創立70周年を迎える板橋第四小学校のPTA関係者から、調査依頼のメールをもらった。 校歌の中に『さんごの原に集まる我ら・・・』という下りがあり、昔から学校関係者の間では大きな論議を呼んでいるという。 「産後の原」なのか?「珊瑚の原」なのか? それとも「三五の原」なのか? 歌詞の解釈を巡ってPTA総会が紛糾することもしばしばあるらしい。 まず最初に学校を訪れたが、土曜日の午後であったため事実関係を知る先生達には会えなかった。 校庭開放で遊んでいる子供達を監視していたおばさんも「この学校の校歌は知らない」と言っており、校歌に関する有力な情報は得られなかった。 調査が行き詰まっていたところ、ある筋から、謎を解く鍵が近くの板谷公園にあるらしいとの情報がもたらされた。 | ||
そこで早速、板谷公園に向かった。
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初冬の公園には人影もなく、ここでも調査は困難を極めた。 |
公園にいた猫に聞いても「ニャンにも知らニャー」と言うだけで、カラスに至っては「アホー」と人を馬鹿にするだけだった。 |
あきらめかけていた時、ある入り口に、いかにも古そうな銘板が填め込まれているのを発見した。 さらに反対側の門柱には曰くありげな碑文が刻まれていた。
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碑文をよく読んでみると・・・ 本園付近一帯は石神井川流域三合野原の一部にして、寛文年中、加賀・前田候の邸地となりしより金沢と呼ばれ、由来近郊の閑地たりしが、昭和11年5月土地区分整理に際し、所有者板谷宮吉氏はこの土地千六百余坪を公園地として寄付せられ、のち本園の完成を見るに至れり。 ここに開園に際し園地の来由を記し、以て寄贈者の芳志を永く後世に伝ふ。 昭和12年4月 東京市 ・・・と書かれていた。 | ||
これで「さんごの原」が「三合野原」であることが分かった。 「珊瑚の原」ではなかったので、少なくとも、このあたりが熱帯の海であったという説は完全に否定された。 しかし「三合」が何を意味するのか、という謎は残ったままだ。 そして最大の謎は、校歌がどんなメロディーなのかだ。 (98/12/13)
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