振り返ってみると、最初に登った百名山は富士山だった 夏の富士山で多く見られる人々と同じように、観光の延長気分で雨具も持たずに 登った。家畜のような扱いを受けた(ように感じた)山小屋、不十分な防寒着で震え ながら拝んだ御来光、ペースも何もめちゃくちゃでバテバテでの登頂。そして何よ り、他人まかせの計画で、未だにどこから登ってどこに下りたのかも不明(たぶん 下りは須走り口)。 二回目は、それなりに山を登るようになってから、基本的な装備はちゃんとして日 帰りで登った。最初の時の山小屋のイメージが悪すぎたこともあるし、単独で登った からでもある。富士宮口から、深夜2時くらいにスタートして、八合目で御来光を迎 えてしまったが、言われるような渋滞もなくスムーズに進めた。お鉢巡りをしてお昼 過ぎには下山した。 富士山測候所のドームが解体される直前で足場などが組まれていた(カメラはまだ アナログ…)。
三回目は、もう少し山にはまりこんでから、積雪期に登った。積雪期の富士山は山を やっていくなかでひとつの目標でもあった。スバルラインから五合目まで車で入って 六合目に幕営。翌日早朝から登った。天気は良くなく、山頂に着いてもガスッてるし、 お鉢巡りはせずに下山。下山途中で変なふうに腰を捻って、しばらくの間、日常生活 でも腰痛に悩まされる。
四回目は、甥っこを連れて登った。富士宮口から夜の10時半くらいに登り始めたが、 山頂で御来光を見ると張り切って最初は元気だったのが八合目くらいでダウン。ツェ ルトをかぶって日が昇るまで登山道脇で仮眠を取り、あとは休み休みでなんとか山頂 まで辿りつく。しかしそれまで良かった天気が急にアラレが降り出し、やばいと思って 急いで雨具を着けさせて下るが、八合目の辺りで空が真っ暗になり雷の轟音。空は 稲妻に彩られ生きた心地がしなかったが、稲妻の美しさにもちょっと感動。 下山後、山頂付近が白くなった富士山を眺めて帰ったが、後にその日が大正時代 以来94年振りに富士山の初冠雪の記録が更新された日となった。
その後、積雪期に吉田口の一合目からの夜立ち日帰りの登頂を試みるも、強風の 中、同行者の体調不良のため、9時間かけて登った八合目手前で引き返す。今後 はこの課題を目標にして富士山へのこだわりにひと区切りつけたい。
2011年12月、五回目の登頂。深夜、吉田口一合目を出発し、朝の8時過ぎくらいに 山頂神社鳥居まで達した。しかし、快晴ながらもの凄い風の強い日で、不意に突風 性の風に吹かれたら倒されるくらいの風の中、火口を半周した向こうにある最高地 点は遠く、またしても課題を残して下山することになる。 今度は富士宮口からチャンレンジだ!(山頂から最高地点が一番近い) 《富士宮口からの挑戦の巻》 2012年12月、静岡側の水ケ塚駐車場から山頂を目指す。樹林帯を抜けて六合目に 至り七合目を目指すあたりで同行者の一人がペースダウン。何とか七合目まで達す るものの、その先の足が止まり下山する。 2013年12月、再び水ケ塚から出発。深夜2時過ぎに登り始める。前回と比べると雪 が全然少なく、日が昇ると下は一面の雲海で快晴。条件良すぎ!登頂は疑いようも なかった。9合5勺を過ぎ、山頂鳥居手前で一回休憩を入れる。
今回もメンバーの一人が体調不良となったが、六合目で待機するというので残して 行った。そのため休憩ごとに無線機や携帯で連絡を取って行ったのだが、山頂手前 で連絡を入れたとき、耳を疑う情報が入ってくる。他の山に行っている仲間が行方 不明というのだ。 こんなことってあるんだなぁと思いながら山頂を振り返り、下山する。待機している メンバーと合流する前に、遭難騒ぎは単に仲間同士がはぐれただけとの情報が入 り脱力…。 二週間後、再び水ケ塚駐車場に下り立つ。今回は登山口から雪があり、条件は前 回より悪そうだ。それでも天気は良く、しかし八合目から上は前回より酸欠で、立ち 止まって何度も深呼吸して数歩歩き、また立ち止まるような状態で大きく遅れる。 やっとのことで山頂鳥居をくぐるとすごい風で休憩もままならない状態、先行する仲 間を追い、ふらふらしながら最高地点を目指す。あんなに遠かったっけ…。 しかし一歩一歩苦しみながら進み、最高地点に到達!
富士山の世界遺産登録で、来年から富士山に入る手続きがいろいろ面倒くさくなり そうだし、冬山の入山にも世間の目が厳しいし、取りあえず、これで富士山へのこ だわりにひと区切りついた。 |
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