しばられ地蔵 南蔵院 葛飾区東水元2-28-25
南蔵院

しばられ地蔵
しばられ地蔵の由来は、南蔵院の案内パンフレットによると...

享保年間、呉服問屋の手代が荷車に反物を満載して南蔵院の門前を通りかかった。 ここらで一服と門前に車を止め、境内で涼をとる内に一眠りしてしまった。 目が覚めると荷車が無くなっており、青くなって番所へ駆けつけた。

名奉行の大岡越前守の直々の取り調べとなり、「寺の門前に立ちながら泥棒の所業を黙って見ているとは、地蔵も同罪なり、直ちに縄打って召し捕って参れ」と命じた。 かくして地蔵はぐるぐるに縛られ、車に乗せられ江戸市中を引き廻され南町奉行所へ。

物見高い野次馬が、どんなお裁きが始まるかと奉行所になだれ込んだ。 頃を見計らった越前守は門を閉めさせ「天下のお白州に乱入するとは不届至極、その罰として反物一反の科料申附ける」の一声。

奉行所にはその日の内に反物の山が出来たが、その中から盗品が出てきて、それへと調べると当時江戸市中を荒した大盗賊団が一網打尽となった。 越前守は地蔵尊の霊験に感謝し、立派なお堂を建立し盛大な縄解き供養を行った。
太子堂 この地蔵尊は、盗難除け、足止め、厄除け、縁結びと、あらゆる願い事を聞いて下さる。

お願いをする時は地蔵尊の右側にある縄(1本100円)で縛る。 そして願いが叶った暁には、縄を解く...のだが、自分が縛った縄はどのように見分けるのだろうか。 次の法事に行った時にでも調べてみよう。

境内には聖徳太子を本尊とする「聖徳太子堂」がある。 「とくに厄除災招福家運隆盛商売繁盛に霊験あらたかなり」とある。 清水安子が金吉との新婚生活を始めたのが世田谷の太子堂であったから、これも何かの縁かもしれない。
四十九日 1998年5月に営まれた四十九日の法要には、5人の子供と多くの孫達、親戚、知人、そして和紙絵の弟子達が集まり、南蔵院に建てられた清水家の墓に納骨が行われた。 中央は清水金吉。

南蔵院へのアクセス
 常磐線(千代田線)「金町」駅、京成金町線「京成金町」駅
  南口より京成バス「(金61) 戸ヶ崎操車場」行き、「地蔵前」で下車し徒歩3分
  北口より、水元公園方向に徒歩で約15分
(1999/04/01)  

2000年3月の良く晴れた日曜日に、南蔵院で3回忌の法要が営まれた。 四十九日、1回忌と同様に子供、孫、曾孫などの縁故者が大勢集まり、法要と墓参が行われた。
3回忌(1) 3回忌(2) 3回忌(3)
2000年12月20日、清水金吉は安子のもとへ旅立った。 享年96歳の大往生だった。

(2000/12/24)