ぱられるわーるど/ひなたで過ごす


 それは木のあるところには必ずいます。

 誰も立ち入らないような大きな山の深い森では長い長い髭であったり、そんな山々にかこまれた開けた林であればせいぜい黒くすすけた毛玉であったり、川辺に垂れ下がった柳の木であればぶらさがったなまずであるか、でなければ頭に芦のはえた山椒魚であったりもしますし、満月の光る夜に映える楡の木であれば普段は舞わない蝶であったりもしました。木の多さと深さによっていろいろな姿をしていて、ですが誰もがその姿を知っていても見たことはありません。それは、そんなものでした。

 街路樹の並ぶ神社につづく道を外れて、たくさんのどんぐりが落ちている林に覆われたその山沿いの道。子供たちが学校帰りに通学路をはなれて立ちよると、そこでは餌をかついで行列を作っている蟻たちや湿った下草の影から顔をだした蚯蚓がニンゲンと一緒にその道を共用しているのでした。
 少年はわりと足元の地面を見るのが好きで、舗装された道でさえ見つかる街路の銀杏の木の下のぎんなんをひろったり、固いアスファルトに迷い出てしまった蛞蝓や芋虫を見てはその行き先をじっと追ってずいぶんを時間を費やしました。まして踏み固められただけの赤茶けた土の道を歩くのであれば、その時間はどれほど長くなるのでしょう。

「追いてくよー」

 まだ充分に幼い三人の少年少女。少年はいつもいっしょに帰っていた少女にそう呼ばれては時に残念そうにその場を離れたり、時には逆に友人たちを呼んで小さな発見を披露していたのです。それは学校の通学路だけを歩いていては決して手に入らない、何ということのない小さな小さな発見であり、そして子供たちは靴が泥だらけになるその道に決して飽きることはありませんでした。

 彼等だけの道を。

 秋の雨の季節も落ち着いて、短い晴れ間に冬の空気がすべりこみはじめるようになった季節。学校の帰り道の通学路を外れて歩く、木々に囲まれた子供たちだけの土の道。家に帰るには遠回りになる道でしたが、子供たちは雨上がりのぬかるみの日にお気に入りの新しい靴を履いている時でさえ毎日のようにそこを通っていました。そもそもぬかるみだとか水溜まりなんてものは、踏み込むか飛び越えるためにこそあるのですから。

 流れる空気がいくら乾いていたとしても、木の影になり下草に覆われた土から湿り気が消えることはありません。そういった湿り気にはいろいろないきものが集まりますので子供たちは葉陰の虫をちらりと見つけたりとか、羊歯の葉の裏に胞子がついてないかのぞいてみたりとか、時には沸いた斜面の水にいる蛙や沢蟹を見つけることもありました。
 ですが、水のあるそこはいきものたちの場所でしたから子供たちはそれを見るだけで邪魔をしないようにはするのです。ニンゲンが本来触ることをゆるされている、その場所は乾いた湿り気のない場所で角のとれたまあるい石や紅葉した落ち葉、少女が少年たちをなぐるのに適した小枝くらいしかひろうことはできませんでした。子供たちはそのことをなんとなく知っていましたけれど、もちろん全部が全部それを守っているわけではなくて虫の巣穴を指でほじくってみたりとか蛇苺の実をつまみとってみるようなこともありました。

「あれ…何かいた?」

 たくさんのどんぐりが落ちている林に覆われたその山沿いの道。木々に囲まれた土の道を歩く子供たちの前にはたいていそれが現れます。誰に話しても聞いてもらえるはずのない、それは何だかぼんやりとしているけれどですがはっきりと感じとれるものでした。子供たちの前にあらわれたそれはふわふわと少年の前をただよって、ですがそちらに目を向けるとすぐに視界の隅へと消えてしまうのです。
 少年も少女もそれを追いかけてみたことがありましたし、たいていは三人で道の外れに分け入ってみるのですがその先には決して何を見つけることもありません。ただ木々が深く、その隙間から光がさしこんでいて鳥がいたり虫がいたり木の実が落ちていたりするのです。それは、めずらしくもなんともない山の中の光景でした。

「どこ行ったのかな」

 子供たちはそこで他愛のない時間をすごした後、泥と木の皮と葉っぱにまみれた体で誇らしげに家へと帰っては洗濯かごに放りこまれるのです。持ち帰ったまあるい石やら紅葉した落ち葉やら、糸を通した木の実にどれほどの意味があったことでしょう。それは子供たちの机の引き出しにたいせつそうにしまいこまれた後、いつの間にかどこかにいってなくなってしまうものでした。

 それの姿を見たはずなのに忘れてしまった、子供の頃の時間といっしょに。

 子供たちがもう少しだけ大きくなって、山の奥深くに行くようなことが少なくなってきても少年はまだ山をおとずれることがたびたびありました。そこにはまだそれがいて、ずいぶんと会う機会は減ってしまいましたがときどき少年の前をふわふわとただよっては決して見えることのないまま消えてしまうのです。何度も会っているのに一度も見たことのなかったそれが茶色くもこもことしていて、だけど毛のようなものが流れているのを少年はいつの間にか知っていました。これが果たして小さな髭というものだったのでしょうか。

 その小さな髭を追いかける先にはやっぱり何もありません。ただ木々が深く、その隙間から光がさしこんでいて鳥がいたり虫がいたり木の実が落ちていたりするのです。
 それは、めずらしくもなんともないはずの山の中の光景でしたが、今では少年はその意味を理解していました。

 木々に囲まれた陽光の差し込む広場と変わらずにある時間と変わらずに生きるいきものたち。そこはニンゲンが立ち入ることを許されたいきものたちの場所でした。少年は今ではそこで一人だけ、他愛のない時間をすごした後で泥と木の皮と葉っぱにまみれた体を気にするふうもなく家へと帰るのです。手のひらにある、持ち帰った木の実のひとつがどれほどの意味を持っていることでしょう。

 たまには、また三人で山へ行こう。
 少年はそう思うとそれをたいせつに引き出しにしまいこみました。


おしまい

                                      

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