2009.6.12 〜 6.16 |
皆既日食まで
あと1カ月という6月中旬に、クラブツーリズムのパッケージツアーに参加して、トカラ列島の有人七島を旅した。
クラブツーリズムの離島ツアーは島旅ファンの人たちには良く知られ、トカラ列島ツアーは昔から催行されていて実績がある。
効率よく島々を渡るために小型の村営船を使うことや、島の宿泊・交通事情にあわせるために、定員は添乗員含め12名限定であった。
海況が良くないと7島を全部めぐるのは困難なツアーである。
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■6月12日(金)
深夜、鹿児島港の南埠頭から、村営定期船「フェリーとしま」 1300トンで、トカラ列島・口之島へ向かう。
200キロほどの船旅である。
乗客には釣り客が目立った。
■6月13日(土)
1.口之島 人口116名 |
天気は曇り 時々小雨。
朝6時 トカラ列島の入り口である口之島の西之浜漁港に到着。
口之島という名称は、入り口の島という意味かもしれない。
鹿児島から6時間の船旅は、ウネリもなく快適であった。
口之島が近づいてきた。 | 荷物の揚げ降ろし | フェリーとしま が去っていく。 |
港では、島の人たちが多数出ていて荷降ろしなどの作業を行っていた。
バンと軽トラに分乗して、港から急斜面を上って口之島集落へ。
民宿ふじ荘に到着し、朝食。 リュウキュウチクのみそ汁が美味しく珍しかった。
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少し雨があがってきたので、食後に集落内を散策する。
まず最初に気づくのは、屋根が真っ白い民家が多いことである。
さほど広くは無い集落内には、JAの売店、郵便局、へき地診療所などがあった。
ブーゲンビリアが色鮮やかに咲いている家があり、おばさんが階段に落ちた花の掃除をしていた。
その家の前に推定200年以上の魚木という珍しい大木があった。(高さ18m 幹周り4.4m)
集落の中心のコミュニティセンターの前には、コウという泉があり、洗い場が3つある。
背後にはガジュマルが生い茂っている。 その奥には小さな神社があった。
コミュニティセンターから道路を挟んで撮る。 |
この島の小中学生は、生徒8名 先生8名とのこと。
いよいよ島内の観光を開始。
といっても、観光地ではないので、島民の生活の邪魔にならない範囲で島のありさまを見させて戴く、といったところである。
この 郷に入れば郷に従う が、この離島ツアーのコンセプトでもある。
あいにく雨が降り始めた。
最初に、島の北端のフリイ岳へ向かう。
舗装された快適な道路がフリイ岳の遊歩道入り口まで続く。
そこからフリイ岳頂上まで、遊歩道が480メートル整備されている。
皆既日食の周辺整備の一環で先月に完成したばかしで、ツアー客が登るのはこのツアーの先月出発の一行に次いで二回目とのこと。
頂上には小さな展望台が造られている。
尾根伝いに歩いて235メートルのフリイ岳山頂へ。
←右が東シナ海で西之浜漁港 ←集落は左手上部の台地上にあり一部が見えている。
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手前から遊歩道がずっと延びている。(頂上から登ってきた道を振り返る) |
フリイ岳を後にして、島一周のドライブ。
といっても小型の観光バスもなく、役場のバンと軽自動車に分乗しての出発。以降、他の島でも移動は似たようなものであった。
口之島は全島がリュウキュウチクに覆われている。
島の中央には前岳(628m)などがある。
島内一周道路から折れ下ってセランマ(瀬良馬)温泉に到着。
崖際に温泉の建物があり、覗くと畳の集会場と浴槽がある。浴槽はパイプが閉じられており湯は入っていなかった。
建物を廻りこんで進むと、樹木に覆われた広場に露天風呂が二つあった。 板囲いのある湯と完全な露天風呂である。
セランマ温泉 | 奥の露天風呂 左右にひとつづつ |
足湯を楽しんだ | 板囲いのある湯(熱くて入れなかった) |
無色透明な湯であった。 みんなで足湯を楽しむ。
野趣溢れる露天風呂であった。
セランマ温泉から先は、野生化牛の生息地。
野生化牛は、黒毛和牛の原種に位置するといわれ、山口県見島の見島牛と共に貴重なものだそうである。
侵入防止柵を開けて車で進む。
ボス牛に率いられた6頭ほどの群れが道路わきで餌を食べているのに遭遇した。 子牛もおり可愛かった。
島内を一周し、民宿ふじ荘に戻って昼食。
リュウキュウチク(大名竹)入りみそ汁。 分厚いキハダマグロのお刺身。 リュウキュウチクの煮しめ、昆布巻き、揚げ物など。 ピーナッツごはん。
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昼食後は次の島へ移動である。
これ以降は、最後の奄美大島に至るまで、チャーターした村営の高速船ななしま(19トン)で島々を移動する。
海況が穏やかであることを願う。
ななしま2 | 船内 |
高速船ななしまの母港は奄美大島に一番近い宝島で、そこからはるばる最北端の口之島にやってきた。
2.中之島
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人口139人 |
中之島は口之島の次に位置する島なのに、どうして真ん中の位置を指す中之島かというと、
薩摩と奄美大島の中間点に位置しているからだそうだ。
トカラ列島の中では一番大きな島であり、人口も139人と最大であり、約千メートルの御岳(おたけ979m)が聳え立っている。
集落も3箇所に分かれている。
中之島港に入港。
中之島港 | 集落は左の港に二つ。中央の高原に一つ。 |
港から、山と山の鞍部にある盆地に向かい、歴史民族資料館を訪問する。
資料館の道路の反対側は牧場であり、小型のトカラウマが草を食んでいた。
トカラウマは西洋種の影響を受けていない日本在来種8種の一つ。
学芸員の方に、トカラ列島の歴史・文化習俗・自然などを、展示室を巡りながら詳しく説明してもらった。
トカラ列島にはユリが多いが、カサブランカの原種となったタモトユリが自生している。
また、琉球弧の一部をなしている為、蝶の渡りの基地、旅鳥の渡りの中継地となっており、飛来する種類も多いそうだ。
ツバメは、南方から大挙してトカラ列島にやってきて休息し、ここから本土の各地に渡っていくとのこと。
赤い姿が印象的なアカショウビンも、今、渡りの途中で、子育てで中之島、宝島などに多くいるとのこと。
歴史民族資料館の後、ヤルセ灯台方面へ進む。
道は狭く、所々、道路の両側からリュウキュウチクが垂れ下がっており、走行する車のフロントガラスにぶち当たる。
思わず顔をそむけてしまう。
まるで車での藪こぎ走行である。
七ツ山海岸という絶壁が続く海岸線を眺望するポイントに着いた。 あいにくの雨で海岸線は霞んでいる。
ここを経て、更に小道を藪こぎしながら走る。 |
ヤルセ灯台の位置を過ぎて、更に進んで日の出分校跡に着く。
巨大なガジュマルの樹がある。推定600年〜700年位だろうという。
上から多数の樹根が垂れ下がっており、圧倒的な迫力である。
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戻って、御池 別名底なし池 へ行く。
雨が降っている。
御池の水を利用した水力発電所がある。
御池 | 眼下に発電所建物 |
宿は、民宿なごらん荘。
東地区の海岸沿いにあり、民宿前から海が望める。
海岸沿いの民宿なごらん荘 | 民宿の前の海岸上に作られた展望・休憩所 |
夕方、食事の前に温泉に行く。
やっと雨が上がった。
海岸沿いに、西区温泉と東区温泉が少し離れてある。
どちらも、建物が台風で破壊されないよう、堤防の内側に低く建てられている。
なごらん荘から海岸沿いに歩いて行くと、東区温泉の磯の水溜まりから水蒸気が上がっているのが見えた。
夕食前に温泉へ | 左手の海水プールの端から湯煙が立っている。 右手の防波堤に囲まれて温泉の建物。 |
地元の方と一緒になった。
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道路わきの東区温泉 (降りて入る) | 温泉内部 |
夕食。
カジキマグロの焼き物。 キハダマグロの刺身。 リュウキュウチク(大名竹)などのテンプラ。 リュウキュウチクは、みそ汁、煮付けも美味しかったがこのテンプラも美味しい。 地元の食材は、どれも美味しい。 |
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港から海岸沿いに、西集落、東集落がある。
民宿なごらん荘は東集落で、この地区の民家は海岸の堤防に沿って伸びている。
この集落はガジュマルの生垣などがとても美しい。
以前宿泊した奄美の加計呂麻島の諸数の集落を思い出した。
← 左の写真をクリックすると動画が見れます。 動画はYouTubeに保存(1分50秒) |
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民家の入り口(1) | 民家の入り口(2) |
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西集落は一番古い集落で、港の小高い丘の上に、狭い道を挟んで民家が寄り添っている。
民家の手入れの行き届いた花々が綺麗であった。昔の雰囲気を残しており風情がある。
巨大なガジュマルが集落の入り口や集落の斜面下に茂っており、散策していて興味が尽きない。
集落入り口の巨大ガジュマル | 集落内1 | 集落内2(下からのガジュマル) |
朝、この集落でリュウキュウアカショウビンを見ることが出来た。
アカショウビンは島言葉で「キョーケル」。 「キョーケル キョーケル」 「キョロロロ キョロ キョロ」 と良く響く声で鳴いている。 特徴のある鳴き声があたりに木霊していた。 巨大なガジュマルの下の民家の屋根にアカショウビンはいた。 私に気づいて直ぐにガジュマルの枝に中に飛び去っていったが、その後姿は、真っ赤で印象に残った。 写真を撮る暇も無かった。 想像していたカワセミよりは大きく、小鳩ほどもあった。 |
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↑村のホームページから |
やっと、田中一村の絵に出てくる鳥に出会えて嬉しかった。
今回のトカラ島の民宿では、どこもアカショウビンの鳴き声を朝夕に聞くことが出来た。
■6月14日(日)
3.諏訪之瀬島 | 人口50人 |
雨はやんで薄曇りである。
高速船ななしまから眺めると、諏訪之瀬島は断崖絶壁の島である。
切石港に着くと、波止場には大勢の大人や子供たちが集まっていた。
しばらく後に、フェリーとしまが到着するので作業のため集まっているようだ。
トビウオの燻製やTシャツ、夜光貝の手作り作品などを売っていた。
島の人たちもななしまにやってきた | 接岸の準備 | フェリーとしまが入ってくる |
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諏訪之瀬島は、黒潮の真っ只中に位置しており、トビウオ漁で有名である。
今はシーズンだそうで、前日も港の中にトビウオの群れが入ってきたそうで、たも網ですくって捕獲したとのこと。
開く前のトビウオ | 開いて天日で干している | トビウオの塩干製品 |
ここのトビウオは、燻製と塩干しがある。
塩干しは、塩漬けにしたトビウオを天日で干す昔ながらの製法で、南国の太陽を浴びることにより、うまみがいっそう引き立つそうだ。
塩干は、なんと、大型で一枚200円、25cmほどの中型で一枚150円であり、私は中型を二枚買った。
塩干の食べ方の案内書も付いてきた。
塩抜きしたトビウオの、焼き魚、甘酢漬け、魚飯、お茶漬け の食べ方が書いてあった。
帰ってきて、焼き魚と甘酢漬けで食べたが、とても美味しかった。
荷物になると思い試食用の2枚しか買ってこなかったことをひどく後悔した。
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翌年、「トカラ列島のトビウオセット」を注文し、それが届いた。 (2010/07/17)
@トビウオの天日干し Aトビウオのカマボコ Bトビっ子(トビウオの卵)の燻製 Cトビウオの醤油 と、特産のトビウオ尽くしだ。 みんなトビっきり美味しかった。 |
港から平坦な台地上にある飛行場に行く。
昔、ヤマハがリゾート用に開発したもので800mの滑走路がある。 皆既日食の観察地に指定されている。 広々した無人の滑走路は気持ちいい。
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滑走路の端からの眺めはいい。
眼下には緑の中の集落。 完成したばかしの学校の体育館などが目前。 向かいの山麓のなだらかな斜面は牧場になっている。 切り立った断崖が左に望める。
← 左の写真をクリックすると動画が見れます。 |
牛や山羊の牧舎を見学したあと、根上岳中腹の溶岩台地の高原へ自生しているマルバサツキの群落を見に行く。
ナベタオ・ルートのトレッキングコースで、その簡易版ツアーである。
緑の高原の中に残る真っ黒い溶岩流の跡地まで登った。
溶岩流の跡は草木が生えないが、例外がマルバサツキで、ピンクの花びらはとても綺麗であった。
開花の盛りを2週間ほど過ぎていたため、上のほうに行かないと満開の花は無理であった。
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小中学校でおにぎり弁当の昼食。
おにぎりは月桃の葉でつつまれており、 開くと香りがいい。 左写真の校庭の奥にあるあづま屋で昼食。 |
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この島の子供は、中学生1名、小学生5名、幼児4名の10名。
港に集まっていた子供が全島の子供であったようだ。
学校の先生は6名とのこと。
4.悪石島 | 人口73人 |
やすら浜港に入港。
堤防には、仮面神ボゼを描いた壁画がちょうど完成していた。 ボゼは悪石島だけで祭られる仮面神で、お盆の行事の最終日(旧暦7月16日)に、盆踊りの輪の中に飛び込んできて人々を小突き、 仮面とビロウの葉で覆われ、ボゼマラを持った姿は南方系のワイルドな容姿である。 |
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悪石島の姿は、他の島々がなだらかなコニーデ状に近い姿なのに対して、こちらは山を二つ置いたような屹立した姿で特徴的である。
島の上にある上集落の民宿・にし荘が宿舎。 2階建ての民宿が珍しい。
島一周道路で観光を開始。
最初に道路の両側にビロウが茂っているビロウ山と女神山の間からノンゼ岬へ。
牧場からノンゼ岬に入る | ノンゼ岬からおね神 | ビロウ山の麓の道 |
戻って、大峰牧場方向でぐるっと島を廻って海岸に戻り、様々な温泉めぐりをする。
最初は海中温泉。
堤防の外の岩場から温泉が湧き出ており、海中温泉は岩で囲まれた小さなプールのようになっている。
岩の間からは熱い源泉が湧き出ていて、干潮時なので温泉の温度が高すぎた。
外から潮が入り込まないと熱くて入れない。
水着を用意していたが諦めた。
道路から降りる | 海中温泉 | 外からまだ潮が入ってこない |
次は砂蒸し温泉。
海中温泉から少し先にある。
砂むし風呂は、地面からの地熱が高いため、備え付けの毛布を広げて横たわる。
スコップで平らに均すだけで、掘ると高温すぎてしまう。
壁面などに蒸気の小さな噴出孔があり、硫黄が付着して黄色くなっている。
毛布に横たわると、熱気によって身体全体の緊張が取れて、ふにゃふにゃになり心地いい。
建物背後の斜面からも蒸気が | 凸凹をならす | いい気持ち |
海中温泉と砂蒸し温泉の間に、森の中を歩く自然遊歩道が整備されており、みんなで歩いた。
ビロウとガジュマル、クワズイモなどが密生したジャングルで湿気が高い。
← 左の写真をクリックすると動画が見れます。 |
湯泊温泉で一日の疲れを落とした。
午前中のトレッキングで疲れた身体には温泉は最適である。
隣接の露天風呂にはこの日は湯が通ってなく入れなかった。
入り口 | 乳白色の湯 | 隣接の露天風呂 |
浜から上集落への坂道の途中に、海を向いて 沖縄の学童疎開船・対馬丸の慰霊碑がある。
対馬丸という名前を聞いただけでも心が痛む。
対馬丸は、この島の沖合で撃沈された。 慰霊碑は、島の人達が建て、 島の小中学生が清掃しているとのことだった。 |
夕日には早かったが、夕日が綺麗な荷積岬を廻った。
荷積岬の端から下を | 集落内のガジュマルの古木 |
小・中学校のグランドが皆既日食の観察場所になっている。
トカラ列島の中では、悪石島が皆既日食の継続時間が一番長い島である。
学校は民宿・西荘のすぐ近く |
民宿・西荘での夕食。
悪石島では島豆腐を作っており、豆腐料理が出た。 海水をニガリに使ったここの島豆腐は美味しかった。 カツオの刺身 |
■6月15日(月)
5.平島 | 人口77人 |
ついに天気は晴に変わった。
かつ、波は穏やかで高速船ななしまも快適。
朝、悪石島から平島へ渡る。
港についても島の人はいない。 静かな島であった。 |
平島は小さな島で集落は一つ。
港から坂を登ってコミュニティセンターに行く。
センター内にはあかひげ温泉がある。 (あかひげは島鳥の名前)
センターの端には水田があった。 | センターの奥の温泉入り口 | 透明な湯 |
コミュニティセンターから少し先一帯が島の集落になっている。
集落手前の三叉路 (奥が集落) | 集落内にあった不思議なもの (半鐘?) |
共同コインランドリーの無人建物があった。
その先の島立神社の鳥居には、悪石島同様に独特の三角形のギザギザの蛇紋様が描かれていた。
この島は水が豊富で棚田がある。しかし、道路わきの田圃には田イモが栽培されていた。
聞いたら田イモは昔からよく食べているそうである。耕作放棄の休耕田も目立った。
また、トカラ列島ではトラノオを栽培している畑も目に付いた。
この島の小中学生徒は現在11名とのこと。数が多いのは都会からの山海留学生も含まれているのだろう。
大浦展望台に行く。
展望台下には、黒潮によって流れ着いた南方の巨木が置かれていた。 周辺は牧場で牛とシラサギが多い。
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車の左上のソテツ脇が巨大な流木 |
この展望台からの眺望はすばらしい。
眼下には東之浜港 島の緑と、砂浜の白と、海の青の対比が綺麗である。
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悪石島、諏訪之瀬島、中之島、臥蛇島がぐると見渡せた。
水平線上の島影は悪石島。
← 左の写真をクリックすると動画が見れます。
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6.子宝島 | 人口52名 |
今まで渡ってきた5つの島々と、子宝島・宝島は島の生成や生態系が異なる。
子宝島、宝島は、隆起サンゴ礁の島である。
琉球弧はここを境に、地質的にも生態系的にも異なる。
子宝島は、周囲約4キロ程の小さな平らな島である。
空が広く、樹木が鮮やかで、海も透明で、開放的な明るい印象である。
やっと、アダンやクサトベラなどの沖縄系植物が登場した。
ターコイス(トルコ石)色の海 |
港には、ガイドをお願いした島の方が一人。
ガイドさんと共にゆっくり歩いて島を一周した。約1時間ほど。
港の先にある岩屋 | 道路の脇は牧場。 遠くには赤立神の奇岩 | 右手はうね神 |
右手に牧場。その先は海。
牛の放牧地を過ぎると、樹木が茂った地域に入る。
ビロウ樹が茂っている子宝神社の前を過ぎると、集落に入る。
石垣に囲まれた民家が現れる。
右手に右折すると、学校や新しい住宅や自動販売機さえ出現した。
さっそく自販機に向かった人もいた。
石垣に囲まれた民家の集落に入る | 背後の山が竹の山(103m) |
ガイドの方の話では、子供の数は、小中学生が11名に幼児が4名と意外に多い。
生徒の数が多いのは山海留学の子供がいるからとのことであった。
小・中学校 | 村営住宅の地域 (役場の出張所が右手奥) |
この島のハイビスカスは驚くような赤さで、大きくて綺麗であった。
サンゴ礁の島なので海の色がすばらしい。
海岸脇の道を進む。 島の温泉センターを通り過ぎた。
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昔の湯泊港のところに、温泉が湧いている。
入り江のすぐ上に三つのコンクリートの湯留めがあり、それぞれ温度が異なる。
湯留め脇のコンクリートの通路の隙間からも蒸気が噴出しており、硫黄色に染まっている。
コンクリートに寝て見たが、地熱で熱かった。
左上の岩山を登ると、岩礁を掘り込んだ露天風呂がある。
こちらは周囲を低い塀で囲われている。
泥火山に似てブクブク噴出している箇所もあった。
サンゴ礁の平らな小島に温泉があることがとても珍しい。
この島には奇岩が多い。 これは海岸側の、外ばんや、ばんや。
山側にも奇岩が連なる崖などがあった。
← 左の写真をクリックすると動画が見れます。 |
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一周道路をのんびり歩いて港へ戻った。
7.宝島 | 人口117人 |
宝島は隆起サンゴ礁の島である。
高速船ななしまが着岸した前籠漁港は大きな港である。
フェリーとしまの波止場や、漁船の波止場などがあり、ななしまの母港もここである。
ななしまが着いた波止場 | 正面に見えるのがフェリーとしまの波止場 | 岸壁に描かれた水中都市 |
港から上の方の高台に集落があり、港の両端から東西二本の坂道が集落に通じている。
その一つはイギリス坂と呼ばれ、幕末にイギリス船との抗争事件があった場所として呼ばれている。
集落内には、朝夕だけ開くJAの売店があり、店外には清涼飲料水の自動販売機が2台もあり、缶ビールも買える。
役場の支所や郵便局やへき地診療センターなども集落内にあった。
売店近くの民宿とから荘に宿泊した。宝島の民宿は2階建てが目立ち、他の島より大きい。
この島は、海賊キャプテン・キッドが財宝を隠したという伝説の島として有名である。
鍾乳洞のある観音堂へまず向かった。
道路は、積もった落ち葉を掻いて清掃したばかしということで、狭い道幅が全部使える状況下で坂道も心配なかった。
観音堂の脇に鍾乳洞への階段がある。 鍾乳洞は海賊キッドが財宝の隠し場所といわれた箇所の一つ。
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その先、広いリーフの海岸線に出て大間泊港へ。
港といっても桟橋が一つ広大なリーフの中にあるだけ。
桟橋のところが深く掘り込まれており、透明度が凄く、熱帯魚もよく見えて、ちょっと飛び込んでみたかった。
広い海岸線 (右上方が道路) | 桟橋へ | 桟橋から海中を |
そして島中央のイマキラ岳(292m)へ。
頂上に上ると、ハリボテの巨大な象のような構造物が眼に飛び込んできた。
尻尾の階段から背中の展望台に登る。 |
ここから荒木崎方向の眺めが抜群に良い。
カルスト台地のような地形の先に、岬の鼻と灯台 | |
イマキラ岳から島の南端の荒木崎へ行く。
一周道路から、海岸沿いの荒木崎牧場へ入る際には、柵を開閉して出入りする。
荒木崎の台地はカルスト台地のように岩があちこちに顔を出している。
帰りに柵の手前で牛の群れに囲まれてしまった。 | やってきた道を振り返る イマキラ岳が左手遠くに |
岬の鼻は岩山の高台で、昔の平家の砦跡や灯台がある。
奇岩が顔を出しており珍しい光景である。
この光景はとても気に入った。
下の写真をクリックすると動画が見れます。 ↓
動画はYouTubeに保存(1分20秒)
その後、草が生い茂った元砂丘やヘリポートを通って、大籠海水浴場へ行く。
リーフのなかの小さな入り江を整備した海水浴場である。
小さなラグーン(礁湖)であり、しかも砂浜があるのは珍しい。
シャワーやトイレ、休憩場も完備している。
入江の内に真水が湧き出ている。 そのため干潮時には底が冷え込む。
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大籠海水浴場 |
翌日、午前中のフリータイムに、この大籠海水浴場でシュノーケリングを楽しんだ。
しかし、潮が満ち、暖かい海水がリーフから流れ込んで来ると、湾底の冷えた海水とで温度差が生じ、サーモクラインが発生した。
日の光が、冷えた下の海水層との境で屈折し、キラキラし、陽炎のようになり、海底が見通せなかった。
そのため水路の先で魚を観察して遊ぶことにした。
そこはチョウチョウウオ、スズメダイ、クマノミ、ベラ類などの熱帯魚が溢れていた。
民宿とから荘の夕食は、 サワラの刺身 トビウオの焼きものと刺身 トンカツ ツワブキの佃煮など。 傑作なのは、ツワブキにはウナギの蒲焼とアワビの切り身を添えて出すはずが忘れてしまい、翌朝にウナギ、アワビが出てきたこと。 民宿のオバサンもおおらかである。 食事の際に色々と島の話をしてくださった。 最後の夕食であり、宴会になった。 |
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宝島はリュウキュウアカショウビンの鳴き声がよく聞こえる。
ガイドさんに、姿を見れるかと聞いたら、実は昨日 民宿脇で今年になって初めて見かけた、と話してくれた。
期待して翌朝その姿を探したが、アカショウビンは鳴き声だけで姿は見れなかった。
宝島の名産は、3月に出荷する露地ものの「トカラびわ」や、宝島の塩。
■6月16日(火)
午後、高速船ななしまで、トカラ列島最後の宝島を出航し、奄美大島の名瀬港へ。2時間強で到着した。
お世話になった船長さん |
今回の旅行は、海が穏やかで、トカラの有人七島をスケジュール通り全て訪れることが出来て幸運であった。
不便な島旅を共に過ごすうち、少人数ということもあり、参加者同士が親しくなり楽しい時を過ごすことが出来た。
都会とは対極の自然がこれほど濃厚に残っていることに驚くとともに、ここで生活している島の人たちの逞しさに感じ入った。
また、ガイドをしてくれた人には島に惹かれて都会からIターンした方も多く、島の魅力を十分に伝え感じさせてくれた。
2009年6月23日(了) | 宇田川 東 |
リンク | 十島村ホームページ: 各島の案内地図などが掲載されている。必見。 |