城北シーン(9)

東京の城北地区(板橋・北・豊島ほか)の風景をご紹介します。

 

江戸時代からの桜の名所 飛鳥山    JR京浜東北線「王子」、都電荒川線「飛鳥山」

飛鳥山 桜の道を歩く 飛鳥山は江戸時代から桜の名所として知られている。

一時は野球グランドを作るために桜の木が切られ、春には砂埃が舞い上がっていた。

しかしその後にまた桜が植えられ、きれいな公園として整備された。 今は桜の名所として江戸時代の賑わいが復活している。
「山」と呼ぶくらいだから、殆どが斜面となっている。 それでも、それぞれのグループが好きな場所に陣取って花見を楽しんでいる。

花見には携帯コンロが必需品だが、ラジカセ、ギター、三味線、それに麻雀も忘れては行けない。

そして食べたり、飲んだり、歌ったり、積もったり...
好きな所に陣取る 料理する人達
ギターで歌う  三味線で歌う  麻雀で遊ぶ
親水公園 ...若い人達はギターを弾きながらフォークソングを歌い(上左)、年輩の方々は三味線に合わせて民謡を歌っている(上中)。

お酒が無くても花見は出来る。 早朝から場所取りをしたという中学生のグループ(上右)は、カード式のマージンを楽しんでいた。 なにも桜の下でゲームをやる必要も無いような気がするが、これも花見の楽しみ方なのだろう。 朝早くには持参のラジカセでラジオ体操をしたとも言っていた。

飛鳥山の場所取りに失敗した人は、隣の石神井川沿いにある親水公園(左)が穴場かもしれない。 ここは夏になると水遊びの子供でにぎやかになるが、春には満開の桜の下で多くの人が花見を楽しんでいる。

(99/02/13)


 

ソメイヨシノの発祥の地 染井墓地    山の手線「駒込」、都営三田線「巣鴨」

染井墓地(1) 明治時代、駒込染井村の植木屋が墓地の中で山桜の変種を発見した。 その木は「ソメイヨシノ」と名付けられ日本全国に広がり、いまや日本を代表する桜となった。

染井墓地には有名人の墓が沢山あるが、名前は全て忘れた。 しかし、ここは知る人ぞ知る隠れた桜の名所なのだ。 園内には桜の銘木・老木が多くあり、本当の意味で「花見」をしたい人にはお奨めのスポットだ。
染井墓地(2)  染井墓地(3)  染井墓地(4)
ここが墓地であることを決して忘れてはいけない。 酒を飲んで、大声で騒ぐなどというのはもってのほかだ。 あくまでも、桜そのものを楽しみたいという、良識ある人向けの花見の名所なのだ。

この墓地が大好きだと言う板橋区の上野さんは、「この霊園を横切る細い道は、いたって風情があり、大林監督の映画の中に入り込んだ風情があります」と語っていた。

(99/02/13)


 

吊り橋を渡り、地層を見る 音無さくら緑地    北区王子本町1-6

音無さくら緑地 石神井川は「音無(おとなし)川」とも呼ばれていた。 石神井川の紅葉橋近く、川沿いの遊歩道に面して「音無さくら緑地」がある。 帝京高校付近、加賀公園、埼京線下などに咲く見事な桜に比べるとちょっと淋しいが、4月頃に行けば一応桜は咲いている。

昔の石神井川は蛇行しながら流れていた。 しかし昭和30年代から直線化と護岸工事が行われ、現在の姿となった。 かつて川が蛇行していた箇所には公園などが作られ、川沿いの随所に旧川筋の名残を残している。 この公園も石神井川の旧川筋で、しかも渓谷を成していた所だ。
現在の河岸はコンクリートで覆われているが、ここには渓谷を偲ばせる崖が残っている。

地層の自然露頭
東京層 この崖は地質学で「攻撃斜面」と呼ぶ、川の蛇行による浸食が最も大きかった所。

赤い酸化鉄に染まった砂質粘土の地層には貝殻の化石も見られ、12〜13万年前に東京が海底だった頃に形成された「東京層」と呼ばれる地層だ。

都市化の進んだ東京区部で、この様に河岸地層が自然露頭している所は少なくなった。
緑の吊橋 この付近は数十年前まで「音無温泉郷」と呼ばれ、「音無温泉」という温泉宿もあった。

音無川渓谷には、この音無温泉郷に行くための吊り橋も架かっていた。 護岸整備が行われ、渓谷部が公園となった今では歩いて行けるが、平成7年に「緑の吊橋」が掛けられた。 全長15m、幅1.5mの小さな橋だが、吊り橋は吊り橋だ。 なにしろ本格的に揺れる。 大きく横揺れした時は本当に怖い。

(99/04/04)



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