糸満名物のカマボコ屋 |
出場する選手たちとハーレー船の準備風景
この行事は舟が主役である。ハーレー船の他に審判船、進行船、村船などが活躍している。
愉快なのは村船である。 船の上で琉舞や三味線を奏でながら観客席を廻る。 舞台の出前である。 各村の観客席では村船がくるとアンマー(婦人)達が それに合わせてカチャーシイを踊っている。 とにかく元気で楽しい。 |
行事プログラムは三村対抗の
がメインであり、それぞれの間に、各種職域対抗ハーレー、門中ハーレー、アヒル獲りゲームなどが加わり計21プログラムからなる。
さて、いよいよハーレーの開始である。
まず、三村(西村、中村、新島)の5つのレースの漕ぎ手全員が本部前に集合する。 (左図) 15艇のサバニが集合。 サバニは10名の漕ぎ手と、カジ取り1名、鉦打ち1名の12名構成である。 (御願バーレーは13名構成) |
御願ハーレー(ウガンバーレー)から大会の幕は切って落とされる。
このスタートの合図だけは、港を見下ろす丘(サンティンモー)の上から旗を振り下ろすことによって行われる。 (左 矢印の丘) 南山ノロ、糸満ノロ、神人達により祈願が行われた後に、 |
青年部・中学生部ハーレー
案内して下さった玉城さんが新島であり、息子さんが参加されているので、応援に力が入った。
暑い日であったため、子供たちは船の引揚げ場所などで泳ぎ回っていた。
(左)スタート風景(漁港セリ市場の下から) (右)子供たちの水遊び風景
転覆ハーレー(クンヌカセー)
これは、スタートしてまもなく本部前で転覆沈没し、復旧してから競技を続けるレースである。
なかなか楽しい。操船技術を競うもので、伝統の自ら沈潜し嵐をやり過ごして漁を続けた名残りかもしれない。
復旧して漕ぎ出して、すぐにまた沈潜してしまった船もあった。
(1)スタートして本部前へ | (2)大勢の観衆の前で転覆・沈没 | (3)戻して再スタート |
上イバーレー(アガイスーブ)
行事の最後を飾るメインレースである。
他の競争が湾内折り返しの850メートルの距離であるが、これは2185メートルの長距離である。
競技開始前に、三村のハーレー船は、古式に則って中央に浮かべた村船(現在は本部船)の周りをハーレー歌を歌いながら三周する。(左上写真)
ハーレーがゴールを割ると、岸壁で応援していた村の人々が一斉に海に飛び込んで勝利を祝っていた。
こうして沖縄を代表するハーレーは終了した。
ところで、ハーレーの翌日には、今度は海で亡くなった人たちがハーレーを行う(グソーバーレー)との言い伝えがあり、
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