道頓堀

 

巷には愛の歌が溢れています。誰もが、愛のある暮らしを希求します。私達はたえず、誰かを愛した

いという衝動に突き動かされています。一方で、愛される事を渇望しています。それは“保存本能”で

す。もちろん様々な“愛の形”があります。中でも今日、多くの人が“恋愛”に傾倒しています。ナンパ

やコンパに精を出す若者から不倫願望の主婦まで、その熱に冒されているようです。恋愛は言うまで

もなく、“性的衝動”に支配された異性愛です。それは時代を超えて、連綿と男女を結び付けてきまし

た。しかし現代人のこの“熱狂”は何でしょう!。もちろん、その感情をオープンに語れる時代背景が

あります。しかしそれ以上に、あなたは恋に期待します。たとえば“女”として扱われたい。たとえば

、必要とされる自分を確認したい。欲望を充たしたてくれる彼(彼女)が欲しい。女(男)であること

以外に“必要とされる自分”を認識できません。誰かに依存することでしか“自己実現”の可能性を

期待できません。その共依存関係だけがあなたの<アイデンティティ>になります。あなたは愛に

期待します。愛だけがあなたを救う(と期待する)。そして愛に執着します(恋愛依存症)。しかしほど

なく、それがただの“幻想”にすぎないことに気づきます。あなたは彼の中に“見たいもの”だけを見

、その幻想にすがります。この共依存関係は“愛の対価”を要求します。愛しているなら…とあなた

は思います。その期待が愛を疎外します。依存する事で愛を消耗させます。愛は愛として充足され

ねばなりません。<自立>することがその条件です。自分で自分を支え、そして支え合います。

自分を愛せない人は、誰をも愛せません。

<性差>               

 “性差に基づく社会的役割(ジェンダー思想)”の固定化によって、ヒトは愛と性を商品化した。性の格差が、“買う性”と“売る性”に分化する。その制度化として、婚姻システムが法制化される。愛に粉飾された“人身売買”の制度だ。愛が性に固着する。愛は「経済的価値」に堕落する。愛は対価を求める。そして愛を消費する。