98年7月前半の日記


 7月15日
 「芯がない」

 芯がないと言われてしまった。そう、このホームページに対しての感想だ。そうですねぇ、当然芯がないでしょうねぇ。

 このホームページは、芯がないことが信条…なんていい事ではないか、少しそんなことは感じている。というのも、このホームページ、読んでいて分かると思うが、特別にこれと言った特徴がない。本人の信条とかも、もともとあまりない上に、反映しないようにしている。別にどうだっていいじゃない的なのだ。そんなに意味がないものは公開するなと怒られてしまうかもしれない。きっとそうだ、そうに違いない。私だったら怒る。でも、このホームページ、もともとは自分の練習用だったと、公開するのは自分の予定だと思っている。だから、日記ただのおまけ。お、なんと不愉快なおまけなんだ。困ったものだ。

 ということで、このホームページは、そういった意味で不愉快なんですよ、書いてる方も。でも、もっと芯がでるようなことが出来るようになればと考える。今は、小説と音楽。それを全面に…出せないって。音楽に関しては、自分で作ったものを出していこうと思っているが、全面ではない。発表の場として、出してみるのもいいかと思っている。また、小説も読みたいといっている人がいるので、その人に届けやすい環境として、このホームページに置いてみようと考えている。

 このホームページは、この様なほとんど個人のやりとりの為のものであったりする。芯は…この辺かな。

 「音楽…」

 最近は、この音楽というものを作るという事に対して自分が集中していることが感じられる。でも、きっと他の人にはノイズでしかないと思うんだけど。万人受けしない自信有り(笑)。というのも、自分にとって気持ちいいもの、そして、自分の個性というか、自分というものを突き詰めたものという事での表現を音楽でしようとしている。言葉だと難しいし。詩というのもあるにはあるのだが、詩人という人達に失礼でしょ。そして、音楽家という人達にも失礼だから、ただ、
 7月12日
 「腰痛(笑)」

 笑ってはいけない。私は腰痛だ。そそ、軽いと思ったら、腰がいってしまった。ということで、腰痛だ。でも、本当ですか?いやいや、腰痛なんですけど、でも、私の感覚だと、むしろ姿勢強制ギブスという感じです(大爆笑)。という事なんですけど。姿勢が前傾になれないんですね。大変だねぇ。だから、前屈みが辛いんですけどね。でも、後は、変な姿勢が出来ないという事で、私の変なキャラクターが発揮できないという事は悲しいことですね。ということです。

 まぁ、これからストレッチと運動を多くしないといけないなぁと思っています。

 「父が見ている」

 どうも、このホームページを父が見そうなんですよね。いい事です。いろいろと読んで下さい。でも、e-mailとHome Pageのアドレスの違いが分からないらしいんですよ。大変だ。という事で、説明してあげないとね。でも、きっと、今頃、私のホームページを読んでいることでしょう。いい事だ。ねぇ。私が考えていること、書いていることに対して、お返事下さいね。感想か。待っています。

 そういえば、反響がないんですけど。感想はないですか?みなさん。
 7月10日
 「無題な雑感」

 私は、個人的にはっきりとものを言うことは苦手なんですよね。でも、そういう事を言って比較的分かってもらえないみたいなんですけどね。そういう事を言っていると切りがないんですけど。

 考え方次第だと思うんですが、推測だけで話すという事はなかなかしない方がいいのではないかといいんじゃないかって思うんですけど。そういう事はないですか?私は、はっきりとしないのに何か推測だけで話すという事は、まぁ、ちょっとした話しだけだったらいいんですけど、そうではなくて、何かを評価するような話しの時には、ある程度はっきりしないと、話すことも避けた方がいいのではないかと思うんですけどね。

 ふと思うんですけどね。例えば、誹謗中傷する時は、当然、考えもなしに感情的になっていろいろと言ってしまうということは理解できるのですが、そうはいっても、限界があるんだろうなぁと思ってしまいます。まぁ、そういう人達に文句を言っても、理解してもらえないでしょうけどね。まぁ、そういう事を理解できない人に限って、そういう事を言っているんだと思ったりしているんですけど。

 何か分かんない話しですねぇ。要は、誹謗中傷する人に限って、基本的には我を忘れて、感情的に真実を見出すことが出来ないまま、適当に自分の都合がいい部分だけど見つけだして、誹謗中傷するという事です。まぁ、批判されてもいいんだけど、的を得たことを言われたいなぁと、そういう事です。

「本当にしたいことは何ですか?」

 ふとそんな事を考えてしまったのでした。まぁ、ねぇ。

 今やっている仕事に関しても、すごくそう感じますね。まぁ、確かに生産性というのは大切なことですけどね。生産性なんて、何か作っているという感じですね。今、福祉最前線という感じで老人介護をやっていますが、福祉って何ですか?という感じです。今の仕事…確かに人にほめられることは多いですが、ですが、私の施設では、そうですねぇ、決して人に誉められるようなことはしていないですからね。単純に、例えば介護の学校で教えているようなことで、やっちゃいけないですよと言うようなことをやっていますからね。まぁ、そういう事は、普通ですよ…と言うのもある思うんですけどね。

 福祉に関してどういうイメージがありますか?ねぇ。警察というのは、正義でしょ?福祉も正義だと思わないですか?人を助けるという事に対して、全力で…と、思わないですか?でも、そんな事はないんですよ。もっと、ちゃんとそういう事が出来るような環境で仕事がしたいですよね。

 インターネットでもそうなんですよね。正義という事ではないんですけど。(笑)。もっと人に出会える場所だと思っていたんですけど、駄目ですね。向こうからこっちを発見してくれると思ったら、そういう事はないですね。だから、こっからもっとアプローチしないといけないんですね。そう感じています。もっともっとしないといけないと言うことですね。自分が足りないって事でしょうか。


 7月8日
 「あぁ、エディター」

 何か、エディターという代物は難しいですね。要はこういうことです。ウィンドウズ用のエディターで、フリーでいいエディターがないという事なんですよ(笑)。ただ、それだけです。(大爆笑)。欲しいのは、やっぱり、行の表示とか桁の表示ですよ。そういったゲージというか、そういうのが欲しいです。当然、シェアウェアだとあるんですよね。そういったものが欲しいですね。自分で作れって?そうねぇ。誰かデルファイとか、C++ビルダーとか下さい。欲しいけど、お金がないのだ。という事で、相変わらず前途多難ですね。マック用だとあるんだけどなぁ。まぁ、ViVIの昔のバージョンだとあるにはあるんだけど…使用上問題はないと思うんですけどね。


 7月5日
 「文化と普通」

 たいそうなタイトルですが、気にしないでいこうと思います。

 普通…なんと曖昧な言葉なんでしょうか。こんないい加減で明な゛平気で使う言葉はないでしょう。いや…あるかな。でも、私たちは普通、曖昧に「普通」という言葉を使っていますね。

 「普通」とはいったい何のことでしょうか?常識的であるとか、平均的であるとか、はたまた暗黙の了解というものもあると思います。考えれば正体不明な言葉ですよね。でも、そういう事は思っていても、普通という言葉を使ってしまいます。でも、そういう言葉で私たちは安心しているし、自分を守っています。自分にとっての標準で、守るべきもの。自分を自分である為に、維持していかなくてはいけないものだと思っています。自分にとっての普通というものがあってこそ、自分が普通であるという事が出来るんですよね。自分にとっての普通が、自分を普通として扱えるし、自分自身が自分である、自分が自分にとって異物でないようにするために、自分にとっての普通があると思うんですけどね。

 気がつくと、普通という言葉は、他人と自分を対象的に捕らえたときに、この普通という言葉を使います。自分と他人を比べたときに、自分の標準はこうよ!という時に普通という言葉を使いますね。そして、これは、考えてみると、自分にとっての普通、そう自分の個性としての普通という事になります。個性という言葉で言うとちょっとニュアンス的に難しいですが、その人らしさという事も言えると思います。当然、世間常識と一致しているものもあると思いますから、全てが変わった感じの個性というわけではないと思うんですけどね。でも、その人にとっての普通というのは、その人の個性を形作るものであるという事には間違いはないと思います。

 本当に普通というのは自分にとっては、大切なものだと思います。でも、その普通を作っているものは、文化なんですけどね。文化?…そう、文化なんですよね。文化という事なんですけど、文化とはここでは、俗に言う民族とかで出てくる文化ではないんですよね。その人が生きていた環境…という意味です。生活環境、そして、価値判断という感じです。価値観というかな。別に、音楽とか芸術とかという事ではないという事です。生活習慣、生活環境ですね。だから、風俗という方がしっくりときますね。ただ、そういう言い方をすると、ニュアンスが違ってしまいます。というのも、生活という事がちょっと前提に出過ぎます。私がいっているのは、その風俗の前提になっている核の部分という意味です。そういう意味での文化です。だから、価値観とか、価値判断の基準とか、そういう部分ですから。何が正しいとか…そういう部分ですよね。

 人を育てるときにはやはりその様な文化というのが大切な要素になると思います。その人にとっての普通というものを形作る大切なコアの部分になると考えられます。まず、私たちは、自然と環境の中で生きているからです。ですから、その環境に対して反発するなり同調するなりしても、その環境自体を否定してまでは生きる事は出来ないのです。そして、その環境によってその人の普通というものが出来上がっていると思います。普通というのは、その価値観だと考えられるからです。その様に文化というものが、その人にとっての普通というものを作り出すのではないかと私は考えます。普通が違えば、文化も違う。文化が違えば普通も違うのです。

 この様に、普通が違うという事は文化が違うのです。この様なある意味絶対的に違っている大きな文化を返ることは出来ないので、普通も絶対に変わらないのです。あぁ、変わんないんですねぇ。しょっくぅぅぅぅぅぅ。
 7月4日
 「viとか、華麗なるエディターたち」

 私は、物書きではないので、特別に何か特別な方法を持っているというわけではない。だが、パソコンというものに出会って、字を書いているので、どうしてもエディターというものに出会ってしまう。そして、エディターと共に過ごす時間は多い。

 私は今でもDOSな人であったりするので、自然とDOSのエディターにはお世話になっている。また、自分で気に入った95のエディターに出会っていないという事もあるだろうね。マックだとYooEditというエディターに出会っているからいいんだけど。でも、エディターにはそれはそれでこだわりみたいなものとはあるらしいんですけど。

 以前から、viというエディターは知っていた。どうも狂信的な信者がいるらしいのだ。で、その信者達が使っているらしい。DOSにあったというわけではなくてUNIX上にあるエディターで、どちらかというとシステムに標準に付いていくるエディターのようだ。UNIXでは、MuleとかEmacsという方が有名だもんね。で、DOS汎用のViとかを使ったりして遊んでいる。シンプルで単純だけど、使いにくいエディターではある。ただ、慣れてくるといい感じだなぁと言う気がして、恐い気もするんだけど(笑)。viモードを持っているViViというエディターもある。なかなかいい感じだけど、今はシェアウェアーだし。フリーでVimというのもあるらしいんだけど、なんか変な感じはするんだけどね。でも、字を書くときには自然とDOSのエディターに走っている自分って…ちょっと恐い感じですね。あぁ、大変だ。まぁ、そんな事を切りがいないんだけど。もっとフリーのちゃんとしたエディターがあるとは思うんだけど、今は、別に今のままでもいいかなぁと思ったりしています。

 まぁ、そういった環境としてのエディターによって自分の考えというのは具体化されていることに気がつかれます。でも、viはもっと使いこなしたいなぁ。

 自分がもっともっとエディターを使って字を書かないといけないなぁと思ったりしています。そんな事は普通はあまり思わないんでしょうけどね。もっと、自分で書くことによって、自分自身を表現したり、作品というか自分の気持ちというか、生産したいというか、外に出したいというか、そういう事を考えています。そういう事が本当にいいことなのかどうかと言うことは自分でも分からないことなんですけどね。でも、そういう事をもっとしなくてはいけないなぁと思っています。

 字を書くと言うことに対して自分がどう思うのかという事は大切なことですけど、でも、自分にとっては、人と話すことと同じように自分が考えていることを話すという事は大切なことだと、自分でも感じています。自分が生きているという事の証明をするには、やっぱり書くと言うことは大切だしね。そんな事、いわれなくても分かっているんですけど(笑)。でも、大切なことだと思うんだよね、基本的というか。今は、そういう事はしないみたいだけど。

 大切なことは何ですか?と、考えたりしないですか?もっと、自分というものを大切にして、生きていかないといけないなぁと感じています。字を書くこと、そして、字を書く道具としてのエディターに出会って、そして、何を書こうかとかどういうエディターにしようかとか、そういう事を考えたときには、いつでも、その手の事は考えてしまうんだよね。書くことの大切さというか。もっと書かなくちゃ、何のために生きているんだろうかとか。大切だと思うんだけど。思わないですか?もっと、自分が、こういう文章だけではなくて、小説とか書かないとなぁと思ったりするんですけど。小説を期待している人もいるんだよね。そういう人達のためにも、ちゃんとしたものを書かないとね。その前にエディターをちゃんと使えるようにしておかないと(笑)。
 7月3日
 「暑いですけど、そんな事は大切だ」

 暑いですね。本当に暑いですよ。でも、いいか。暑くてもたいして、大切なことはないのだ。でも、暑すぎて亡くなった人もいるって事で、暑すぎて大変ですよね。ある程度しか、暑いのって人は許容できないと思います。私も暑いのは、ある程度までしか駄目ですね。特に、最近は運動させていただいていないので、そういう事は大きいですよね。ドライブとかも行っていないし。精神的に、やっぱり無理している部分があるので、そういう時には精神的にもよくないですよね。そういう事はみなさんは感じないですか?インターネットでは当然だけど暑さって感じないんだですけどね。

 暑くて、みんなは大丈夫なんだろうか?でも、暑くても外で働いている人もいるから、大変だよねぇ。がんばってくれぇぇぇ。

 「もっとがんばりたい」

 もっとがんばりたいなぁと思ったりしています。実は、最近は自然と字を書くことが多くなって、自分がいい感じなんだと思ったりしているんですけど。自然と字を書くことに自分がいっている感じがします。いいことですよね。パソコン関係の事で書いていることも多いんですけどね。実はこの日記を書いている量がもっとも多いかな。でも、手紙なんかも書きたかったりして、考えることいっぱいです。「小説は?」と聞かれたりするんですけど、ねぇ。書かないと。もうちょっと環境が整えばいいんだけどね。なかなか大変だよね。音楽も作りたいし。

 「環境は大切だ」

 そんな事は感じないですか?私は感じるんですけど。何をするにも、自分を向かわせる環境がちゃんとそろっていないと駄目だよね。そんな事ばっかりいって、言い訳するなといわれてしまいそうですけどね。自分がいいなぁと感じるような環境に早く行きたいものですよ。でも、きっと、もうあるんだよね。

 絶対的な自分がいて、それが、何かを選ぶんですよねぇ。
 7月1日
 「内省的…」

 内省的だという事はいっぱいだ。と言うか、自覚的にいろいろとやってみたいと思っている。自覚的になると言うことは大切なことだ。内省的であるという事が自覚的だという事ではないんだろうけど…言葉的には正しいんだろうか?内省的…というのと、自覚的というのは本当に一緒なの?…しばし考えるの図…違うよね?(笑)。

 内省的になって、自らを確かめ、自覚的に、出来るだけ自分の周りのこと全てに関して、自覚的になって生活したいし行動したいと思っています。

 そんな事出来るんだろうか?大変だけどね。出来るだけがんばってみたいなぁと思っているんですけど。

 でも、最後に行きたいゴールを無自覚であってもちゃんと見つめたまま行きたいものですよ…。だから、お金がなくなっちゃうんだなぁ(大爆笑)。


copyright:MASAAKI FUKUSHIMA
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