98年3月後半の日記


 3月31日(火)
 こうして日記を書くと言うことは、それはそれでいいことだ。でも、悲しいことだってあるんだ…いやいや、日記を書くことではなくて、日常生活でね。(笑)

 年度の変わり目で、明日からは新年度だ。だから、今頃大変だなぁと思っている人達はいっぱいいると思う。私は毎日のようにわかがない生活をしているので、別に特別なことはないのだが…(笑)。でも、時間的なことをいってしまうと、結局ソロでは何も作れてはないないし、ユニットの方も、しばらくは先という事になってしまった。バンドは…どうなるんでしょうか?大変だなぁ。

 でも、音楽を作ると言うこと、自分一人でということであるんだけど、そういう事への方向性というのが少しずつだけど見えてきたりして、自分としてはいい感じになってきているというのは事実だ、精神的には非常にいい感じだ。自分としても満足が出来る…というのを見つけだしつつあったりする。

 自分で聴きたい音楽を作ると言うことがいいなぁと。そして、それは、いっぱいあるんだけど、バックで流れていて、気にならないような引っかかりがないような音楽がいいなぁと思ったりしている。

 一人でシーンとした部屋にいるのは嫌だけど、だからといって、音楽に気を取られるような音楽はいやなのだ。別に嫌という事はないんだけど、静かに部屋でいることを許してくれるような音楽が欲しいなぁと思っている。

 例えば、川のせせらぎ、海の波の音、森のざわめき…そんなものが音楽だったらいいなぁと思ってしまうのだ。そういうものを作り出せはしないだろうか。そういうものを作っていきたいと思ったんだけど…出来るかな?…あははははは。
 3月25日(水)
 こうして、日記を書いている時間も考えてみると、ほとんど夜勤が多いことにびっくりする。別に夜勤だからいけないと言うことはないのだが、何かそういう時でないとパソコンを触っていないのか、または、日記という記事を書くことをしていないのかと考えると、自分の生活を少し見直したくなる。

 今は、毎日のように根無し草のような生活をしている。そう自分で言ってしまうといけないのだろうけど、今は本当にそういう感じであるのも事実だ。根無し草…そんな感じだ。あぁ、根無し草ねぇ。でも、以前だって根無し草だったことには変わりはない。ただ、何かをするときに非常に根無し草なのだ。というのも、今までは…といっても、特にns/t(NEC PC9801 NS/Tのことですが)を使っていたときのことだが…。あの時には、本当に一台のマシンを持って移動して、ずっと何があっても使っていたなぁと言うのが今でも思っていることだ。

 今は、草の根通信はDOSマシンで、インターネットとニフティ、データベースとか一般的なことは、486なWIN95マシンで、音楽は専用のハードでと、まぁ、使い分けといってしまえば聞こえはいいが、使っているものが用途によって違うので、何かしたいと思っても、いつでも出来るという事ではない。いつだって、一式そろえて持って運ぶことは駄目だ。

 以前は、音楽を作るという事に対して、今ほど積極的ではなかったし、インターネットもなければニフティもなかった。データベースもいじっていなかった。パソコンとの生活のほとんどが通信とワープロだった。まぁ、データベースもいじっていなかったことはないけど。でも、今はいろいろとやっていて、で、それらを気分でいろいろとやりたいなぁと思っているのは事実だ。

 だからといって、これらの全てが上手に満たされているマシンなんてないんだけど…ね。(笑)。ないわけではないんですけど(大爆笑)。

 今はもっと速い95マシンとマックが欲しいですね。話はいつでもこっちか(笑)

 
 3月21日(日)
 自分が思っていることを書くと言うことはなかなか難しいことだなぁと思ったりする。簡単なことではあるのだが、でも、難しいことだよね。

 最近考える事に、自分が一体どんな音楽を作って言ったらいいのかという事を考えてしまう。こんな事をいうのは変だが、自分が作りたい音楽を作ればいいと言うことを考えないくらい、どういう音楽を作っていったらいいのかという事を考えていたりする。

 こんな事をいうこと自体、何か変なのだが、自分が作りたいと思うような音楽で、作れるものは、人が聞いても別にどうでもいいような音楽である可能性が大きくなってしまっているからだというのが、実は予測されているからだ。ねぇ、困ったもんですよ。

 実は、テクノ系の音楽を聴いていると、自分が作りたいと思っている音楽…一人で作ろうと思っちゃうようなものは…は、これに近いけど、でも、自分も作ったら二度と聞かないだろうなぁと思ったりする。

 人が聞いてくれそうな音楽でもない自信があったりして…ねぇ。

 でも、気にしないで作ってみようと思ったとさ。…急に結論だったのだ。

 自分の中で自然と音楽が作れるようになったときに、初めで自分でコントロールして音楽が作れるようになるのではないかと思ったのしでした。それまで、人が聞いてくれないような音楽を、自分でも二度と聴かないような音楽だって、自分で作り出すという事が大切なような気がしていたりするのでした。何でも始めてみないとね。ついでに、誰がいいといってくれることもあるかもしれないからね。
 3月18日(水)
 音楽を作ると言うことに関しては、非常に悩むことが多い日々である。こんな事は実は普通のことだとは思ったりもするんだけどね。

 自分が作りたいと思うような音楽は…自分一人で精進しつつ作るようなものは、きっと別に特別にではなくて、自然と人が聞くように音楽は音楽にはならないだろうなぁと思ったりしています。きっと作った後で自分でも聞かないと思うようなものしか作らないと思ったりして。

 詩を作ることを考えると、自分でも再度読むことは絶対にないんですよね。(笑)。二度と読むことはないんですよね。(大爆笑)。ねぇ。ということで、そういう感じで作ったもので、きっと人が聞いてくれるようなもののも出来るといいなぁと…。そんなもの作れるんでしょうか?不明だ。

 人って、いったい何のために、作ったりするんでしょうね。プロじゃないんだから、別に人が聞いてくれるようなものを意図して作らなくてもいいだろうにと思ったりするんですけどね。

 簡単なことなんですけどね。最近は、テクノなんかを聞いていると、本当に人に聞かせるために作っているのかなぁと思ったりすることも多いんですよね。というのも、一回聞けばいいし、繰り返し聞いても耳に引っかかるなんていう事はない。歌ものは基本的にはないので…。ただ、リズムがずっと続いているという事で、だからなんだと思ったりしてね。ただのリズムボックスがなっているだけのようにも感じる。エレクトーンの伴奏とリズムボックスだけという感じなんですよね。不思議ですよね。

 あれって音楽なのかって考えると…ね。不思議なんですよね。でも、音楽なんてよね。

 自分としては…ねぇ。どうするんですかねぇ。
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