秦代の万里の長城 (現在の万里の長城の前身)



BC221〜BC210

秦の始皇帝の時代に、
万里の長城の建設のために大動員された人々が、苦役を嫌って(秦滅亡の混乱などに乗じて)逃亡し、半島南部 (当時 倭の領域) へ流入した。

この人々の子孫が、後にクニの代表者を選ぶ際、出自が確かな貴種の倭人を推戴し、新羅を作る。 (赫居世王)



小さな点は戦国時代までにあったもの。
大きな点が始皇帝によって建設された部分。

後の王朝も改修や延長を行い現在に至る。