99年8月後半の日記


8月31日
「8月も終わり」
 といっても、特別にどうということはないのでした。そそ、どうということはないのです。ただ終わりなだけ。不愉快なことも時限付きで終わって欲しいものだ(笑)。
8月25日
「毎日のこと」
 毎日のことだが、自分の事を考える。自分の事だけではなくて、それを含めてかな?「自分とは一体何者なのだろうか?」とか、「自分はいかにしたらよいのか」を考えたりする。そういう事はあまり普通のことではないんだろうか?

 毎日のように自分を訂正したり、また、再考したりする。本当によかったんだろうかと…。自分には自信がないなぁと言うのが本当だ。仕事に関しては、いったい何がいいのかという事をいつでも、考えさせられる。そういう事はないんだろうか、普通は。気が付けば考えたりしている。

 まぁ、自分の考え過ぎかなぁという事はいつでもあるのだが、でも、もっとも適切なこと…という事を考えることと言うのは普通のことではないんだろうか?みんなは、そうしないんだろうか?不思議。

 まぁ、人には好みというものがあって、それもあるのだろうけど…。
「核になること」
 核になること…もっとも大切なこと…そういう事はいつでも、念頭に入っているんだろうか?大切なこと、もっとも目指すべき事、そういう事を前提に行動しないと当然自分が思ったとおりにはいかないし、また、そういう事なしに行動したときに、一体判断はどういう風に行っているんだろうか?不思議だ。自分の中に整合性をちゃんと保てるのだろうか?自分の中で整合性を保たないで、自分を維持できるのだろうか?

 自己同一という言葉があるのだが、そういう事は自分の中での整合性がとれている状態なのではないんだろうか?そう言ったことの核になるようなことをちゃんと意識しないと…難しいのではないんだろうか、実は生きるという事は。整合性をとるという事はなかなか大変なことだけどね。

 自分の核になること…みんなは見つけられているのだろうか?
8月24日
「一年が経った」
 仕事が変わってから一年が経った。結果から言うと、いいことはなかった。結局どうにもならないという事には変わりはないし、特によくなったという事はなくなっている。悪くなったことはいっぱいというかあるけれどね。まぁ、そんな事言ったって仕方がないんだけど。まだまだいろいろと改善しないといけないという事でしょうか。そのアイディアを出すのは、基本的には私なんですけど。便利屋ですね(笑)。

 結局、いろいろとやってはいるけど、もう基本的には参っていて、がんばりきれないなぁという感じ。大切なことは何なのかもっと考えて、ちゃんと生活しないと…。仕事も大切だけどね。もっと大切なことはいっぱいあるし。リフレッシュは大切です。

 初心というのは忘れるためにあるのかなぁなんて、傍観者のように思ったりもすることはあります。仕事をする環境というものがあるけど、何か、そういう事はどうでもいいという人はきっといるんでしょうね。やる気というか。恵まれているという事をついつい忘れてしまいます。もっと、本気でいかないとね。

 何かね。大切なことはいっぱいあると思うんだけどねぇ。何のためにこうして仕事をしているのかという事を出来るだけ忘れないようにしたいし、忘れないで欲しいですね。
8月16日
「言っていることが通じない」
 人は生きていると、自分が思っていることや言っていることが通じないものだ。まぁ、普通のことのように日常茶飯事あると言っていいだろう。不思議なことではない。しかし、気が付くとそういう事ばかりが起こってしまう集団に所属していると、自然と自分が言っていることが普通のことではなくて、「特別なことで、異常なのではないか…自分が、普通ではないのではないか」と感じたりすることがある。

 所属している集団の質という事もあるだろうし、また、その集団の元々から持っている文化の違いというものは当然あるだろう。しかし、文化が違うと大切なことが随分と違ってしまう。違ってしまう…程度であればいいのだが、自分が一脱する事は当然のようにある。

 私の小学生の時であった。転校していった先でのこと。縄跳びというのは当然あるのだが、そこで、「綾飛び」とだと思ってやっていると、友達がそれは「交差飛び」だ。というのだ。そんな事はないと言うが相手はがんとして聞き入れてくれない。「だって先生が言っていた」というのだ。確かに全校生徒で縄跳びとなってやってみると確かにそうなのだ。不思議。そして、翌年、「今年からは…」という感じで、今度はちゃんと「綾飛び」は「綾飛び」となって、「交差飛び」は「交差飛び」になったのだ。「やっぱりいった通りではないか」と…。そう、先生が間違っていた…というのが事の顛末だったのだが、それまでは私は異端児であった。その世界からは一脱した人物であったのだ。

 文化が違えば当然違う。しかし、当然そういうことはあるんだろうが、自分がちゃんと話しても通じないと言うのはどういうものだろうか。文化的な違いなどなく、ちゃんと話しても分かってもらえない…というのは。ただの無気力に包まれてしまう。もちろん、包まれてしまってもいいのだが…。
copyright:MASAAKI FUKUSHIMA
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