∴450〜四人囃子/ボックスセット発売決定記念その2(98.10.04 98.10.7 訂正 2001.10.28一部掲載中止)

 ようやく陽気も秋らしくなって、ホッと一息といったところでしょうか??
そんなさなか、発売されましたねー、'
四人囃子アーリー・デイズ'。
なんとまあ、ボーナストラックには'煙草'と'ライト・ハウス'が収録されているじゃーないですか!!!
いやー願いが叶ったと言ったところでしょうか??
ちなみに、音のほうはまさに'
ウマグマ'や'モア'のころのPink Floydですな、こりゃ。
サウンドトラックのほうもアコースティックナンバーしかり、'煙草'のオルガンの溜息のつかせ方なんか、もう
Rick Rightそのものだもん(^^)。
だけど、聞きたくて聞きたくてしょうがなかった'ライト・ハウス'は
Black Sabbath的だね??
でも残念なのは、やっぱジャケットは'20歳の原点’を使って欲しかったなー。
初期ライブの写真はブックレットにして。
普通、再発盤が出ると中古市場はオリジナル盤は値が下がるんだけど、今回の場合はオリジナル盤は下がんないんじゃーなかろーか??
さてさて、そんなこんなは置いといて、前回の予告どうり佐藤満参加から活動停止までの四人囃子のお話を始めましょーか??
あ、前回の最後の部分、訂正します。
'
ゴールデンピクニックス'後の活動停止前のライブは、’サマーロックフェスティバル'じゃーなくて第二回の'ワールドロックフェスティバル'のようです。
すみませんm(_ _)m。
では、気を取り直して.....


 とりあえず森園脱退後の残りのライブをこなした四人囃子は、秋頃から活動を一旦停止しちゃうのだけど、結局CBS-SONYとの契約も'ゴールデンピクニックス'一作で切れた事もあり、さほど次のメンバー探しを急いでいなかったようにも見えたけど、実際には佐藤満とは既に'76年の10月に会っているし、東京でスタジオにも入っている。
ただ、この時点では未だ正式に参加を要請はしていなかったそうな。
この10月のセッションは、CBS-SONYとの契約切れ後に、あらたに所属した音楽事務所VIENTO SONGSの関係者が佐藤満を紹介した事がきっかけだった事を、後のインタビューで佐藤満が話している。
この後、'76年の12月に札幌NHKでの仕事に、佐藤満を起用し、その直後に参加を打診し'77年2月に無事、正式参加となったのだそーな。
ちなみに、この札幌でのNHKの録音って残ってないのかなー??
何演奏したのか知りたいと思いません??皆さん??
その後、リハーサルに入り佐藤満お披露目の'屋根裏2Daysライブ'を行い(この時の演奏はラジカセ担いで録音しましたねー。今でもたまに聞いてるんだよね^^)、レコーディングに入り'
PRINTED JELLY'を'77年8月に発表するのでありました。
ちなみに、'屋根裏2Daysライブ'では、'
PRINTED JERRY'に収められた曲の内、その時点で間に合っていた曲として、
'N・Y・C・R・R・M'、'気まぐれの目かくし'、'ヴァイオレット ストーム'、そして何と佐久間正英が唸る'ハレソラ'が演奏されている。
又、結局後々発表されなかった未発表曲と佐藤満が北海道時代に演奏していたオリジナル'アースクウェイク'も演奏され、ゲストでハルオフォンの小林克巳も登場するなど、なかなか盛りだくさんのライブだったのでした。
なんてったって、客が多すぎて急遽夜2回公演になって計4回のステージを行い、当時の屋根裏動員記録まで作っちゃうというおまけまでついたのでした。


PRINTED JELLYジャケット さて、'77年夏に発表された'PRINTED JELLY'は、俗に言うプログレ的色合いが払拭され、非常にポップなアルバムに仕上がっている。
ただ、A/B面合わせて6曲ってところが、四人囃子らしいところかな??
又、録音自体も非常にストレートな感じがする。
なにせ、'
ゴールデンピクニックス'が前作だからね??
又、森園脱退の為、末松氏も参加していない事もあって、作詞もメンバー自身の手で行われている。
この当時、佐久間正英は歌詞に重きは置いていない旨の発言をしているように、佐久間正英の作品は、どちらかというと言葉遊び的('ハレソラ')だ。
ちなみに、作品は佐久間正英4曲、坂下秀実と岡井大二が一曲。
坂下、岡井両氏の作品の歌詞はドラマ的なものになっている。
曲も、後に定番になる'ハレソラ'や'N・Y・C・R・R・M'が収められているのだけど、アルバム全体で考えるとちょっとね??って気が筆者はする。
これは、多分個人的に'屋根裏2Daysライブ'で良かった'ヴァイオレット ストーム'が初演からメロディーが変わった事や、どうもオーバープロデュース的な点が気になるからかも知れない。
(実際、後のインタビューで四人囃子のメンバー自身も'ヴァイオレット ストーム'は非常にてこずったと話している)
さて、そんなこんなで、無事ニューアルバムのレコーディングを終了した四人囃子は、俳優座で'77年7月に行われた'
10Days ROCK CARNIVAL'に出演(何と、このコンサートのプロモーションはTBSの'銀座NOW'で行われ、四人囃子も出演、'ハレソラ'のショートバージョンを演奏している)の後、8月にアルバムは発売されたのでありました。
9月には横浜屋音での'
BAY AREA SPECIAL'にマキ&OZや柳ジョージらとともに出演、このライブも横浜屋音最後のライブにふさわしい、素晴らしい演奏だった。
余談ではあるが、トリを務めたマキ&OZで、マーシャルのアンプが野球中継の電波を拾って、'閉ざされた町'のイントロが2回程やり直しになるハプニングがあった(何せ、隣は横浜スタジアムだもんなー)。
この後、アルバム発売記念の'
HARD UP TOUR'のプロモーションも兼ねてNHK-FMに出演(この演奏は'四人囃子オフィシャルホームページ'にてさわりが聞けます。ちなみに筆者も渋谷のNHKのスタジオに収録を見に行きました。実は放送されなかったけど、収録終了後にファンサービスで'一触即発'が演奏されたんだよねー^^)し、11月に放送されたあと全国ツアーを開始、'77年の最後はこのツアーの最終公演を芝の郵便貯金ホールで行ったのでありました。
このコンサートでは、岡井大二がリードをとった'空と雲'なんてのも披露された。
(これもBOXセットに入れても良いんじゃーない??)
又、次作にも収録された'眠たそうな朝には'も既に演奏されている。
さて、'77年を無事締めくくった四人囃子は、問題の'包コンサート'を行う'78年に突入するのでありました。


包 ジャケット
 四人囃子は'77年のツアーを終わり年明け早々、次作のリハーサルを開始、春にレコーディングを行い、'78年7月に'
'を発表した。
このアルバムは前作よりも、よりポップなものになった。
実際、前作が全6曲だったものが、全10曲になり曲がよりコンパクトなアレンジになっているのだけど、でも実は前作より凝りに凝った作りになっているのがおもしろい。
例えば、'MONGOLOID TREK'のBassは本来8弦Bassを使用する予定だったのが、試作の8弦Bassが間に合わず、何と坂下秀実のシンセサイザーの外部入力に佐久間正英のBassを繋ぎ、佐久間正英のフレーズを坂下秀実が同時に弾くという手法が使用されたり、音源付きのシークエンサーの元祖(というかおもちゃかな??)'National KX-210'を'機械じかけのラム'に使用したり(ただ、後日談によるとうまく同期しないのでトラックダウンで消したそーな)、室内楽のストリングに演奏させた'モロッカンダミーズ'等々、盛り沢山のアイディアがまさに'
'まれたアルバムなのでした。
楽曲も、逆にコンパクトな長さにした事もあって非常に聞きやすい。
何と言っても、一番の驚きは加山雄三状態の湘南ポップス'Sweet Lover Song'だね。
この曲、作者の坂下秀実が直々にボーカルをとっている(ちなみに佐久間正英曰く、四人囃子の中で一番音程が安定しているのは坂下秀実だそうです^^)。
ちなみに、個人的にはやはり坂下秀実作の'ファランドールみたいに'はこのアルバムで一番良い出来だと思うのだけど。
さて、そんなこんなの忙しい四人囃子の'78年最大のイベントが問題の'包コンサート'(2001.10.28一部掲載中止)だった。
このコンサートの目玉は日比谷屋音を大きな布でスッポリ包み、コンサートを行うというもので、レーザ光線やパネルライト、様々な仕掛けを施した、まさにびっくり箱のようなコンサートを企画した。
ところが、この企画、思わぬ壁にぶつかる。
東京都から日比谷屋音を包む許可が降りなかったのだ。
結局、この日比谷屋音を包むという企画はおじゃんになる。
それでも四人囃子は、会場の座席を全てアルミ箔で包むという方向転換を図った。
でも、これ個人的には裏目だったと思うよ。
何せ、7月末の屋音、しかも良く晴れてたから、会場の中、えらく気温があがっちゃったもん(^^)。
さて、肝心のステージはと言うと、さすがにライト関係だけでも、当日照明を担当した総合舞台の倉庫を全て空にしてしまう程の規模、それにしゃべりながら動くだけだけど人程度の大きさのロボット等々、他にPAもかなりの規模で、この当時としては破格のステージだった。
ただ、これだけのステージとなると、さすがに開演前のリハーサル程度では追いつかないのも事実、実際当時の雑誌もこの点を指摘していた。
当時の日本のロックバンドは、ツアー前にツアーと同規模の環境でのリハーサルなんてする事はなかったしね。
演奏のほうは、'
'の全曲のほか、代表曲をほぼひととおり演奏したのだけど、何と'一触即発'には森園勝敏と中村真一も参加したのには、さすがに観客も大喜びだった。
(このコンサートの前に行った'屋根裏'でのライブで森園勝敏が飛び入り参加、急遽、日比谷での出演も決まったのでした)
この'一触即発'前あたりからPAもかなり安定してきたし、演奏にも余裕が出てきたように思う。
でも、この日の白眉はやっぱ、アルバムにほぼ近いアレンジで演奏された'泳ぐなネッシー’だ。
(これはBOXセット入りでしょ????)
アルバムのアレンジで演奏された'泳ぐなネッシー'は多分、後にも先にもこのコンサートだけだろう。
中間部のSEにはゴジラの声が使われるなど、もう素晴らしい出来だった。
又、初めてライブでイントロをマンドリンで演奏した'ハレソラ'(これまでは、エレピでイントロをやっていた)も非常に印象的。
ラストは'眠たそうな朝には'、アンコールは'Sweet Lover Song'、'N・Y・C・R・R・M'でステージは締めくくられた。
四人囃子は、このコンサート後、秋にシングルを制作、冬にはツアーに出る予定だったという。
しかし、実際にはシングルも制作されなかったし、ツアーも行われなかった。
このコンサート、動員的には成功したと思うのだけど、それでも金銭的な問題や話題性と言う点ではやはり当時の日本のロックバンドの限界だったのかも知れない。
そして、ついに坂下秀実が脱退してしまう。


拳法混乱 ジャケット 坂下秀実の脱退は、'78年の秋か年末だった(98.10.7訂正 '79年初頭でした)と記憶している。
脱退の理由は確か、雑誌で読んだ話だと先の'包コンサート'(2001.10.28一部掲載中止)以降、四人囃子としての仕事が殆ど無かった事等による経済的な問題が書かれていたように記憶している。
四人囃子は、この後、特にメンバーを補充する事はせず、以前のメンバー茂木由多加をゲストキーボードとして、シングル'
拳法混乱(カンフージョン)'を制作。
このシングル、ジャケットを見て判るように、ジャッキー・チェンの出世作'酔拳'のサウンドトラックである。
と言っても、これは日本向け公開時のみのもの。
演奏のほうは、ちょっとハードなポップナンバーと言ったところ。
イントロのシーケンサーやボコーダボイス等も効果的に使われている。
さて、四人囃子はこのシングル発表後、3名+ゲストの形でアルバムの制作に入る。
そう、'
NEO-N'である。


NEO-N ジャケット 四人囃子の全てのアルバムで完全なコンセプトアルバムというのは多分無かった。
この'
NEO-N'はそんななかで唯一のコンセプトアルバム、'79年11月に発表された。
曲は
 1.全ての曲のタイトルを'N'で始める。
 2.最初の曲を440Hzのピッチで始め、一曲毎に1Hzずつ上げて行く。
という手法を使用した。
歌詞は、佐久間正英が参加していたプラスチックス島武実が担当、これによりアルバムの統一性がはっきりしており、前作までとかなり異なる印象を受ける
曲のほうは、良曲揃い。
演奏も、MC-8も使用する等、かなり面白い。
この当時のテクノポップ的な色合いと、手弾きの組み合わせだけども、当時のニューウェーブやテクノ系バンドに比べると、演奏能力が格段に違う(YMOは別ね^^)から、これだけの作品に仕上がるのも、そんなに不思議な事じゃーない。
'
拳法混乱(カンフージョン)'と同様に坂下脱退後の3名とゲストキーボードに茂木由多加が参加している。
個人的にはインストの'NOTION-NOISE'のハードなリフが印象的、何か
King Crimsonの'RED'を思い出してしまう。
でも、一番の白眉はB面(COLOR FACE)の'N・P・K(4:4:2)'から'NATURAL'、そしておまけの一曲'NEO NATURE∴450'の流れは見事の一言。
個人的には、このアルバムは四人囃子のアルバムとしては一番の出来だと思う。
(え、'
ゴールデンピクニックス'はどうしたって???いーじゃないの^^)
さて、四人囃子はこのアルバムを発表後、'屋根裏'でライブを行っている。
メンバーはレコーディング同様、3名+茂木由多加で行われた。
(茂木由多加は、正式メンバーにしようとした身体検査で落ちたのだそうだ〜岡井大二談)
曲は、'
NEO-N'の作品を中心に演奏され、'カーニバルがやってくるぞ'や、先のシングル'拳法混乱(カンフージョン)'もアンコールで演奏された。
このライブで一番印象的だったのが、ついに'一触即発'を演奏しなかった事。
森園脱退直後の時は事情が事情だけに'一触即発'を演奏しなかったのも理解出来たが、今回はちと違ったと思う。
個人的には、'
NEO-N'の各曲に自信があったのかな???とも思うのだけど....
そして、四人囃子は、このライブを最後(だと思うのだけど....)に、活動停止に入ってしまう。
この'
NEO-N'が、KingCrimsonの'RED'と同じ状況で作られたような気がするのは、筆者だけだろーか???
まさに'∴450'は限界点だったのだろーか??
さて、次回は'89年に突然活動を再開した四人囃子について書きませう。
それでは次回をお楽しみに(^^)/

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