もうすぐ、日が暮れる。まばらな街灯が明かりをともして、頼りなげにあたりを照らしている。中には、電線が切れているのか、もう二度と明かりをともさなくなった街灯もある。日が落ちる前に、やらないといけないことがとても増えた。もうすぐ、冬の季節。
世は見渡す限りのたんぽぽ。そのなかに、ぽつりぽつりと家が建っている。わたしの家はその中のひとつ。日が落ちて、たんぽぽが闇につつまれて、一日が終わる。今、世界はわたしたちニンゲンではなくて、たんぽぽを中心にまわっている。
こんにちは。わたし、田中いずみ。たんぽぽに支配された世界に生きている女の子。この国が西洋たんぽぽに支配されて、もうずいぶんな時がたった。自分で株分けをして増える究極の植物たちは、野を越え山を越え海を越え、地面のほとんどを覆い尽くしてしまっている。アスファルトを破り、電柱を倒し、建物を崩して地面にしっかりと根を張ったたんぽぽたちは、今ではわたしの家の床を破って、台所のすみっこにも生え始めている。
岩山も、砂浜でさえもたんぽぽに覆われた世界。もうたんぽぽが生えていないところといったら、水の上を除けば森とか茂みとか、他の植物がぎっしり生えているところくらいしかない。おととい、海上都市の建設計画が正式に発表されたけど、20年後に50万人が住めるようになるという海上都市に、あんまり大きな期待を持っている人はいないと思う。とうとうニンゲンがたんぽぽに追い出されるときがきたんだなあって、そんな感慨はなくもないけど。
たんぽぽの異常繁殖。あたりまえだけど、生態系はめたくたになった。めたくたになったと思う。特定種族の生物の異常繁殖が、生態系に良い影響を与えた事例なんてなかったはず…生物地史学の参考書を見ながら、わたしはそんなことを思う。8年前の教育法の改正にともなって、学校の授業に複合科目と選択科目がずいぶんふえた。
今では理科とか国語とかなんて、小学校の授業にしか残っていない。わたしの選択科目は生物地史学と生物地質学。
授業とは関係なく、わたしはよくあちこちを歩きまわって、たんぽぽと一緒にすごすことが多い。中学生のころはタンポポムスメなんて呼び名がついたこともあったかもしんないけど、そんなことはどうでもいいんだ。今日もわたしは川沿いのあぜ道を歩いている。たんぽぽたちは川岸のぎりぎりまで生えていて、その隙間でもうしわけなさそうに、他の植物が存在を主張している。わたしの自由研究は、こないだ学校を通じてなんとかいう大学の先生に評価されたらしい。
年々、たんぽぽの繁殖域は広がっていて、その下で、土壌が回復しつつある。たんぽぽの根にまもられ、たんぽぽの葉にまもられた土たちは、風に流されることもなく、水を吸って栄養をたくわえる。ほとんどの人が知らないだろうけど、たんぽぽに覆われた土は寝転がるとあったかくて気持ちいいんだ。実はこれってとてもたいせつで、とてもおそろしいことなんだけど、誰もそのことを知ろうとはしない。
20年前、たんぽぽの異常繁殖がはじまったころ、ニンゲンはまだなにも危機感をいだいてはいなかった。そのころ、たんぽぽが増えはじめた土地は、あたりまえだけどとっくにたんぽぽに覆い尽くされている。覆い尽くされているけど、じつはそんなでもないんだ。半年くらい前にわたしが旅行もかねて見にいったときには、たんぽぽはまばらになって、すみれの花がたくさん咲いていた。
たんぽぽが根づいて、たんぽぽが増えて、たんぽぽに覆われた土地。やがて土壌が回復し、たんぽぽは数を減らし、ほかの植物が根づく。いきものたちが帰ってくるんだ。
この世界から、いらないものは追い出されようとしている。わたしたちは、どうやらいらないものだと判断されたみたいだ。たんぽぽたちが、いらないものを追い出して、この世界を、土を癒していきものたちが帰ってくる。いきものが帰ってきた世界に、いきものを追い出したわたしたちは、たぶん必要ない。
きっとあと20年もすれば、たんぽぽの数は減り出すだろう。その時、わたしたちはどこでなにをしているんだろうと思う。わたしは、最後までたんぽぽと一緒に生きていきたいと思うけど、たんぽぽとこの世界は、わたしたちを追い出そうとするだろう。この家も、電気とか水道とか止ったら、さすがにどこかに避難せざるを得ない。
今のニンゲンは自然の中で生きることはできないのだから。
ニンゲンを追い出して、世界を支配したたんぽぽたちも、いずれ役目を終えて数を減らすことになると思う。川沿いのあぜ道で、たんぽぽの隙間から白いつめくさがぽつりと生えていた。
いちばんかわいそうなのは、たぶんたんぽぽなんだろうと思う。
おしまい