面白い風景(松山編)

夏休みに四国の松山に行って来ました。 そこで見た、イベントや風景をご紹介します。

 

野球拳おどり
道後温泉

松山と言えば、道後温泉(上の写真)、坊ちゃん(残念ながら写真はなし)、そして野球拳だ。

この「野球拳(やきゅうけん)」というお座敷ゲームを御存知だろうか? 「野球ーすーるなら...」と歌いながら、「アウト! セーフ! ヨヨイのヨイ」のかけ声でジャンケンをする。負けた方は1枚ずつ服を脱いでいく。 ちなみに、Baseballを野球と訳したのが、この町出身の正岡子規だという。

これを町中でやろうというのが「野球拳おどり」だ。 徳島の阿波踊りに対抗して始められたイベントで、毎年8月10日頃に松山の目抜き通りで行われる。 音楽に合わせて踊りながらパレードするだけで、(残念ながら?)服を脱いだりはしない。

野球拳おどり(車椅子)

今年は、(推定)100台の車椅子に乗ったお年寄りも「踊り」に参加し、元気にウチワを振ってリズムを取っていた。
野球拳おどり(1)

野球拳おどり(2)

野球拳おどり(3)

野球拳おどり(4)

野球拳おどり(5)

(98/08/15)


 

ひちや
ひちや(1) ひちや(2) 松山の街で見かけた看板。

「ひちや」と書いてあるのは質屋のことだ。

関西の人にとっては当然かもしれない。 なにしろ「ごー(5)、ろく(6)、ひち(7)...」の「ひち」だから「ひちや」なのだ。 でも東京の人間にとっては「???」だ。



(98/08/15)


 

ここ掘れ
工事中? (1) なにやら、工事中の様子だ。


何か変 (2) でも、何か変だ。 工事をしている雰囲気がない。


穴だらけ (3) 地面には穴ボコが沢山あいている。

遺跡の発掘
(4) 実は遺跡の発掘だった。 こういう光景は市内のあちこちで見かける。

松山は「遺跡の上にある町」と行っても過言ではない。 何処を掘っても遺跡が出てくる(らしい)。 そのため、家を建てる前には必ず発掘調査を行い、元通りに埋め戻して、その上に家を建てる、ということが市の条例で決められている。 発掘のための飯場も常設されている。
そういえば2〜3年前に東京の板橋(志村坂下)でも、環八通りの予定地で遺跡の発掘をしているのを見かけたが、何か面白い物でも出てきたのだろうか?


(98/08/19)

 

東京でも掘っていた
温泉、うどん屋、(何故か)本屋、そして日傘を差す女性の数では松山にはかなわないが、遺跡の数では東京は負けてはいないようだ。

北区の西ヶ原3丁目のビル建設予定地でも、遺跡の発掘を行っていた。
北区の遺跡発掘(1)   北区の遺跡発掘(2)
現場にいた人の話では、縄文時代と弥生時代の両方の遺跡があるという。 つまり、縄文人がせっかく作った遺跡の上に、弥生人が別の遺跡をわざわざ作ったらしい。 ...と言うことは、弥生時代には既に「地上げ屋」が存在していたことになる。 これは歴史的な大発見だろう。

それにしても何故、縄文人や弥生人は遺跡を作るのが好きだったのだろうか? これは謎のままだ。

(98/08/22)

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