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歩道橋が造られるようになったのは、1962〜63年頃だったろうか。 当時の都知事・東龍太郎が、東京の前にオリンピックを開いたローマに行った際、歩道橋を見て、いたく感心した。 おりしも東京では、オリンピック(64年)に向け高速道路建設や道路拡張が進められていた。 しかし環七通りの新規開通部分では、歩行者が横断する時の死亡事故が多発した。 歩道橋は、歩行者事故対策の決め手として次々に作られることになった。 王子駅前にも歩道橋がある。 横断歩道はない。 歩道橋下には自転車用の信号と横断レーンがある。 |
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しかし、渡っているの自転車より歩行者の方が遙かに多い。 階段を登るのが辛い年輩者だけではなく、高校生などの若い人も多い。 と言うよりは、歩道橋を使う歩行者は殆どいない。 交差点脇には交番があり、お巡りさんがたっているが、とくに歩行者を注意する様子もない。 歩道橋が歩行者に優しくないのは、誰もが認める事実だろう。 (98/09/12)
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都営バス「錦糸町駅前−大塚駅前」の「大塚四丁目(都立大塚病院入り口)」バス停で、ひたすらバスを待つクマちゃんがいた。
バスが来ても乗る気配はない。 バスが通り過ぎるのをただ見守っているだけだ。 |
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このクマちゃんは、バス停の前にある雑貨品・衣料の店「ROSSETTI」の店員であるようだ。 お店に来るお客がバスを降りて来るの1日中待っているのだろうか。
(98/10/10)
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JR「大塚」駅北口近くの飲屋街の一角にあるビルに人だかりがあった。 「行列の出来るラーメン屋か?」と思い、覗き込んでみると、中ではボクシングが行われていた。 ジムの人に聞いたところ、これは「スパーリング大会」だという。
ジムの中では、明日のチャンピオンを夢見る練習生達が真剣に戦っていた。 スパーリングと言っても、完全な試合形式で、勝ち負けもある。 見ている人達も真剣で、「そこだ! 打て!」などの声を飛ばしていた。 その雰囲気には圧倒された。 (98/10/10)
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