アウグスタ・アグリッピナ(Julia Augusta Agrippina)
生没紀元15年11月6日〜紀元59年3月19日
私的評価
統率B
知謀C
武勇E
政治A
魅力D
ローマ皇帝ネロの母親アグリッピナといえば、夫たる皇帝クラウディウスを毒キノコ料理で殺害したとか、息子に母子相姦を迫ると最後はそのネロの手にかかって殺されたという風聞ばかりが知られていてお世辞にもよい評価を受けている女性とはいえません。ですが後代「ローマが最も幸福だった時代」と評されるネロの治世当初五年間が、彼女に抜擢された人々の手によって支えられたことも疑いなく、そのアグリッピナが排斥されて以降にネロの評判が下落したのも事実です。
歴史家の記述にもはっきりと不人気だったと記されている、それにも関わらずアグリッピナが望んだローマは多くの人々が望んだローマの姿でもありました。皇帝クラウディウスが賢明だが滑稽で、皇帝ネロは風雅だが享楽的であったとするならばアウグスタ・アグリッピナは伝統的で格式高く品位あるローマの姿を人々に見せることができました。ですが同時に、彼女は人々の目に映るローマの姿を見ることはできても、人々の目に映る自分の姿を見ることはできなかったのです。
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帝政ローマ初代皇帝アウグストゥスは直系の後継者に恵まれず、待望の男子として期待されていたのが孫娘の子であるカリグラでした。アグリッピナはそのカリグラの妹でしたが、幼いころは母が皇帝ティベリウスと確執のあげく追放されて、カリグラが皇帝に就いてからは当初こそ兄と親しく暮らしますがやはり後には皇帝暗殺の嫌疑で流罪にされています。妄想すれば息子のいないカリグラがネロを産んだ妹を遠ざけようとしたのかもしれませんが、いずれにせよアグリッピナがたびたび追放先での生活を強いられたのは確かであり、それが彼女の権力志向に影響を与えた可能性は否定できません。
カリグラが暗殺されてクラウディウスが皇帝に指名されると、流刑地から戻されたアグリッピナは裕福な元老院議員を二度目の夫に迎えていますが、政治的には意味のある結婚ではなくアウグストゥスの後裔たる彼女が満足する境遇とはとても言えなかったでしょう。分をわきまえない野心かもしれませんが、少なくとも彼女は皇帝よりも高貴な生まれの女性なのです。
好色で威厳に欠けるクラウディウスが皇妃メッサリナに侮られたあげく、彼女を処断することになった経緯はアグリッピナにまたとない契機を与えました。皇帝官房を取り仕切っていた解放奴隷の一人であるパラスと結託した彼女は次の皇妃に自分を推挙させますが、目的は皇帝の妻になることではなくそれを足がかりに息子ネロを皇帝にすることです。クラウディウスには実子のブリタンニクスがいましたが、反逆したメッサリナの子とあれば決して立場が強いものではなくネロを正統な後継者に選ぶ理由は充分にあるでしょう。
歴史家皇帝クラウディウスは百年の計は考えても些事には疎く、メッサリナに言われるまま無実の人を処罰してしまったことすらありますがアグリッピナはそうした下劣な悪事とは無縁でした。正式に皇妃に選ばれた彼女がしたのは生地をコローニア・アグリッピナと改称させたり自分にアウグスタの称号を与えたりしたことですが、それが単なる虚栄心だと思えば彼女を見損なうことになります。陣営地に家族を帯同した英雄ゲルマニクスの娘、アグリッピナの生地とは軍団が駐留するライン川最前線であり、アウグスタとは太后リヴィアですら死後に与えられた皇帝の女性形にあたる尊称です。つまり皇帝よりも高貴な血筋の彼女は自分の名を冠した軍団基地と「女皇帝」の称号を手にしたわけで、ガリアの部族には彼女をクラウディウスの共治帝と考えた者もいたほどでした。
ネロを皇帝に擁立すべく画策するアグリッピナは若い息子を支える側近としてカリグラ時代に追放されていた文人セネカを教師として招き、厳格さと清廉さで知られる将軍ブルスを近衛軍団長に推挙します。哀れなブリタンニクスを孤立させるべく暗躍したとも言われますが、むしろネロの支持基盤さえ盤石にすれば「たかが皇帝の息子」が何の後ろ盾もなくアグリッピナの息子に対抗できるはずもありません。アグリッピナはネロに常よりも早い成人式を挙げさせるとクラウディウスの娘オクタヴィアを妻に迎えさせ、いわば女皇帝の息子に皇帝の娘を娶らせる念の入れようでした。
アグリッピナの台頭に皇帝も対抗措置を考えたと言われていますが、しょせん「ママが怖い」クラウディウスがローマ史上最強のママにかなうはずもありません。元老院への対応はセネカが演説を起草してネロに教え、近衛軍団はブルスが掌握して前線基地にはゲルマニクスの妹アグリッピナ自身の名が与えられて彼らを遇しています。ぶさいくなマザコンのおじさんに替わって若い王子様とお姫様が登場するとなれば民衆すら喝采の声を上げることは疑いない、アグリッピナが構築した次期皇帝ネロの支持基盤は見事すぎるくらい見事に完成されたものでした。すべての準備が整い、クラウディウスが毒キノコ料理を食べて急死したとき、現代の歴史家はもちろん当時の人々もアグリッピナによる毒殺を疑いましたがネロの登極には皆が歓迎の意を示しています。寛容かつ聡明な若い皇帝による統治は後にローマが最も幸福だった時代とまで評される、その舞台は確かにアグリッピナが用意した俳優たちの手によって演じられたのです。
もしも皇帝になった息子に対して彼女が一線を引き、後見の立場を貫いていればそれが長く続くとは限らずともここまで事態がこじれることはなかったかもしれません。皇帝を意のままに操ることに慣れていたアグリッピナは皇帝となったネロに対してもそれまでと同じように息子に対する母として、皇帝に対する共治帝のように振る舞います。それは成長して独立心が芽生えたネロだけではなくセネカやブルスにとっても越権行為以外のなにものでもない上に、彼女にはライン川最前線の軍団兵の支持があり政治的にも軍事的にも厄介な存在のままであり続けました。皇帝すら排斥したアウグスタ・アグリッピナが居座るままの状況を皇帝になったネロに恐れるなというほうが無理な話でしょう。
外交使節との謁見にも自ら乗り出そうとするアグリッピナにはセネカもブルスも辟易し、ネロは母の干渉から逃れるために別邸を与えると屋敷から追い出しますが、三人の皇帝から追放されることになったアグリッピナは収まらず、支持者や協力者たちと接触を始めたので皆が危機感を募らせます。醜聞好きなスヴェトニウスの筆によれば、息子との関係を繋ぎ止めるために母子相姦を図ったことがネロに母殺しを決意させる原因になったとされていますが、そもそも皇帝よりも気高いアグリッピナがそのような下賎な行為に及ぶ必要はありません。彼女自身がアウグストゥスの末裔なのですから彼女が選べば誰でも、ネロでなくとも皇帝にすることができるのです。
「ならばネロが産まれたこの腹を刺すがいい」
海難事故を装って殺されかけたアグリッピナが生還すると、狼狽したネロは無理矢理皇帝暗殺の嫌疑を着せて母を処断してしまいますが、近衛兵の剣を前にした彼女はそのように言い放ったといいます。ですがネロもアグリッピナもおそらく理解をしていなかったでしょう、彼女が息子のために構築したシステムは極めてよく完成されており、それが欠けることは必ず統治に悪影響をもたらさずにはいられないということを。
ネロは母親を遠ざけるだけではなく母が縁談を取り持った妻オクタヴィアや義理の弟ブリタンニクスも手にかけたと言われており、それは家族主義のローマで受け入れがたい罪悪ですがゴシップの域を出るものではなく大衆が剣を掲げる理由にはなりません。ですがゲルマニクスの娘アグリッピナを処断したことはコローニア・アグリッピナをはじめとする軍団基地を蔑ろにしたと同じことであり、最前線の兵士が首都にある元老院や近衛軍団に不満を持つ原因となるのです。後にネロの治世はこの地を守る属州総督ヴィンデクスの反乱を契機として辺境の軍団兵が蜂起したことで終わることになりました。
アウグストゥスの直系に生まれながら追放先や流刑地で暮らすことを強いられてきた彼女が、代役の皇帝クラウディウスを凌駕しようとした野心の是非はおいたとしても、ネロを皇帝にするために描こうとした統治の姿は決して荒唐無稽なものではありませんでした。元老院や近衛軍団、最前線から皇室まですべてを掌握してみせた政治手腕は卓越したもので、それが若い王子様とお姫様によって統治されるとなれば民衆を含めて「ローマが最も幸福だった時代」を歓迎したのは無論です。ローマを統治するために何が必要か、それを把握していたという一点において彼女はアウグストゥス以来の傑物でしたが惜しむらくはネロを皇帝にするまでの体制とネロが皇帝になって後の体制を区別できなかったことにあるでしょう。新皇帝ネロの治世が幕を開けたとき、舞台に立っていたのは若い王子様とお姫様ではなく若い王子様と史上最強のママだったのですから。
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