地下室

序章.伝説の時代

 それは伝説の時代。度重なる蛮族の襲来に衰退の一途であった神聖ゼテギニア帝国は一部の軍人や将軍が奮戦していたものの、国内はまとまる様子もなく蛮族を撃退した後には功労者の将軍を皇帝がを処断するような、悲劇的な混迷が続いていました。ゼテギニアに権威はあっても実力も富もなく、その衰退は著しいものだったのです。
 既にゼテギニアは力を持たぬ、女帝エンドラと魔導師ラシュディの代になって後に英雄戦争と呼ばれる叛乱が起こります。そのきっかけは傭兵隊長ランスロットと真理のウォーレンの名で呼ばれる老いた文人の二人がもたらしました。

「ゼテギニアは力も富も持たぬが名は有しております。それを与えることでゼテギニアは生き伸びることができる」

 未だ権威を持つ皇帝の名で蛮人を承認すれば生き残るに必要な時間を稼ぐことができるだろう、だがエンドラは歴史と誇りを売ることはできぬとランスロットの言葉を最後まで拒絶します。既に国境の多くを奪われ今も脅かされている中で、硬直した権威主義に固執して現実すら認めることができぬ。彼らは新しい秩序の必要性を痛感すると叛逆の旗を立てたのです。
 叛乱軍はウォーレンの学舎の弟子であった、陽光に燃えるような赤毛をした若い女性を引き立てると彼女を旗頭としてゼテギニアに反抗する槍を掲げました。元は北方にある地方宗団の修道士であったという彼女は、騎士ランスロットと賢者ウォーレンに説かれてゼテギニアの惨状を見ると理想と決意と信仰心を胸に立ち上がり、人々を従えて帝国に戦いを挑んだのです。

「一切れのパンを!一度の祈りを!そしてたった一日の命を!」

 ゼテギニアが失った平和と信仰を取り戻そうとする叫びが、叛乱の合言葉となりました。平和と信仰を民に与えることもできぬ国に人が従うことはできない、現実と事実がゼテギニアの衰退を証明しています。
 帝国において皇帝は民を代表する元首にして終身の軍司令官でもあり、かつては法と軍律で国を治めて各地の都市や属領、同盟国をまとめ上げると人々を繁栄の時代へと導くことができました。整備された街道は行き交う商人で溢れ、領主や総督、小国の王は時に放蕩者や愚劣な統治者によって人々の恨みを買うことはありながらも、これまで穏当な支配を続けていたのです。統治のたがが緩み、不公正が生まれてもゼテギニアは硬軟織り交ぜた方策によって頽廃の芽を一つずつ摘み取ることができました。
 やがて統治の緩みと頽廃が広がり、芽が摘み取られても周囲に深く広い根が張り巡らせるようになると、国力の衰えに合わせて彼らは現地の総督や司令官により多くの権限を与えるように変化していきます。それは各地の治安を維持するために必要な方策ではありましたが、もたらされた結果だけをみれば致命的な誤りだったとするしかありません。統制のない委任は地域によって常軌を逸した苛烈さを生み出すとすぐに残酷さに変質して人民を害するようになり、またはゼテギニアから遣わされた官吏を現地の総督が買収してことなきを得る例も現れるなど、不公正は拡大する一方となったのです。

 そして困窮した市民や無産の平民が数を増し、既得の統治権を侵食された議員は不満を訴え、活動を阻害された思想家や聖職者が人々を集め、利益を失った商人や騎士階級が決起するとそれらの力は結び合って大きくなり混乱がゼテギニアを席捲します。赤毛の女性がそれに一つの向きを与えたとき、混乱は明確な叛乱となって帝国に向けられる刃となりました。

「一切れのパンを!一度の祈りを!そしてたった一日の命を!」

 ひとたび起きた叛乱の火は各処に広がると消えることなく燃え続け、それは地域や階級によって規模も熱も異なりましたが、ことに叛乱の主体であった平民や無産の民はそれが困窮する生活の故であったために執拗で、叛乱せねば餓死するのみであった彼らは希望と絶望の双方で武装すると多くの犠牲を出しながらも決して鎮まることがありませんでした。そうした中で赤毛の娘が率いていた叛乱は、それがゼテギニアに近い場所であったことや彼らを助ける賢人や商人階級が後ろ盾についたことで急速に力を増していきます。
 もとは地方宗団の修道士でしかなかった赤毛の娘が叛乱を指導した、その理由はありきたりな正義感と義務感であったのかもしれませんが、人々は彼女に従い、同じ志の下に多くの仲間が集まって叛乱軍を助けました。騎士ランスロットと同郷のクアス・デボネア、多くの戦いで名を上げた疾風のカノープスと剛腕のギルバルド、狂戦士と呼ばれたアッシュに獣王ライアン、赤毛の娘が信奉する宗団の女法王ノルンや聖母アイーシャ、そして賢者ウォーレンと東方の商人にして妖術師とまで呼ばれる賢人サラディンなど、彼らの活躍は当時もその後も多くの詩人に吟じられて人々の口伝により広く伝えられていくことになるのです。

 ですが何より、赤毛の娘と叛乱軍の助けとなったのは皇族に連なるラウニィー・ウィンザルフが叛乱軍の正当性を支持してその助けとなったこと、そして数百年以上を閲する伝統あるゼテギニアの貴族であったフィクス・トリストラム、トリスタンが参戦したことにあったでしょう。宮廷に影響力のあるラウニィーの助けは国論を分裂させ、トリスタンの存在は叛乱を率いる多くの後援を得られることを意味していました。ことにラウニィーは赤毛の娘と齢も近い女性でありながら自ら馬を駆り、鞍上で長弓を引いて百発百中という英傑であり、トリスタンは若いながらも長く前線にあった歴戦の指揮官で叛乱軍は彼の後援と才能を得ることにもなったのです。
 その彼らにも過ちがあったとすれば、それは叛乱の大義が平和と信仰を守るためであったものが、トリスタンとラウニィーの存在によって政争としての質を帯びていくことを止めることができなかったことでしょう。ですが実際に声望も人望も実力も備えたトリスタンとラウニィーの協力によって、旧家の議員までを含む人的物的な支援を得られたことは、叛乱軍にとって否定しようもない助けとなったのです。民衆には不満と理想はあっても資金も力もありませんでしたが、彼らにはそれがありました。もしもトリスタンやラウニィーの存在がなければ、叛乱は暴動で終わり決して成功しなかったことでしょう。

 当時は非力な勢力であった筈の、赤毛の娘たちが起こした小さな火が燎原の大火となった理由は彼らが多くの味方を最大限に活用したこととゼテギニアが多くの味方を活用することがまるでできなかったこと、その双方にあると言われています。叛乱軍は根拠地を持たず同じ地域に長く留まることもなく、街道を通って各地を移動しながら叛乱の種を拡大していく方策を選びました。ことに総督による行き過ぎた収奪や圧政が聞かれる地域に現れると現地の不平勢力と結託して騒乱を引き起こし、方々でそれを成功させていったのです。騒乱の目的は当地の領主や総督を打倒することではなく、混乱を起こすことそのものでした。人民から手っ取り早い支持を得るには正しい統治を行うのではなく、悪辣な統治を糾弾すればそれで充分でした。
 悪を誅する叛徒の軍勢は世の耳目を大いに集めましたが、いずれは彼らも単なる秩序の破壊者ではなく、人々を導く手腕を有していることを示す必要が生まれます。それには物資や資金を扱う協力者の存在が不可欠であり、しかも拠点を持たず各地を移動する彼らには地域を選ばぬ協力が必要でした。

「悪辣な方法です。ですが、確実な効果が期待できるでしょう」

 そうした中で叛乱軍が最も腐心したことが、商人や裕福な騎士階級の支持と協力を取り付けることでした。移動する叛乱軍はゼテギニアに追撃され補足されることを難しくする一方で、軍団を維持する資金や物資、武器や装備をより必要にし続けることを意味します。ゼテギニアに収める武器の品質を下げて返納された物を流したり、苛烈に収奪された小麦の値を操作して安価で買い上げることで彼らは少しずつその軍備を充実させていくことに成功します。
 叛乱軍は地図の上でゼテギニアを幾つかの地域に分けると、その地域ごとに複数の都市や要所で騒乱を起こす方法を取っていました。ことに強力な軍勢が駐留している場所や帝都では蜂起の旗を掲げず、ただ流通や物資の往来を抑えて混乱させることに尽力します。軍略としてはそれは帝国の統治を弱めることとして大いに意味がありましたが、赤毛の娘が率いる叛乱軍には更に大胆で悪辣な目論見がありました。この時期、叛乱の鎮定を任された幾人かの高官は憤怒の叫びを上げることになります。

「鉄と麻が高騰しているだと?そんな莫迦なことがあるか!」
「なにぶん、物資が不足しており・・・叛乱軍と結託した商人の中に買い占めの動きがあるらしく」
「拝金主義者どもめ!金銭で国を操るつもりか」

 叛乱軍が各地で起こす騒乱は軍団の往来を阻害するのではなく、特定の物資の流通を阻害することを目的としていました。周到に計画された混乱は、その情報を自在に操ることで物価を自在に操ることができるようになります。ゼテギニアが鎮圧軍を用意するために兵士に渡す小麦を背負うための袋が、兵士一人の年給に等しい価格を付けることすらありました。無論、物の価値が信頼できないものになればそれは交易の崩壊を意味していましたから、叛乱軍と結託した商人はそれを危うい線で調整することに全力を傾けます。それは帝国から財を吸い取り、商人を介して叛乱軍に投機させる流れを生み出しました。

 こうして強力な支持と支援を手に入れた赤毛の英雄と叛乱軍は、今度はそれを確実なものとするために地盤を固めるべく図ります。その頃には、頽廃を止められぬ帝国に対抗する彼女たちの声望は知らぬ者がないほどに高まっていました。女法王ノルンが各地の宗団から協力を得て、トリスタンの参戦が旧家の貴族すら味方に招き、皇族のラウニィーが参加したことで叛乱の正統性を訴えることができました。
 商人群の資金力を後ろ盾に、宗団の協力と貴族の助力、そして民衆の支持までを得た叛乱軍は最早単なる不穏勢力という規模を超えて国の中の国家と化していました。一方で交易や流通を寸断されたゼテギニアでは軍勢は分散されて集結することもできず物資も握られてしまい、充分な軍装を整えて城下に現れた叛乱軍に対した時、帝国の軍勢は総数の半分も揃えることができませんでした。

 そして始まる前から結末が見えていた戦いは呆気なく終わり、帝国は打倒されて暴政に喘ぐ人々は解放されたと言われています。赤毛の英雄は陽光の下に聖剣と聖杯を掲げましたが、それは解放する力と生命をもたらす力を意味していました。広場にはゼテギニアの旗が集められると火がくべられ、燃え上がって天に上る煙が暗雲を振り払って空は青く晴れ渡り、神々が語りかけて悪しき帝国の敗亡を祝って清新なる時代の幕開けを告げたと記されることになります。それが千年帝国ゼテギニアの滅亡と伝説の時代の終幕を飾る伝説のオウガバトル、英雄戦争と呼ばれる戦いでした。

 帝国が打倒された、清新と希望に満ち溢れた新しい世界で樹立を宣言した新しい王国ゼノビアを統治する役割を担ったのは新王となったフィクス・トリストラム・ゼノビアとその隣りに寄り添って立つ王妃ラウニィーです。新しい国は内海の沿岸一帯をその領土に持ち、その王都は再建される新都ゼノビアに設けられて未だ充分に若い王と王妃による統治は人々に希望をもたらすと自由と解放を祝う宴はいつ止むとも知れず続けられました。ことにラウニィーはトリスタンの配偶者として共同統治者に留まるのみならず、荒廃した国土で農地を再配分してその開墾や灌漑を助ける政策を次々と促したことから豊穣のラウニィーと讃えられる識見を示します。王妃に支えられたトリスタンの統治も寛容で活力のあるものとなり、叛乱を支持した商人や貴族、それに戦乱の終結を単純に喜ぶ数多くの人民は王と王妃を讃えました。例えそれが流血によって得られたものであろうとも、平和が訪れるのであればそれを拒絶する理由は誰にもなかったのです。

「旧き過ちを正すことは法と慈悲によって行われるべきである。恨みや憎しみによって人を罰してはならぬ」

 トリスタンの言葉によって帝国が残した暴政の残滓、権威の象徴である旗や肖像といったものは全てが集めて焼き払われましたが、帝国に手を貸していたとされる人々の多くは罪に対する罰も殆ど与えられることはなく、寛容に扱われることになりました。一方では史料が集められて、その後、悪し様に罵られる帝国の暴政の解明も試みられることになります。それは旧国の愚昧なるを暴き新王国の正当性を喧伝するための材料であり、調査が公正さに欠ける可能性を否定することはできませんが過ちを探り出してこれを繰り返さぬこと、という言葉はトリスタンの真意でもありました。史料の調査には賢者ウォーレンが率先して当たることになり、新生ゼノビアに建てられた尖塔には数多くの文献や記録が集められることになります。

「塔は太陽に至る建築であり、太陽は真理である。故に知識は真理の塔に集められるに相応しい」

 かつて偉大なゼテギニア帝国は広大な領土の隅々にまで支配の手を広げ、強権をもって秩序と繁栄を各地にもたらしていました。綱紀は粛正され、街道は整備され、方々の総督や小王が強引な収奪によって私腹を肥やしたとしても人民の生活は潤ってすらいたのです。エンドラとラシュディの時代にはそうした収奪により困窮した者への救いの手もなく、一度無産の市民や平民になると最低限生き延びるために必要な配給を受けながら農場や鉱山、造営事業に送られる以外の選択肢もほとんどありません。不平派や反対派への扱いは更に厳しく、彼らとその一族は当地の総督のさじ加減によって重い収奪が課されると帝国もそれに介入せず、やがて困窮して果てるのを待つだけでした。頽廃したゼテギニアの秩序は牢獄の秩序であり、人民は柵に近づかぬ限りは平穏に生きることを許されましたが、一度柵に触れた者には重すぎる刑罰が待っていたのです。

 その厳しさと不公正さに閉塞感を覚えていた人々は新しい時代の幕開けに歓声を上げ、新王トリスタンと王妃ラウニィーも人々に寛容と自由を約束します。戦乱によって荒廃した都市や街道は復興させる必要がありましたが、その協力を王は人民に求める一方で生活の保障を与え、追放や投獄されていた者に恩赦を与えました。帝国を打倒したトリスタンがそれらの恩恵を人民に与えるのは当然のことであり、多少の財政の不安や外圧があれど人民の解放はそれらに優先しました。急進的な方策は一部、貴族や保守派の反発を招いたに違いありませんが、それも一時のことで彼らにしても統治の安定と人民の支持を捨てようとはしませんでした。
 例えそこに多少の錯覚が混じっていたとしても、全てが希望に向かうかに見える新しい時代の中で、人はもたらされた祝いの叫びと祈りの言葉を口にします。希望に満ちた新しい時代を前にして、流血の代償に得られた平和を享受することは血を流した人々の権利である筈でした。

(だが彼女がおられては、再びこの国の覇権を巡る争いが起きることだろう)

 そして祝宴の興奮が続く中、人気のない石造りの邸宅の一角で流血の最後の一滴が流されたのです。叛乱軍を指導した赤毛の英雄が帝国を打倒した後に何処かへ姿を消したこと、その真実を知る者はごくわずかでありそれは誰に語られることもありません。重要なことは位階なき人から選ばれた赤毛の娘が新王トリスタンに勝る人望と声望を持っていることに危機感を覚えた者がいたということであり、それが彼女と共に戦場にあった仲間たちであったということでした。
 実際に生命を賭して戦場に生きた者たちの中には、旧帝国の貴族だったトリスタンよりも叛乱の象徴となって自分たちを勝利に導いた赤毛の娘こそが忠義の対象であると思っていた者も少なくありません。争いの火種を握り潰すべく、危険因子の排除を決意したのは彼女を引き立てた筈の賢者ウォーレンであり、宴の喧騒が収まらぬうちに彼女の背に刃を突き立てたのは騎士ランスロットです。それは彼女を導いた、同門の友人である筈でした。

「ランスロー・・・?」

 宴の喧騒が遠く聞こえる、人気のない通廊で首を巡らせた赤毛の娘は突然、自分を背中から貫いた細い剣が鳩尾から前に抜けるのを目にします。驚愕に先んじて、彼女を呼び出した男がすばやく背後から組み付くと声を発しました。

「もはや手遅れです。私の言葉がお分かりなら、何とぞここで声など上げませぬよう・・・」
「・・・!」

 悲痛なまでのその言葉に、赤毛の娘が何を思ったかは伝わっていません。想像を絶する激痛の中で彼女は血のかたまりと絶叫を呑み込むと、背中から娘を貫き通した細い剣は何度も刃をひねってよくかきまわされた後で引き抜かれました。床には彼女の燃えるような赤毛に似た色をした液体が飛び散り、血だまりに倒れた不幸な娘の身体はもはや二度と動くことはありません。ランスロットは彼らが生死を共にした赤毛の娘を丁重に抱きかかえると、内密に骸を処理するために腹心の部下を呼び出しました。かつては忠実であった騎士の耳には終わりの近づいた宴のさざめきと、伝説の時間を共に過ごした女性の声が記憶となって流れ込んでいます。

(ランスロー、貴方は・・・)

 彼女が倒れる前に最期に呟いていた、その言葉は彼以外の誰にも知られることはありませんでした。人の忠義の対象が二つ存在してはならない、未来に憂いを残さぬために赤毛の娘の血が祭壇に捧げられると、その最後の犠牲によって貪欲な神は飽食してようやく世界に一時の平穏が訪れることを許したのです。

 赤毛の娘の死にまつわる、不名誉な陰謀をトリスタンとラウニィーが承知していたのかどうか、今となっては知る術はありません。ですが彼女の死が陰謀によってなされたという事実を、少なくとも後になって彼らが知ったことは疑うべくもないでしょう。それについて、王と王妃が言葉を残すことはありませんでした。
 せめてもの贖罪のつもりだったのか、或いは死者の名前ですら利用するつもりであったのか、叛乱軍の象徴として帝国を打倒した赤い髪の英雄は祀られると「暁の巫女」の尊称を与えられることになりました。彼女が信奉していた宗団の神殿ではその献身を讃える祭儀が設けられると、平和に貢献しながらそれを享受することを許されなかった哀れな娘に人は祈りを捧げたのです。

 こうして幾ばくかの理不尽な流血が世界を支える天秤を揺らしたとしても、それは傾けた天秤を倒してしまうことはなく、賢明な王と王妃が国に繁栄と平和とをもたらしました。国は治めることよりも治め続けることが遥かに困難ではありましたが、新しい王国ゼノビアは緩やかな歩みでも着実に人々を平穏へと導き、戦乱が明けてなお荒廃の傷跡が残されていた各処にもやがて治療が施されて、少しずつ癒やされていったのです。

 ただ、理不尽な流血の犠牲となった赤い髪の娘を悼んだ者のうち、幾人かは自ら国を去って姿を消してしまいました。新生ゼノビアが人を平和に導いていることは彼らにとってせめてもの救いとなっていましたが、同時に陰惨な流血がなければ平和を得ることができなかったという事実はそれが単なる慰めでしかないということも教えています。ですが実った果実がその根から一滴の血を吸っていたからといって、叩き落すことも木を切り倒すこともできぬ彼らは世の無情を嘆くことしかできず隠遁して世界に背を向けるほかに何もできませんでした。その一人である異郷の賢人サラディンは誰に伝えることもできぬ革命の述懐を語り、彼自身の死まで決して消えることのない赤毛の娘の記憶をたどるために、ただ悲哀を文字にしてつづります。

「今はもう滅びた帝国に叛乱が起こった理由は、決して体制への不満ではなかった。
 体制への不満は確かにあった。だが叛乱が起きた故に帝国が揺らいだのではなく、彼らの統治によって帝国が揺らいだが故に叛乱が起きたのである。不満はいつの時代にでも存在するし、それは叛乱の原動力となる力に過ぎない。それはいつの時代でも変わらない。革命は人の力を必要とするが、革命そのものは階級の死によって起こる。残念だが、人はそこまで意志強き者ではないのだ。
 そして帝国と王国とは何が違うのであろうか。であれば新しい王国の体制が揺らぐときに、また叛乱が起こるのであろうか。私には最早分からない。ただ、あの娘のような血がもう二度と流されぬことを祈るのみである。
 既に私には信じることができぬ、貪欲な神に」


一章.遠征の代償を読む
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