ども、久々の'Eau De Vie'、今回は、ちょっと見方を変えたお話を。
先日、TVでおもしろいルポをやっていました。
何かというと、最近食品関係の標準化が行われていて、各種の食品を定義/標準化しよういう動きが進んでいるそうです。
そのTVが取り上げていたのが、韓国のキムチの定義でもめているというお話なのです。
キムチというのは、皆さんご存じのように韓国の、あのキムチです。
で、意外に勘違いされているのは、キムチは漬け物というよりも実は発酵食品というのが韓国では本来正しい見方なのだそうです。
確かに、キムチも漬け物も本来保存食なのですけど、日本のような塩や糠床に漬け込む漬け物というよりも、各種の発酵したタンパク質や、果物等の糖質を組み合わせて発酵を促す事によって、野菜類に別の栄養素を付け加えていったものと言えば良いでしょうか??
日本でもキムチと言えば、韓国食材として非常に人気があるわけですけど、今市場に出回っているキムチって、その多くは実は発酵食品では無く、多くの日本製キムチってのは浅漬けタイプと呼ばれるものなのです。
つまり、日本製のキムチの多くは、キムチの特徴的な味わいを調味液で再現し、野菜類をそれに漬け込む(というか、浅漬けタイプですから'まぶす'ってほうが正解でしょうか??)というもので、発酵はさせていないのですね。
と言うことは、日本製キムチはキムチじゃ無いって事になるのでしょうか??
ところが、この日本製浅漬けタイプのキムチ(つーか、モドキかな???)の存在が、さっきの食品の標準化の流れで本家韓国の発酵食品足るキムチの存在を脅かしているのです。
つまり、日本の浅漬けタイプキムチがキムチの一つであるとすると、韓国製の発酵食品であるキムチはヘタをするとキムチでは無い別の発酵食品となるか、もしくはキムチの一種とされてしまいますし、韓国のキムチがキムチであるとされれば逆に日本製の浅漬けタイプキムチはキムチで無くなるというわけです。
さて、そうなると当然本家の韓国も自国の食文化の一つのキムチを否定されるわけにはいきません。
勢いキムチとは、韓国の発酵食品足るキムチが本当のキムチであり、キムチの標準仕様であると主張するわけです。
ところが、日本の市場ではなんだかんだ言って浅漬けタイプのキムチが主流であり、もし発酵食品の韓国製キムチが標準仕様とされれば、日本の浅漬けタイプのキムチを作っている業界はキムチの名称を使えなくなり、多分かなりのダメージを受ける訳ですから、業界団体と農水省やら通産省やらの役所は一大論陣を張って、浅漬けタイプのキムチをキムチの標準仕様の一つにしようとがんばってしまって、話は平行線をたどっているそうなのです。
さてさて、何でこんな話になるのでしょう??
ご存じのように、今世界はいわゆる'グローバルスタンダード'の名の下に、色んな事が標準化されて行っています。
でも、そもそも全ての事柄が世界の個々の民族や環境を無視して標準化されなければならないのでしょうか??
と言ったところで、ようやく'Eau De Vei'らしいお話をしてみましょう。
未だ世の中で'グローバルスタンダード'なんて言葉もなかった時代に、このキムチのお話に良く似た話がお酒の世界でもあったのです。
何かと言えば、それはビールなのです。
皆さん、ドイツに'ビール純粋令'というのがあるのをご存じでしょうか??
ドイツでは、ビールってのは麦芽とホップと水だけで作られたもののみをビールとして認めています。
それが、'ビール純粋令'という法律なのです。
ところが、米国文化圏のビールっていうのは麦芽、ホップ、水以外にコーンスターチや米などという糖質成分の副原料を加えて作られるのが殆どです。
ちなみに、日本のビールの殆どがピルスナータイプと言いながら製法的には米国流のやりかたです。
ある日、そんな米国が米国製のビールをビールとドイツが認めないのは貿易障壁だと噛みついた事がありました。
当然、ドイツ側は'ビール純粋令'がありますから、副原料を使用する米国のビールをビールと認めるわけにはいかないと、当時議会は大紛糾したそうな。
何と、議会の壇上で大ジョッキを飲み干して、'こんなうまいビールがあるのに何で外からビールを輸入せねばならんのだ'とのたまった議員もいたそーな。
で、結局どうゆう落とし所になったのかは知りませんが、とりあえず丸く収まったみたいです。
そういえば、日本のビールってのはアルコール度数と主原料の量なんていう非常にあいまいな規定のクセに(だからでしょうかね??)発泡酒なんていうジャンルも出来ちゃいましたよね。
あ、そうそうベルギーの果物を漬け込んだフルーツビールは、日本ではビールではなくリキュールに分類されてますね??
でも、もしさっきキムチのようにビールの標準化が行われたら、どうなるのでしょう??
多分、大論争になるでしょーね??
主原料のみか、副原料を使用して良いか、アルコール度数は等々.....
(ちなみに、'副原料一切無し'とのたまう某社のビールは、何故エビスの足下にも及ばないのだろうか???そういえば副原料を使っていないと自慢する地ビールの類も、ホントにうまいと思えるのはごく一部だったりして....)
例えば、これが蒸留酒の世界ならどうなるでしょう??
'ジン'は、ロンドンジンが'ジン'であり、オランダジンなんかのフレーバージンは'ジン'じゃないとか。
ウオッカでも、フレーバウオッカはウオッカじゃないなんてね??
ウィスキーはどうでしょう??
スコッチウィスキーがもしウィスキーの標準になったら、バーボンウィスキーはどうなるのでしょう??
ちなみに、米国にはバーボン法というバーボンを始めとしてコーンウィスキーやライウィスキーも含めて、ウィスキー系のお酒は厳密な定義がされています。
(なんてたって、原料の配分だけでなくて、寝かせる年数や何と樽の使用方法まできっちりと定義されているのです)
ねえ、バーボン法でせっかくきっちり定義されているバーボンウィスキーがウィスキーの名称を使えなくなるかも知れないわけです。
もし、そうなれば当然、米国も黙っていないでしょう。
え、名前をバーボンだけにすりゃ良いって??、駄目ですよそれ。だってジャックダニエルはバーボンじゃなくてテネシーウィスキーなんだし、ライやコーンウィスキーはどうすりゃ良いのです???
(実は、アメリカンウィスキーというのも存在するんですけど....)
さあ、何でもかんでも標準化するのって、ホントーに良い事なんでしょうか??
確かに工業製品、特に機械関係の場合、その効果はあるかと思います。
他にも、企業評価の為の会計基準とか、金融関連の共通ルール等々、標準化されたほうが良いものも沢山あると思います。
でも、最初にも言ったように、個々の民族の文化や環境が生み出した食文化の世界を標準化する事が本当に正しい事なんでしょうか??
筆者は、決して正しい事では無いと思うわけです。
世界中の食文化がマクドナルドのハンバーガのようになることを、筆者は望みません。
(確かに、マクドナルドの、世界中どこでも同じものを提供するというコンセプトも立派なものだとは思うのですけどね...)
ある国の食文化を、それに類似したもので潰す必要は無いでしょう。
日本の中華料理は、台湾の中華料理には近いけど、本家中国の中華料理とは違うものだと、良く言われます。
でも、これもある意味別の進化の過程を経た結果です。
日本人は、そんな中華料理も中華料理と認めているわけですから。
だから、日本の浅漬けキムチと韓国の発酵食品であるキムチを並べて、どちらがキムチの標準だ??と角付き合わせるのは、実は単なるエネルギーの消費に他ならないんじゃーないでしょうか??
そんな標準化しようとするから、もめるんです。
別の進化の過程で生み出された類似する食品があっても良いではないですか???
世の中には、曖昧なほうが良い事柄もあるんですよ、実は.....