talking books

vol.2
「パズル崩壊」法月綸太郎
「優しい去勢のために」松浦理英子
「大人のための残酷童話」 倉橋由美子

「パズル崩壊」 法月綸太郎 講談社ノベルス

いわゆる「新本格」と呼ばれる推理小説家達はどうも好きになれないのだけれど、そのなかで唯一好きなのがこの法月綸太郎である。この本は二年まえに出版された短編集をノベルス化したものらしいのだが。二年前に出ていたのを知らなかったので、読むのは初めてだった。

率直な感想なのだけど、この人はやっぱり短編にはむいてないんじゃないだろうか?
七本の短編の内、特に最初の三本は読むのが苦痛だった。どこにでも有るようなミステリの小品で、これなら作者がスランプを口にするのも肯ける、という出来。まあ後半の四本が面白かったのでそれなりに持ち直しはした。

法月綸太郎は、もともと奇想天外なトリックを発明することに情熱を傾けるタイプの推理作家ではない。
一般的に推理小説のカタルシスというものは「謎を解くこと」にあるのだろうが、法月の場合は違う。彼の作品のカタルシスは、謎が解けて真実が明らかになった瞬間、その「真実」によって探偵が世界と切断されてしまうところにあった。
これはエラリー・クイーンの後期の作品と同様の構造で、実際法月は「クイーン後期」をよく引き合いに出すし好きだとも公言していた。
しかし「パズル崩壊」に収録されているようなページ数の限られた短編では世界を構築することができないし、それ故に「切断」もない。これでは苦戦を強いられるしかないんじゃないかという気がする。
ヤケクソでもいいから長編を書いてくれ、というのはスランプの作家に対して過酷な注文なんだろうか?

98/8/27


「優しい去勢のために」 松浦理英子 ちくま文庫

画像が汚れているのはうちのスキャナの性能が悪いせいもあるが、それ以前に本自体が汚いせいである。それほど熟読した記憶もないのに気がついたら文庫本がボロボロになっていた。
なんとなく持ち歩く事が多かったせいだと思う。この本の佇まいが、僕は好きだったのだ。理屈ではなく。

この本は松浦理英子という小説家のエッセイ集である。時事的なエッセイから、音楽に関する文章、文芸批評的な文章、「優しい去勢のために」と題された詩的なエッセイなどまで、収録内容は多岐に渡っている。なのに不思議と散漫な印象がないのは、やはり松浦の”性”というものに対するこだわりが全篇に持続しているからだろうか?このエッセイ集は十年間に渡って書き溜められたものらしいが、それでいてテーマ的にはまったくブレがない。芸が無いと貶めるよりはむしろ評価すべきことだろう。

ただし、やや一本調子の印象を受けてしまうのは否めないところで、特に「批評的な」文章にはそれが顕著である。逆に詩的なエッセイである「優しい去勢のために」の章にはそんな印象はない。柔らかく軽快な文体が楽しめる。これを小説家の血だと言ってしまってはあまりにも単純化しすぎかもしれないけれど。
「私は短いセンテンスの簡潔な文章にマニアックな嗜好がある。」とは松浦理英子自身の言葉であるが、なるほどそれは解読よりも描写に向いている才能だろう、と思う。

98/8/24


「大人のための残酷童話」 倉橋由美子 新潮文庫

坂口安吾に「文学のふるさと」というエッセイがある。その中で安吾はシャルル・ペローの「赤頭巾」を例に挙げ・・・・それは本来の「赤頭巾」であり、主人公が狼に食べられたまま、救われずに終わってしまうお話なのだが・・・・その結末の救いのなさ、何か人を突き放すような感じに「文学のふるさと」がある、と説いている。

この「大人のための残酷童話」を買った時に頭の中にあったのは、安吾のそういう言葉である。島田雅彦による解説もやはり安吾に触れているし、この本から「文学のふるさと」論を連想する人はずいぶん多そうだが。

ここに収められているお話は、ほとんどが有名な童話を換骨奪胎して作られたものである。我々の良く知った幸せな結末、あるいは不幸な結末。そんな物はここには無い。ここにあるのは、悪意と嘲笑である。童話の不条理な世界を論理的に再構築しようとして、それは産まれたようにみえる。悪意は世界からの悪意であり、嘲笑は世界からの嘲笑である。そう、確かにこれは「大人のための」童話なのだろう。

しかし、面白かったのか?と聞かれると、素直に「面白かった」と言えないところもある。いくつかの話において、「悪意」の影に作者の姿が見えてしまうのがその原因ではないかと思うのだが・・・・。安吾風に言えば、「突き放し方」が足りないような気がした。「教訓」なんぞ邪魔なだけだ。

98/8/15