裏山をこえた向こうにある大きな池には、いろいろな生き物がすんでいます。もちろん草の実をついばむ鳥ですとか葉っぱの影をこそこそと歩くトカゲやヘビなんてものもいますが、池ですから水の中にもたくさんの生き物がすんでいました。季節によってはアメンボやミズスマシが水面をすべっていて、たまにミズカマキリやゲンゴロウもいたりしますが、タガメやタイコウチまではさすがに見たことがありません。夏になればそうした水の昆虫たちを見かけることも多いですが、虫というのは寒いと姿を隠してしまうものです。
「網もってきた?」
「もちろん」
網というのは竹や長い棒の先についた丸い大きな網ではなくて、針金の先を四角くかこんだ小さな網です。大きい網はザリガニくらいをつかまえるならなかなか便利でしたけれど、よけいなものまで掘り返したり、つかまえた生き物が弱ってしまうこともあるのであんまり水辺では使いません。少しくらい、網が小さくても水の中に入ってしまえばたいして違いはないものです。
川と池ではちょっとだけ、すんでいる生き物がちがいます。もちろん池だったらカメが、川だったら魚がすんでいるというものではなくて水草の多い岸辺にはエビが暮らしやすいですし、ゆっくりした泥のたまりにはドジョウやナマズが隠れていることもあります。裏山の池には小さな魚も多かったので、フナやモツゴ、たまにはタナゴが見つかることもありました。タナゴは小さいけど細長い魚が多い中で、四角いのがいるので子供たちのお気に入りです。フナはたまにいる黄色いのや赤いの以外はわりといつでも見つかる魚でした。
「これ、線が少ないよ」
「ウシモツゴじゃないの?」
そんな水の中の世界を、小さな世界にして育ててみたいと思うことがあります。男の子の家には大きな水そうがありましたが、どれもこれも、石のひとつまで裏山の池やその近くでとってきたものばかりが入っていました。女の子やほかの子たちの家にも小さな水そうが置いてあることはありましたが、男の子ほど立派なものではありません。魚がいてエビがいて水草が植わっていて、たにしが苔をなめています。魚は小さなフナやメダカを選んでつかまえてきたもので、わりと小さい魚は女の子の家で飼っていることもありました。
池や川でつかまえてきた魚はいきなり水そうに入れるのではなく、薬のはいった水に一日くらい泳がせます。魚にはどんな虫がついているかわかりませんから、こうしておかないと他の魚に虫がうつるかもしれません。なんでも同じ水そうに入れてもいけませんし、コイやモツゴやドジョウなんかはなんでも食べてしまいますから、気をつけないとメダカなんかはまっさきに食べられてしまいます。中にはタニシだって食べてしまう魚もいました。
「それじゃあ、この魚は?」
図鑑だったり、学校や役場に飾られている写真なんかで近くに棲んでいる生き物はたいてい調べることができましたが、たまにはどうしても、男の子にも女の子にも正体のわからない魚がいました。それは縦じまのモツゴだったりヒゲの数が多いドジョウだったりしましたが、女の子の水そうで泳いでいるタナゴらしい小さな魚もそんな魚です。大きさは5とか6センチくらいでふつうよりも少し小さいくらい、タナゴの中ではちょっと細めの体をしています。銀色でときどき色が変わって見えますから何枚か違う色のうろこがまざっているのでしょう。それより奇妙だったのは長い尻びれがゆらゆらとゆれていることでした。金魚のように尾びれが長いのではなく、尾の下にある尻びれがどうも長いのです。
「なんだろうね」
見た目はタナゴに似ていますし、水草の近くがお気に入りなことも変わりませんがけっきょく正体はわかりません。ですが水そうの中でゆらゆらと泳ぐ、魚の様子はどこか着飾った人みたいで女の子のお気に入りでした。小さな水そうにはそんなに生き物の数が多くはないし、水草や隠れるところもつくっていて、ガラスの向こうにうつる自分の姿が見えると魚が落ちつくこともちゃんと女の子は知っています。着飾った魚が静かに泳いでいる、女の子の水そうでは裏山の池にだって負けない暮らしができました。
その頃からずっと後になっても、女の子は着飾った魚のことを覚えていましたしそれを忘れることもありませんでした。役場で見つけた古びた本、むかしむかし、平安時代の古い歌の中にハゴロモウオの名前があることを女の子は見つけましたが、まだそのことは誰にも教えていません。
そのうち、自分も着飾るようになったら彼らにだけは教えてあげようと思っています。
おしまい