玉川上水は、近くの井の頭線・高井戸駅の先を流れている。
久我山〜井の頭公園の玉川上水は散策ルートで、新緑の頃によく歩いている。
多摩川・羽村の堰からはじまる玉川上水を、羽村の水門から歩いてみたいと、以前から思っていた。 村松昭さんのユニークな俯瞰図「玉川上水散策絵図」なども用意していた。 そして、昨年末から今月にかけて 玉川上水とその分水を3回に分けて歩き、その様子をツイッターで呟いた。
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2012年12月26日(水)
多摩川の「羽村の堰」へ行った。
多摩川をこの一点で堰き止め、余った流れを脇の玉川上水へ流し込む場所だ。
右手の石垣裏が 玉川上水の取水源。 |
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羽村の堰の上流から水門を見る。
玉川上水への取水源の第1水門(写真左) | 玉川上水が始まる。 |
羽村の堰下の河原には、どんど焼きの準備がもう出来ていた。 来年1月14日の成人の日に燃やすそうだ。
(堰下橋から河原を眺める) |
取水口直ぐ下の 第2水門から流れ出る玉川上水。
勢いもおさまり、のどかに流れていく。 |
玉川上水を羽村の堰から約2キロ下った所に、長年気にかけていた多摩の蔵元がある。
この蔵のことは、通っている歯医者の中川先生から教わった。
先生は福生の蔵元の自宅まで往診に通っていた。
”そこの大吟醸は美味い”、と。
”蔵元は多摩地域の大地主で 戦前は立川駅から福生の自宅まで、他人の土地を通らずに行けたそうだ”、と。
”今は減って5千坪程になったが、まだ敷地内には玉川上水から引いた小川が流れている”、と。
これを聞いて、一度訪ねてみたい、と気にかけていた。
この蔵元は、「清酒 嘉泉」の「田村酒造」。
玉川上水の宮本橋を渡ると、左手に黒塀が続いており、その先に入口がある。
冬のことで蔵見学は出来なかったが、事務所で酒を買った際に頼んで、敷地内を見させてもらった。
入口に向かって | 入口の門 |
蔵 | 酒造りの最中で、湯気が上がっていた |
田村家当主の邸宅の玄関。 構えが重厚だ。 |
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先生が小川といったのは、玉川上水から引いた「田村分水」のことだった。
手前の下から流れ出て | 庭の端を流れていく |
田村分水は酒蔵の裏から外に流れ出していた。
外の流れ
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田村酒造の敷地に沿って玉川上水は流れており、そこに通船時代の河岸跡が残っている。
橋があり、田村家の通用門がある。
左:田村酒造 中央:玉川上水 | 田村家の通用門 |
田村分水の取水口。 想像していたのとは違って、 ハンドルで操作する狭い開口部だった。
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東京の地酒というと 奥多摩の「澤乃井」が有名だが、多摩の「嘉泉」はあまり知られていない。
田村酒造の酒 | 吟醸辛口の「ぎんから」と、白麹を使用した純米酒 |
村松昭さんの 「玉川上水散策絵図」 は役立った。
田村分水の流れも出ていた。
その後、調べたら「田村分水」は江戸時代に造られた多くの分水のなかで、唯一の個人分水だった。
あと一つ個人分水がある。明治になって、砂川家の「源五右衛門分水」が認められている。
玉川上水は江戸の上水道として 1653年に掘削された。 その後 玉川上水の分水によって 武蔵野台地の開拓が進んだ。 武蔵野台地開拓の 最初の分水は「野火止用水」で、老中で川越藩主の松平信綱が引いた。 私の住んでいる杉並は 神田川、善福寺川などが流れ、西田、東田などの田んぼもあった。 立川などの武蔵野台地では「まいまいず井戸」しか記憶になく、分水による開拓は知らなかった。 玉川上水の分水は 玉川上水辞典 に詳しい。 |
2013年01月07日(月)
「源五右衛門分水」を見に行った。
明治になり、名主の砂川家が水車用に認められ
引いた個人分水だ。
村松昭さんの玉川上水散策絵図を持って出かけた。
多摩モノレールの「玉川上水駅」を降り、流れに沿って上流へ歩き始めた。
雑木林の小道を歩いたが、途中、畑を背に小さな直売施設を見つけた。
ほうれん草、ネギ、ニンジン、ショウガ、キャベツ、ブロッコリー、大根が並んでいる。
直売施設 | お札 |
驚いたのは直売施設の柱に貼ってあったお札。
「大口真神」のお札で、オイヌさまの絵が描かれている。
『オオカミの護符』 小倉美恵子(新潮社)では、彼女の実家の土蔵に貼られていたこの一枚の護符から、その謎を解く探索が始まる。
武蔵の国のオオカミ信仰で、各地の農民がそれぞれ講をつくって詣でてる。
砂川水衛所跡 | 左のハンドルが源五右衛門分水の取水口 |
源五右衛門分水は、取水口から暗渠で見影橋公園の端を流れ、
砂川家の屋敷に入っていて 外からは見えなかった。
そして、屋敷内で砂川分水に合流している。
見影橋公園は、分水により開拓された この付近では稀有な水田があった跡。
見影橋公園:その先に見えてるのが砂川家 右手は一面の畑 | 砂川家の生垣 その先は五日市街道に出る |
源五右衛門分水が合流する 「砂川分水」は少し上流で取水され、現在は五日市街道に沿って暗渠で流れている。
そして、砂川家の屋敷の手前で開渠となる。
、その後 屋敷内へ入って流れている。 下の右写真
右手の車が走ってる道路は五日市街道 | 街道沿いの生垣の内側を流れてる |
砂川家入口 砂川家は五日市街道に面しており |
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入口を進むと門があり、門の前を砂川分水が流れている。
門の前に分水を渡る橋が二つある | 中央が砂川分水(上流方向) 右手:門 |
砂川分水は、砂川家を出てしばらく行くと また暗渠になって見えなくなった。
立川のこのあたりは畑が多く、伝統野菜「東京うど」の産地だった。 東京うど(独活)は地下ムロで育てるので 山うど とは違って白い。 |
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2013年01月12日(土)
今日は歯医者の中川先生と、田村酒造の酒談義をしてしまった。
先生は、先代の半十郎さんの往診に屋敷に通っていた。
で、”試飲しましたか?” と聞かれて
えっ?
医院のスタッフや友達の歯医者さん達と、蔵見学をして
試飲コーナーで色々 飲んだそうだ。
屋敷は、庭師だけでなく 空師
を呼んで手入れしてる、と。
大ケヤキの手入れは庭師には無理で、専門の職人さんの空師の役割だと。空師という言葉は知らなかった。
2013年01月13日(日)
今日は松渓中学の新年会。
隣にいたタツオに「嘉泉」の話をしたら、田村家かと思われる福生の料亭の設計をした、とで驚いてしまった。
そこは 玉川上水の分水を敷地内に引いており、日本庭園がある 3000坪の敷地で、本館と離れの設計をした、と。
敷地の広さと、いつも「嘉泉」を土産に貰っていたので
田村家か縁者だろう、と推測した。
田村酒造から玉川上水を1.7キロ下った場所で、取水口から引いた分水は 庭園に入るまでは昔のままの石積で保存した、と。
タツオが3年前のリニューアルを手がけたのは料亭「幸楽園」。
2013年03月06日(水)
今日は 飲み友達のショウザブロウと一緒に 玉川上水と「熊川分水」 を廻った。
JR拝島駅から歩いて 「清酒 多満自慢」 の 「石川酒造」へ。
小道の両側は蔵元の敷地で、建物の他に神社もあり、巨大なケヤキが多数あった。
敷地は4000坪。
右手の敷地内が見学個所 | 入り口の反対側 |
道に沿った白壁の建物の間に 入り口 がある。 | |
ここは清酒・多満自慢の蔵だけでなく、地ビールが飲めるレストランや、地酒が飲める和食レストランなどもあった。
敷地内には 熊川分水 が流れている。 |
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玉川上水熊川分水の碑 |
蔵の敷地内は、隅々まで清掃されており 気持ちよかった。
敷地内 (奥の大ケヤキは夫婦欅) | 当主の屋敷入口の屋敷門 |
敷地の奥には、出来立ての地ビールと旬の料理を味わえる「福生のビール小屋」が 屋内レストランの他に 屋外のテーブル席ある。 |
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裏門から出てみたが、黒塀と白い蔵づくりの建物が延々と 150mほども続いている。
裏門から出たところ | 入口は先の建物と建物の間 |
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敷地内にある売店 「酒世羅」 の試飲コーナーで3点ほど試飲した。
数種類の古酒もあった。
ここで色々と悩んだ末に、多満自慢の 「純米無濾過」 を買い求めた。
大吟醸のようなスッキリ系と違って、熟成した味わいが楽しめる複雑系で、私の好みだ。
「無濾過」を謳った酒は ほとんど無いので これは珍しい。
次に、熊川分水の流れに沿って、上流にある取水口へと向かった。
のんびりと小道を歩いていると、あちこちで梅が咲いていた。
熊川神社の脇を流れている |
熊川分水の取水口にあるのは 料亭・幸楽園。
3000坪の敷地内には 「浜膳」と「幸楽園」という二つの建物があり、両者は檜造りの渡り廊下で結ばれている。
玉川上水 橋の左手に見えるのが
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幸楽園の敷地内には熊川分水が流れている。
浜膳の入口 | 渡り廊下の下を流れる熊川分水 |
浜膳で、巨大な生簀を囲むカウンターでランチしたが驚いた。
ここでは、石川酒造の地ビール「多摩の恵」を頼んだ。
田村酒造の地酒 「嘉泉」もある。
料理は当然ながら平日ランチの「サービス御膳」。
大きなタモ網が置いてある | 東京地ビール 多摩の恵 |
最後に、ここまで来たからにはと、近くの牛浜駅から1駅先の福生駅まで電車で移動し、
ショウザブロウを田村酒造まで案内した。
こちらは5000坪程の敷地で、彼も驚いていた。
右手奥に田村家の大ケヤキがある |
石川酒造と田村酒造は、共に
玉川上水の分水が敷地内に流れ、多摩川の河岸段丘のすぐ上に位置している。
蔵元見学の後に、双方の多摩川を臨んだ。
←田村酒造の裏手にあたる多摩川。
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石川酒造の石川家は、江戸初期から熊川村の名主で、多摩川の鮎を将軍家に献上する御用(御鮎世話役)を勤めていた。
屋敷下の多摩川で鮎を獲る様子を描いた絵が、石川酒造の資料館にあった。
ここの酒は大好きな鮎に合いそうだ(笑)
今回も村松昭さんの 「玉川上水散策絵図」 は役立った。
今日の多摩の蔵元めぐり図: 拝島駅〜石川酒造〜幸楽園〜牛浜駅=福生駅〜田村酒造〜福生駅
2013年3月16日 宇田川 東(@awagadu) 追加修正: 2014年4月21日 |
リンク | 田村酒造場 | 清酒・嘉泉 |
石川酒造 | 清酒・多満自慢、 東京地ビール・多摩の恵 | |
料亭 幸楽園 | いけすレストラ・ 浜膳 料亭・幸楽園 | |
アトリエ77 | 玉川上水散策絵図など 村松昭さんの俯瞰絵図 | |
玉川上水事典 | 玉川上水とその分水など |