99年10月前半の日記


10月14日
「本がいっぱい」

 という事で気がつくと、本がいっぱいあることが判明しました。いい事です。ですけど、読んでいる時間がないということに気がついて精神的にはよくないですね。考えてもしかたがないことですけど。ですが、今はそうして本を読むという事をもっと定式化したいなぁと思っているのでした。いいと思うんだけどね。

 本を読むという事が最近はなくないっているなぁと思ったりしています。ねぇ。精神的によくないですよね。自分のバックボーンとなるようなことがなくなっているわけですからね。そういう事は少なくしたくないです。もっと、いっぱい読みたいなぁと思っています。自分の思考形態を変えたいなぁと思っているし、また、試行錯誤したいですね。ただ、やればいいと言うものではないんですけど。でも、もっと考えてもいいかぁと思っています。何か考え方が、実は一元的なのではないかと思ったりしています。ちょっと、大切なところを見落としているのではないかと思うんですよね。そういう事って、ないですか?何か実感として…ねぇ。困ったものです。大切な心の優しさも忘れているなぁという感じですね。適当に交わすという事も少し出来なくなっているしね。という感じでした。…。はぁ〜〜。
10月5日
「心の闇だったの?(笑)」
 と思ってしまったのでした。厳密には、心の闇と言うものではないのではないかと思ったのでした。いや、別に違うというのではなくて、書いたことがちょっと違ったかなぁ〜〜という感じでした。まぁ、いいか。書くことは難しいのぉ。

 心の闇というのは、本当に闇で書くことは難しいんですね。ふと、そう思ったのでした。…。闇とは一体なんだろうか…。ちょっとぱらぱらと書くのがいいのかなぁって思ったのでした。

 心の闇を感じる時ってどんな時だろうか?ねぇ。今は…そうですね。どんなときでしょうか。何かも自分がいらいらしているときですね。そして、意味もないのに悪意があるとき。まぁ、もっと冷静に考えれば別にどうでもいいことなんだけど、その時は、悪意に満ちているというか。そういう時ですね。自分でもいいようがない感情ですね。そういう事は、何か感じたことは今までほとんどなかったんですけど、最近は多いですね。来津と、解消できないことが多いからでしょうか、それとも、必要以上に善意で仕事をしようとしているからでしょうか(笑)。私は、どうも、それのどちらも感じるんですけどね。私は、ふとそんなことを感じています。仕事は確かに大変です。本当は、こうして、日記なんか書いている余裕なんかないんですから(笑)。書かなくてはいけない書類はいっぱいです。でも、それを自分で書いているという感じ。参ったものだ、自分で見つけだしていたりもするし。そして、休む余裕はない。大変ですね。

 大切なことはもっと別のところに行きます。大切なことはもっと自分をコントロールするという事ですからね。今はコントロールが難しいなぁと思っていたりします。まぁ、コントロールが難しいという事を、ふと考えたりしていると…実は、ゆったりとする時間がない…という事なんだと思うんですね。自分がゆったりとする時間…そういう個の時間がないと実は自分を上手に取り戻せないのでないかと思ったりしています。そんな事あるんだろうか?そう思うでしょ?私の場合にはある感じですね。不思議ですけど。

 静かにしている時間、ちょっと息抜きに話をする時間…そういう時間というのは大切だなぁと思うのです。話と言っても、自分の興味があることを話す時間ですけどね。
10月2日
「自分を考える…心の闇」
 心の闇。この事を考えたりしているんですけど。まぁ、今は、自分の事なんですけど(笑)。という事で、ちょっといろいろと考えた結果。そね、自分に自信がなかったという事ですかね(笑)。まぁ、何かったなんて自分で言うのも何ですけど(笑)。まぁ、いいんですが…。

 自分の心が揺れるという事はどういうときか?という事なんですけど、気が付くと、そね。自分の存在意義が問われたときに、自分が揺れるんですね。自分は何者かとか、そういう事を考えるとね。自分の存在意義が、環境の中で見いだせなかったときに、実は、結構人間というのは参ってしまうのですよ。?そうです、参ってしまうのです。存在意義…というと、面倒ですが、何で自分がいるのかと考えると、それに答えがないとか、実はいなくていいということが分かってしまうと、ショックは大きいのです。自分が必要とされていないと言うのは、当然ショックだし、また、いる意味がないという事はショックなのですよ。ねぇ。という事で、そういう事を延々と考えると切りがないんですけど、とにかく何で自分がいるんだろうかと考えると、自分がふらふらとしてしまうのです。…詳しくは精神分析間本でも読んで下さい。

…自分というものは、自分です。それは、存在意義という言葉で表現すると、存在意義がなくなってしまうと言うのは、存在する理由がないという事です。という事は、いなくてもいいということなのです。ですが、そういう事は個としては受け入れがたい事です。というのも、自分が自分でなくなってしまうわけですからね。居ていい自分が居なくなってしまうんだから。ねぇ。存在意義がなくなったものは、自然と居なくなるというのが普通ですからね。そう考えると、存在意義がなくなってしまった自分と大変なことですね。…

 という事で、自分の事を自分で存在意義を見いだせなくなった…、そう、自分で自分の存在意義を自分で否定する…という事でもあるわけです。「自分て何だろう」と思ってしまうと、すると、意味が自分で見いだせない、という事は、自分の存在意義が見いだせない、そうであれば消えるしかない…と。簡単なことですけどね。私の場合は、自分て何だろうかと思う以上に、今の存在を肯定できるような要因が今はないという事なんですよね。今後もきっとないだろうと。そぉ、自分以外の誰かが出来るようなことをするということは、そういう存在であるという事は、別に今は居る必要はないんだ…という感じになってしまうわけです。自分というこの存在意義がないわけですからね。自己疎外…という言葉もありますが、まぁ、そういう感じでしょうね。そういう感じで、自分の存在をちゃんと自分で明確に出来ない、そして、出来ない原因が自分にあるというのは、本当に大変です。その自己疎外をしてしまう自分…整合性がとれなくなった自分…、それは、自分の心の闇がなせる技です。本来は、自分というのものは、自分を肯定するのですが、否定してしまうわけです。そう、心の闇が自分を否定してしまうのです。参ったものですが、事実ですね。

 この心の闇が何によって生まれたのかという事は、まぁ、仕事での様々なトラブルなんですけどね。
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