めずらしい動物、あたらしい生き物がいまでも見つかっているということを、たいていの子供たちは知っていますがたいていの大人たちは知りもしません。本を読むのも動物園に行くのも野山を実際に歩き回るのも大人ではなくて子供なんですから、そんなのはあたりまえのことでした。ねじれた一本の角を持つ、一角獣がほんとうにいることとか、いまはもう絶滅してしまったほんとうのペンギンのお話とか、カンガルーの仲間のライオンのお話とか。そんなことは遠い昔に恐竜が生きていたのと同じくらいにあたりまえのことなのです。
ただ、そうしためずらしい動物とか生き物というと、知らない人はたいてい犬とか猫とか大きな生き物を思い浮かべるかもしれません。羽とくちばしがあればみんな鳥だし、ひれとえらがあればみんなひとまとめに魚だし、もしも目の前に新種の蝶が飛んでいたとしてもそれに気づくことができる人がどれだけいるというのでしょうか。
「何してるの、早く行くよ?」
何度か女の子に名前を呼ばれていたことに気づいて、男の子はゆっくりと後ろを振り向きました。ふと立ち止まって首をめぐらせているときに、まわりのことに気がつかないというのはけっこうあるものです。あとになったら確かめることができないこと、今しかできないことというのは意外と多くあることでしたから。
男の子はもういちど、首をぐるりと戻してあたりに視線を向けています。なんの不思議もないように見える町中の道、大きなお屋敷をぐるり囲んでいる塀の隣りにある路地で、大きな庭に繁っている木の枝葉が塀の上から張り出してこちらに伸びてきていました。その日は陽あたりのよい日でしたから、もしも猫がいれば瓦の貼られた塀の上でのしんと座り込んでひなたぽっこをしていたでしょう。
「何か、いるの?」
「うーん、わかんないな」
この場合わからない、ということは何かいるみたいだけど見つからない、という意味になります。生き物がいるというのは目で見るだけじゃなくて視界の外にいるものを見たりとか、ちょっとした音や動きを首筋に聞いたりとかして感じるものですから、近くに何かいるということは誰でもたいてい気がつくものでした。ですけど、生き物というのはふつうはどこか隠れていますので、それを見つけるのは決してかんたんなことではありません。そうした隠れている生き物を見つけるには、なによりそれを見つけようとすることがたいせつなのです。
「ねえ、あれじゃないか?」
爪先立ちになって、二人の言葉にあたりを見回していた少年が指をさしました。塀の上、張り出している枝葉の上には同じ色の枝のような姿をした虫が止まっていたのです。ナナフシと呼ばれるその虫はそれなりにめずらしい虫ではありましたが、それはあまりに枝葉に似ているので見つけることがめずらしい、という虫でした。鬼ごっこで隠れている鬼をみつけるように、その小さな虫に勝った子供たちは喜びながら塀の側へと集まります。
「このくらい小さいナナフシってめずらしいなあ」
子供たちが知っているその虫は意外に大きく、木の小枝に見せかけるために物さしとか割りばしくらいの長さになるのがふつうです。ですがそのナナフシは子供たちが知っているものよりずいぶん小さいものでした。細長い虫は頭の先から尾の先まで、ふつうの半分ほどの長さのナナフシは人差し指一本くらいの長さしかありません。この恰好で葉っぱをくわえてかじっている姿は、それこそ一枚の葉っぱがついた枝にしか見えませんでした。遠目にではなく、近くで見ても今まで気づかなかったくらいに。
子供たちは背を伸ばして、しばらくその虫を見ていました。何か急いでいた用事があったとしても、そんなものはたいしたことではありません。遅れてもできる用事はいくらでもありますけれど、目の前の虫はつぎに来たときにはきっといなくなってしまっているのです。それにこうした擬態をする虫は姿を隠すためにも、たとえ誰かに見つかってもゆっくりと動きますから子供たちにしてみればせっかくのめずらしい虫をゆっくりと見る時間もありました。小柄な子供たちが見るには少しく、高いところにいるのが不満でしたけれど。
背伸びして、男の子の肩に手を乗せながら塀の上を見ていた女の子の目の前を、横あいから何かがひゅうんと飛んでいきました。
「ひゃっ!?」
という驚いたような声をあげて、後ろに倒れた女の子はそのままつかまっていた男の子たちの肩を引っ張るようにして三人ともが転がってしまいました。どこに隠れていたのか、飛んできた小鳥はとらまえたナナフシをくちばしにくわえています。奇態だったのはくすんだ茶色めいたその鳥が、頭と尾羽に大きな葉っぱを挿していることで遠目にみるとそれは枝歯のかたまりが一本の枝をくわえているようにも見えます。小鳥はぶるぶると身体を振ると、ずいぶん身体に挿していたらしい木の皮や葉っぱがばらばらとあたりに落ちて、一本の枝のような虫をくわえた鳥はそのまま飛んでいってしまいました。
生き物が餌をとる瞬間を見るというのはとても貴重な機会ですが、それが気分の良いものかというとどうにも微妙なところがあります。男の子たちが女の子のあげた悲鳴をからかってはぽかぽかと殴られていたのも、そんな気分をまぎらわせるためのものだったのでしょう。
地方によってはナナフシ鳥とも呼ばれる、そんな習性を持っている鳥もいます。
おしまい