** Call of Cthulhu! Scenario#6:In the eroded Express **
1.大海蛇
『19280911マンスリー・ウエスト発。西海岸南西部、開拓地域で発見された未知の大型海生生物について。体長が30フィートを超える、長い首と足ひれを備えた生物の死骸が漂着しているのを開拓民が発見。深刻な腐敗状態のために死骸のほとんどは海洋に投棄されたが、撮影された写真と採取された標本の一部は保管されてマサチューセッツの研究機関に引き渡されることになった。生物学の権威であるD・ダニエルソン博士の見解によると・・・』
ことの発端は過日、アメリカ西海岸に謎の生き物の死骸が打ち上げられたことに始まる。それは一過性の話題ではあったがしばらく雑誌や新聞を賑わせた事件はその後、有名なミスカトニック大学で研究が行われることになると保存された標本は西部ソルトバレーで大陸横断鉄道に積み替えられて、遥か東にあるボストンまで約4000キロメートルを二日間で移動することになる、筈であった。
この研究に携わることになったのが生物学と博物学の権威であるダニエル・ダニエルソン博士ともう一人、西部地域の伝承に詳しいとされるサイモン・シンプソン教授である。教授は幾人かの知人に手紙を書き送ると、その一通がキャサリン・ブルックの手元に届けられた。内容は仕事の依頼で、ソルトバレーからボストンまでの二日間、研究助手として資料の整理や雑用を手伝ってくれる人を紹介して欲しいというものだった。手紙を受け取ったキャサリンが友人のヘンリー・マグワイヤをいつものように連れ出した言葉はいつもの通りである。
「どうせ暇なのでしょう?」
「へいへい」
ソルトバレーまでは車で大陸を横断して、現地で列車に車を積んでもらってボストンまで折り返す旅になる。キャサリンのA型フォードは道中、アーカムに立ち寄ると療養を明けてしばらくホテルで暮らしていたエドワード・ヘイズを誘ってこちらも車に同乗させる。二人を車に積み込んだ、というほうが正確かもしれない。
アルバス・フューリーはニューイングランドとカナダの国境沿いで働いている警察官で、この地域は住民は少ないが入植初期から暮らしている富裕な家が多く「まじめなおまわりさん」のアルバスは人々の覚えも悪くなかった。中でも湖畔の屋敷に暮らしているキャンベル家の若い娘二人とは懇意にしていたが、あるとき若いエリザベス・キャンベルに呼ばれたアルバスは彼女からごく私的な相談をもちかけられる。今度の休日、暇はあるだろうかと聞かれて思わず恐縮したアルバスだが、残念なことにエリザベスの話は彼がちょっとだけ期待をしたものとは異なっていた。
エリザベスは学生時代にミスカトニック大学の人類学部で学んでいたが、そこの恩師であるシンプソン教授から手紙が届くと人を紹介してくれないかと頼まれたらしい。なんでも西部にあるソルトバレーという町から二日間をかけてボストンに向かう大陸横断鉄道が出立するのだが、そこに警備員として同乗してくれる人を探しているというのである。基本的に人の頼みを断れない青年は快く了承すると、せっかくだから西部の土産物でも買おうかとくたびれた中古のT型フォードを走らせた。
西部ユタ州にあるソルトバレーは1874年に開かれた宗教都市で、ゴールドラッシュの中継点になったこともあり運河や鉄道、街道の交叉路にもなっている。予定の前日に現地に到着した彼らは、街中に新しく建てられている立派な教会や広場を観てまわるが、裏路地すらも白く舗装されている街路で照り返している日差しに何度となく目を細めてしまう。日差しを避けるように更に入り組んだ路地に入ったエドワードの目に「ピンの店ソルトバレー営業所」という怪しい露店が目に入った。これも何かの縁には違いないが、無造作に積まれているペーパーバックの表紙に描かれている奇妙な文様と表題に思わず目を惹かれてしまう。
「『冥王星からの警告』・・・これは僕のために書かれた本かもしれない」
翌日、昨夜はいまひとつ眠れなかったらしいエドワードが荷物を手にチェックアウトを済ませると、ホテルの建物は駅舎のすぐ前にあって大陸横断鉄道の無骨な車両が窓ガラスの向こうに見える。機関車を含めて三十両ほどの車列は前に客車があって後ろには貨物車量が繋がれていたが、目についたのは明らかに軍のものらしい、ものものしい車から大きな荷物やコンテナが積み替えられている様子だった。ヘイズ家の体質なのか、生来虚弱なエドワードは兵役でも門前払いを食ったとの評判で、軍隊に何の恨みがあるわけでもないがつい腰が引けてしまう。
情けない記憶を振り払おうとするかのように、首をひと振りしてから壁にかけられている時計を見ると朝はまだ早く地方時刻で六時を指していた。ボストンまで折り返すのであればわざわざ針を直す必要もあるまいと、視線を戻すとヘンリーやキャサリンがロビーにいる数人に声をかけている姿が見える。そこには高齢だが教壇よりも屋外でフィールド・ワークを好みそうな男性が二人と、長身でがっしりした体躯の勇敢そうな青年が一人。ダニエルソン博士とシンプソン教授、もう一人は婚約者のエレンから話に聞いていたアルバス青年に違いない。
手続きを済ませてから車両に乗り込んで、客室に荷物を置くとすぐに汽笛が響き、列車がゆっくり動き出すと足下から重々しい音と振動が伝わってくる。ひたすら真っ直ぐ伸びる列車に揺られるのは悪くない体験だが残念なことに窓外の景色を楽しむ旅ではなく、コンテナを改装した殺風景な会議室に全員が集まったところで、シンプソン教授が口を開くと丁寧な挨拶と礼を言ってからテーブルの上に数枚の写真を差し出した。写りの粗い、白黒の映像には海岸に打ち上げられた大きな生き物の死骸が横たわっていて、それは丸っこい胴体にひれのような手足があり、長い首と尾がだらりと垂れているように見えた。
「つくりものには見えませんけど・・・とても大きな生き物ですね」
「俗にいう大海蛇ってやつか」
一緒に写っている人間と比べて生き物の大きさが10メートル近くあることを見てとると、伝奇や伝承に詳しいヘンリーが海洋を行き交う巨大生物の伝説を思い出している。記憶に新しいところでは1915年にドイツの潜水艦が巨大な生物を発見したという証言が残されていたり、更に遡れば1817年にはイギリスで大勢の人間が湾内を泳ぐ生物を目撃した例もある。こうした事例は昔から枚挙に暇がなく、これらは総称して大海蛇とかシーサーペントと呼ばれていた。
「大海蛇の正体については多くの学説や憶測が飛び交っていて、フランスのジャン・ジャック・バルロワはこれらを大別して古生代の恐竜の生き残り、サメやイカといった大型の海生生物、その他に分類している。その他というのは証言があまり雑多でカワウソやアシカやクジラといった哺乳類はもちろん、巨大なウナギの稚魚やオタマジャクシといったにわかには信じがたい説もあるからだ。だが信じがたいからといって莫迦莫迦しいと一蹴するわけにはいかない、それが私の立場だ」
ヘンリーの知識を補うように切り出したのは神経質そうな初老の人物で、今回の研究の責任者であるダニエルソン博士である。塩を振ったようにまだらに見える、灰色の髪と同じ色をした髭を手でこすると、問題の写真に写っている生き物の死骸については実は同定されていて、個体としては記録的な大きさだが正体は大型のホオジロザメであることがすでに確認されていると説明してくれた。死骸は頭蓋骨が失われた不完全な状態で、エラの周辺の肉がこそげ落ちた姿が細首の怪物めいて見えるだろうという。
ダニエルソンが説明を続ける。死骸が発見された場所の海流から推察するに、このサメは特に海水の温度が低い場所で暮らしていたと思われる。水温の低い場所にはふつう餌となる生き物が少ないが、胃袋から見つかった残存物を調べたところどうやらサメは低温の水域にたまたま漂着した死体を漁っていたらしい。初老の博士がもったいぶった様子で続ける。
「そしてここからが本題だが、サメの死骸ではなく、胃袋の中から発見された残存物は我々が知っているあらゆる生物の常識を外れていた。つまり冷たい海に沈んでいた未知の生物の死骸をサメは食べていたというわけで、そこで死骸が、死骸の胃の中にある残存物が大学で研究されることになったというわけだ」
そこまで説明したところでシンプソン教授が会話を引き継ぐ。生物学的な見地からダニエルソン博士が調査を行うことになったが、大学では現在計画されている南極探検のプロジェクトに多くの人手を割いていて猫の手も借りたいというのが実情だった。特に清教徒的な者が多いニューイングランドでは「未知の生物の死骸」などというだけで十字を切って逃げてしまう者は決して少なくなかったから、大学でもこうした話に慣れているシンプソンに声がかかると人が集められたという事情らしい。
シンプソンはキャサリンたちに研究の助手を頼むとともに、警備員としてアルバスを雇ったことも説明する。死骸の移動のために軍から大掛かりな設備を借りたこともあって人を雇う必要があるが、先の事情からやはり怪奇譚に抵抗がない人物が好ましく彼に白羽の矢が立てられたという次第である。警備そのものは楽な仕事だろうから、雑用も一緒に頼まれてほしいとは都合のいい本音だが未知の生物が見れるとあればアルバスにも否やはない。
各々には客室が、アルバスには貨物車両に据えられた仮眠用のベッドとロッカーが割り当てられる代わりに各車両に入るためのカギと防弾ベスト、いかにも物騒な軽機関銃と交換用の弾倉も預けられる。アルバスもさすがに触ったことのない代物だが、丁寧な教練本が付属していて腰だめにしっかりと構えて撃てばかなりの殺傷力がありそうだ。もっとも、こんなものを使う機会はある筈もないしあって欲しくもない。
まずは前々回シナリオ、湖畔の洞窟でグラーキと接触した者は神話技能を上昇、この時一時的狂気に陥ったアルバスは雷恐怖症を発症している。また前回シナリオでエリック・ミ=ゴの電撃銃で死にかけたキャサリンも雷恐怖症を取得していて、これはまったくの偶然だが、つまり次回以降雷が鳴り響くシナリオを書かなければならないという黒い人のおぼしめしだろう。ちなみにこのキャンペーンでは毎シナリオ開始時には正気度を初期値に戻すルールを採用している。以前の探索で発見されたグラーキの黙示録と魔女の日誌はそれぞれミスカトニック大学の図書館に寄贈された。
ソルトバレーのモデルはもちろんソルトレイクシティ。怪しい露天はシナリオとは関係のないイベントで、ここで買い物をした探索者は1d6を振って以下の品を手に入れることができる。ほとんどがガラクタだがヘンリーは聖書と福音書、キャサリンは民芸品を、アルバスは髪飾りを手に入れていた。エドワードが買ったオカルト本は夜中に読みふけったことで正気度判定を行う羽目になるが、褒美としてオカルト技能も上昇させることができる。
1 一見してふつうのオカルト本
2 一見してふつうの聖書と福音書
3 一見してふつうの民芸品
4 一見してふつうの髪飾り
5 一見してふつうの宝石飾り
6 ニャルラトテップが化けた土産物
列車の編成は以下の通り。もともとこの時代の鉄道は鉱山で坂道を下るトロッコから派生したもので、客車よりも貨物車量を数十両連ねるのが常だった。今回彼らが乗る列車も合計で三十両もの編成になっているがこの手の鉄道としては決して長すぎるといえるものではない。
01−02 機関車
03−06 一般用の客車
07−08 食堂
09−10 関係者用の客車
11−14 貨物:前から警備室・会議室・資料室・研究室
15−30 貨物:その他一般貨物
シンプソンに見せてもらった写真はキャサリンが[写真術]判定に、ヘンリーが[オカルト]判定に成功している。ちなみにウナギの稚魚というのはレプトケファルスのことで、透明で波打つ身体をした神秘的な生き物だが大きなものでは体長1メートルから2メートルになる個体も確認されている。
アルバスに渡された機関銃は旧式のトンプソンで、装弾されている20発の弾丸を一斉に連射することができる。技能を持っている探索者が誰もいないが、全弾を一斉に連射、かつDEXの1/3距離メートルから零距離射撃をすると60%の確率で1d20発の弾丸が命中するルールにした。予備の弾倉は交換に1ターン(12秒)が必要で、防弾ベストは物理的なダメージのすべてからダメージを1軽減することにしたが、後々これが重要な意味を持つことになる。
ダニエル・ダニエルソン博士 61歳男・生物学の博士
STR10 CON10 SIZ13 DEX10 APP10
INT17 POW07/SAN35 EDU20
主な技能(%)
生物学90・博物学90・目星80
2.大陸横断鉄道
昼食を終えて、貨物車両に戻るとダニエルソン博士はさっそくサンプルの調査に、シンプソン教授はこれまでまとめられていた資料の整理を始める。ヘンリーとアルバスが博士と研究室に向かい、エドワードとキャサリンは資料室で教授を手伝うことにするが、山のように積まれている紙束を見るにどうやらシンプソンはこの類の整理が得意ではなく、これを片付けてもらうために彼らを呼んだのが本来の目的だったのだろうと思わされる。
エドワードは元来がペンとタイプライターを扱う職業に属しているが、彼の得意は冒涜的な執筆の数々であって散文的な資料は得意とするところではなく芳しい成果が得られたとは言い難い。教授が書いた「西海岸一帯で知られる海底都市に関する伝承のレポート」などは彼には垂涎の内容だが、手をつけたが最後仕事など忘却の彼方に去ってしまうから泣く泣く触れるのを断念する。とはいえ漂着物に関するダニエルソンのレポートも興味深さでは劣らず、先ほど説明された、胃の残存物から発見された未知の生物の特徴に関する記述を見つけるとつい読みふけってしまう。サメの胃壁や腸壁の損壊がきわめて激しく、おそらく内部から傷つけられたものと考えられて捕食された上で体内に寄生する類の生き物ではないか、という記述まで読んだところで、がたんと椅子が倒れる音がして驚くとキャサリンが呆然とした表情で床に屈んでいるのが見えた。
「キャサリンさん、キャサリンさん!?」
「くおんにふしたるものしす・・・え?ええ?御免なさい、いえ、大丈夫」
一瞬、死人と見まごうほど蒼白な顔色を見てぞっとするが、すぐに落ち着いた様子でしばらく椅子に座らせていると顔色もすぐに戻ってくる。何やら奇妙な言葉を口走っていたが当人はまるで覚えていないらしく、考えてみればマサチューセッツからソルトバレーまで彼女一人に運転をさせていたのだし疲れが溜まっていたのかもしれない。これはヘンリー・マグワイヤにもっと彼女を助けてあげなさいと言うべき懸案であるとエドワードは考えたが、それで彼女が目にしていたレポートの内容には誰も気が付くことはなかった。
『漂着物が打ち上げられていた場所からサンプルの生息域を推察するにおよそ南緯四十度から五十度、西経百二十度から百三十度の海域が推定される。これは1925年にヴィジランド号の海難事故があったいわゆる太平洋到達不能極に近く、西部沿岸地方の伝承で知られている海洋都市ルルイエが眠る場所である。幾つかの証言と、過去に発見されている漂着物の存在からもこの近海に遺構がある可能性は否定できない。以下に伝承の概略を詳述する。星々がおぞましく並ぶときクルウルウの祭祀は目覚め・・・』
エドワードたちが資料の整理を進めている間、研究室ではダニエルソンが調査を続けていたが、死骸はマイナス4度の海水を満たした水槽に収められていたから厚い外套を着こんでも部屋は寒くて仕方がない。本格的な調査は大学で行われる予定になっているとはいえ、博士にすれば据え膳を前にして我慢ができない心境なのだろう。
アルバスは専門的な知識がないに等しいから専ら雑用と肉体労働に専念していたが、ヘンリーは専門的ではないにしても意外に器用で博識なところもあり、死骸に触れないよう内臓からサンプルを取り分ける作業を手伝わされたりもしている。爽快とは言い難いがカエルの解剖を思い出して童心を刺激されないでもなく、童心という点では誰にも勝るだろう博士はサンプルに近づけた拡大鏡を熱心に覗いていたが、唐突に頓狂な声を上げると二人を驚かせる。
「どうしました?」
「これは!これは大変な発見だよ君たち!」
胃の残存物から未知の生物の特徴が確認された、それが今回の研究が本格的に行われることになった事情だが博士が調べたところ更に異なる生物の特徴が存在することが判明したらしい。一つはこれまで見つかっていたもので哺乳類とも魚類ともつかない生き物の特徴を有しているが、新しく見つけた特徴は群生体のように同じ生き物が機能別に集まったかたまりのように見える、つまりサメに捕食されていた未知の生物は二種類存在する!ダニエルソンはアルバスとヘンリーの手をそれぞれ握って上下に振ると、目には興奮の色を隠せないでいた。
気がつけば夕刻を過ぎて、いったん客車に引き上げると食堂車で夕食がふるまわれる。鉄道は運河に比べれば多くの物を運ぶことはできないが、速さでは比較にならないし線路もまっすぐに伸びていたから揺れもさほど気にせずに過ごすことができる。こうした鉄道はもとは鉱山で使われていたトロッコを起源にしていて、後に大陸を横断する線路が敷かれると蒸気機関車を走らせたが短い歴史の間に事故と無縁だったという訳にはいかず、木造の脆い車両が大破したり重い鉄製の車両が支えきれず橋が落ちたりといった記録が残されていた。
彼らは客車と貨物車量の一部を貸し切っていたが、列車には他の車両も連結されていて客車には少ないが他の乗客も乗っている。食堂は共用で、軍用の払い下げと思しき既製品のプレートと薄い珈琲が用意されていたが、味は悪くないし内装もそれなりに凝らされていて充分に列車の旅を楽しむことはできた。彼らの他には三人ほどの客がいて、いささかくたびれた服を着た中年の男、派手だが美人の女、浅黒い肌をした小柄な男がいるが、それぞれこちらを気にしているように見えるのは仕方のないことだろうか。既製品のカップをはさんでくつろいでいたところに、話しかけてきたのは中年の男性だった。
「申し訳ないが、後ろの貨物車両に乗っている方々だろうか」
男は雑誌記者のアリソンと名乗り、この列車に積み込まれた荷物について伺いたいことがあるので時間をとって頂けないかと率直に尋ねてくる。くたびれた服に動きやすそうな靴を履いていて、あまり身ぎれいとは言い難いが不潔というよりも不精なだけで記者というのはこのようなものなのだろうかと思わせる。ダニエルソン博士は先ほど発見した内容をレポートにまとめようと早々に引きあげていたから、シンプソンが話を聞くと明日の朝この場所でお話をしましょうと請け合った。
シンプソンが記者に応対していた頃、研究室に戻ったダニエルソンは昼間の発見がよほど気になっていたらしく、資料をまとめるとテーブルの上に積み上げていたが、手伝うつもりで同行していたエドワードは博士の様子が興奮だけはなく不安を感じているようにも見えて不審に思う。未知の生物が新たに発見されたといえば、生物学者の博士にとっては宝を見つけたにも等しい筈ではないのだろうか。
「どうかなさったんですか?」
「いや。私の憶測に過ぎないがあまり気分のよい憶測ではなかったものでね」
博士が新たに発見した、群生体と思われる生き物はふつうは同じ生き物が集まると、あるものは感覚器官であるものは消化器官、またあるものは触手といった具合に別の機能を受け持ってまるでひとつの生き物のようにふるまうことができる。だが発見された生き物は宿主の内臓や筋肉、脊椎にも侵食するとこれらの機能を肩代わりしていた痕跡があり、極端なことをいえば寄生した宿主を乗っ取ろうとしていたようにすら見えた。そんな生物など今まで見たことも聞いたこともないが、これが事実だとすれば大変な発見であると同時になんとおぞましい生き物であろうかとも思う。
「標本を見る限り、この生き物は宿主に寄生しただけではなくそれを捕食したサメの内臓にも侵食していたように見える。もちろんもっと単純な寄生生物だったという可能性もあるが、いずれにしても大変な生命力なのだよ」
教授の資料を整理している間にキャサリンが目にしたのは海底に眠る大いなるクトゥルフに関連した記述である。普通の人間がこれを目にしても何の影響もないが[クトゥルフ神話]判定に成功したキャサリンはルルイエと大いなるクトゥルフの姿が脳裏に浮かんだ上に正気度判定にも失敗、危うく一時的狂気は免れたがこの体験で更に神話技能を上昇させている。
食堂車では他の客に対する探索者からの追及はなし。警察官のアルバスが職業柄か、彼らの様子を見ておきますという宣言をした程度で、小柄な男が熱っぽい視線でこちらを見ていたことに気が付いたがまさかそれで職務質問をするわけにもいかなかったようだ。ちなみに彼らに話しかけてきた雑誌記者のアリソンにもう少し詳しい話を聞こうとした場合は、彼がカラテを習っていることと、過去の鉄道事故を挙げてたとえ便利でもこういう危険なものが街中を走ることには感心しないと考えているのを知ることができる。参考までにこの当時に発生していた鉄道絡みの大事故は以下が知られている。
1910年インディアナで正面衝突事故。
1913年ロサンゼルスで大勢の死傷者を出す事故。
1918年テネシーで正面衝突、その後車両が木製から鉄製に変わる契機になった。
また、ここで博士と行動を共にしたエドワードには昼間に失敗した[図書館]判定で得られる筈だった追加情報を与えることにした。つまり当初のシナリオでは資料の調査でサメの死骸が内側から損傷していることを確認、研究室の調査で未知の生物が二種類いることを発見するという流れだったわけである。更にエドワードは博士がまとめているレポートがテーブルに積まれていることにも気付いたが、残念なことに資料の内容はその後の展開の都合上、誰にも読まれないままで終わることになる。
ちなみにこの間、他の探索者たちはおなじみのお遊びとしてシナリオとは関係のない技能判定に挑戦。アルバスは警備室に戻ると湖畔の家で借りていた知恵の輪に再び挑戦して今度は[鍵開け]判定に成功。食堂車では[芸術/ピアノ演奏]に成功したキャサリンの伴奏を聞きながらヘンリーがダーツゲームで[投擲]判定に挑戦するという大陸横断鉄道の旅っぽいひとときを過ごしていた。
3.不審な乗客
列車は荒野を西から東に横切りながら走り続けて止まることがないが、時計の針が零時を回る頃には車両のあちこちでは灯が落とされて乗客たちも客室に引き上げている。ヘンリーやキャサリンはもちろん、エドワードも今頃は自室のベッドにいる筈だが、もうしばらくと研究室に残っていたダニエルソン博士は深夜を過ぎてようやく立てこもっていた部屋から出ると警備室の前にふらふらと現れる。アルバスは湖畔の家で借りたままでいたチャイニーズ・リングが解けたことに機嫌をよくしていたが、それで仕事を忘れることはなく、流石に遅くなったので部屋で休むつもりだというダニエルソン博士から、早朝には続きを調べるつもりだからそれまでの警備を頼まれる。
博士の姿が客車に消えるのを見送ると、しばらく警備室に据えられた椅子に腰かけて列車が揺れる音を聞いていたアルバスだが、それから一時間もしただろうか、誰かが貨物車両に近付いてくる気配に気が付いた。こちらも足音を立てないようにして、客車に繋がる扉を先んじて開けるとそこには浅黒い顔に驚いた表情を浮かべた小柄な男が立っている。
「どうかなさいましたか」
「いや。すまない。間違えた」
アルバスの質問にそそくさと男は戻って行くが、そもそも列車は前に走っていて彼らの客車は食堂車よりも前にあるのだから何を間違える筈もない。とはいえアルバスも男を追及することはせず、警備室に戻って時計を見ると時刻は深夜の一時を過ぎた頃だった。
再び警備室の椅子に戻り、振動に心地よく揺られる単調な時間が過ぎて、更に夜が更けたところで時計を見ると明け方にはまだ幾分早い時間であることが分かる。やはり車両の前方、客車で物音がしたように思えたアルバスは立ち上がると警備室から通路に出て、車両を繋ぐ扉をそっと開ける。視線の先に見えたのは今度は小柄な男ではなく女性の後ろ姿だが、先方はこちらに気付く前にそのまま車両の向こうに消えてしまう。どうも彼が思っていた以上に同乗している客には不審な者がいるらしく、彼らに比べれば堂々と名乗ってきたアリソン記者はよほどまっとうな人間らしい。
東に向かう列車は朝日が昇るのも早く、日差しが車両に浴びせられる姿は遠目にも壮観に違いないが、残念なことに窓のない貨物車量に設けられた警備室でアルバスがそれを味わう手段はなさそうだ。朝の六時頃になるとダニエルソン博士がやってきて、寝ずの警備を労うとしばらく資料を整理してから研究の続きをするつもりでいるという。アルバスも夜中の出来事を伝えると、早めの朝食でもしてくるといいと言われてありがたく食堂車に向かったところでほどなくヘンリーやエドワードたちも現れる。九時になればシンプソン教授がアリソンとの対談をするつもりでいたから、アルバスとキャサリンはそちらに付き合ってエドワードは博士の手伝いに、ヘンリーは他の乗客が気になるので客車の方を見てこようということになる。一昼夜くらい寝ないことは仕事柄慣れてはいたし、好奇心の方がはるかに勝っていた。
九時になって、客車に現れたアリソン記者はくたびれた外見のわりに礼儀をわきまえた人物で、不躾で急な頼みを快く受けてくれたシンプソンにはもちろん、同席したアルバスやキャサリンにも深々と頭を下げると率直に質問を切り出した。列車が西海岸で発見された生物の死骸を運んでいることは彼も取材をして知っているが、それに軍が関わっているのは穏やかに思えないこと、危険なものであればボストンのような大都市にそんなものが運ばれるのは見過ごせないのだと語る。
「仔細を知ることは市民の純粋な気持ちではないだろうか」
「まったくその通りですな。我々も配慮が欠けていたようです」
シンプソンも嘘をつくつもりはなく彼が知っていることを説明する。西海岸に打ち上げられた死骸から未知の生物の残骸が見つかった可能性があるので大学で調べることになったこと、軍が関わっているのは周辺の治安が悪いこともあるが、何よりも死骸を運ぶための冷凍設備を軍が持っていたからであること、研究内容についてはミスカトニック大学で公開できるようにすることも約束する。対談は穏やかに進んでそれなりの時間が経ったところで穏やかに終わると思われたが、それが遮られることになったのは食堂車の外で起きた騒動が原因である。それも、前と後ろの双方からであった。
ヘンリーは対談には付き合わずに食堂車の更に前に向かうと一般用の客車の様子を窺っていたが、しばらく何もなく流れていく窓外を眺めているとこれならキャサリンたちと一緒に対談に付き合ってもよかったかと考えていた。だが一時間ほどが過ぎたろうか、通路の向こうが騒々しくなると男女が争っているような声に軽い銃声のような音が続き、慌てて様子を見に行くと一両二両と扉を開けたところで視界に入ったのは小柄な男が倒れてうずくまっている姿と客室に駆け込んで扉を閉めた女の姿だった。倒れている男を慌てて助け起こす。
「おい!大丈夫か」
「おぞましいものを運ぶ鉄のかたまりよ。森と大地が侵されることを黒い山羊は認めない。認めないのだ・・・」
熱っぽい目のままつぶやいている男は脇腹を銃で撃たれたらしく、かろうじて意識は保っていてヘンリーは両手を血で汚しながら止血する。あまり手際よくとは言い難かったが命に別状はなさそうで、何があったのか尋ねるが男の返答が要領を得ないのは怪我のせいではなく彼が精神の平衡を欠いているかららしい。
辛うじて話を聞き出すと、カレタカと名乗る男は大地の山羊族というインディアンの出自で部族のまじない師の孫だという。彼らはソルトバレーに近い西部地域の森で狩猟と採集生活を送っていて、熱っぽい視線や言動と合わせて世慣れていないように見えるが実際に列車に乗るのも初めてらしかった。このような鉄のかたまりが大地を走り森に立ち入るのは好ましくない、海の眷属が森と大地を侵すことを黒い山羊は認めないのだとひたすら繰り返していて、少なくともこの列車が何を乗せているかを彼は知っているようだ。
「そのおぞましいものとは何だ?さっきの女は何か知っているのか?」
混乱するばかりの状況でヘンリーは必死に話を聞こうとするが、カレタカの返答はやはり要領を得ないままで、おぞましいものはここにもいる、あそこにもいると女の部屋と、ずっと後ろの車両のそれぞれを指さしてみせる。部屋に踏み込んでよいものかヘンリーは思案するが、少なくとも走っている列車から女が逃げる心配はないだろうし、彼自身はヤンキー・サリヴァンでもトム・ハイアーでもなかったから素手で拳銃を持った女を取り押さえられるとも思っていない。それでも扉を何度か叩いてみるが返事はなく、さてどうするかとあごに手を当てたところで列車があり得ないほど大きく揺れるとまるで巨大なかたまりがひしゃげるような耳障りな音が鼓膜に響く。声のない叫びを上げるように大きく目と口を開けたカレタカの様子を見るまでもなく、後ろの車両で何かとんでもない事態が起きたことを知ったヘンリーは転げそうになるのをこらえながら、友人たちがいる車両へと駆け戻った。
今回、三人の乗客は三人ともそれぞれの思惑を持って列車に乗り込んでいる。大手ゴシップ誌の記者をしているアリソンは仕事柄胡散臭い外見をしているが性格は常識的で、軍隊が関わるような荷物が、列車という大事故を起こしている手段で大都市ボストンに運ばれることに批判的なだけの人物である。女性はビーティというフリーの雑誌記者で、過去に大きな記事をすっぱ抜いたこともあるが取材方法が強引で犯罪まがいのことも辞さないので同業者には嫌われている。アリソンに詳しい話を聞けば彼らは互いのことを知っているので情報が得られる筈だった。小柄な男、カレタカはインディアンの出自で、夜中に彼を見かけたときにシンプソンの部屋を訪ねていたので彼に聞けばやはり多少の情報を得られる筈だった。ちなみにアルバスは警備をしている間、一時間ごとに[聞き耳]判定を行っているが客室を行き来する者に気付くことができたのはカレタカが訪れたときだけだった。
実はシナリオを書いた時点では探索者たちが分かれて行動する可能性を失念していて、この先の展開に一人では危険なものをいくつか用意していたので誰も犠牲にならないよう恐々としながら進めることになってしまったのは反省。アルバスに防弾チョッキを渡したり、応急手当ができるアリソンを登場させてもいたが、例えばヘンリーがこの時点で一人で女の部屋に入ろうとしていたらかなり危険な目に遭っていただろう。
A・アリソン 51歳男・大手ゴシップ誌の記者
STR11 CON16 SIZ14 DEX08 APP08
INT10 POW14/70 EDU14
主な技能(%)
応急手当80・写真術80・説得50・歴史50・パンチ80・キック50
B・ビーティ 41歳女・フリーの雑誌記者
STR10 CON10 SIZ12 DEX16 APP16
INT12 POW06/30 EDU15
主な技能(%)
言いくるめ85・鍵開け91・忍び歩き90・拳銃60
カレタカ 31歳男・大地の山羊族のインディアン
STR13 CON10 SIZ08 DEX13 APP11
INT13 POW17/85 EDU13
主な技能(%)
オカルト85・英語30・応急手当80
4.できそこない(DEFECTIVE THING)
アルバスとキャサリンが対談に同席して、ヘンリーが客席の周囲をうろついていた間。エドワードは遅めの朝食を終えると一足先に研究室にこもっていたダニエルソン博士を手伝うために、列車の後ろに向かうと貨物車両に続く扉を開ける。警備室を過ぎて、扉を開けると更に会議室、資料室にも博士の姿はなく、そのまま研究室を探そうとするが扉には向こうから鍵がかけられていた。首を傾げて、扉を叩いてみると返事がないが走っている列車で向こうにどれだけ聞こえているかは疑わしい。警備室に合鍵が吊るしてあることは彼も知っていたので、いったん戻ってから鍵束を拝借すると再び研究室の車両に戻る。
扉を開けてすぐに気が付いたのは室温が奇妙に上がっていることで、部屋の床が水びたしになっていることだった。思わず博士の名前を呼び、慌てて駆け出した靴裏で水たまりを踏むと部屋の中央には壊れた水槽が見えた。いや、壊れた水槽から黒っぽい玉虫色をした巨大なかたまりがあふれて激しくうごめいている姿が見えた。それは悪夢のような姿をしていて、原形質の小さな泡でできた不定形のかたまりが体全体から微光を発している。巨体の前面でちかちかと点滅する緑色の光は、そこから無数の目が生まれたり消えたりしているように見えた。正面にはこのおぞましい化け物が世に解き放たれるのを防ごうとした哀れなダニエルソンの上半身が垂れ下がるように生えているが、体中から黒いタール状の粘液があふれると目と口と耳と鼻から飛び出して、ぱん、と破裂する。絶望的な叫びを上げたエドワードは客車を越えて食堂車にいる友人たちに助けを求めることはできたが、研究室に散乱するダニエルソン・レポートの内容に目を通すことはできなかった。
『サンプルの胃の残存物から二種類の生物の特徴を確認。一方をふかきもの(DEEP ONE)、一方をできそこない(DEFECTIVE THING)と表記する。ふかきものは骨格の形状が特徴的で哺乳類にも魚類にも類縁する特長を有している。できそこないは単純な群生体としての特徴を持つ一方で、極めて複雑な機能を有していたとも思われる。
『できそこないは高い可塑性と延性を持ち、この特性のために一定した形状を持たずにいることができる。できそこないは蛋白質を補食する際に一定の情報を細胞に記録し、記録した情報に従い変異を発症させる。この特性を証明するために、外部から情報を与えることで意図的な変異を起こすことができるかを試みる。
『できそこないが宿主の胃壁に寄生しながら神経から筋肉まで侵入した形跡が認められる。できそこないは外部から取り込んだ情報に基づいて自己を変化させることで、寄生した宿主に似た活動を行うことができたと推察される。彼らはふかきものの脊椎や脳を模倣して群れの中で同等の生物として振る舞っていた!
『できそこないは不活性状態では細胞が圧縮されてごく小さくなり、充分な二酸化炭素が存在し温度が摂氏15度を超える状況下で補食活動を開始、さらに35度以上になると急速に活性化して最小時の数十倍から数百倍の大きさに変異する。低温の海水に浸かっている状態で活動を開始する様子はないが、不活性状態で数十年以上も死滅することがなかった生命力には驚嘆させられるしかない。いったいどうすればこの生き物は死ぬのだろうか・・・。
叫んだことでかえって理性を取り戻したエドワードは、水槽や装置が壊れていてものの役に立ちそうにないのを見てとると扉を固く閉めてから前方の車両に向かって駆け出した。生きているものの存在を知って歓喜したのであろう、化け物が激しくぶつかった音が聞こえると一撃で鉄の扉がひしゃげたのが分かる。
そのまま食堂車まで駆け込み、息を切らせているエドワードの様子を見てシンプソンが尋常でない事情を察するとすぐにヘンリーとカレタカもやって来る。痛々しい姿をしたインディアンは海の眷属が解き放たれたことに絶望と決意のこもった声を上げると祖父のまじない師から「黒い山羊に海の眷属を鎮めさせる」儀式を伝えられていることを明かし、お前たちの協力が必要だと熱っぽい目で主張した。アリソンなどはいったい何の冗談だという顔をしているが、列車が激しい音とともにきしみ、揺らされると事態の深刻さを理解する。
シンプソンが雑誌記者の手を引いて車両の前に進み、アルバスは急いで貨物列車まで駆け戻ると警備室のロッカーを開けてサブマシンガンを引っ掴む。すでに車両を隔てている鉄製の扉があり得ないほどに歪んでいて、すぐ向こうで化け物がどすんどすんと巨体をぶつける音を立てている。勇敢な青年がきしむ扉の前で弾薬の込められたカートリッジを装填している間にインディアンを連れたエドワードとヘンリー、キャサリンたちもやって来た。大きな炭を手にしたカレタカが床に奇妙な円模様を描き、彼自身が中央に立つと手を繋いだ三人が囲うように円になる。
インディアンが唱える長ったらしい文言が壁に響き、厚い鉄の板にかたまりが叩きつけられる音がして車両が震えるようにきしむ。生唾を呑み込んで、腰だめに銃身を構えるアルバスの後ろであやしげな儀式が始まると激しい祈りと呪文に身振りが加わるが、再び鉄扉に衝撃が加わると車両が激しく揺れて、鉄壁を支えている柱の一本があり得ない形に曲がったことに気付かされる。あんなきちがいじみた儀式にはたして意味があるのか、列車をひしゃげさせるような化け物に機関銃がものの役に立つのか、アルバスは恐怖に目を剥くが、背後に友人たちがいなければとうに逃げ出していたかもしれない。あるいは間に合わないかとも思えたが、儀式はいよいよ最高潮に達すると円を囲んでいる三人の全身から力が吸い取られるように抜けてひざが揺れている。正気を失った顔をしているインディアンが呪文の最後の文言を叫ぶと同時に、懐にしのばせていた儀式用の匕首を大きく振り上げた。
「森の黒山羊が孕みし千匹が仔の一人!いあ・しゅぶ・にぐらす!いあ・いあ!」
あろうことか、カレタカはその禍々しい刃で彼自身ののどを真横にかききると、絵の具のように真っ赤な血が彼の正面にいたキャサリンに浴びせられる。目の前で人が死んで、全身が血まみれになったキャサリンは精神の糸がぷつりと切れたように茫然自失のままその場に釘付けになってしまい、今更のようにインディアンの身体がどさりと倒れるのと、針金が弾けるような甲高い音とともに耐え切れなくなった扉が破られるのが同時だった。隙き間から泡立つかたまりの姿が見えると幾つもの目が一斉に睨みつけて、アルバスは恐慌寸前の精神を押さえつけるように引き金に伸ばした指に力を込める。
至近距離から放たれた弾丸の雨が浴びせられて、かなりの肉片を飛び散らせるが化け物は構わずに大きく伸び上がると鉄の扉すら壊す力で人間を叩き潰そうとする。アルバスが巨体の下敷きにならずに済んだのは弾丸で削られた分だけ化け物の一撃が届かなかったからで、振り下ろされた触腕が列車の床どころか車両の連結器まで粉砕する。ひしゃげた壁や扉が線路と車輪の隙間に巻き込まれて、激しく列車が揺れるととうとう脱線して後ろの車両から横転してしまう。列車も急ブレーキをかけて停止するが、全員が無防備なまま宙に投げ出された。
「キャシー!?」
「キャサリンさん!」
血まみれで立ち尽くしていたキャサリンがほとんど正気を失っていたことにヘンリーもエドワードも気付いていたから、二人がほとんど同時に彼女に飛びつくと抱えるようにして身を縮める。横転した壁にたたきつけられると三人とも衝撃に意識を失ってそのまま動かなくなり、アルバスも激しく身体を打ちつけるが軍用のベストのおかげで辛うじて意識を保つことができた。瞬間、青年の脳裏には彼らがたどり着くことのなかった最悪の未来が見える。
(シュブ=ニグラスの仔ら!母は願いを聞き入れた。汝らはシュブ=ニグラスの仔として助かるであろうよ!)
暗闇に浮かび上がる祭壇でけたたましく笑うおぞましい姿がかき消えると、横転した車両で、ひしゃげた鉄板の隙き間から身を乗り出してきた化け物が無様な巨体を這うようにひきずりながらゆっくりと迫ってくるのが見える。列車は切り立った渓谷に面した橋のすぐ手前で止まっていて、断崖の下には深さのある河が横たわっているらしい。周囲は深い森に面していて空は奇妙なほどに薄暗く、まだ消えずについている食堂車の明かりが辛うじてあたりを照らしていた。傍らに転がっていた機関銃を引っ掴むがもう一度化け物に挑むつもりも弾倉を入れ替える余裕もなく、頭を激しく振って、全身の痛みに耐えながらアルバスが彼の友人たちを探すとキャサリンを抱えたヘンリーとエドワードが投げ出されたまま動かない姿が見える。
倒れている三人に駆け寄ると、横転を免れていた食堂車からもシンプソンとアリソンが走ってきて、手を借りると三人を助け起こす。幸い化け物の動きはゆっくりとしたもので、走れば追いつかれることはないがどこに逃げ場がある訳でもない。絶望的になりかけたとき、深い深い森から重い振動が伝わってくると彼らが知る筈もない黒き豊穣の女神の声が聞こえたように思えた。
(森と大地が侵されることを黒い山羊は認めぬ!シュブ=ニグラスの仔がすべてを鎮めるだろう)
いつの間にか空は新月の夜のような闇に覆われていて、脳裏に聞こえたおぞましい言葉に続き、地面に重いものが落ちるかのようにずしん、ずしんと揺れると黒い影のような森をかきわけるように木々よりも背の高い巨体を揺らしながらのたうつ巨大なかたまりが現れる。それは大きくて黒くて何本もの太い縄のような腕をくねらせながら、木々をかき分けてそこらをまさぐるように這い寄ってくる。樹間から見えるねばねばしたゼリー状の体には、皺のよった幾つもの口がついてそこから緑色のよだれがしたたり落ちていて、黒い蹄のある足が支えている巨体は山羊というよりもおぞましい大木のように見えた。化け物の体中からただよっている墓場のような悪臭が鼻をつくと耐え難い不快さがこみあげてきて、彼らは自分たちがこのような冒涜的な存在を呼び出したことを後悔とともに思い知らされる。それが近付いてくるにつれて脳裏に黒き女神の声が響き、意味のない絶叫が頭蓋の裏を槌でたたくかのようにがんがんと打ちつけてくる。
何本もの触肢をくねらせた化け物がいよいよ勢いよくのしかかるようにぶつかってくると、できそこないは耐えきれずにずるずると列車から押し出されてしまう。うねうねとした触肢が絡みついて、無数の目を開いた化け物に無数の口がある化け物が覆いかぶさった。できそこないは必死に抵抗するが、黒い仔山羊は体ごとからみつくと幾つもある口がむしゃむしゃと化け物にかぶりついて、その姿を見ただけできがくるいそうになる。抵抗する化け物が黒い仔山羊の体内で暴れると、いっそう暴れまわった仔山羊は列車のあちこちをどすんどすんと踏み潰しながら暴れまわり、そのまま崖に近付くと足を踏み外して身を投げてしまう。巨体が岩壁を削り、ゆっくりとゆっくりと、ゆっくりと河に落ちると大きな飛沫が舞い、水の柱が高く伸びてから横転した列車に時ならぬ豪雨を浴びせかけて、周囲をびしょ濡れにすると深く水底に沈んだ二つの巨大な化け物はとうとうそれ以上浮かび上がることもできなくなってしまった。その有様を見ていた全員が、力が抜けたようにその場にへたり込んで自分たちが見てはいけないものを目にしてしまったことと、辛うじてすべてが平穏に戻されたことを知ることができる。
今回のシナリオでは、各登場人物は時間ごとにそれぞれのスケジュールに従い行動をしていたが、夜中に執拗に警備室の様子を探っていたベティは午前五時頃にアルバスの目をかいくぐって後部車両に侵入、研究室に入ると資料やサンプルを手当り次第に調べた上に水槽の冷蔵装置を切ってしまっていた。その後、ダニエルソン博士は戻って来るとしばらく資料を整理してから研究室に移動したが、ここで室温が上がっていることに気付き水槽に近づいたところで化け物に襲われてしまう。このおぞましい生き物が世に解き放たれることを恐れた博士は扉に鍵をかけるとそのまま殺されてしまった。
ちなみに資料室と博士の部屋、あるいはベティの部屋のそれぞれにはこの化け物に関する博士のレポートやその写しが置かれていたのだが、展開が予想とずれたためにそれらのすべてを読む暇がなくなってしまった。そのためにダニエルソン博士ができそこないと名付けたこの生き物に関する情報が手に入らないまま事態は動き出している。できそこないは海底都市ルルイエで深きものどもが使役していたショゴスの亜種で、ルールブックの記載と比べると特徴や弱点が異なるものになっている。本来の半分のサイズと能力しか持たないが、人間が殴られれば一撃で死ぬ可能性は充分にある。
カレタカの儀式に参加するメンバーについては、アルバスがマシンガンを手に護衛に立つと宣言したので、エドワードとヘンリー、キャサリンの三人が選ばれている。NPCがあまり参加してもつまらないので(!)シンプソン教授とアリソン記者は食堂車に残って頂くことにした。できそこないが壊そうとした扉の耐久力は30あって、一撃を受けるごとに近くにいる者は正気度判定を行っている。儀式は3ターンで完成、MPは協力者たちから受け取っているが儀式にはSIZ8以上の生け贄が必要なのでカレタカは自分自身を犠牲に捧げている。儀式に協力した三人のうち1d6を振って正面にいたキャサリンが正気度判定を行い、一時的狂気を発症したのは気の毒なヒロイン役ならでは?
列車が横転、投げ出された者は跳躍または回避判定に失敗すると1/1d6のダメージを負わされている。今回シナリオのメインとなる正気度判定の後に物理ダメージが続く命名みなごろしコンボは一時的狂気に陥ったキャサリンが自動的に回避失敗、ヘンリーとエドワードもショックロールで気絶してしまうが、アルバスは防弾ベストのおかげで辛うじて意識不明にならず、ショックロールにも成功することができた。実はここで探索者が全員行動不能になった場合はBAD END直行になる予定で、探索者が全員気絶や狂気を含む行動不能になった場合、事件はカレタカが儀式で呼び出したものによって解決されるが、全員の視野が暗転するとどこかから騒ぐようなけたたましく笑うような声が聞こえてきて、途絶えた意識下でシュブ=ニグラスと遭遇する予定だった(正気度判定1d10/1d100)。事件は解決して全員が森の外で目を覚ますが、正気度がゼロになったものは永久的狂気、無事だった者も無意識のうちにシュブ=ニグラスの信者になる・・・。
カレタカが儀式で呼び出した黒い仔山羊を見た全員は正気度判定を行うと同時に、シュブ=ニグラスと接触したことでクトゥルフ神話技能を獲得する。黒い仔山羊と1/2ショゴスの能力はほぼ拮抗しており、シナリオとしては移動する列車でのアクション&二大怪獣大決戦というちょっと娯楽映画風の展開を意識してみた。
できそこない(1/2ショゴス亜種)
STR32 CON20 SIZ40 DEX03 HP30
攻撃方法 押し潰し70%・4d6・毎ターンHP回復+2・貫通無効・火無効
黒い仔山羊
STR44 CON16 SIZ44 DEX16 HP30
攻撃方法 触肢80%・4d6・STR吸収 踏みつけ40%・6d6
5.暁光
それからどれほどの時が過ぎたのか判然としない。空はまだ暗いままで、倒れた客車の方々で辛うじて燻っていた灯が消えると周囲はそのまま暗くなる。割れずに残っていたカンテラを拾い上げて、もう一度火を灯すと疲労と恐怖の極みにある皆の顔が見えるようになる。今更のようにカレタカの部族、大地の山羊族の伝承を思い出したシンプソンが、暗い森のシルエットを見上げながらつぶやくように口を開いた。
「彼らは森と暗闇に生きる人々で、おぞましいものが森に近づくことを望まなかった。彼らは我が身を賭しても森を守ることを行動で示したが、あれは多くの人にとって受け入れてよいものとは思えない。彼らは我々が森を切り拓くことも認めてはいないのだから、いずれ彼らの居留地を守るために我が身を張ろうとするのだろうね」
教授の言葉は軽々しく未来を語ろうとしていささか陳腐に聞こえてしまう。さしあたり重要なのは横転した列車に残されている人々の安否だが、車両の先頭で懸命にブレーキをかけた運転手や車掌が下りてくる姿が見えるがカレタカを撃って部屋に篭った女を捨て置くことはできそうにない。それは女の安全を気にしたからではなく、死んだカレタカが言っていたおぞましいものは彼女の部屋にもいるという言葉のためである。
全員が疲労も怪我も酷い有り様で、歪んで閉ざされた扉を無理矢理こじ開けるとそこにいたのは泡立つ黒い粘液に呑み込まれた人間のなれの果てだった。それは美しい女の面影を辛うじて残していたが、黒い粘液が目や耳や鼻から潜り込むと、内側から皮膚を突き破って全身から黒いタールのようなものが溢れている。生前にダニエルソン博士が言及していたように、それは寄生した宿主の肉体を乗っ取ろうとしていて、生きていた頃の面影を残している頭部はねじれて明後日の方角を向いていてその代わりになるものが泡立ちながら人に似た形をつくろうとしているかに見える。それはぼこぼこと泡立ちながら意思を持つかのように蠢いてもいて、かつては人間だった身体をぎこちなく動かすとおぼつかない足取りでゆっくりと腕を伸ばしてきた。
このおぞましい存在が世に解き放たれてはならない、彼らは正義感から化け物を正視し続けていたが、ありうべからざる未来を目の当たりにするとついに理性が抵抗を放棄してしまう。正気を失って客車の寝台に横たえられていたキャサリンは幸運だった。投げ出されて気を失うほどの怪我を負っていたエドワードは弱々しい肉体と精神の平衡が失われると、爛々と光らせた目が化け物に釘付けにされてしまい、あろうことかこのおぞましい生き物がすばらしい存在であるかのように思い込まされてしまう。化け物に吸い寄せられるようにふらふらと近寄ろうとしているエドワードの様子に、悪寒を感じたヘンリーは必死で羽交い絞めにするが、だらしなく開き切った口からよだれを垂らしている友人は自分が何を口走って何をしようとしているかすら気が付いてはいないように見える。
「おいエド!待て、エド!」
「ヘヘヘヘヘンリー?ヘンリヒマグワ?あれはすごい生き物だほら人がすごいことになってあれを受け入れるのですそうすれば僕は」
人が得体のしれない化け物に呑み込まれて人が正気を失っていく。精神の平衡を失っていたのはエドワードだけではなくアルバスもそうであった。死ぬような目にあって、化け物が化け物に食いついて、ちっぽけな人間はただそこに立っていたというだけで不幸にも巻き込まれて呑み込まれるだけの存在でしかない。半分泣きながら半分笑いながら、どうしようもない存在を見せつけられた青年は失われた理性のままに抱えていた機関銃の銃身を目の前に向けると弾倉が空になるまで撃ち尽くそうとする。それは正義を全うしようとする警察官の姿ではなく、恐慌に陥った暴徒の姿でしかなかったが、彼は銃口を向ける相手だけは間違えることがなくおぞましい化け物に向けて数十発の銃弾が撃ち込まれると泡立つ黒い肉体を削り取っていく。ヘンリーがエドワードを必死で抑え、アルバスが震える銃口を必死で抑えていなければ銃弾は化け物以外の誰かを傷つけていたかもしれない。
「あははははは!しねー!しねえええー!」
空になった弾倉がからからとまわりながら、撃鉄が空を打つむなしい音が続いても引き金にかけた指からはしばらく力が抜けず銃口も正面に向けられたままになっている。腰だめに構えた機関銃から撃ち放たれた銃弾は、女の体を化け物ごとばらばらに引きちぎると壁や床に散乱して、かつて人であった手や足の一部を残して肉片と化してしまう。ふるえた指先が放れるとようやく銃も周囲も静かになるが、ヘンリーはしばらく羽交い絞めにしたエドワードから腕を放すことができずアルバスも呆然としたまま理性を取り戻したころには空が明るくなっていることに気づくが、もとから昼間だったのかいつの間にか夜を越したのかすら彼らには分からなかった。
まだ蠢いていた肉片は手分けしてかき集められると崖から海に投げ捨てられた。結局、ソルトバレーからボストンに向かう大陸横断列車の横転事故は、軍が早々に車両を撤去すると大々的には公表されず処理されることになる。雑誌記者のアラン・アリソンは、事件をそのまま記事にしたところで採用してくれるのは「ウエイアド・テイルズ」のような如何わしい雑誌がせいぜいで、それで彼の記者生命が終わってしまうことを思えば断念せざるを得なかったものである。彼が名誉を得るためにはシンプソン教授がミスカトニック大学に持ち帰ることができた研究が進展することで、宇宙的な恐怖と神秘の一端が解明されることに期待するしかないのであろう。亡きダニエル・ダニエルソン博士のレポートは後に研究が進められた結果ショゴスと呼ばれる存在に極めて酷似していることが確認されると、研究者としてダニエルソン標本の名前が伝えられることになったが教授が実を呈して世界に広がることを防ごうとした「できそこない」が、海に落ちてその後どこに流されていったのかは誰も知る由がない。
(Scenario6:NORMAL END)
ショゴスの細胞を持ち出していたベティは襲われてそのままショゴスと化していた。もともとはできそこないよりも先にこちらと遭遇する想定のシナリオとなっていたが、放置する訳にもいかず扉を開けた探索者たちが正気度判定に失敗すると不定の狂気を発症、アルバスはヒステリーで笑い出すだけで済んだが、エドワードは「奇妙なものを食べたがる!」を発症してヘンリーに必死に取り押さえられていた。
できそこない(1/6ショゴス亜種)
STR10 CON06 SIZ14 DEX02 HP10
攻撃方法 腕を振り回す70%・1d4・毎ターンHP回復+2・貫通無効・火無効
ちなみに今回はNORMALエンドとなっていて、BADエンドは先述の通り探索者の全員が狂気または気絶を含む行動不能に陥ることで、この場合はシュブ=ニグラスと遭遇後に無事でいた者は彼女の信者になってしまう。一方でTRUEエンドの条件は1/2ショゴスと黒い仔山羊のどちらか一方には遭遇しないことで、考えられるのはベティが研究室に侵入するのを防いでショゴスを登場させない場合と、もう一つはショゴスが登場した場面でただちに列車の連結器を切り離して逃げることだろう。無責任な方法ではあるがホラー映画で生き残る方法としては決して間違えてはおらず、おそらくは軍隊に救出された後でとても信じられそうにないおそろしいエピソードを語ることになるのだろう・・・。
アルバス・T・フューリー 26歳男・警察官
STR13 CON11 SIZ16 DEX10 APP10
INT10 POW08/SAN40 EDU12
主な技能(%)
運転70・応急手当80・鍵開け51・忍び歩き60・目星75
回避70・組みつき65・英語60・クトゥルフ神話03
エドワード・B・ヘイズ 26歳男・ごく一部で売れている小説家
STR04 CON11 SIZ09 DEX13 APP08
INT12 POW12/SAN60 EDU13
主な技能(%)
オカルト62・心理学60・説得45・図書館65・ラテン語65・目星80・歴史50・歴史/日本20
精神分析51・天文学37・美術品/骨董品知識36・乗馬25
回避26・英語80・クトゥルフ神話10
ヘンリー・マグワイヤ 34歳男・無気力の会代表
STR10 CON12 SIZ13 DEX07 APP08
INT14 POW18/SAN90 EDU17
主な技能(%)
オカルト44・隠れる40・聞き耳90・水泳35・投擲83・跳躍41・博物学50・目星95
応急手当70・機械修理40・信用39・説得25・天文学12・薬学21・歴史40
回避14・英語85・クトゥルフ神話05
キャサリン・ブルック(NPC) 40歳女・不幸なもと教師
STR08 CON07 SIZ11 DEX05 APP12
INT14 POW08/SAN40 EDU20
主な技能(%)
信用85・説得50・図書館85・法律85・ラテン語81・フランス語61・歴史85
運転25・オカルト33・芸術/ピアノ演奏30・拳銃60
回避10・英語99・クトゥルフ神話14
サイモン・シンプソン(NPC) 51歳男・人類学部教授
STR06 CON17 SIZ12 DEX10 APP06
INT14 POW12/SAN60 EDU18
主な技能(%)
オカルト65・写真術60・心理学25・人類学81・精神分析61
図書館44・言語/インディアン諸語51・歴史50・経理30・考古学51・天文学51・拳銃40
回避20・英語90・クトゥルフ神話03
>CoCリプレイの最初に戻る