** Call of Cthulhu! Scenario#7:The Crawler in the Church **
1.輝くトラペゾヘドロン
人類にはユゴスと呼ばれている冥王星で「多面体」なる物体がつくられる。それは闇をさまようものと通じておぞましい英知を得ることができる道具であり、古のものと呼ばれる海百合のような姿をした存在によって地球に持ち込まれたが、やがて彼らが支配する南極文明が滅びると多面体も海の底に沈み、その後幾たびか発見されては失われることを繰り返した後に時を経て古代エジプトの王に献上されたと言われている。
星の知恵派という宗教団体はこの多面体をエジプトの廃墟で発掘すると彼らの教会に持ち込み、そこをおぞましい学問の府にしようとしたが今から五十年ほど昔に告発されると教会は閉鎖されて信徒たちも離散した。
「暇だな」
「そうですね」
ヘンリー・マグワイヤの家をアルバス・フューリーが訪れていた理由は彼らが暇だったからに違いないが、暇な彼らがやることといえば天井に浮かんでいる染みの数を数えるとか、手ずれのしたベースボールの握りを確かめるとかおよそ生産的な活動にほど遠いものだった。自分では常識的な警察官だと信じているアルバスは、先日来彼が遭遇した不可解で冒涜的な事件の幾つかを思い出すと癖のある頭髪をかきまわしているが、幸い理性は彼の友人であるらしく常識的な自問自答が返されると気分も落ち着いてくる。
若い友人と同じく不毛な時間を過ごしていたヘンリーが冷めきった茶を沸かしなおそうかとソファから腰を上げたところで耳ざわりな電話のベルが鳴り響く。受話器を持ち上げて、やや声の調子が高い交換手に取り次いでもらうとひどくせっぱ詰まった様子をした女性の声が聞こえてくる。電話はすぐに切れてしまい、交換手に尋ねるがいくら呼び出してもらっても応答がない。それがヘンリーの知人であるキャサリン・ブルックの声であることに彼はすぐに気がつくことができた。
「助けて!ヘンリー、助けて!あれは私がここにいることを知っているのよ。尖り屋根が、真っ赤な目が、燃え上がる赤い目が見える・・・」
先の事件の後、しばらく静養していたキャサリンは先日復帰すると、ミスカトニック大学のシンプソン教授に紹介されてどこだかの町で調査の助手をしている筈だった。彼女から絵葉書が届いていたことを思い出したヘンリーが、テーブルに無造作に置かれていた夕焼けに赤く染まる建物の写真を裏返すと、先方の宛て名にはメリーランド州にあるフェデラル・ヒルの住所が書かれている。急を要する事情であることは確認するまでもなく、すでにアルバスはソファから腰を上げて上着に袖を通していた。
「州境を越えて三十マイルくらいですかね。ここからなら三時間くらいで着くと思いますよ」
「すまないな」
送受話器を置いた数分後にはアルバスがT型フォードのハンドルを握り、ヘンリーが後ろの座席に座るとくたびれた年代物の車体がニューイングランドの街道を走り出していた。
メリーランドは入植した当時のフランス王妃に因んで名づけられた州で、十七世紀にイギリス王室領として始まっているがそれより百年ほど昔にはイタリア人が訪れていたという記録もあり、いわゆるニューイングランドの一角にあたる古い伝統ある町である。幌馬車のようなフォードの座席から見える町並みも古いジョージア王朝風の箱型の建物や、段屋根や、小さなガラスがはめられた窓といった装飾があちこちに施されていて、人なつこい大きな猫が手近な納屋の上で日なたぼっこをしているような牧歌的な場所だった。
葉書に書かれていた住所にあるカレッジ・ストリートは名前の通り大学のキャンパスにほど近く、静かな場所で事件を思わせる雰囲気はみじんも感じられないが、空模様はいささか危うげで遠く南の空には黒く分厚い雲が見えていずれ嵐になるのではないかと思わせる。
二階建てのアパートの前で車を停めると、住人らしい人影も見つからなかったので郵便受けにあるKブルックの名前を確認する。階段を上って奥にある扉をノックすると、部屋の中で何かがどさりと落ちたような音がしてからあわてた様子で人が近づいてくる気配に続きがちゃがちゃと鍵が開けられて、開いた扉の向こうから駆け出した女性がしがみついてきた。
「ああ、ヘンリー!ヘンリー!」
怯えた様子のキャサリンは髪も乱れて着替えた素振りすらないが、とにかく無事でいたことに心中安堵したヘンリーがなだめている間にアルバスが様子を確認する。キャサリンの部屋はまだ昼間だというのにすべての窓が閉められて分厚いカーテンが下ろされており、それでいて部屋の明かりは煌々と照らされていてわずかな暗がりもできないようにしているらしく見える。
しばらく時間はかかったが、友人が来てくれたことでようやく落ち着いたキャサリンから話を聞いてみると彼女はブラウン牧師という人物の助手として、今から五十年ほど昔にこの町で活動をしていた「星の知恵派」というカルト教団が使っていた教会を調べていたらしい。
「星の知恵派ねえ、さすがに聞いたこともないな」
教団は如何わしい信仰に手を染めていたらしく、教会で禁書の断片や隠し部屋を見つけたキャサリンたちはそこがおぞましい学問を研究するための場所だったことを突き止めることができた。
だがアパートに帰ると彼女の脳裏には夜な夜な気味の悪い声が聞こえてくるようになり、恐ろしくなった彼女は部屋に閉じこもってしまうがブラウン牧師もこの声に呼ばれたのか、いつの間にか姿を消してしまう。すっかりうろたえた彼女はヘンリーに電話をかけるとそのまま気を失ったらしく、気がつくと扉をたたく音で正気に返ることができたようだ。
「夜になると、真っ暗になるとどうしようもなく自分を呼ぶ声が聞こえてくるの。怖くてまるで眠ることができないのに、ふと気がつくと真っ赤な目、燃え上がる目をした黒いものが、いあ・いあ・・・ああああ!」
ひとつずつ思い出すように事情を話していたキャサリンだが、しだいに取り乱して騒ぎ出したのであわててなだめなければならなかった。姿を消したブラウン牧師を探しに行くべきなのだろうが、こんな状態の彼女を連れて行くべきだろうかと考えてアルバスもヘンリーも躊躇する。
できれば部屋に置いていったほうがよいのではないかとも思うが、彼女にすればようやく友人が来てくれたところで一人部屋に残されるなど怖くて仕方がないだろうしアルバスとヘンリーのどちらか一人だけで教会に行くのも不安がある。仕方がないので教会まではアルバスの車に乗っていきキャサリンは車の中で待っていてもらうことにする。あまりよい手とも思えないが他にもっとよい方法があるというわけでもなさそうだ。
まずはルールの確認漏れによるキャラクタシートの修正から。ルールブック88頁欄外より、探索者がクトゥルフ神話に起因する狂気に初めて陥った場合は神話技能を5%上昇、その後も神話による狂気に 陥るたびに技能が1%上昇するというルールがあることを今さら発見したのでアルバスとキャサリンの神話技能を上昇させている。もちろん狂気に陥ることがほとんどありえないヘンリーにはこの恩恵に預かる機会が与えられることはないだろう。
今回のシナリオでは幾つかの情報を手に入れるために複数の方法を用意している。例えばキャサリンの部屋の住所は彼女に仕事を紹介したミスカトニック大学でも聞くことができて、シンプソン教授に尋ねれば仕事の内容やブラウン牧師についてももう少し詳しい話を聞くことができるはずだった。
ブラウン牧師はアイルランド人の神学者で、ミスカトニック大学の客員教授として雇われている人物である。星の知恵派は五十年も昔に解散して信者も離散していたし、遺棄された教会の調査に危険があるとも思えなかったからこの手の調査に知識も経験もあるキャサリンは助手として適任だと思われた。牧師の名前は原作「闇をさまようもの」の舞台となるメリーランド州フェデラル・ヒルにあるブラウン大学から拝借。
ちなみにキャサリンの部屋の隣室はブラウン牧師が借りていて、彼女から合鍵を借りて部屋を調べると彼のノートを手に入れることができる。進め方次第でここまでの段階で手に入れることができた情報は以下の通り。
・部屋のカーテンを開けると西側の窓の向こうに黒々とした教会の尖塔が見えて、キャサリンが言っていた「尖り屋根」とはこの塔であることが分かる。隣りのブラウン牧師の部屋にはカーテンがかけられていないので、部屋に入るだけでこの情報は分かる。
・ミスカトニック大学またはブラウン牧師のノートから星の知恵派について調べることができる。大学の図書館には彼らが禁断の書物を閲覧した記録が残されていて、おぞましい「ネクロノミコン」や「屍食教典儀」「ナコト写本」に彼らが触れた数十年前の記録を見つけることができる。星の知恵派そのものは解散して信者も離散しているため、彼らのその後のことは知ることができない。
・キャサリン自身から、およびミスカトニック大学でブラウン牧師の容姿や性格について尋ねることができる。
・星の知恵派はエジプトで発掘された「トラペゾヘドロン」なるものの研究をしていた。ねじれ双角錐や変形二十四面体であるトラペゾヘドロンについてはプレイヤーの知識または博物学の技能で知っていてもよい。キャサリンはトラペゾヘドロンのことは知らないが、教会に調査に赴いたときにブラウン博士と一緒にこれに触れている。また、教会への入り方や教会の中の様子も彼女は知っている。
2.星の知恵派
アパートを出てT型フォードを走らせる頃には空模様が更に怪しくなっていて、遠くから雷鳴が耳に届くと後ろの座席にいたキャサリンは思わず身を縮めて運転席にいるアルバスもハンドルを握る手を固くする。
教会はフェデラル・ヒルの西にあるやや貧しい区画に建てられていて、聞いた話によればイタリア系の移民が主に暮らしているらしい。やがて弱い雨が降り始めてぽつぽつと幌を叩く中を、果てしなく続くように思われる下町の通りを進み、さらに陰気なさびれはてた地区を越えるとついに長い歳月のうちにすりへった石段、たわんだドーム式の玄関、曇ったガラスのはまる尖塔のある坂道にたどりついた。入り組んだ小径に連なる褐色の屋根の上、分厚い雲を背景にした黒い尖り屋根がくっきりと立ち現れるとキャサリンが気の毒なほどに身を固くしているのが分かる。
教会に面している小さな広場にくたびれたフォードを停めて、アルバスとヘンリーが座席から降りたところでひげをぼうぼうに生やしている年老いた男がふらふらとした足取りで近づいてくる。不安げな表情はこちらの事情を察してのものだと思われて、問いかける言葉もしらじらしく聞こえてしまう。
「あんたら、この辺じゃあ見ない顔ですな、何の用で来なすったのかね」
教会と牧師について尋ねると年老いた男は案の定とばかり、口の中でなにやらぶつぶつと呟いてから十字を切り、声を低くしてこの近所であの建物のことを口にする者はいないのですと呟く。ヘンリーが視線をやるとそこらの家家で窓が閉められたり、玄関から伸びた手が子供を連れ戻している様子に気がつくことができた。
「あの教会には、昔、わしが小さな子供の頃から恐ろしいほど邪悪な連中がおったそうです。五十年ほど昔、ついに教会の近くで人がいなくなる事件が起きるようになって、いよいよぶっそうな話が持ち上がったときに連中は鼠のように逃げ出してしまいました。それ以来教会はあのままなのです。先日も知らない男が近くをうろついておったようですが、そのようなことはせずに教会が朽ちていくに任せておくとよいのです」
もったいぶった様子で話している男の話をアルバスとヘンリーが聞いている間、車に残されていたキャサリンは雑草が生い茂っている、幅広い鉄柵に囲まれた高台の上にある建物に不安そうに目を向けていた。
階段を上った上にある、周りよりもゆうに六フィートは高い隔絶された小世界の上にいかめしい教会の建物がそびえている。近くにある他の建物には雨を避けるようにたくさんの鳥が羽を休めているというのに、教会の軒には一羽の姿もない。どうしようもなく恐ろしい気分になった彼女は上着の両肩を強くかき合わせていた。
今シナリオのポイントは雷恐怖症のあるアルバスとキャサリンのために用意したこの天候で、二人は雷鳴を聞くたびに正気度チェックが必要になる。この判定に失敗した二人はそれぞれ正気度を減少、教会の軒に鳥が一羽もいないことに気がついたキャサリンは更に正気度チェックを行いこれも失敗している。
ALBUS:SAN40>>39
KATHERINE:SAN40>>39>>38
また、年老いた男はこの手のお話では欠かせない?探索者に警告を促す役割を与えられているが、キャサリンがいない場合には彼が教会の敷地と建物への入り方を教えてくれる情報源になる。ちなみに彼が言っていた「近くをうろついていた男」について聞くと、背が高い茶色い肌をした男だと教えてもらうことができる。
ここで探索者の持ち物を確認してもらう。もともとキャラクターシートに書いてある品とは別に、欲しいものや必要なものがある場合は車に積んでいたことにして持参しても構わないことにする。報酬や買い物にほとんど意味がないCoCならではのアバウトさだが、アルバスもヘンリーも特別な品を用意する理由はないので懐中電灯と工具と薬箱を持っていこうということになる。
キャサリンの話では高台を囲う鉄柵は正面に門が構えられていて、南京錠が下されていてとても開けられそうにないが外側を回ると柵の外れている箇所があってそこから入ることができるらしい。教会の玄関も中からかんぬきが下されているようで、建物の裏にある明り取り用の窓から地下室に入れるとのことだ。
「早く帰ってきてね、二人とも」
それは彼女の本音だろう。不安そうなキャサリンを車に残してアルバスとヘンリーが石段を上っていくと、高台のまわりをぐるりと取り囲んでいる鉄柵の入り口に門があってさびた南京錠が下されている。言われた通り鉄柵の外側の狭い場所をつたっていくと北側の棒が何本かなくなっている隙間があって、少し窮屈だが身体を横にして敷地の中に入ることができた。
荒れ果てた庭のしなびた茂みをアルバスとヘンリーが踏み歩く。あちこちにあるすり減った墓はよほど大昔のものに違いなく、雨にさらされている、鉄柵で囲われた庭に認められる褐色のしおれた茂みの中にただの一つも緑が見られないのは奇妙としかいいようがない。改めて見上げると無人の教会は老朽のきわみにあって、高い石壁は一部が崩れ落ちていて、勝手放題にはびこる雑草のあいだからは落下した屋根飾りがいくつか顔をのぞかせている。
建物に近づいてみるとすすけたゴシック様式の窓は窓仕切りの役目を果たす石材のほとんどがなくなっているものの、窓自体はさほど割れておらず、むしろ煤けたガラスがどうして割れもせずに残っているのかと不思議に思えるほどだった。荒廃が暗い帳のように垂れ込めていて、鳥のいない軒や蔦のからまない黒い壁には言い難い薄気味悪さがぼんやりと感じ取れる。雰囲気に呑まれていささか気味悪げな顔をしているアルバスに比べると、生来鈍感なヘンリーはいかにも頼もしげに見えた。
「いつまでも雨に濡れていてもしょうがないな。裏口とやらに行ってみるか」
建物の裏手に回ると確かに地面すれすれの高さに明り取りの窓が開いているが、中は真っ暗で何も見えず、懐中電灯で照らしてみるとほこりだらけの倉庫らしいことが辛うじて分かる。窓のすぐ下に足場になる箱や樽が積み上げてあるようで、アルバスが長い脚を伸ばして慎重に下りるがこの手の運動に自信のないヘンリーは案の定踏み外すと足首をひねってしまった。
大丈夫ですかと聞かれてごまかすように笑ってみせると、実際には痛いのだが歩けなくなるほどでもないし杖が必要になるほどでもない。備えがあってよかったと言わんばかりに足首を包帯で縛りつけている間に、再び外で雷が鳴ると、一瞬地下室にも明かりが差し込んできて先ほどよりも嵐が近づいているように思えた。
地下室は真っ暗で掲げた明かりに暗闇がほのかに照らされている。埃とがらくたばかりが散らばっている床に懐中電灯の先を向けると蜘蛛の巣とほこりにまみれた地下の様子が窺えた。地下室には砂袋や古い樽、こわれた箱やさまざまな家具が目にとまったが、数十年の時を経てすべてを埃が覆い尽くしてしまうと輪郭をぼやけさせている。部屋の奥には上に行くための石段が見えて、窓際には足場に使うために動かしたらしい樽が寄せられていて、床にはいくつもの足跡が残されていた。
「少なくとも俺たちの足跡じゃないことは間違いない」
「ヘンリーさん、もう少し真面目に調べましょうよ」
靴を軽く床に打ちつけたヘンリーが足跡をたどってみるが、少なくとも最近つけられた複数の人間のものであることは間違いないようだ。これが小説の主人公であれば足跡から持ち主の正体や人物像まで描くことができるのかもしれないが、残念なことに警察官のアルバスも含めて彼らはそのような心得を持っていない。厚く積もる埃に半分息をつまらせて、幽霊のような蜘蛛の巣を避けながら、すりへった石段を上ることにする。
地下室への出入りは登攀技能による判定を行い、失敗すると足を滑らせてダメージを受けてしまう。アルバスが地下室に入るときにちょうど雷が鳴ると、正気度判定を行うがこれは登攀と共に成功。ヘンリーだけが足をくじいているがすぐに応急手当で治療をしている。ちなみに車に残されているキャサリンも雷が鳴る都度正気度判定を行っているので注意。
HENRY:LIFE13>>11>>12
KATHERINE:SAN38>>37
床に残されている足跡の調査は目星技能で可能だが、詳しい情報を知るためには追跡技能による判定に成功する必要がある。もしこれに成功していれば足跡が少なくとも三人分以上あって、ブラウン牧師とキャサリン以外にもここを訪れた者がいることが知れるはずだった。
ほこりまみれの地下室から石段を上り、小さな階段室から建物に入るとすぐ目の前が背の高い仕切りで区切られた礼拝堂になっていた。もとは荘厳であっただろう場所は座席や説教壇がことごとくほこりに覆い尽くされている上に、大きな蜘蛛の巣があちこちに絡み付いていていかにも薄気味悪く見える。なるべく先入観を持たないように、そう思いながらアルバスは呟いてしまう。
「なんとも如何わしく見えてしまいますね」
「カルトの教会だったというし、碌なものがあるとは思えないがな」
玄関にある大扉はまるでおぞましいものを封じるためであるかのように重いかんぬきが下されていて、礼拝堂の奥にはもう一つ部屋があり、脇には通路が伸びているが石壁に突き当たっている。
荒れ果てて静まり返った礼拝堂には目立つものが三つあって、ぞっとするような光が揺らいでいる煤けたステンドグラス、祭壇の上にある立派な十字架、部屋の隅にある奇妙な彫像が特に奇妙な存在感を漂わせていた。この場合は幸いというべきか、ヘンリーもアルバスもこの手の信仰には興味も知識もなかったから飾られている装飾の数々を眺めてもそれがどれほど冒涜的な存在であるかほとんど理解することすらできずにいる。
「確か、影濃いブードゥの主とかじゃなかったか。あの像は」
辛うじて心当たりのあるほこりまみれの像が、一見して聖人に見せているがとうてい信じられない振る舞いに及んでいる姿に気づかされてぞっとする。この調子では祭壇の上にある蜘蛛の巣が絡んだ十字架がエジプトの原始的な生命の象徴であるアンク、頭に輪がついた十字に似ていることや、煤けたステンドグラスに描かれている抽象的な図柄がまるで奇妙な輝きを持つ螺旋を幾つもちりばめた暗黒の空間を思わせることも碌でもない意味が込められているに違いない。
そのまま奥の部屋を覗いてみるとそこは信者たちの控え室になっていたが、部屋はかなり広く左手と正面の壁には天井まで届きそうな高さの本棚が据えられていてここに膨大な書物が収められていたのであろうことが窺える。今は本棚には何も残されておらず、他と同じようにほこりに覆われているが部屋の中央にあるテーブルの上には古びてぼろぼろになった数冊の本と、比較的新しいノートのようなものが置かれていた。ノートはブラウン牧師の直筆によるもので、彼がここで進めていた調査に関する幾つかの記録が書かれていた。
「星の知恵派がトラペゾヘドロンを手に入れた。それを見ることはそれを見ることを、それに触れることはそれに触れることを意味する。トラペゾヘドロンは海にでも沈めてしまうのがよい。人の手にあまる知識というものがこの世には確かに存在するのだ。光を・・・」
新しい頁を数枚めくり、目を通したところでノートを閉じる。一緒に置かれていた本はどれもぼろぼろに朽ちていまにも崩れそうな状態だが、辛うじて読めそうな一冊を手に取り、気味の悪い装飾が描かれている表紙をめくるとどうやらラテン語で書かれているらしくキャサリンでなければ読めそうにない。
探索に時間を費やしたこともあり、一度彼女の様子を見てこようかと顔を合わせるとアルバルとヘンリーは雨に濡れながら高台の下に停めてある車まで戻る。二人の姿を見て座席で身を小さくしていたキャサリンの顔が一瞬明るくなるが、手渡されたかびの生えた写本に気がつくとみるみる表情を曇らせた。それは普通の人間なら聞いたこともないような、または、おどおどと口にされる内密のこととして聞かされたに違いない不吉な禁断の書物、狂えるアラブ人アブドル・アルハザッドの著作として知られる「ネクロノミコン」のラテン語版の写しであり、この教会がかつていいようもなく邪悪な学問の殿堂であったことを証明する品であった。彼女が強く覚えている一節が雷鳴に照らされた唇から漏れる。
「久遠に臥したるもの死することなく、怪異なる永劫の内には死すら終焉を迎えん・・・」
今シナリオの二つ目のポイントは、ブラウン牧師を探すために教会を調べる都度おぞましい知識に接する危険が増えるというCoCでは王道?の展開である。礼拝堂にある三つのものはブラウン牧師の探索にはまるで関係ないが、オカルトまたはクトゥルフ神話技能判定に成功するとその場で正気度判定が必要になってしまう。幸いアルバスはすべて失敗、ヘンリーも彫像を見て正気度チェックを行うが耐えることができた。それぞれの描写は以下の通り。
・煤けたステンドグラスには何やら抽象的な図柄が描かれているが、それは奇妙な輝きを持つ螺旋をいくつもちりばめた暗黒の空間に思われた。描かれた図柄を見ているうちに、そこには胸が悪くなる、宇宙の果てにある汚らわしいものが示されているのだという気がしてくる。
・祭壇の上にある蜘蛛の巣が絡んでいる十字架がごく普通のものではなく、影濃いエジプトの原始的な生命の象徴であるアンク、頭に輪がついた十字に似ていることに気が付いた。アンクを見ていると、シンボルを通した向こうにある次元の彼方から呼びかけてくる声が耳に届いたように思えてくる。
・部屋の隅にあるほこりまみれの彫像は聖人の姿であることがわかるが、奇妙な違和感を感じさせる。よく見ると聖人はとうてい信じられない振る舞いに及んでいることに気づかされて、彼が人間のモラルを嘲笑する存在であることを知らされる。
写本はネクロノミコンのラテン語版だが、内容は不完全で断片的なものとなっている。ちなみにこれが禁断の書物であることを知ったヘンリーとアルバスはそのままキャサリンに本を預けてしまったのだが、彼女の性格(恐がりで好奇心旺盛)では読まない筈がないような気がしなくもない。
・ネクロノミコン(フェデラル・ヒル断本)
ラテン語版。十九世紀の半ばに星の知恵派の信徒の手で書かれた写本。途中まで書き写された不完全なもので、教団が追われたときに持ち出されず書棚に放置されたものが発見された。内容が少ないため読解は4週間程度で可能、正気度喪失は1d3/1d6。クトゥルフ神話技能に+5%。
呪文:「アザトホスの招来」「ナイアルラトホテプとの接触」
3.這いよるもの
雨はいよいよ嵐に変わっているらしく、唐突に雷鳴が響いてアルバスとキャサリンが上げた悲鳴すらも大音声にかき消されてしまう。怯えているキャサリンを残していくのはしのびないが、アルバスとヘンリーは再び教会に戻ると礼拝堂の右手にある短い通路に向かう。キャサリンから聞いていた通り、石壁は引き戸になっていて引きずるように動かすと教会に面した尖塔の中に入ることができた。
石造りの円い塔は壁沿いに幅の狭い螺旋階段が伸びていて、頭上に向けて灯りを掲げると十メートルほど階段を上ったところで行き当たる天井が揚げ戸で塞がれているのが見える。塔の中は明かりも窓もないせいでかなり暗く、手すりのない階段は幅が狭く一人ずつしか上ることができそうにない。
「先に行きます」
「頼む」
右手に懐中電灯を握ったアルバスが慎重に螺旋階段を上り、後ろからヘンリーが続いて天井までたどり着くと揚げ戸を押し上げようとするが何かがひっかかっているらしく開かない。おやと思うと戸の向こうからいかにも明晰な調子で男性の声が聞こえてきた。
「誰か来てくれたのか。誰かは分からないが、もしも明かりをつけているなら消してくれたまえ。大丈夫だ、この中は見えるようになっている」
その声に、後ろにいるヘンリーと顔を見合わせてから言われた通り明かりを消したアルバスが呼びかけると頭上で何かを動かしたような音がしてからゆっくりと戸が開かれた。足下に気を使いながら足を踏み入れると奇妙な光景が彼らを出迎える。
円い部屋は四方にあるすべての窓が打ちつけられた板で塞がれていて、明かりも灯されておらず真っ暗だが部屋の中心にぼんやりと光るものがあって辛うじて周囲を見ることができる。ほこりが積もっている床の中央には高さ四フィート、直径二フィートほどの、七つの角と面を持つ石柱が立っていた。石柱の表面は粗雑に彫り込まれた不可解な文字で覆われていて、周囲を取り囲むように背もたれの高い石の台座のような椅子が七脚並べられて円卓のように見える。それぞれの椅子の後ろには神秘的なイースター島の謎めいた像に似た黒塗りの像が一つずつ立っていた。
「これが、トラペゾヘドロン・・・?」
石柱の上にはさしわたし四インチほどの石のようなものが据えられていて、ぼんやりとした明かりを部屋の中に投げかけていた。それは凧のような四辺形が交互に組み合わさったつくりをしている、赤く光る線の入った多面体でブラウン牧師のメモにあったトラペゾヘドロンに違いない。石柱に直接置かれているのではなく、針金のように細い七本の支柱で支えられて宙に浮いているかのように見える。そして石柱とトラペゾヘドロンの横には背の高い、茶色い肌をした男が一人立っていた。
「ブラウン牧師ですか」
アルバスの問いかけに男はゆっくりと頷いてから口を開く。この部屋は星の知恵派が儀式のために使っていた場所で、中央に据えられている石のようなものがトラペゾヘドロンである。彼らはこれを覗き見ることで宇宙の英知を探ろうとしたが、素人がこれに触れることは危険で注意が必要なのだと説明する。彼自身も少しく頭がぼんやりしているらしく、これ以上の研究はしかるべき場所で行うべきだろうと言う。
「この石は、見てもいいものなのですか」
「構わないが、触れないように気をつけてくれたまえ」
二人はそれぞれトラペゾヘドロンに近よると奇妙な石のようなものを覗き込んだ。表面には時折赤い光の線が走っていて、それが模様にも見えるし何かを現している信号のようにも見える。吸い込まれるように意識を集中すると面の一つが透き通ってその向こうにある映像を網膜を通して脳裏に映し出す。それは宇宙的な存在、超越的な存在、嘲笑的な存在を感じさせて人が知るはずのない世界に触れる背徳感を覚えさせるものだった。
わずか数秒にも満たない接触でヘンリーが見せられたものは、彼が知るはずもない闇に包まれた海底にある古い都市、塔と外壁の姿である。それが何を示しているのか彼には見当もつかないが、視線をそらしてもしばらく網膜に映る残像が消えず記憶そのものに眠りにつく海底都市の姿が刻まれたように思えた。
アルバスの目に映されたのはただひたすら果てのない砂漠の広がりだが、驚くべきことに「彼はその風景を未来で見た」記憶があるのだと強烈に思わされる。それは文明が失われた後、甲虫の姿をした偉大なる種族だけが生き延びたはるか未来の世界であり、彼は確かにその時代に存在して偉大なる種族に受け入れられるのだという記憶が浮かび上がると気味が悪くなって全身に耐え難い悪寒が走る。
「おい、大丈夫か」
「あれは懐かしい未来が・・・いえ、なにを言っているんでしょうか。俺は」
不審に思ったヘンリーに身体を強く揺すられなければアルバスはもう少し彼と人類の未来を見続けていたかもしれない。これがトラペゾヘドロンの知恵であり、直に触れることでより強い影響を受けることができるが危険も大きくなるのではないかと思われる。いずれにしてもこのような場所にいつまでも置いたままにしてよいものとは思えなかった。
塔の部屋は星の知恵派がトラペゾヘドロンを用いた儀式を行うための場所である。儀式はナイアルラトホテプの眷属である「這いよるもの(後述)」と接触することができるが、光を著しく嫌う性質があるので部屋は外からの明かりが入り込まないように閉ざされている。
トラペゾヘドロンを覗いた者は1d6を振って出た目に従い様々な映像を体験する。クトゥルフ神話技能判定に成功した場合はそれが何を意味しているかを理解してしまい、神話技能が上昇する。ちなみにアルバスは以前のシナリオで甲虫の姿をした偉大なる種族の未来を体験したことがあるのだが、これを引き当てたダイス運?は特筆すべき。
1闇に包まれた海底にある古い都市、塔と外壁の姿が見える。
それは海に没した海底都市、おぞましいルルイエの冒涜的な神殿である。
2長衣をまとい頭巾をかぶる、人間ではありえない輪郭を持つものたちの行列が見える。
それはかつて蛇のような人々に支配された国、おぞましいヴァルーシアの大地である。
3空に達するように立ち並んでいる、刻み抜かれた石碑群が見える。
それははるか古生代、広大な南極大陸に繁栄した古えのものたちの都市である。
4ただひたすらに果てのない砂漠が見える。
それは文明が失われた後、偉大なる種族だけが生き延びたはるか未来の地球である。
5紫色のかすみのあわい輝きの前で、黒い霧がたゆたう空間の渦が見える。
それは不安定な世界、伝説に聞くドリームランドの入口である。
6永遠の無窮の中心で冒涜的な言葉を吐き散らしている存在が見える。それはすべての無限の中核、最下層の混沌の最後の暗闇、時を超越した明かりのない場所で、下劣な太鼓のくぐもった狂おしい連打と呪われた笛のかぼそき単調な音色の中で冒涜的な言葉を吐き散らして沸き返っている。
それは盲目にして白痴の存在アザトホスである。
アザトホスに触れた者は正気度判定(1d10/1d100)を行う。
ALBUS:SAN39>>38
KATHERINE:SAN37>>35
背の高い男は懐から厚布を取り出すと、布越しにトラペゾヘドロンを掴んでしまい込む。わずかな明かりに照らされていた部屋がにわかに暗くなって、互いの顔も見えづらくなるが暗がりに慣れていたせいか辛うじて周囲を見ることができた。それでは外に出ようか、そう言われてアルバスは懐中電灯を点すが心のどこかでこれでいいのだろうかと思えて首をかしげてしまう。
足を踏み外さないように階段を下りると、玄関にあるかんぬきを外そうとするが重くて一人では動かせそうにない。男たちが力を合わせるとようやく持ち上げることができて、蝶番までさびている扉を思いきり押すと大きな音がして辛うじて人がくぐり抜けられそうな隙間を開けることができた。アルバスは身体を横にして、続いてヘンリーが、最後にブラウン牧師を名乗る男が扉をくぐる。雨足が強くなっている荒れはてた庭には見知った姿があり、ずぶぬれになったキャサリンが彼らを迎えにきていたらしい。だが彼女の目は当惑と恐怖に見開かれていて、その視線はアルバスとヘンリーの後ろにいる男に注がれている。
「あなた、誰・・・?」
「え、ブラウン牧師は」
「そんな!そもそもブラウン牧師はご老人ですもの!」
叫んだ瞬間にすぐ近くで激しい雷の音が鳴ると尖塔ごと揺らされる。背の高い、茶色い肌をした男はきがふれた笑みを浮かべると、かんぬきを止めるために差されていた鉄の棒を握りしめて顔を歪めてみせた。
「やはり君たちは興味深い。だが私の邪魔をさせるわけにはいかない」
男の正体は星の知恵派の末裔で、本名はグレイ神父という。本物のブラウン牧師は灰色の髪をした老人で、当然キャサリンは外見を知っているので彼女を引き合わせるまでが今シナリオの流れだった。
グレイ神父・星の知恵派の残党
STR08 CON10 SIZ16 INT15 POW00 DEX08 HP13
鉄の棒:命中25%、ダメージ1d8
グレイ神父の目的は「トラペゾヘドロンを手に入れて教会から逃げること」である。彼はブラウン牧師の後をつけて教会に入り、尖塔の部屋で襲いかかると倒れた牧師を部屋の更に上にある鐘楼に引きずり上げていた。明かりを消してもらったのは鐘楼に上がる梯子があることを隠すためで、ブラウン牧師は頭が陥没するほど強く殴られているのでよほど早く見つけて手当をしなければまず助からない。
ALBUS:SAN38>>36
KATHERINE:SAN35>>33
振り上げた鉄の棒が容赦なく振り下ろされるが、動きは無駄だらけで泥だらけの地面に思いきり打ちつけられる。狂人から得物を取り上げようとアルバスが組みつくと、一度は振りほどかれるが何とか押さえつけて腕を捩じり上げてしまう。物騒な棒を取り落として、そのままうつぶせに組み伏せられると動けなくなった男はうめき声のようなものを上げているが、それは観念したのでもなければ抵抗をしているのでもなく、意味不明なことを口走るばかりでアルバスの耳には半分も理解することができなかった。
「ばかものども!トラペゾヘドロンの英知があれば無謬なる白痴の宮殿にも近づくことができるというのに。人類があれを見つけて以来、人はほんの少しだけ真理に近づくことができた。いあ!いあ!黒いものが私を侵したまえ、遠くユゴスや未知なるカダスに足を踏み入れる道を私に示したまえ!トラペゾヘドロンの七角をユゴスに向けて三度回してみなさい顔の黒いものに両肩を預けなさいそうすればアザトホスの声であるナイアルラトホテプの眷属があああああ」
そこまで言いかけたところでアルバスの腕の下にいる男の服の下から身体を突き破るように黒い触手のようなものが伸び上がる。それは辛うじて人間じみた面影を残しているが、本来顔があるべき場所にはどう見ても人間のものではない、地球上のどのような生物のものでもないおぞましい肉の腕が伸びていた。
非力な人間をのけるように起き上がったそれは長身痩躯で漆黒の肌をした肉のかたまりで、かぎづめのついた三本の腕と顔のない円錐形の頭をしている。漆黒の中にらんらんと揺れている、三つの目のようなものに射すくめられる。それは這いよる混沌のしもべであり、闇にひそむものであり、顔のない黒いスフィンクスであり、ユゴスに奇異なる悦びをもたらすものである。そして唐突に気付かされるのだ、このおぞましい存在は彼なりにとりつくろった姿をして彼らの目の前に姿を現しているのだということに。
「嫌ああああああああああああ!」
正気を失ったキャサリンの叫び声でアルバスは辛うじて消えかけていた理性を取り戻すことができる。悪夢がそのまま現実化したような化け物を前にして、青年は自分が警察官であることを思い出すと警察官は人を守る存在でなければならないと決意するが、キャサリンは彼女がバッグに忍ばせている護身用の銃を手にすると、目の前の悪夢を振り払うためにもっとも容易な手段を選択しようとしていた。それは自分のこめかみに銃口を当てて引き金を引くことである。
「キャサリンさん!」
「大丈夫だ!」
理性を失わずにいたのはヘンリーも同様で、青ざめたアルバスよりも一瞬早く走り出しているが間に合うとは思えない。撃鉄が起こされる音がして、一瞬目を閉じるが恐れていた銃声は鳴らず鋼が鋼を打つがちりという音が耳に届く。銃が暴発しないよう、キャサリンが一発目の弾倉を空にしていることをヘンリーは知っていて、一発目は間に合わないが二発目が撃たれる寸前にとびかかると身体ごと押さえつけてしまう。
化け物の正体はグレイ神父がトラペゾヘドロンから学んだ呪文で呼び出したナイアルラトホテプの眷属だが、それはグレイ神父自身を生け贄にしてこの世に姿を現してしまった。呼び出された「這いよるもの」は同じナイアルラトホテプの眷属である忌まわしき狩人のデータを流用して作成しているが、打撃の威力が致命的なので命中率だけは極端に低くしている。
這いよるもの・ナイアルラトホテプの眷属
STR30 CON10 SIZ42 INT15 POW20 DEX14 HP26
装甲:9ポイントの皮膚
鉄の棒:命中15%、ダメージ1d6+3d6
正気度喪失0/1d10
正気度判定に失敗、一時的狂気に陥ったキャサリンの症状は「殺人癖あるいは自殺癖」で、32口径を自分に向けて撃つことを選択。リボルバーの一発目を空砲にしているという設定があるのでヘンリーに止めてもらうことにする。
ALBUS:SAN36>>33
KATHERINE:SAN33>>28_Insanity
安堵したアルバスだが目の前に化け物がうごめいている事実は変わらず、ヘンリーはキャサリンを押さえていてそれどころではない。伸びあがるように動いた黒い腕が振り下ろされて、地面に打ちつけられると古い墓石が一撃で砕けて粉々にされてしまう。こんなものをまともに食らえば即死は間違いないだろう。
「アルバス!逃げろ!」
「二人とも逃げてください!早く!」
ヘンリーの声が届くが警察官が我先に逃げることなどできるはずがない。彼はこの状況で一縷の望みがないか考えると、化け物の懐にあるトラペゾヘドロンを奪い取れないものかと学生時代のフットボール以来となる低い姿勢からの跳躍でとびかかろうとする。二度目の腕が右から左に払われて、これを危ういところでかわすと三度目の腕がもう一度頭上から振り下ろされるがこれも落ち着いて避けてみせた。
全身が雨と泥と汗でずぶぬれになると、それでも諦めずに対峙するがいよいよ強まっていた嵐が最後の一閃とばかり光ると間を置かずに轟音が鼓膜を叩く。よりにもよってこのような状況で雷に我を忘れたアルバスはこれで殺されるかと思ったが、鼓膜はしびれたまま音を響かせずに網膜は焼きついて暗いままで、視界と音が戻ってくる数秒が過ぎるまであるいは自分はすでに死んだのかと勘違いするほどだった。
「化け物は・・・」
這いよるものにとってあまりにも強すぎる光は猛毒か酸にも等しく、耐え難いほどの叫び声をあげると皮膚をじくじくと泡立てながら真っ黒な煙がかき消えるように蒸発してみるみるしぼんでいく。それはおぞましい光景であるはずだが、これで化け物がこの世から追放されるのだと思うとむしろ安堵することができて、やがて化け物の姿が完全に消える頃には雨足も弱まっていき地面には男性のものらしい衣服や身に着けていた品々が焦げついた状態で落ちていた。
トラペゾヘドロンが包まれている、厚布の包みを拾うとようやくといった様子で息をつく。結局自分は何もできなかったと思い、頭をかいたアルバスは身を挺して友人を助けていたヘンリーに照れくさいような申し訳ないような視線を向ける。
「すみません、何もできませんでした」
「何をいってるんだ。お前さんがいなければ、俺たちはああなっていたよ」
振り返ってぞっとする。化け物の黒い腕で叩き壊された墓石、へし折られた教会の柱、砕かれた石段の瓦礫が転がっていて人間がこんなものに巻き込まれたら無事で済むはずがない。キャサリンを抱えて逃げることもできなかったヘンリーにはアルバスは命の恩人以外の何者でもなかったのだ。
いつの間にか日は落ちて夜は更けていたが、いまいましい嵐が過ぎ去ると空には満月が明るい光を投げかけている。結局彼らは何も解決することができなかったのかもしれないが、少なくとも友人を守ることだけはできたのだからそれで満足するべきなのだろう。
今シナリオの達成条件はグレイ神父を教会の外に出さないことだが、残念なことに正体を看破できず教会の外に出してしまった。グレイ神父に逃げられなかったのは「運良く」キャサリンが来たからなのでシナリオ評価としてはNORMAL ENDになる。ちなみにBAD ENDの条件はキャサリンを含む三人が行動不能になる、またはトラペゾヘドロンを紛失することで、最悪の場合キャサリンが疾走して彼女の部屋に開かれたままのネクロノミコンが発見される結末となる。
這いよるものとの戦闘はまともに勝つことは不可能なので、教会の中で戦う場合はアイデア判定に成功すると化け物が光に弱いかもしれないと思い、稲光を浴びせる方法を考える展開になる。教会の外で戦う場合は3ターン持ちこたえるとやはり運良く雷が落ちて助かるという展開だった。アルバスの行動は化け物を倒す役には立っていないが、実は即死攻撃を引き受けていたのだから役に立たないどころの話ではない(実際に二撃目は危うく命中しかけていた)。
・・・
事件の結末はあまり気分のよいものではない。命からがら逃げ帰ったアルバスとヘンリーはその後警察の手を借りてふたたび教会の調査をしたが、尖塔の部屋の上にあった鐘楼で気の毒なブラウン牧師の死体が発見されて彼を助けることは叶わなかった。
ネクロノミコンの断本はキャサリンが読みふけるとそこには世界すらも滅ぼしかねない禁断の儀式が記されていたが、幸いなことにそれは一人の女性が容易に行えるようなものではなくしばらく彼女が悪夢にうなされるだけの結果で済むだろう。
トラペゾヘドロンは一度はミスカトニック大学の研究室に預けられることになったが、これがあまりにも危険な代物であることを知ったヘンリー・マグワイヤの手で東海岸にある人知れぬ崖の突端から海に投げ捨てられている。故人がノートに書き記していたように、人の手にあまる知識というものがこの世には確かに存在して彼らはその後もしばらくトラペゾヘドロンが見せる映像に悩まされることになった。
アルバス・フューリーはヘンリーが見たものと同じ闇に包まれた海底にある古い都市を、海に没したおぞましいルルイエの海底都市を見出すと著しく精神をかき乱されるが幸い彼の良識は握り締めた手綱を放すことはしなかった。彼は星の知恵派が求めた宇宙の真理に少しだけ近づいたが、それだけで済んだ。
ヘンリーとキャサリンは互いに手を繋いだ彼らが永遠の無窮の中心で冒涜的な言葉を吐き散らしている存在の前に立っていることを自覚した。それはすべての無限の中核、最下層の混沌の最後の暗闇であり、時を超越した明かりのない場所で下劣な太鼓のくぐもった狂おしい連打と呪われた笛のかぼそき単調な音色の中で冒涜的な言葉を吐き散らして沸き返っている。ヘンリーはあまりにも人間の想像を超えたそれを理解することができず、そのおかげで彼は精神の平衡を断ち切られずに済んだ。だが・・・。
(Scenario7:NORMAL END)
アルバス・T・フューリー 26歳男・真面目な警察官
STR13 CON11 SIZ16 DEX10 APP10
INT10 POW08/SAN40 EDU12
主な技能(%)
運転70・応急手当80・鍵開け51・忍び歩き60・目星78
回避70・組みつき65・英語60・クトゥルフ神話12
精神的な障害:雷恐怖症
ヘンリー・マグワイヤ 34歳男・無気力の会代表
STR10 CON12 SIZ13 DEX07 APP08
INT14 POW18/SAN90 EDU17
主な技能(%)
オカルト44・隠れる40・聞き耳90・水泳35・投擲83・跳躍41・博物学50・目星95
応急手当70・機械修理40・信用39・説得25・天文学12・薬学21・歴史40
回避14・英語85・クトゥルフ神話05
キャサリン・ブルック(NPC) 40歳女・不幸なもと教師
STR08 CON07 SIZ11 DEX05 APP12
INT14 POW08/SAN40 EDU20
主な技能(%)
信用85・説得50・図書館85・法律85・ラテン語81・フランス語61・歴史85
運転25・オカルト33・芸術/ピアノ演奏30・拳銃60
回避10・英語99・クトゥルフ神話24
精神的な障害:閉所・雷・血液恐怖症
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