ぱられるわーるど/ひなたで過ごす


 子供たちの住んでいる町は低い丘や林や山に囲まれていて、山の向こうから流れてくる川も含めて彼らの貴重な冒険の舞台になっています。そして学校の教科書でも地図でも教えられた、その川を遠くたどっていくとずっと先には湖がありました。川とか池だったらいつでも行けますけれど、湖というのは冒険をめざすになんてふさわしい場所なんだろうと思います。湧き水や源泉が流れ込んでいる大きな大きな水。コイやフナではない魚が泳いでいるところ。そんな場所に子供たちがあこがれを持たないわけはありません。ですが、その湖がとても遠くにあることくらいは、子供たちもよく知っていました。

 夏休みがやってきます。子供たちにはいくらあってもたりないだろう、冒険のためのたくさんの時間が与えられる季節。その年、子供たちが計画をしていたのは彼らの川をさかのぼって湖に行ってみることでした。子供たちはもう地図を読むことができますし、文明の足跡である線路を走る列車に乗ることだってできます。未踏の川をのぼって湖に行き、列車に揺られて帰ることは決して不可能ではないはずでした。大人の冒険には知識と計画が欠かせない、子供たちはその年、はじめて大人の冒険に挑戦しようというのです。
 町の地図には線路や道路や川の流れ、もちろん湖も書き込まれていましたが、車の通れるような道路でないと意外に地図には載っておらず、湖までの道は何度か途切れて消えています。子供たちの目的は川沿いの道をひたすらのぼって、湖につながる、未踏の道を見つけて地図に書くことでした。

「準備はいい?」
「よし、じゃあ行こう」

 その日、まだ暗いうちに子供たちは集まると、食料や水を背負って地図やノートを手に冒険の旅に出発します。女の子が道を確かめながら進み、男の子はまわりにある目印を地図に残し、もう一人の男の子がそうした目印とは別に見つけたものを地図に書き込んでいくことになりました。小さな冒険者たちの目的は湖につながる、未踏の道を見つけて地図に書くこと。見慣れた川沿いの道を上流へと歩き、日が昇って朝になるころには、すでに彼らはふだん来たことのない景色の中を歩いていました。
 土手に沿った道は舗装されていて、ときおり人や自転車とすれちがうその道は地図にもしっかりと書きこまれているサイクリング道でした。その突き当たり、地図にも書かれていないそこから先が子供たちの冒険の舞台になります。朝のうちにサイクリング道の終わりについた子供たちはそこで一休みをして、少し遅い朝食を食べるといよいよ川原におりて、上流へと歩きはじめます。

 最初の問題は川原におりるにあたって、先に橋をわたるべきかそうでないかでした。川沿いの道では一方の岸では道が通じていても、一方はそうではないことも珍しくはありません。道を間違えれば大きく後戻りするか、川を渡らなくてはいけませんから貴重な時間を失うことになるでしょう。一度、橋の上から目をこらして見ましたが、ゆっくり左に曲がっている川のずっと先まで見えるわけではありません。それでも、川が曲がっているなら外側は道が削れているかもしれないと思って、子供たちは橋をわたらずに左の川原を歩いていくことに決めました。それまで土手の道沿いにあるススキやセイタカアワダチソウの原を書きこんでいた少年のノートに記された、テントと焚き火を模したキャンプのマークはなかなか好評でした。
 足もとの石は丸く平たくて中には大きなものもありましたけれど、子供たちの足どりはそれほど遅いものではありません。ほどなく、川が大きく曲がるあたりで向こう岸に張り出した枝木が水面を覆っている場所を見かけました。

「やっぱり、あっちだと歩くのが大変だったかな」

 やがて川が二つに分かれる、その合流地点に子供たちは到着しました。じきにお昼になる時間でしたので、できればここを越えたところでキャンプを張りたいところです。湖につながっているのは右手の川なので、子供たちが今いる場所からはどこかで川を越えなければいけません。左の川にかかっている細い鉄の吊り橋を渡れば、分かれている間の川原におりることができそうでした。冒険者と吊り橋!なんて危険で魅力的な組み合わせでしょう。
 ワイヤーに網と鉄板を渡した細い吊り橋は、本当ならそれほど危険な筈はありません。何しろ橋というのは安全に渡るためにかけるものの筈でしたが、子供たちが喜び勇んで足を踏み入れた吊り橋は驚くほど左右に揺れて、ごうごうという風がワイヤーを切る音はまるで怪物のうなり声のようでした。男の子は振り落とされないようにつかんだ両手を放すことができず、女の子はときおり足もとの鉄板に膝をつきながら、とても長い時間をかけてようやく三人は無事に吊り橋を渡り終えたのです。

「怖かったあ・・・」

 安心して力の抜けた子供たちは昼食をとるために川原におりましたが、そうでなくとも足がまだ地面にきちんとついていないようで、休まなければとても先には進めなかったでしょう。怖かったというのは子供たちのまぎれもない本心でした。
 ともあれ、おにぎりはとてもおいしくて子供たちはようやくひと息つくとここまでの冒険を地図に書きこんで、二つ目のキャンプのマークを記しました。平たい川原の石にもずいぶん角張ったものが見られるようになって、彼らが川の上流にいることを示しています。子供たちが住んでいるあたりでは、こうした角張った石はとても珍しいものでした。
 夏の太陽はほとんど真上にあって、子供たちの冒険はもう中ほどを充分に越えている筈でした。ですが、この先は川幅が急に狭くなって川原と呼べるところも少なくなっています。川沿いをうねる道も地図ではあちこちが途切れていて、子供たちは何としてもその空白の地図を完成させたいと思っていました。男の子が周囲の木の様子や石のかたちを地図に書きおえたところで、彼らはキャンプをたたんで歩きはじめます。大きな石の多くなった川原では、子供たちは歩くだけでなく手足を使って石の上に登るようなこともしなければいけませんでした。

 ですが、その先の世界は子供たちには驚きのものでした。それまでとは違って鳥や虫の鳴き声がずっと多くなり、くちばしの長い青い鳥が水辺にいたり、浅い川の石の下には小さなずんどうの魚が泳いでいたりするのです。それはどれも、図鑑や旅行先でしか見たことのないような生き物たちでした。秘境をゆく冒険者たちの耳には谷渡りの声が聞こえて、子供たちはそれらを書きとめるのに時間をとられながら、疲れもしらずに川をさかのぼることができました。
 日が頭上をまわってずいぶんしましたが、狭くなった川原はときおり頭上に張り出した木の枝に覆われて、新しい世界を探険する子供たちの目にはついに川原から路上に上がる、最後の橋が見えてきます。地図を見るとその先は沿道が続いていて、湖のある小さなダムの上へとつながる筈です。すでに子供たちのノートは書きこまれたメモや絵でいっぱいになっていて、あとは最後の空白を残すだけでした。

「ちょっと、あれ見て!」

 その橋に登る、さびた階段が川の対岸にあることを見て、女の子は思わず声をあげていました。最後の最後で、子供たちの目の前で冒険の道は途切れてしまっているのです。川原をくだってひとつ前の橋を渡り、もういちど川原におりればずいぶん時間はかかりますが向こうに渡ることができるでしょう。あるいは石や岩の上をつたって川を渡るという手もありますが、川の流れは浅いところは激しく、ゆるやかなところは深くて子供たちの目にもずいぶんと危なく見えます。冒険に危険はつきものですが、克服できない危険に挑むのは立派な冒険者のすることではありません。ですが、危険を前にして冒険者が引き返すことは臆病にも思えて、子供たちは答えを決めることができずにいました。困っていた男の子は、ふと手にしていたノートの最初に記したメモを目にします。

「湖にいく、未踏の道を見つけて地図に書くこと」

 何ということでしょう、子供たちは大切なことをすっかり忘れるところでした。彼らの目的は道を見つけて地図に書くことでしたから、川の上にある石や岩を渡ってもそれは道ではないのです。そんなことをしては彼らの冒険は失敗になってしまう、子供たちは急いで川下にくだると、橋を渡って対岸におりて、もう一度川原をさかのぼることにしました。今度こそ彼らの川から湖につながる道を見つけ出すのです。
 そして最後の橋が見えてきたころには、子供たちは角張った石のごろごろした川原を駈けるように進んでいました。さびた階段をのぼって、ダムにつながる沿道を走る。最後はもういちど長い階段があって、子供たちは一気に駈けあがると最後の一段の手前でいっしょに足を止めて、お互いの顔を見てから並んでダムのてっぺんに飛び乗りました。

「ついたーっ!」

 三人の声はさえぎるものもなく、ダムを越えた目の前の湖に広がっていきました。その小さな湖の姿が、どれほど素晴らしいかを説明するのは子供たち以外には決して無理だったでしょう。吹きおりてくる風が頬を流れ、髪を浮き立たせて夏の長い日はすこし赤みを帯びはじめて水面に跳ね返っています。鳥の声は巣に帰るための呼び声に変わりはじめ、山あいからは夕刻を知らせる村のサイレンが響いていました。
 子供たちはとっておきに残しておいた食料を広げると、そこで最後のキャンプを張りました。日が沈む前までのほんの短い間、水面が赤く色づいていく景色と甘いクッキーの風味を楽しんだあとで、三人はノートの最後の空白を自分達のことばで埋めました。帰りの電車のことはほとんど覚えていません。書き上げたノートと地図は、子供たちの冒険の記録でいっぱいに埋まっていました。

 その誇らしい地図が親にも先生にもなぜか手放しでは褒められなかった、その理由は子供たちにはついに分かりませんでした。子供たちの渡った吊り橋が工事用のもので、彼らが川原からではなく道路からそこに行っていたらきっと立入禁止の看板に出会っていただろうことを、子供たちは知りませんでした。


おしまい

                                      

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