98年7月後半の日記


 7月26日
 「最後の夜勤」

 今は、夜勤の最中です。ここでの夜勤も最後となるのでした。でも、特別に変わったことはないです。精神的は何も変わりはないです。どうという事はないんですよね。だって、今まで通りだし。(笑)。最後というほどのことはないんですよ。また、やることには変わりはないしね。という事で、今まで通りなのでした。

 「毎日の中で、クリエティブな時間」

 毎日の生活の中で、クリエイティブであるという事はなかなか難しいことだと私は感じている。こうして、字を書くことだってなかなか出来ないし、おもしろいことは書き続けることは難しい。自分だって、毎日何かないかと本屋に行ってみるのだが、特別にどういうことはない。新しい記事や内容というものには出会えない。私は、いつでもそういう感じがある。感動しないし、おもしろいとは思えないことが多い。毎日、淡々生きている…という感じだ。自分が、もっと毎日に何か希望とか、そういうものを感じたいと思っている。でも、なかなか難しいなぁと感じている。

 自分の中で、クリエイティブであれるようにするというのは、自分自身の問題なのだなぁという事はすごく感じている。自分は、そういう感覚になるまでにスイッチするのは随分と時間がかかってしまう。そして、そうしている時間というのは他のものを受け入れるという事はないので、まぁ、そういう環境が今まで通り続けばいいのだが、難しいなぁと感じていたりするんですけどねぇ。

 そして、クリエイティブであると同時に、自分としてももっと小回りが利くようにしていきたいと思っています。というのも、機材を減らすこととか、その機材自体も、自由度が大きくて、自分の中で簡単に何かを作り出せるようなもの、再現が楽なもの…。でっかくないという事も大切だと思っています。コンパクトでもいいものっ多いですからね。プロの世界でも、SC88とかも評価されていますからね。まぁ、それをいいと思うかどうかは、個人差だけど、でも、大切なことだと思います。コンパクトでベーシックな音をSC88で、インパクトのあるちゃんとした音は、他のシンセで…と言うことも大切ですよね。私は大切だと思っています。

 今はサンプラーとか、そういうものがあって、便利になっています。でも、それを上手に選ぶ自分、そして、使い切る自分。そういう自分をもっと自分の中で育てたいと思っています。

 「絶対的な自分」

 人は、きっと絶対的な自分というものをもっと持っているのではないかと思う。その逆で、絶対的な自分というのではなくて、柔軟性があると自分というものも持っているのではないかと思うんですよね。絶対的というのは、強固な自分だけど、それが逆に柔軟性がある自分というものはもっといるのではなかと思うんですよね。強固なはっきりとした自分がいないと、柔軟性がない自分というものもいないと思うんですよね。だから、そういった自分が欲しいですね。大切なことだと思うんですけど。それも、訓練だと思うし。やっぱりそういうところで、自分を作っていかないと駄目ですよね。毎日が訓練だなぁ思うんですよね。

 毎日の生活の中でしか、人は鍛えられないと思うので…。本当は、体も鍛えたいなぁ思っていたりした(笑)。でも、根性無しなので駄目ですねぇ。がんばらないと。でも、1日の中で、何かを作って、体を鍛えるなんて、それが上手に出来るだけでも、天才というか、そういう感じがしますね。攻撃的な姿勢…という言葉がありすけど、私もそういった姿勢を自分の中でも、上手に維持しつつ何かしたいなぁと思っています。まず、毎日の生活パターンですよねぇ。また、周りに迷惑をかけそうですね。(大爆笑)。
 7月23日
 「音楽を作っています」

 今日は、MPS(私が主に主催者となっているパフォーマンス集団)の奥村さんと作業をした。「2人で何か作りましょう」という事で、作成に入った。別にどうと言うことはなくて、お互いのさぐり合いという感じだった。

 私は、パワーブックで音楽作成。どうやって音楽を作っているのかと言うことを見せた。パワーブック165で、ミディグラフィーとEZビジョンをシーケンサーとして、音源はクイックタイム2.5とヤマハのGM/XG音源付きのミニ・ミディ・キーボード。後はシーケンサーのQY700だ。内容的には、作業をするための机などがなかったため、畳に寝転がっての作業。音の断片をいくつか作って聞かせる。奥村さんは、「へぇ」と不思議そうに見ているのでした。

 奥村さんは、私の作ったいくつかの詩をみて、チョイスして写真などをスキャナで取り込み、そして、私の詩を中に入れたり、加工してプリントアウト。私は、その様な作業をしているのは始めてみるし、ましてやパフォーマでなんて見るなんて思わなかったし、悪く言えば酷使、よく言えば使いまくっているなぁという感じで、こちらとしてはすごいなぁと関心というか、感慨にふける。私もそうだが、結局昔のマシンを使いまくっているという人は多い。しかし、この酷使の使用はすごいなぁと思ってしまった。まぁ、私のパワーブックも中古品だが、前のオーナーはあのパワーブックでフォトショップを使っていたというのだから驚きだ(笑)。まぁ、私もウィンドウズではアクセスを486DX4−75のマシンで使っていたり…正確には開発なんだけど…するからねぇ。

 私は、まぁ、68030−25のマシンでやっているんだから、考えてみるとすごいよね。でも、必要な程度には動くんだから恐いんだけど。でも、165は、画面の解像度的にちょっと辛いものがあったりするので、もうちょっとそういう意味では、画面が広いものが欲しいですね。まぁ、エクセルを使っている人が広い画面が欲しいというのに近いと思いますけどね。

 ということで、特別何かはっきりとしたものが出来上がったという事ではないので、今後に期待しています。その内、1日に1つは出来上がるのではないかという予感。どうでしょ?
 7月16日
 「音楽と音符」

 今月のサウンド&レコーディング・マガジンはおもしろかった。まぁ、カール・ストーン氏の連載にあのMAXの作者とのインタビューがあったのだ。その中で、音楽は音符ではないんだ…的なことが書いてあった。興味津々。

 そういう事は、最近は考えたことはなかった。なかったわけではないのだが、まぁ、そんなに真剣には考えていなかったような気がする。今はmidiは流行らないという事があったりしますけど、そういう事なんだなぁと思ったりします。もっと直感的な音そのものに対してアクセスするという点では、midiは意味がないというか、有効ではないんだなぁと感じます。今のコンピューターは、本当にジャムセッション的に作れるんだなぁと思ったりしています。欲しい音を思いのままに…と言うことが、今のマシンでは出来るんですね。

 自分もそういう事を考えていたりします。もともと、楽器が出来ないので、midiも記号として使っていますけど、それ以上に、感覚的なものとして使っている感じがします。何か、詩みたいのを書いているときの感じに近いなぁと思ったりしています。という事で、今は直接的に音は扱っていないという事なんですよね。直接的に扱うと、細野さんも言っているけど、すでにミックスが始まっているんですよね。後からと言うことはない。まぁ、後からいじれるんですけど。でも、感じますね。こういう音圧でいきたいという事を前提にしたりしていますからね。

 まぁ、いろいろとあるんですけど、そういう形で作れないかと思ったりしているんですけど。なかなか…ね。


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