6.オーディオコラム
もったい無い
年末というのは何だか知らないが妙に忙しい。
言い訳をするわけでもないのだが、そんなこんなで年明けを迎えてしまい、テレビのデジタル化について話を進める事が出来ていなかった。これが仕事だったらエライことである。上司に「あれ、どうなったかね?」などと聞かれてしどろもどろ。社会人失格である。perfumeに間に合わなかったために、いきなり「慌てなくても良いか」とのんびりしてしまったのだが、実際のところは。
まあ、全く私的な事なので誰に迷惑がかかるわけではない。そうそう、「フレッツ・テレビ」の事だった。ネットからでも申し込みは出来るが、「新規」に光回線を引く場合のようで、Bフレッツからアップグレードする場合はやはり直接はナシをする必要があった。ならば、とあらためて説明会の時にもらった男性担当者の名刺に電話をかけてみる。直接あって話をしよう、と言う事になった。その方が何かと好都合である。受付のおねーちゃんと話すのは楽しいかもしれないが、細かい話になると埒が明かなくなる可能性もある。
互いの会社は近くであり、その間の喫茶店で待ち合わせ、話を詰めた。聞くと、回線がさらにグレードアップしたとの事で、以前話を聞いた時は「フレッツ光プレミアム」だったのが「フレッツ光ネクスト」というタイプに変わっていた。プロバイダが対応している事をそこで確認した。以前プロバイダにはプレミアムに対応しているかを確認しており、特別何も変更する事も無いという事だった。おそらく「ネクスト」も大丈夫だろう。晴れて、「フレッツ・テレビ」導入の運びとなった。これが一月も末の話である。
さらに、工事の日時は後日連絡と言う事だったので、まだまだ先は長かった。相変わらずアナログ放送を見ながら、時々DVDを見る日々が続いた。あとはレコーダーである。そう、やはりブルーレイだろう。何にしようか…とは言うものの選択肢は決して多くはなかった。ソニー、パナソニック、シャープ、パイオニア、三菱しか無いのである。オーディオファンとしてはパイオニアを贔屓したいところだが、中身がシャープということがネックとなった。デザインは良いのだが…いや、シャープもビデオを使った事があって決して悪くはないのだが、レコーダーの機能としては他社に見劣りする部分がある。三菱は地味で中身はパナらしいが、価格とのバランスを考えると悪くはない。そのパナソニックはちょうど新製品がリリースされた時期で価格が少々高めだったが、これはそのうちこなれてきそうではあった。ただ、東芝のDVDレコーダーを使っている身としてはパナの機能の物足りなさはどうしても気になってしまう。また、デザインと筐体の安っぽさは大いに減点対象となってしまう。こいつに決して安くは無い金額を支払うのは何だか悔しい。
やはりソニーか。ここも言いたい事はあるのだが、まあ強いて言うほどの事でも無い。ちょうど下位機種のTシリーズがじりじりと値を下げ始めていて、これはチャンスかもしれないのだ。
背中を押したのは工事日の連絡であった。
「3月7日から出来ますが」
迷わず即答した。「じゃあ、その7日でお願いします」
7日は土曜日。丁度良いではないか。
そんなわけで、その前の週ブルーレイを手に入れた。ソニーのT55である。Wチューナー機のT75と迷ったが、テレビにも録画できるのでそこまで必要はあるまい。と言うより、そこまでテレビ好きでもないのだ。ポイントも多めに得られたし、まあお買い得と言っても良いだろう。ここの某家電量販店は本も売っているのだ。大変ありがたくポイントは使わせて頂きました。かなりの読書家になることができました。
さあ、これでフレッツ・テレビを迎える準備は整った。土曜日を待つのみ。(09.4.27)
大きいことは
救世主は新聞のチラシという体裁をとって降臨した。
フレッツ・テレビ。
光通信ケーブルを通じて地デジなどの信号を流す。カッコいいではないか。まだ地域が限られている中、名古屋で始まるのは何という僥倖か。説明を読むとCATVのようにSTBが必要なく、普通にアンテナで受信しているのと全く同じ感覚で扱えるという。これは大きい。光なら既に通っているし、願ったり叶ったりではないか。
説明会が近所のジャ○コで開かれているという事で聞いてきた。デメリットというのはどうやら無さそうだった。ただ残念な事に、現在契約している「Bフレッツ」では駄目で、「プレミアム」にしないと出来ないとの事だった。まあ、それくらいは仕方がないか。ただ、今すぐ契約しても工事は年明けになってしまうとの事。うーむ、Perfumeに間に合わないか…しかしアンテナを立てる賭けに出るのも嫌だった。きっかけだった事は本当にきっかけだけになってしまうが、先々の事を考えればこれにした方が良かろう。まずは家族の承認を得る事も重要だった。
とりあえずは、これで地デジ受信に関するインフラは問題が無くなった。安心してテレビ選びに専念できるというものだ。もっとも、ここで安心し過ぎてしまって申し込みが年明けになってしまったことで、少しだけ泣きを見る事になるのだがそれは先の話。
折しもボーナスシーズン、機種によっては逆に値上がりもしていたような時である。その頃はもう、日立の37型プラズマにほぼ決めていた。ただ、11月末に比べて少し値上がりしたのでとりあえず見送って1週様子を見た。そして「さすがに上げ過ぎたか」とまた落ち着きを取り戻して来た週を狙った。ここだ。
まずは、日立の37型プラズマ「HR02」が私のものとなった。日曜日の夕方、ある家電量販店にてBSハイヴィジョン「篤姫」のあまりの高画質にクラクラしながら購入を決めたのであった。翌週の土曜日、我が部屋にお目見えする。
あっという間に土曜日。でも待っている間は随分長かったような気がする。本当に長かった。午前中という予定だったのに電気屋が登場したのはもう午後1時だったのだ。遅い、遅いよ。
ようやくお目見えしたプラズマ、13年使った20型ブラウン管に別れを告げて、同じ場所にどん、と設置した。が…
「出来れば、ここじゃない方が良いです。とりあえず置きますけど」
え。やっぱり狭いかなあ。確かに台座は置けたけど、画面自体はかなりはみ出しておりました。危険なのかなあ。でもねえ、推奨するような幅の広いラックなんて設置できないのだ。洗濯物や布団の取り込みに頻繁に出入りする窓の方へラックやテレビが出てしまってはまずいのだ。取り込んだ布団でテレビ画面を引っ掛けて、「がっしゃーん」と倒壊するプラズマテレビ…笑えない。笑いたくない。泣くよ、それは。
まあ、とりあえず、だ。デジタル放送は見られないものの、スイッチオン。
やはり、と言うべきか画面の大きなプラズマで見ると通常のアナログ放送は「粗」が見えてしまうことが明白だった。絵が潰れてしまう液晶よりもマシかもしれないが、ゴーストなどがしっかりと目立ってしまった。
DVDをかけてみよう。さすがにこれはいい。村治佳織「アランフェス交響曲」、イーグルズ「ヘル・フリーゼス・オーヴァー」、そしてPerfume「GAME」。やはり大きい事は良い事だ。どれも初めて見たかのような新鮮な気持ちで視聴する事が出来た。画質もこんなに良かったのか、とあらためて感じ入った。これがブルーレイだったらどれほど凄いのか。気になる気になる…(09.4.2)
ヴィジュアルへの進出?
やっぱりプラズマである。
そう、テレビを買ってしまったのだ。いや、買ったのはもう昨年末なのだが、ブルーレイも手に入れ、そして遂にデジタル放送化が完了したのだ。ばんざーい。
結局我が部屋の「デジタル放送化」は思い立ってから随分時間が経過してしまった。そもそもの出発点はPerfumeであった。BSハイヴィジョンで彼女らの武道館ライヴの模様が放送される、とあって居ても立ってもいられなくなったのだ。
これはまさに、神のお告げではないか。正直なところ、デジタル化はギリギリまで待とうか、とさえ思っていた。13年目とは言え、20型ブラウン管テレビはまだまだ健在。早くてもワールドカップの時かな、とのんびりしたものであったのだ。しかし、何事もきっかけというものがある。まさに今回はそれなのだ。気持ちはどんどん高ぶって行った。
また、テレビが今後どういう方向へ進むのか、という側面もある。つまり、現在の液晶全盛、と言うべき状況から考えるとプラズマの運命は先細りになっていくことは間違いない。いや、既にそうである。結局最近のパイオニアに於けるテレビ撤退という、まさに「悪貨が良貨を駆逐する」事態となった。テレビというものは質ではないのだ。価格なのである。
そうすると、液晶に押されて安くならざるを得ないプラズマは、今がまさに買い時なのではないか。と言うより、早くしないと存亡の危機と言う事になるのではないか。
よし、プラズマだ。プラズマにしよう。…とは言うものの、設置場所が狭い状況をどうするか。計ってみると、32型がいいところである。プラズマは37型以上しかない。困った。挫折しかかった。液晶にしてしまおうか…でもやはり出来ない。動きの速いサッカーを中心で観ている人間には液晶の欠点ばかりがクローズアップされてしまう。いくら倍速と言っても結局は類推補完ではないか。
よし決めた。初志貫徹。無理矢理斜めにすれば入る。昔のテレビみたいな設置方法だが仕方があるまい。行くぞ、プラズマ。行くぞ、37型。
さて。そうすると選択肢は2つだけである。パナソニックか日立。しばらく価格の様子を窺う日々が続いた。単純に価格だけならパナソニックだが、日立はHDDが内蔵されているし、画質もわずかにこちらの方が好ましいような印象を持った。少々枠が太くて光沢があるのが気になるところだが、気持ちは日立にかなり傾いて行った。
同時並行してデジタル化の準備が必須である。我が家はいわゆる「ビル影」で共調アンテナで受信していた。しかし、デジタル放送に関してはそのビルは関係ない事になるので各家庭で準備せねばならなかったのだ。ところが、困った事に今度は「道影」とでも言うのかは知らないが、国道の高架が影になるかもしれないのだ。そのため、CATVに加入する家庭も増えているらしい。少々金もかかるが仕方がないか…電気屋でケーブル会社のパンフなどもらって読んでみると「ん?」と首を捻らずにはいられない事が分かった。
STB(セットトップボックス)の存在だ。これを通して試聴せねばならないのは仕方がないにしても、iLinkで録画機と接続し、さらにコピーワンスにしかならない?制限が多過ぎである。HDMIでなくてiLinkなのか。不便だなあ…無理矢理アンテナを立ててみるか、でも駄目だったら…
そんな時だった。救世主が現れたのは。(09.3.14)
とりあえず買う
結局買ってしまった。
フォステクス入魂の限定ユニット、「FE138ES-R」である。
何せ今までに無い口径、13cmなのだ。いや、迷った迷った。現在使用中のメインは16cmだから、これと同じ口径ならばそれ程迷わなかったかもしれない。価格は別として。しかし13cm。16cmでも10cmでもなく13cm。これには困った。この時予想したのは「この大きさで出たからには、きっと16cmも10cmも出ないだろう。」ということだ。ただでさえ難産な限定ユニット、そんなに口径の接近したものをポンポン出すとはどうしても思えなかった。
とは言え、だ。今まで10cmを使っていたのならばともかく、16cmから落とすというのはどうなのか。スケールダウンになってしまわないか。
いや、そもそも、だ。新しく作ってどこに置くのだ。もうバックロードを置く場所など、どこにも無いではないか。いやいやいやいや、さらにそれを製作する場所すら無いではないか。どこで作るのだ。あまりにモノ(特にレコード)が増え過ぎてしまった現況を見ると、大物を作る事は現実的ではないのだ。これはこれで困った事である。
既に20cmヴァージョンは聴いており、そのクオリティの素晴らしさはよく分かっている。上手く作れば、海外ハイエンドと伍するポテンシャルを有したユニットだろう。それだけの「品格」を備えた素材なのだ。分かっているだけに懊悩は深まるばかりだった。
「買う」40%、「買わない」60%という状態に傾きつつあった時、決定的な出来事が出来したのだ。
たまたま大須の「ノムラ無線」をブラリと冷やかしていると、「フォステクス試聴会」の文字が。スピーカー自体は最近出た「GS1302」だったが、やはり気になった。程なく、以前もお会いした事のあるフォステクス社のS藤さんが現れて、自分一人での試聴会が始まった。
このスピーカーのマグネシウムトゥイーターもきつ過ぎず、柔らか過ぎずで大変いい塩梅のものだ。しかし、話は自然に「FE138ES-R」へ。
「換装できないというのが…」と訴えると、S藤さんは
「確かに10cmと16cmをお使いの方々には申し訳ないと思いますが…ただ、やはり自作派でしたら、是非とも新しく作っていただきたいですね。長岡先生には色々な設計を残して頂きました。それらを元に、チャレンジしてみるのが残された我々の出来る事なのではないでしょうか」と、いったような事を熱く語ってくれたのだった。
こう言われて、燃えない訳が無いのだ。天秤はいきなり逆方向に激しく傾いた。「よし」こぶしを硬く握りしめ、決意を固めたのであった。
そんなわけで、現在手元にはマグネシウムのセンターキャップが眩しい限定ユニットが鎮座している。まだどうするかははっきり決まってはいない。換装するか、新しく作るか、作るとしたら何を作るか…(08.02.11)
車の中
実は最近、面白いのがカーオーディオなのであった。
家の中でのオーディオ(カーオーディオに対しては「ホームオーディオ」と呼ばれる)は、ハードも取りあえず出揃い、ケーブルも落ち着いた状態にあるので、大幅に入れ替わる事はしばらくないだろう。それにも増して、カーオーディオの方に力を注いでいたのだ。
2年ほど前に新車istに買い替えてから、ちょっとはまともなカーステをやってみようと思い、手始めにソニックデザインの「トレード・イン・ボックス」をインストールしたことはどこかに書いた。しかし、そこから先はあまり記録していなかった事に気付いた。
まあ、ホームと違ってどうしても「Do it yourself!」という部分が少なかったせいもある。もちろんこの世界も、いやカーの方がむしろ自分で色々やっている場合が多いのだが、さすがに自分ではドアの外張りを外すくらいが限界である。昔の車はデッキの後ろの方に手を突っ込めばコードが出て来たり、と割合簡単に交換やケーブルの引き回しなどが出来たのだが、最近のやつは大体塞がれていてやりづらいし、かなりの労力を要するもの。さらにはバッテリー周りなど、電気系統は知識がないので有る程度勉強する必要も出てくる。それにエンジンルームは自分にとってはほぼブラックボックス状態である。そういうわけで殆どショップ任せになっているのである。だから「どれそれを導入しました、音が良くなりました、めでたしめでたし」としか言い様が無いわけだ。あまりサイトのネタとして面白いものではない。
それでも自分の車の中がかなりのレベルで鳴るようになったので、いつかは何らかの形で掲載したい事も確か。現在カーオーディオ界は物凄い勢いで発展していると強く感じるし、人口もホームより多いと聞く。考えてみると当然かもしれない。皆、家の中でそうそう鳴らせないものなのだ。カーオーディオは妥協の産物ではなく、もはやメインとしての地位を獲得したと言ってもいいだろう。
もっとも、カーオーディオ人口が多いのは他にも理由がある。クルマ好き→オプションパーツ好きなどの存在である。とにかく自分の車を弄りたくて仕方がない方々もこの世界に入ってくるわけで、オーディオ好きよりもこちらの方が圧倒的に多いのだ。だから音質というよりデコレーションの一環という要素も強く、こちらの目からするとどうしても「たいして音も分からないのに、何でカーステに100万もかけるのか」と写ってしまうものだ。とは言え、それはオーディオマニアの傲慢というものだろう。彼らだってただのクルマ好きというだけでなく、音楽だって大好きなのだ。決して昔のようにでかいスーパーウーファーを積んでどっかんどっかんやっているわけではないし、彼らが満足ならそれもいいのかもしれない。
女性も少ないながら存在するのもカーオーディオの良いところ。見るとどこから派生したのか分かりやすい「アネゴ系」な方々の割合こそ多いが、大いに結構。やはり男だけでは盛り上がりづらいので、もっともっとこの世界に女性が入って来ないと。
今後もオーディオを愛する方に、少しでもカーオーディオの良さをアピールできれば…と思い、まずはこのコーナーで「いい加減に」喋って行きたいと思う。(05.12.10)
揃ってしまった
何度もしつこく書いている事だが、中古を買うと言う行為は偶然の出会いに支配されている。欲しいものが出た時が勝負なのだし、まさかこいつを買う事になろうとは思わなかったということも当然ある。先日のCHORDのパワーアンプ「SPM600」などはまさにそうだ。自分とは全く縁のない種族だと、ほとんど眼中に無かったのだ。いや、オーディオばかりは聴いてみなけりゃわからない。
そんなわけで。まだパワーを買って間も無いというのに。まだ先でいいや、とのんびり構えていたのに。SACDなんかもいいなあ、とさえ思っていたのに。
買ってしまった。レコードプレーヤーである。前回のこのコラムで書いたように、確かにいいのがあれば…というスタンスではあった。それでもまだしばらくは現状のままで行こうか、と気軽に考えていたのだ。
いつものようにレコードを物色しに「ハイファイ堂」へ行くと、「そろそろ、あれ、どう?」ってな感じで水を向けられたのがそう、かのノッティンガム・アナログ・スタジオの「スペースデッキ」である。そりゃあ、少しは気になってはいた。いや、少しばかりではなかったのかもしれない。そこを見抜かれたように勧められたので、正直かなりぐらついてしまったのだ。
「今までの流れから考えればいつかは結局こういう路線になるでしょ、だったらせっかく今いいのが出たんだから…もう残りはプレーヤーだけだと思うんですけど」などとくすぐられ、心に迷いが生まれた。ちなみにスピーカーを勧めないことで、彼が「わかっている」ことが窺える(「自作」と言うと「止めた方がいいよ」と言わんばかりのオーディオショップの何と多い事か)。さてさて迷い出したらもう答えは出てしまっているようなものなのだ。30分以上ねばったことは、あまり意味のない事なのだろう。考えているようで、実際には何も頭には浮かんではこないのだ。ただ、「どうしよう、どうしよう」と堂々めぐりのメリーゴーランドが回っているだけだ。
「よし」
何が「よし」なんだか。ようこそ、スペースデッキ。自分へのクリスマスプレゼントだ。
あらためて見てみると、どうやら初期型のようだ。現在はもう少し明るい色だったように思う。「試しに廻してみましょう」と電源を入れた。よく知られているように、ノッティンガムのプレーヤーはよいしょ、と手で廻してやらないとスタートしない。やってみたかったんだ、これ。
定速回転に達したところで、ストロボスコープでチェックする。ところが。
「これ、回転早過ぎのような」
ストロボが早く流れている。どうしたことか。不良か。結局これは東京で最初に売れたもののようで、周波数が50Yなのであった。電源は両方に対応しているのであるが、プーリーが50Y用なのだ。付属品を探してみても60Y用のブーリーはない。そんなわけでこれはメーカーから取り寄せと言う事になった。しかし、この回転数の早いプレーヤーを持って帰る事にした。何せこいつは調整に次ぐ調整をしまくって、まともな音が鳴るという気難しいヤツだ。テープを早回しにしたような音しか今の段階では出なくとも、やっておくべきことは沢山あるだろう。さあこい、ねじ伏せてやる。…できるかな。(04.12.26)
若くもないウェルテルの悩み
そりゃあ、確かに現在の構成を考えれば次はパワーアンプだろう。
しかし意外にこれが悩むのだ。現在の組み合わせ(「ライブ5」+アキュ「A-406V」)が思ったほど悪くないということもある。プリメインとは言えかなりしっかりしたアンプだし、これを超えるパワーアンプとなるとかなり良いものをチョイスせねばなるまい。そもそも球にするか石にするかという事も悩みどころだ。まだ結論は出ていない。球が相性は良いのだろうが、両方とも球にするのもどうなんだろう。能率の高いスピーカーなので、ノイズは大きくなりそうだ。それに低域がかなりだぶついてしまうのではなかろうか…などと言う不安がつきまとう。スピーカーをJBLとかにしてしまえば楽なのかも。
石なら石で選択肢は多すぎるので困る。もし新品とすれば価格的にはロープライスゾーンで良いのだが、国内なら同じアキュフェーズの「A-20V」がある。他にもラックスがあるが音は対照的になるのだろうか。気になるのは最近海外から魅力的なアンプが比較的手に入りやすい価格で数多くリリースされていることだ。例えばジョブ。ゴールドムンドの弟分的なブランドだが、姿は武骨でそこがいい。注目している「job150」は左右独立で、それもまた気になる要素だ。アーカムはプリメインを中心にしたブランドだがセパレートも出してきた。イタリアのオーディオアナログでは少々まったりし過ぎてしまうだろうか。まあ、この価格帯の海外製品ならばあまり低域のパワー感を欲張ってはいけないのかもしれないが。
そんなわけで結局ぐるぐるぐるぐる同じところを回りっ放し、という状態なのだ。そんな事を言っている間にレコードプレーヤーが気になってくる。「Perspective」は良いプレーヤーだが、やはりカートリッジが固定なのが気になってしまう。最近のプレーヤーは皆そうなのだが、ストレートアームばかりなのでどうしてもカートリッジを色々試せない。逆にだから散財しなくて良いのかもしれないが、それでもカートリッジ交換はアナログの醍醐味。しかし遂にSMEも3009〜3012シリーズの生産を打ち切ったとの事。そう言えば新製品もストレートアーム、困ったものだ。昔のプレーヤーでも物色しようか。
とは言うものの、一旦最近のプレーヤーを使ってしまうと次に古いものを使うのはどうも癪に障るところがある。国内で欲しい、と思うプレーヤーはヤマハの2000(出来ればL)くらいか。一番良いのはアームだけ中古でSMEなりテクニカなりサエクなりをゲットして、ターンテーブルを出来るだけ新しいやつを手に入れる事だ。そうなると、そんなに選択肢は無いし…うーん、困ったもんだ。ノッティンガムのような新しいタイプのプレーヤーも気になるな。何せ見た目の重厚さに思いっきり魅かれてしまう。しかし音の方も見た目と同じで重厚過ぎる印象だった。クラシック向けかな。あと、ティアックが輸入しているAVIDもいい。こいつはアームレスだし、条件にピッタリ適うのだ。ただ、まだ中古で見る事は無いので揃えるとかなりの出費だ。うーん。
結局まとまらないのである。まあ、でもこんな悩みならずっと引きずっていてもいいんだけど。(04.7.21)
金の掛け方
結局夏から秋にかけても今年はアナログ一辺倒になった。よく暑い中、レコードをかけまくったものだ。レコード盤に何回汗を垂らしてしまったことか。透き通ったアクリルのボディが美しいプレーヤー「Perspective」にも容赦なく汗は降り落ちたものだった。CDに比べて大きいレコードは出したりしまったりするのも運動量が大きいことがわかった。汗の量が違うのだ。仕事疲れのために運動不足ではあったが、汗だけは人一倍かいた自信はある。自分の部屋で。
しかもカートリッジもオルトフォン「コントラプンクトa」にグレードアップ、それだけでは飽き足らずに昇圧トランスも買い足すことになった。さらにレコードばかり聴くことになるのは当然だろう。トランスにWBTのプラグが差せかったために自作カルダスケーブルが使えず、とりあえずプレーヤーからは古河のケーブルを使っていたことは別コーナーで書いた。その後結局カルダスの片方を小さめのプラグに替えることでトランスに接続することが可能になり、入力側と出力側のプラグが異なるというやや強引なやり方で解決となった。音も「やはりこれで初めて完成と言える」と唸らせるもので、ケーブルも重要なパーツと言う認識をさらに強くした次第である。
こうやってアナログ周辺に投資している(そう言えば針圧計も買ったっけ!)ことを考えると、やはりオーディオが下火になっていた一つの要因がわかる。CDだとそれで完結してしまって機器を買い替える以外のグレードアップがほとんど出来ないのだ。それこそケーブルを換えたりインシュレーターを追加したりする事しか出来ない。とは言ってもそれはアナログほどの劇的な変化ではない。
ところが、アナログはちょっとしたことで音が変化していくので面白くてたまらない。これでオーディオ自体がどんどん楽しくなっていく。グレードアップやステップアップがいつの間にか進んでいる、という塩梅なのだ。やはりオーディオの王道はアナログになるのかもしれない。(03.10.26)
目覚め
よく「オフ会」ということで人様のお宅で音を聴かせて頂くのだが、これはやはり自分の音を磨く上でも大変役に立つ。モチベーションにもなるのだ。
そして先頃、我が部屋にも人様を上げて音を聴いて頂くことになった。それまで部屋が汚いということでなかなか実現していなかったのだが、少しばかり雑誌類を整理していたので何とかなるだろう、と勢いに任せたのだった。しかし、ここで音を出してみて気付いたのだ。
音が小さい。我が家に招待するまで我々は各リスニングルームを訪れていたのだが、あらためて自分の出している音はあまり大きくないことが分かったのだ。
とは言え、他の皆さんは本当にリスニングルームなのだが、自分の場合はただの部屋である。そんなに大きな音は普段出せないし、近所はまあ少し離れているからそれ程迷惑ではなかろうが、家族は今の音量でも時々「うるさい」とドアをノックされる。仕方のない部分もあるのだ。
だがその日、幸い家族が全員出払った(逃げたのかもしれない)のを確認して思い切ってヴォリュームを上げてみると、全く別の世界が登場したのであった。
凄い。解像度の高く、切れの良い低音が勢い良く飛び出してくるではないか。いつも聴いている音量では、「ちょっとモヤッとするかな」と感じていており、それを修正するためケーブルやら何やら色々調整していたのだ。ところが音量を上げるだけであっさり解消されたのである。何てことだ。
考えてみると当たり前のことかもしれない。このスピーカーはかなり音道の長いバックロードホーンになっている。これを機能させるにはある程度の音量で押し出してやらなければならないのだ。この環境ではオーバークオリティとも言えるだろうか。
それからは家族がいない時を見計らってヴォリュームをぐいっと上げることにした。本当の力が発揮されるのだ。楽しいったらありゃしない。しかし逆に普段はちょっと物足りない音量になってしまうのが残念。まあ、音楽の時間と、オーディオの時間に分かれただけと思えば良いかな…(03.7.28)
ソフト志向?
先日電源タップを交換して以来、あまりオーディオに手を加えていない。
もちろん、「暑くなってきたから」ということもある。病的な程汗かきなため、あまり重い物を運んだり動かしたりするようなことは避けたいのだ。床が汗まみれになる程度なら拭けばいいのだが、機器に汗を落とし、内部にまで影響を与えてしまっては大変なことになる。
やりたいことは実際には色々ある。以前このコラムでも書いた、ラックの交換だ。しかしこれこそは今着手するのはどう考えても間違っている。汗だけの問題ではなく、散らかっているためにラックを組み立てたり、機器を移動させたりという場所が決定的に足りないのだ。これは涼しくなって、部屋をいつか整理できた時に初めて考慮するべきことだろう。自作か購入かも含めて。
あと、スピーカーの足回り。今「超簡易オーディオボード」としてMDFの板を敷き、スピーカーとの間はJ1プロジェクトの青いやつとテクニカのコインを噛ましてある。これで良いとは思っていない。もう少しガッチリ固めたいところだ。とは言っても、大理石や御影石のようなものを敷くつもりはさすがに無い。あくまで木材を使いたいと思う。間に噛ますインシュレーターも替えたい。アンプの下に敷いて成功したフォステクスのタングステンシートが第一候補だ。
他にも手を付けたいところはたくさんあるが、ちょっと一休み、と言ったところ。何せ、最近は「円盤日記」にも記してある通り、レコードだのCDだのついつい買い込んでしまうのだ。それを聴くだけで休日はほとんど終わってしまう。まあ本来音楽を聴くための物なのだから、ある意味正常なのではないだろうか。新しく聴く音に感動し、それをまたさらに良くしようと試みる。そこで初めてオーディオの調整が始まるのだ。
しかしこのレコードの山、場所に困ってきた。実は一番やらねばならないことは部屋の掃除と整理整頓なのだ。うーむ。(03.6.22)
見聞録2003
今年も行って参りました、「オーディオフェスタ・イン・ナゴヤ」。
…って、去年の出だしをコピー&ペーストしてしまったが、まあそういうことなのだ。今年は去年と違って時間があるからゆっくりと…と思っていたのだが、結局滞在時間は1時間半程度だった。
なぜか。このイベントへ行くのもこれで3回目、にもかかわらず毎回同じような佇まいに少々飽きてしまったと言うこともある。新製品をぶらりと見たらそれで終わってしまう。音出しのデモンストレーションも「なるほどね」という感じになってしまった。まあ、いろいろな音を聴いてきたので少々のことでは驚かなくなっているのだ。それも考えてみると寂しいものだ。
講演も去年聞いたオルトフォンジャパン前園社長の時間が終わったばかりであり、少々残念だった。ちょうどデモ機が講演を終えてブースに戻ってきていたが、アナログプレーヤーはプロジェクトの「RPM-9」だった。そして近寄って見てみると何と、通常のアームではなく、オルトフォン製のユニバーサルアームが付いていたのだ。「へえ、こんなこともできるのか」などとじーっと見ていたら、社員の方が「ああ、これはデモでカートリッジを何回も替えなくちゃいけないから無理矢理つけたんですよ。外した後のねじ穴が見えちゃってますけどね」と話し掛けてきた。ちょうど良かったので「パースペクティブ」を使っていること、カートリッジを交換しようとしてリード腺を切ってしまったことなどを話してみた。すると、「外すときは左手の親指を添えて、それで押し出すようにするとゆっくりチップを外すことができますよ。あとリード線の被膜はニッパーを使わずに、半田ごてを当てて被膜を溶かして、素早く手で取るとうまく行きますよ」との事だった。なるほど、大変参考になった。ありがとうございます。「今はトーンアームを作るところも少なくなっているし、需要もそれほどないからどうしても高価になってしまいますね(オルトフォンのアームは15万くらいする)。それでユニバーサルアームも少ないんですよ。プロジェクトは全世界に売ってますから、コストパフォーマンスは高いですね」と言う事だった。日本がアナログブームとは言ってもまだまだニッチな市場なのだ。
全部は聴かなかったが、評論家の中でも若手の一人、三浦孝仁氏の講演が始まっていた。テーマはどうやら「SACD」のようで、同じ内容で通常CDとSACDとを聴き比べて「私はこの余りにも大きな差に驚いて、追求するようになったんです」と熱く語っていた。朗々とした良い声をしている人であることに何よりも驚いたが、話の内容も分かりやすかった。今後どのくらいSACDが普及していくかはまだ何とも言えないだろう。やはりソフト次第と言う事もあり、現段階ではただ「音」のためだけになってしまいがちなのだ。ただ、世の中は「コピーコントロールCD」が物凄い勢いで普及しつつあり、危機感を持っているオーディオマニアはソフトの出方如何では弾みになるかもしれない。
大型ハードのブースはあまりそそられるものがなかった。雑誌で見ていた機器を「ほう、これかあ」などと眺める程度である。気になったのはやはりトライオードの新作パワーアンプか。モノラル構成で一台\12万。これはなかなかデザインも良く、価格も適度だ。少々セパレートアンプも気になるところで、そういった中では候補に挙がるかもしれない。
そんな感じで会場を後にする。うーん、もっと楽しみたかったのが正直なところだ。ケーブルとかアクセサリーのメーカーや代理店もいつものように出品していたが、ただ出品しているだけ、というのも相変わらずだった。もっとこの辺りのデモンストレーションが見たいところだ。今だったら受けるのではなかろうか。(03.2.16)
やっぱりショックだ
安原顯(やすはら・けん)さんが亡くなった。
自称「スーパー・エディター」を名乗る安原さんは最近ではライターとなり、さまざまな雑誌に書評・音楽評などを書きまくっていたが、最近肺ガンで「余命一週間」ということをサイトで公表した。確かにそれから2ヶ月後のご逝去ではあったが、その間もサイトでは肩が上がらなくなっても、痛みでペンを持てなくなってもキーボードが打てなくなっても入院しても、まさに最後の力を振り絞ってその声を我々に伝え続けた。相変わらずの鋭い舌鋒で。入院してからはさすがに更新が途絶えがちになったりしたものの、今年に入って「だいぶ良くなった」と言いながら本人からの文章が更新されたので嬉しく思っていたのだが、結局自宅療養中に眠るように亡くなってしまったとのこと。
安原さんは特にここ数年オーディオにも凝りだし、スピーカーをB&W「ノーチラス801」に、ケーブルを取っ換え引っ換え、寺島靖国さんとともに楽しんでいた。オーディオ誌は評論家だけの記事では手詰まりになっていた。特に長岡鉄男先生が亡くなってしまってからその傾向は強くなったのは当然かもしれない。そういった中で寺島さんや安原さんがオーディオ界において果たしている役割は大変大きいのだ。それがまた、残念でたまらない。
しかし、本人にとっては素晴らしい人生だったと思う。好きなことをして好きなことを言って死んでいったのだ。この一言で済ますと「なんてわがままな人生」となってしまうのだが、ただわがままではなく、他人に対する愛情が根底にあったと思う。「こんな国つぶれちまえ」と言う言葉にはどれだけ現在の日本を思う気持ちが溢れていたか。
今、安原さんの著作を読む日々が続く。オーディオ誌に連載されていた文章以外にも何冊か買ってはいたが、決していい読者とは言えなかったと思う。そんな贖罪の意味も込めて、氏の「バカヤロウ」「クソ」「イモ」と罵詈雑言飛び交う文章を読んでいきたい。(03.1.26)
やっぱり老舗の味
現代型レコードプレーヤー「perspective」を手に入れてからというもの、どうしても我慢が効かなくなってしまっている。
レコードを買いたくて買いたくてたまらないのだ。
新しいプレーヤーで今持っているレコードの全てを聴いたわけでは当然、ない。しかし、いろいろ聴いてみたくなってしまうのだから仕方がないではないか。中古レコードの段ボール箱(通称エサ箱)があると、ついついレコードをぱらぱらと見ている自分に気がつく。次に意識を取り戻したときには数枚のレコードを抱えた自分がいるのだ。あな恐ろしや。しかしうれしくて楽しくてたまらない。じゃあ良いではないか。
特に気になるのはブルーノートである。今までこのジャズでは超メジャーレーベルであるところのレコードを一枚も持っていなかったのだ。理由の一つに中古でもブルーノートは値段が高いことが挙げられよう。今まで持っていたレコードはかなり安く手に入れたものばかりで、そのため自然に外れていたのだ。しかしこれからはCDばかりでなく、レコードも同列に聴いていくのだから良いものを買わねばならないのだ。そうなのだ。
エサ箱に顔を突っ込んで探すと、さすがに超弩メジャー・誰でも知っている盤(例えばアートブレイキーの「モーニン」みたいな)はあまり見当たらないが、なかなか渋くて良いものを見つけることが出来る。これまでにゲットしたのはフレディ・ハバード「ハブ・トーンズ」、ウェイン・ショーター「スピーク・ノー・イーヴィル」、ポール・チェンバース「ベース・オン・トップ」、そしてJJジョンソン「エミネント Vol.1」といったところ。欲しいものは他にもあったが、結局その場では断念した。きりがない。
ブルーノート関係の書籍も興味ががぜん湧いてきたので読んでいる。最近出た中山康樹氏の「超ブルーノート入門」も1500番台について大変面白く書かれていてお奨めだ。しかしそうするとその後の4000番台についても知りたくて堪らなくなってしまうので、結局「完全ブルーノート・ブック」に手を出すことになる。うーんなるほどなるほど。「ようしこれで完璧」などと勘違いしてしまっているのが現在の状態だ。
やはり古いジャズなどはレコードで聴いたほうが何か「気分」が出る。リマスターしたCDの方が鮮烈な音は出してくるのだが、今の気分は「レコード」だ。そのうち「オリジナル盤」という恐ろしい世界を覗きそうになってしまいがちだ。それは程々にしておかないと。(02.11.12)
構想はあるのだが
どこかにつけ入る隙を狙っている。当然オーディオの話だ。
音質向上のため、重箱の隅ではないにしてもあちこちいじってみたくなるのは性と言うか業と言うか。それはこの前にも書いたことだが、最近狙っているのはラックだ。現在使っているどちらかと言うとAV用の横型ラックはそこそこ丈夫なものだが、やはり本格的なものと比べるといささか心許ない。折しも、「音質向上オーディオアクセサリーとしてのラック」がクローズアップされている。どうにかしたいものだ。
もちろん、自作という手もある。分厚い合板かMDFで箱形のやつをガッチリと作れば、かなり丈夫なものが出来るだろう。しかし、だ。最近の市販オーディオラックはやたらとかっこいい。きれいに斜めカットなどされた棚板に、防振加工が施された金属製支柱、というスタイルは特に「クアドラスパイア」というブランドがオリジナルだろうが、確かにスタイリッシュでしかも音が良いらしい。四方がオープンになっているので見た目も開放的で取り回しも楽だし、しかも音にも良さそうだ。これは自作では出来ない。ラックくらいはおしゃれに決めたい気分もあるのだ。
TAOCあたりのシリーズで比較的リーズナブルなこのタイプを展開しているので、これにしようかな、とも思うのだが考えてみると、ラックからラックへの移動ってやつはそう簡単には行くまい。それにはまず、大きな空間が必要ではないか。今の部屋の恐ろしい状態ではまず不可能だ。ラックを組み立てる場所も作れるかどうか。重いだろうからあまり遠くで組み立てて動かしたくないし。さすがに夏は終わったからそれほど汗はかかないだろうが…
体積的には一番大きなものだから、なかなか思うように事は進まない。だいたい、空いてしまったラックはどうするのだ。これも大きな問題だ。まあ、ヤフオクにでも出品してもいいが、大きいものはやっぱり面倒だ。うーん、これは衝動的に手に入れることも出来ず、どうしたものやら、という堂々めぐりな感じで時が過ぎてしまっている。どこで決着をつけるか…(02.9.23)
流行りものに弱い
何度も言っていることだが、このオーディオという趣味には終点など無く、満足もない。いい音を出すことが出来ると、「まだもっといい音があるのではないか」と永遠に無間地獄を彷徨うことになるのだ。何と恐ろしい。何と楽しい。
…などとおかしな出だしで恐縮だったが、コンセントを買ってしまったのだ。それはFIMというアメリカのブランドなのだ。オーディオメーカーというよりもソフト(CD)のレーベルである。音質が良いことで有名であり、XRCDやSACDにも積極的なところなのだが、ついにはコンセントまでリリースしてしまった。録音スタジオで使用するため、との事だが。
そういった粋な情報や、「いい、いい」という噂を耳にしているとついつい欲しくなる。コンセントは既に標準のものから明工社の物に交換しているが、そろそろグレードアップしたくなってくる頃なのだ。まあ一種の病気とも言えよう。「とにかく試してみたくては」という居ても立ってもいられない気分で胸がいっぱいになってしまい、それは買うまで治まらない。いやあ困ったもんだ、と言いながらニヤニヤしてしまう。ちょうどアディダスのCMで「この人はサッカー病を患っていまして…」という、目茶苦茶面白いものを放送しているが、あんなものかもしれない。買ってしまったし、試さないと…
とは言え、コンセントはスピーカーの真後ろにある。こいつを退かすのは結構大変だし、面倒だ。そのままでも何とか隙間からイケるかもしれないが、ちょっと窮屈。それならば、手っ取り早くコンセントボックス(テーブルタップ)を作ってしまうという手もある。もう一つ別のコンセントを手に入れて、作ってしまうのだ。結局「オンボロタップ」も何とか元気に使われているし、もう一つ既製品(ベルデン)に替わるタップをまた作るのもグレードアップにつながるだろう。今度はオンボロよりももう少しマシな外見のやつを、だ。
それにしてもこのコンセント、セラミックを本体に使っていたり、と本格的なオーディオ用だ。これはなかなか期待できる。早く使ってみたいが、しばらく忙しくて時間がないのが全く残念で堪らない。(02.6.24)
聴きたい
「BH-1609ES」に名前を付けたいところなのだが、なかなか思い浮かばない。パッと見の印象は「こけし」だったりするのだが、そんなに可愛いもんでもない。ずれた部分が多くて板がはみ出していたりするので「はみ出し君」とか「ガタガタ君」とか考えたが、あまりにも気の毒だし自嘲的だ。まあ、そのうち何かひらめくかもしれない。
それにしてもこのスピーカーを使っていると、聴くものも少々変わってくる。このあまりにも高解像度と生々しさを体験すると、やはり「優秀録音盤」を聴いてみたくなるではないか。前から持っていた鬼太鼓座や、カウボーイジャンキーズが今まで体験できなかった「真の実力」を放ちだすので、他にも色々聴いてみたくなるのだ。
そんなわけで、これまであまり聴かなかったクラシック的なものも聴いてみよう。「ナクソス」という、かなり安価だが音の良いレーベルがある。どれも¥1000以下で購入できるのだ。それを2枚ばかり買ってみた。「オーディオベーシック」誌上で取り上げられたアンタイル「バレエ・メカニック」と「日本管弦楽名曲集」だ。前者は打楽器が「ガシャーン」と目覚ましく、後者は日本風アレンジが生々しく眼前に迫ってくる。なるほど、普通のクラシックがどちらかと言うと「まったり」と雰囲気で包み込むのに対して、これらの作品は場合によっては耳が疲れる程に強烈なリアリティを突きつけてくる。面白いものだ。
また、このスピーカーはドラムが得意だ。インパクトの瞬間までをきっちりと再現し、どんなにスピードが速くなってももたつくことはない。締まった低域はバスドラの連続音をハッキリと出してくる。シンバルの「バシャーン」やブラッシュの「サクサク」した音も適度に輪郭を持ち、しかも厚く表現してくるので大変気持ちが良いのだ。だからジャズも当然ながら良いのだが、ロックも迫力満点。洋楽のロックはそれ程録音は悪くないので十分に楽しめるし、特に最近はリマスターの流行でビックリするほどの高音質で往年の名盤を聴くことが出来るのだ。もう全てのジャンルにおいて聴きたいものばかり増えてしまって困ったものである。
あとは、床への響きを抑えるべく土台をどうするかだ。あまり背が高くなっても困るのでなるべく薄い素材で、最大限の効果を発揮するような選択をしたいものなのだが…これをあれこれ悩むのもまた、楽しいことなのだ。(02.6.4)
決心?
やはり「ト」は大きすぎるかもしれない。
あれを横に寝かせて側板を貼り付け…と考えると2本同時にできるもんじゃあない。魅力的だし、もしかしたらなかなか良いアレンジが出来るのではあるまいか…と思って一人喜んでいたりしたのだが、やはりでかい。いや、確かにでかくなって仕方のないことなのだが、もっと作業のしやすいものがよかろう。
そうこう考えているうちにユニットが届けられた。重い。箱から出してみると16cmであることは間違いはなく、むしろコーン紙部分は小さいくらいなのだが、マグネットの大きいこと大きいこと。本当にユニット開口部ギリギリである。端子のついた部分の方が奥まっているのではないか。これでいいのか。気流抵抗の問題はないのか。88ESの時と同様、端子部分は座繰りを入れなければならないが、+と−がかなり離れた位置にあるので、注意しないと大変なことになってしまいそうだ。こういう部分もさすが限定ユニット、簡単には進ませてくれそうにない。負けないぞ。
コーン紙の凹凸はまさに和菓子のよう、ちょっとざらついた質感はモナカに似てなくもない。形は肉まんっぽくもある。これが美味しい音を出してくれるのだ。いやが上にも期待は高まる。
さあ、どれにしようか。D-37か、スーパーレアか、はたまた「ト」か。
実は思わぬ(いや、他人が)伏兵がいたのだ。それは人形型バックロード。長岡鉄男先生の「諸国漫遊記」にも登場された、ひょせん氏の設計だ。「BH-1609ES」という型番の図面を入手して、いろいろ見たところ、幅360ミリ、奥行き400ミリと大変バランスの良い寸法であることが分かった。これならばスペース的にピッタリなのだ。スーパーレアを少し縮めたような塩梅。その分首を短く、胴を長くしたわけだ。これはいい。
と、いうことで現時点では「BH-1609ES」にほぼ決定、という状態だ。ただ、部品点数が結構多いのが気になるところ。製作時間が他よりかかるかもしれない。とは言え、ネック部分と胴体部分を別々に作るわけで、時間が長くなっても邪魔になりにくいことは大きな利点だ。後2〜3日、よく考えてみようと思う。(02.4.21)
懊悩
最近どうも落ち着かない。
何故か。実はうれしい悩みに身を焦がしているのだ。
まだ手元に届いてはいないのだが、あの限定ユニット「FE168ES」が手に入ることになったのである。素晴らしい。16cmの限定ヴァージョン、かなり強力なユニットのようだ。もう諦めていたので、今回の入手は素直にうれしい。さすがに20cmの208ESではあまりにも大げさだったので、最近の再発売も見送っていた。やはり限定ユニットは16cmが限界だと思う。
さてその限界ギリギリの168ES、問題は何を作るかである。時々ここに載せられるスピーカー達の写真を見ても分かる通り、もう置く場所がない。例え今のスピーカー達を全部のけるにしても、例えば「スーパーレア」は入るか入らないかギリギリの幅なのだ。そんなに狭いのか、この部屋は?とも思うが実際そうでもない。整理整頓がなされていないからこうなるのかもしれない。アキュフェーズのフロントパネルが引っ掛かるのでもっと幅の広いラックが欲しかったのだが、これでまたその計画は延期だ。あるいは縦型ラックにする、と言う手もあったけど。
話を戻して、さあ何を作るか。スーパーレアが大きすぎるとすれば「D-37」か。あれならば横幅はかなりスリムだ。ただ168SS用に作られたものだから結局もう少し幅を拡げる必要があるかもしれない。あまり拡げるともう限界がやって来てしまう。困ったものだ。
スリムのまま何とかならないか、と考えるとあの魅力的な共鳴管「ネッシーJr.ES」となるが、あれはさすがに長すぎる。音はかなり良さ気だが。しかし家に彼女も呼べない。呼ぶ彼女はいないからいい、という問題でもない。「テンナンショウ」ことD-130あたりをもっと強化して…などとも思ったが、やはりあまり格好がよろしくない。それに168ESには多少強化したところで頼り無さそうだ。
あと何かいい形はないか…と考えると、「ト」があった。ウーファーであるFW208N用に設計されたD-132だ。これは細長く、しかも強力そうだ。もっと16cm用に幅などを調整すれば結構いいものになるのではなかろうか。
こういう悩みは大変楽しいものだ。しかし、「何を作ろうかなあ」と考えていて時があまりにも過ぎ去ってしまうことはまずい。なるべく連休を使いたいのだが…それまでに決まるだろうか。(02.4.16)
見聞録2002
今年も行って参りました、「オーディオフェスタ・イン・ナゴヤ」。
ただ、9時までやっているという初日に会社帰りで立ち寄ったため、駆け足で見て聴くことになってしまったのは残念だ。何せ着いた時は7時半を回っていた。早速様々なブースへ向う。
到着したときはちょうどトライオードのデモをやっていた。昨年に比べるとやはり期待する人の人数が多くなっており、真空管ファンだけではなく、普通のオーディオファンも納得させる音を聴かせていた。新製品のパワーアンプは¥380,000で、球は300Bを使っている。印象としては「かなり現代的な音になっているな」という感じだった。もちろん真空管ならではの艶、コクと言ったものは持ちあわせつつ、ノスタルジーではない現代の音を出しているのだ。この価格帯はパワーアンプとしての売れ筋だと思うので、ラックスやアキュフェーズの他にもこれを候補にしても面白いだろうな、と思った。
あとのブースは残念ながら音をあまり聴いていない。気になったのはアキュフェーズが50万円台のプリメインアンプを出していたことだ。確かにこの価格帯は40万前後の高級プリメインとごうけい70〜80万円台のプリ+パワーの間を埋める存在ということになる。下手なセパレートよりもクオリティの高いプリメインを、という主張だろうか。いずれにしても海外高級プリメインのライバルにもなるものだ。しかも当然いかにもアキュ、といった顔つきである。
短い時間の多くを割いたのは海外製品ブースの中での、オルトフォンジャパンだった。ちょうど前園社長のスピーチ、というか講演が始まるところだったのだ。アナログには最近手を出しつつある状態なので興味津々、しかも寺島靖国氏の著書でも頻繁に登場する前園氏を生で見られる、と言うことで席に座ったわけだ。
内容は前園社長秘蔵のレコードを元に当時の想い出や歴史を語る、というもので、大変面白いものだった。さすが話慣れている、という風情だった。やはり伝わってくるのだ。その情熱、楽しさ、といったものが。音楽を愛し、レコードを愛し、オーディオを愛したひとりの「漢(おとこ)」の魂を感じることができてうれしかった。試聴レコードは全てプレーヤーは「PRO-JECT」の新製品と「コントラプンクトb」で演奏されたが、さすがアナログ、を彷彿させるサウンドだった。プレーヤーもカートリッジも興味のあったものだったので聴くことが出来て良かった。やはり「こういうものでレコードを聴きたいなあ」と思わせてくれるものだ。最後に新製品の小型スピーカーで鳴らしたが、これも迫力満点、コストパフォーマンスは高いサウンドを聞かせてくれた。わが「すーぱーらわん」とほぼ同じ大きさだったので、自分も頑張ろう、という気にさせられる。
前園氏の話で9時は少々オーヴァーしていた。終わるとカタログをかき集め、何故か絶対買いもしないマークレヴィンソンのカタログまで手にして会場を後にした。短い時間だったが物凄く充実した気分になっていた。(02.2.13)
古豪復活か?
長岡鉄男先生が逝去され、カリスマを失い、衰退の一途を辿るかと思われた自作スピーカー界だが、何故かフォステクスは気勢を上げている。限定ユニットもそうなのだが、定番メニューまで変わろうとしているのだ。
防磁タイプの「FE87」と「FE107」が限定モデルのような白いコーンをまとって「FE87E」「FE107E」というヴァージョンアップを既に果たしているのだが、これを皮きりに、103や204といった定番モデルも同じようにヴァージョンアップするという。しかも、バックロード用のΣタイプには、これまた限定モデルのような立体的なコーンを採用、否応無しに期待は高まってしまうではないか。
特に気になるのが「FE108EΣ」だ。現在休眠状態にある「スワンa」には「FE108Σ」が搭載されているのだが、こいつを新タイプに交換してみたい。これはワクワクものだ。88ESを搭載した「D-105」と比べるとどうしても繊細さで負けていたスワン。分厚い中低域は魅力だったが、少々茫洋とした感じもあったスワン。これらの欠点が解消されるのではないか。願わくば、「スワンa」そのままの構造で、何も変えずに付け替えられることを。スワンを初めて鳴らしたときの大きな感動は、忘れられないものになっている。だから今も自作で通しているのだ。
それにしても、限定ユニットの魅力の一部をこうしてレギュラータイプにも採用する、ということは大変ありがたい。色々作ってみたい人、限定モデルでは大げさすぎて、と言う人にはピッタリだ。気軽にバックロードホーンの魅力に触れることもできる。最近のやたらマグネットが大きくて漬物石より重たい限定ユニットは、正直言ってあまりにも浮世離れしすぎていて、そのために一般のオーディオファンの自作離れの一因にもなっていたのではないか。さらにはそうして満を持して登場した限定モデルが、意外にも手放しで絶賛されていないという事実もある。つまり、こうしたモデルを使う人間はかなりの高レベルなオーディオマニア、あるいは自作マニアだからだ。要求するものは大きいのである。さらには、自作の楽しみである「自由度」に乏しいことも挙げられよう。確かに長岡先生の不在が痛いとは言え、もう少し色々な使い方があってもいいはずだ。
そうした中での定番モデルチェンジは、また「気軽に楽しめる」自作を復活させる良い材料だ。製作例も色々面白いものが出てきそうで、それも楽しみだ。そして、自分自身の次回作も…と夢は拡がっていく。(01.10.28)
アナログの世界へようこそ
自覚している私の弱点、それはアナログである。
早々と高校時代にCDに鞍替えしてしまい、しかもそれまで使っていたのはミニコンのフルオート。リニアトラッキングアームのやつだ。これでは知識の積み重ねが無いのも仕方がない。
もっとも、レコードプレーヤー「デンオン・DP-70M」を手に入れてからは、カードリッジをつけたり、フォノイコライザーをつけたり、と少しずつではあるがアナログの世界にも足を踏み入れたりはしている。
とは言え、レコードを聴くときには欠かせない「針圧調整」なるもの。これをかなり適当にやっていたことは確かだ。「耳で調整している」といえば聞こえがいいが、調整などというマニアックなことは全くしていない。「問題なく聞こえればOK」という、とんでもないものだったのだ。これはいかん。やはりオーディオマニアたるもの、針圧調整くらいできなくてどうする。あらためてアナログの勉強もしようではないか。
実は転勤祝いとして元同僚達からプレゼントされたのが、知らぬ物の無い超・ド定番「デンオン DL-103」だ。プレゼントされるにはちょうどいい価格のものだろう。NHKの標準カートリッジとして名高いこのカートリッジ、何十年も生き続ける言わば「時代の生き証人」。やはりこれを聴かずしてアナログを語ってはまずかろう。アナログ再入門のきっかけにはちょうど良いことだったのだ。
MCカートリッジを手に入れたからには昇圧トランスも必然的に要るようになるわけだ。うーん、マニアック。ここで無理をせず、同じデンオンの入門型トランス「AU-300LC」を購入する。何せ私はアナログ再入門者なのだ。いきなり高いものを買っては駄目なのだ。
さらにターンテーブルシート「パイオニア・JP-501」も中古で手に入れることが出来た。ちょっと古くて傷んではいるものの、音の違いを試してみるにはちょうどいい。役者は揃った。あとは実践あるのみ。暑い夏は終わり、ようやく涼しくなってきた。レコードを聴くにも一苦労、汗の一滴がレコードを攻撃する、という状態はさすがにもうあるまい。これからだ。様々な試行錯誤が楽しみである。(01.10.7)
気合入れにはこれです
個人的に大変うれしいことなのだが、ここ最近寺島靖国さんの著作が毎月リリースされているのだ。5月に三笠書房(王様文庫)から『JAZZ最高の愉しみ方』、6月には講談社(+α新書)から『JAZZジャイアンツ名盤はこれだ!』が「スーパーエディター&ライター」の安原顯(通称ヤスケン)さんとの対談として。7月は宝島社新書から『新しいJAZZを聴け!』、そして8月には河出書房新社から『JAZZオーディオ悶絶桃源郷』が出たのだ。
素晴らしい。発売日を楽しみにしつつ、出たら早速買ってどばばーっと読む。面白い。そして以前の著作を引っ張り出してまた読む。面白い。面白い。
私にJAZZの面白さを教えてくれた師匠とも言える存在である。何せ文章が面白い。テンポが小気味よい。とにかくガンガン読み進めてしまい、あっという間に読了してしまって「早く次を、次を」という禁断症状にも似た状態に陥ってしまうほどなので、9月からはどうしよう、と心配になっている。
この人のJAZZ観は何と言っても「曲」である。JAZZというと「人」や「演奏」で聴くもの、という「教え」が多い中、「良いと思った曲をまず聴き、そこから人に入っていきなさい」というのが他の人とは違うところだ。確かに当然といえば当然ではないか。だからヤスケンとの対談でも通常言われるところの「JAZZジャイアンツ」について滔々と述べられているわけではない。そこが面白いところだ。
また、この人のオーディオに対する取り組みも何と常軌を逸していること、毎回毎回良くこれだけネタがあるものだ、と感心させられる。特にケーブルについては鬼神の如き、でハイエンドなケーブルを取っ換え引っ換え、悩ましげに楽しみまくっているのだ。普通ハイエンドの世界は「澄み切った、透明感のある、クリアーな…」といった形容詞が付けられがちだが、この人の目指す音はあくまでJAZZだ。「ごりっとしたベース、鉄の粉末が飛び散るようなシンバル…」およそハイエンドとは違うような気もするが、あくまでハイエンドの世界でそれに挑戦する姿は面白くも勇ましい。自分もベースやドラムの音が大好きなので大いに共感できるのだ。
とにかく、寺島さんの著書を読んでいると何かこう、元気が沸いてくる。そういう文章なのだ。とても還暦を過ぎたとは思えない旺盛な好奇心と行動力、感心せざるをえない。JAZZやオーディオに明るくない方も是非読んで欲しい。出来ればここからJAZZやオーディオに興味を持ってくれれば尚うれしい。マイナーな世界に閉じこめておくには勿体無い人だと思うのだ。(01.9.2)
欲しくなってしまったんだから
ネットの普及により、「欲しいものはより欲しいときに」手に入れられるようになった。「欲しくなったときが買い時だ」とも言われる中、欲しいものが相次いで出てきてしまうと嬉しいやら、財布の中身は気になるやらで、悲喜交々である。
さて、「ハイファイ堂」のサイトをいつものようにチェックしていると、そんなものが登場してしまったのだ。その名はヤマハのCDレコーダー「CDR1000」。馴染みのない名前かもしれないが、業務用である。つまりはプロユースだ。よってデザインも武骨で、ラックマウントが可能なフロントパネルになっている。そして値段。定価は¥188000なのだが、知名度の無さからなのか、¥75000という価格が付けられていた。まだ新しめのモデルにも関わらずこのヴァリュー・プライス。もう思いっきり購買欲をそそられた。
これを「買い」としたい理由はまだある。これはただのCDレコーダーではないのだ。普通にCD-Rが欲しければ、普及価格帯にも今では何機種かあるし、パソコン用に買って焼いたって良い。以前パソコンで焼いたもので試聴実験をした通り、それ程音質に大きな違いはないからだ。この「CDR1000」には他にはない特長があるのだ。
それは何かと言うと、D/Aコンバータに「アポジー」社のものが使用されているのだ。やはりプロユースで定評のあるコンバータで、それを内蔵した「CDR1000」は、実は隠れた超々・ハイコストパフォーマンス機なのである。それがしかも前述した破格値なのである。もう、買うしかないのである。
そんなわけでメールでキープしてもらってハイファイ堂へ。おお、見ると状態はかなり綺麗。保証書の日付を見ると購入日は今年の3月。ピカピカじゃないか。ちょうど良く慣らし運転済み、って塩梅である。早速音を聴かしてもらう。スピーカーは何とアルテックA7だったりするが、そこから出てきたチャーリー・ヘイデンの「ズゴーん」と沈み込むようなベースの低音に感動。ギターの瑞々しい音色にうっとり。こりゃ良いぞ。試しに別の普及価格のプレーヤーに切り替えて聴いてみると、あな恐ろしや、ベースに締まりが無くなり、ギターは普通にベロリンと鳴るだけ。全く別の曲と言っても良いくらいだ。これほど違いがあるとは。驚いた私、もう心は決まった。
「じゃ、銀行行ってきます」
早速家に持ち帰る私、しかし、何処に置こうかちょっと悩んだ。もはや何かを退かすしかないのだ。結局最近使っていないチューナーを一時退避させることにした。アキュフェーズのフロントパネルすら収まらない幅の狭いラック。業務用の常としてラックマウントが前提のフロントパネルは当然横に突き出ている。奥へは入らないことはもう承知の上。一旦奥へ置けないから結線はまた大変だなあ、と思いながらチューナーをラックから引きだし、一緒に出てきた物凄いホコリに咳き込みながらレコーダーを設置した。さあ、音出しだ。それは次回、別のコーナーにて。(01.5.27)
まるでブームのようだ
「開拓者」に続いて、音楽之友社から「アンソロジー」が、音元出版からは「不思議の国の長岡鉄男・1」といったムック本がぞくぞくリリースされている。オーディオ界において、氏の存在というのはかくも大きかったことはこれで分かるが、一度にこんなに本が出ると、新聞でも取り上げられんばかりの勢いすら感じてしまう。まあ、出版時期はおそらくは偶然なのだろうが、実際にはマニアだけが騒いでいる話ではあるのだ。こういったことでもっと多くの人がオーディオに興味を持ってくれるとありがたいのだが…
まず「アンソロジー」。こちらは「音楽の友」の昔の記事など、物凄く古いもの(1950年代からある!)からピックアップしており、歴史的にも興味深いものとなっている。当時の本からコピーしたのだろう、書体の古さもそのまま、レイアウトもそのまま、広告まで掲載されたままなので、まるで押し入れの隅で見つけた古雑誌を読んでいるような気分で読んでいる。「読んでいる」というのは、何せあまりにも膨大な文字情報、読み応え満点なので、とてもじゃないが読破していないのである。しかし、戦後の歴史を一つの視点から見ている、という興味深いものなのだ。雑誌レイアウトの歴史でもあるので、決して長岡ファンではなくとも、いやオーディオマニアでなくとも楽しめるのではなかろうか。精悍な若い長岡先生の姿も見られるが、誰だかさっぱり分からないほど若い貝山知弘先生の写真も必見だ。
そして「不思議の国」だ。これは「オーディオアクセサリー」誌の連載などを編集したもの、と言って良かろう。これはまあ、雑誌を保管している人ならばあまり必要ないかもしれない(とは言え、本当に保管していたら物凄く膨大な量だ!)が、自分としては買っているのはつい最近からなので大変有り難い。もちろんある意味での「マニュアル」的な働きもしているが、やはり長岡先生の著述は「読み物」としての要素が強く、大変面白いのだ。欲を言えば、補足説明の部分をもう少し充実させて欲しかった。そうした部分が今回のこうした編集の意味があるように思うからだ。また、この本は先生の存命中からあった企画とのこと。もしかしたら本人の補足説明という形をとりたかったのであろう。この本は「1」とあるので続編にも期待できる。
「歴史」を学ばずに「現在」を語ることはできない。そうした意味で、当時はオーディオに興味の無い人間もその名前だけは知っていた「長岡鉄男」の業績をまとめることは今後のオーディオ界をどうしていくか、という観点においても重要なことである。(01.4.29)
ちょっと複雑な思い
長岡鉄男先生の逝去からもうすぐ1年が経とうとしている。何せ唯一無二の人物が亡くなってしまったので、その後のオーディオ界は何となくぽっかり穴が開いてしまったように映る。
特に連載を持っていた雑誌群は、どうしても「単なる情報誌」的なものになってしまったような気がする。つまり、オーディオから横道に逸れているような長岡先生の「あの」文章が無くなってしまったことはこれまで「読み物」としても機能していたオーディオ雑誌が、その一部のしかし重要な機能を失ってしまったことでもあるのだ。特に私は、いかなる雑誌も「読み物」として読みたい。単なる情報だけならばインターネットがあるのだ。
そんな中、FMファンからムック「開拓者 長岡鉄男」が出版された。メインは「ダイナミックテスト総集編」で、自分のように昔のFMファンを処分してしまった人間にはうってつけの内容だ。懐かしくもあり、一時期パソコンに凝ってオーディオから離れていた時期のものは新鮮でもある。今自分が所有している、あるいは過去に所有していたもののレヴューは特に興味深く読むことができる。CDX-10000、TA-F222ESJ、SL-P1200、X-1…それらが長岡先生流の筆致でダイナミックに表現され、やはりこれは「読み物」だとも思わせてくれる。
欲を言えば、あまり褒めなかったものも載せて欲しかった気もする。「これは前作の方が音が良かった」などと平気で書いてあったことに驚いた記憶があるからだ。「新しいことが必ずしも良いとは限らない」と言うことを学んだわけだ。
もう少しスピーカー製作の分野もページを割いて欲しかったことも挙げられる。オリジナル・スワンだけでは何とも寂しいではないか。しかし、最後の方、70年当時の連載を記載したのは素晴らしかった。さすがにリアルタイムで読めるわけが無いからだ。もっとこのときの連載の文章を読みたかった。このムック、続編はないのだろうか。
そして、大盤振る舞いだが付録CD。これは実はまだ聴いていない。聴いたら必ず感想は何処かに書きます。
次は「オーディオアクセサリー」の音元出版からも「長岡本」のリリースが控えている。今度は連載「ワンダーランド」の総集編のようなものになるのだろう。楽しみだが、ちょっと寂しくもあり、もっと別の切り口からの本はないのかな、とも考えたりして、さらにはこのままでオーディオ界は大丈夫だろうか、とまで考えすぎてしまい、思いは複雑だ。(01.4.11)
さらば、「レコパル」よ。
いきなりだった。噂も聞いていなかった。「もしや」と言う気さえしていなかった。
「サウンドパル」最新号を何気なく買う。雑誌を買ってきてまず「次号予告」を見てしまうのは私だけではあるまい。裏表紙をめくる。しかし、そこには「次号」はなかった。虚を突かれた感じだ。しばらくその一番終わりのページをじっと見つめていた。
しかし、考えてみると小学館という大手出版社において、この雑誌はどれだけの発行部数を揚げていたのか。現在のオーディオ不況を思えば、かなり厳しい数字だったに違いない。逆に今までよく続いていた、と言うのが正解かもしれない。効率を重視する大手では、売れない雑誌をいつまでも放って置くわけはないのである。
一年以上前のこのコラムで、あまりこの雑誌が面白くないようなことを書いたことがあった。しかし、その後も買い続けていたということで、結構楽しんでいたのである。他のオーディオ誌よりも遥にヴィジュアル方面に力を入れており、以前は興味が無かった私もDVDなどを持ったこともあって、多少はこの関係の記事を見るようになっていたのだ。初心者向け、低年齢層向けの内容が自分にはちょうど良かったし、これが昔からの「レコパル」の持ち味だったとも言える。ちょっとお馬鹿なイラストで内容をもり立てる、といったような。
及川公生さんの読者訪問も、おそらく長岡鉄男先生に次いで人気のクリニックだったに違いない。あの独特のユーモア溢れる、そしてオーディオにかける「熱さ」を伝えてくれていた。自分にとって「一番最初のオーディオ評論家」であるのも及川さんだ。もっとこの人の記事を読みたいのに、残念なことである。是非とも他誌に移って書き続けて欲しい人だ。「スイングジャーナル」だけでは物足りない。
現在はホームシアターの時代なのかもしれない。「かもしれない」と書いたのは、狭い日本の住宅事情で本当に可能なのか、という疑問がどうしても消えないからだ。現実的ではない、と。しかし、おそらく「レコパル」が復活するとしたら、シアター専門誌となるだろう。しかしこれとて、競合の多い世界だ。容易には踏み出さないだろう。
だから、とりあえず、「レコパル」よ、さようなら、と。(01.3.9)
抑えきれないこの衝動
「アンプが気になっている」とはこのコラムでも書いた通りだったのだが、こういう「物欲」というやつはそのまま放っておけば弱くなって行く場合もある。しかし、常に大須など行ったりしていては弱くなるどころか、ますます強くなっていってしまうことは想像に難くない…
などと、他人事のようなのだが、早くも買ってしまったのだ、アンプ。いや、自分でももう少し後の話かな…などと思っていたのだが、様々な要素が重なり、購入に踏み切ったわけである。
一つのきっかけは、大須のアメ横で、アキュフェーズ「E-306V」が箱積みで安く売られていたことだ。これには正直「クラッ」と来た。現在は「E-307」が出たことで型落ちということだが、かなり良いものであることは間違いない。残りはあと一つと言うことで、「いっそここで決めてしまうか」と思ったが、一旦頭を冷やそうと思い、店を出た。そうだ、冷静になるのだ。
大体本当にアキュフェーズで良いのか。日本が誇るハイエンドメーカーだとは思うが、「派手めな高域、薄い音」という噂もある。芳純なラックスに対して、シャープなアキュ、というステレオタイプなイメージだ。最近は真空管アンプの濃ゆい音を耳にして、その世界を大変気に入っていたのだ。ちょっと高級めな真空管という手もあるぞ、と言う声も頭の中で鳴り響く。
とりあえず足は自然に「ハイファイ堂」へ向う。そこにもアキュフェーズは存在した。しかも、1ランク上の「E-406V」である。当然中古だが、値段的にはさっきの「E-306V」とさほど変わらない。またぐらぐらぐらと揺さぶられる私。まずは聴いてみることにした。
今回の試聴機器は、スピーカーには往年の名機ヤマハ「NS-1000M」、CDプレーヤーにはパイオニア「PD-T07HS LTD」だ。1000モニターの実力は言わずもがなだが、CDの方はどちらかと言うとサラッとした音になるとのこと。それを念頭においてクラプトン、綾戸智絵、ロリンズなどを試した。
おお、さすがの解像度の高さを思い知らされる。セッティング条件の悪い1000モニターもそれ程ボンつくこともなく、締まりの利いた低音を鳴らしてくれるのだ。まず高解像度、という印象を受けるほど、音の特長は単純に音質が良いことだ。悪く言えば「個性」は無いように感じる。うーん、どうしようか…しかし、音質は間違いなく良いのだ。確実にレベルアップが出来るはず。ただ音が厚いの薄いのといったようなコメントは出来ない。厚いか薄いかは良く分からないのだ。逆にそれ程音が良いということでもある。うーーーーーん。困った。
「とりあえず『商談中』にしといて。決心したら明日にでも来るわ」
と告げて店をあとにする。
そして寝ずに考える…事はさすがに無く、ぐっすり眠って翌日の朝。しかし、もう決めた。買うのだ。もう買うしかないではないか。心は既に「イケイケ」モードである。
気が付くと既に23キロもあるアンプを担いで自宅の2階への階段を上っていた私(しかしえらく省略したな)、こんなにワクワクすることも滅多に無いというものだ。遂に手に入れてしまったぞ、アキュフェーズ。使いまくってやるから覚悟しろ…とニタニタしながらセッティング。よいしょ、とラックの中に突っ込む。えい。
「…あれ、フロントパネルが引っ掛かって入らん。」(01.2.13)
見聞録(後編)
SACDはしかし、まだまだ発展途上であることは間違いない。いくらソフトが増えたとはいえ、マイルス・デイヴィスやビリー・ジョエルのためだけに買うわけにも行かないのだ。それに、海外機ではまだまだ無いに等しい状態だ。しばらくは様子を見ることになるだろう。
そういうわけで海外機にも期待していたのだが、ちょっとこちらは拍子抜けか。確かに商社の参加も少ないから致し方の無い部分もあるが…しかし、大きな部屋を借りて合同で試聴会を行っていた。時間の都合で少ししか聴いてはいないが、やはりスピーカーがメインで、JBLの3500であるとか、ソナス・ファベールあたりをデモしていた。確かに目で見ても分かりやすいのはスピーカーだし、海外機の中心、売れ筋はスピーカーであることは間違いない。しかし、超個人的には市販スピーカーに興味が薄いので、あまり聴かずに立ち去ってしまった。良い音はしていたとは思うが…おそらく別の日・時間にはアンプなども紹介していたのだろうけど。ボウ・テクノロジーズのセパレートアンプの音を聴きたかった。まあ、買うわけはない値段ではあるけれど、雑誌の記事も気になったし、最近プリメイン「ZZ-ONE」を聴いてみて、その繊細で表現力の高い中高域に心を奪われたのだ。しかし逆に低域の締まりが足りないような気もしたので、上級機ならばそれを解決しているのだろう、という思いもあって、ここのアンプを聴きたかったのだ。また聴く機会もあるだろう。
聴けはしなかったがオーディオアナログというイタリアのメーカーのアンプを見ることが出来た。「プッチーニ」という作曲家の名前を冠したプリメインが代表作だが、これのスペシャルエディションが20万円台前半、とお買い得感は強い。シンプルで作りも良く、営業の方の話を聴くことも出来たのだが、「クラシック向き、と言うイメージがするけど」と言う私の問いに「いや、それだけでなくて、むしろ女性ヴォーカルが良いんですよ。個人的にはミーシャが最高でしたね」との事。ミーシャはヴォーカルの良さもさることながら、サウンドプロダクションもなかなかの高音質。たるい音ではつまらなくなる。と言うことは、ハイスピードな持ち味もあるのだろう。これは何処かで音を聴いてみたいものだ。でもやはり、自分の持ち味とは違う気もするが。
トライオードのデモを聴くことが出来た。説明をしてくれた社員の方はなかなか話し好きそうな人で、「この時代に真空管をもっともっと広めたい」と言う熱意に溢れていた。「来年もよろしくお願いします」と言う言葉も印象的だった。セパレートアンプを聴いたが、やはりこれ(真空管)を聴くと、他の音が情緒に乏しく聞こえる。音楽を聴くには真空管というデバイスは最適なのか。人間の情感に訴える「何か」があるに違いない。デモが終わったあと、年配の方が「やはり真空管は良いなあ、最近はトランジスタで我慢していたけど、やっぱりこれだわ」と社員の方に色々質問をしていた。きっとすぐに買うに違いない。トライオードでは、真空管だけではなく、近日発売ということで6万円ほどで手に入るトランジスタアンプのキットも展示していた。これなども試してみたくなるもので、基盤は出来上がっており、キットとは言ってもそれ程手間はかからない。フロントパネルもなかなか贅沢な作りで、ちょっと気になった。そして例のD/Aコンバーター「ルミナス」。これもコンパクトなサイズと、真空管とFETの音が両方楽しめるアイデア、3色楽しめるイルミネーション、と「モノ」としても物欲を刺激しまくってくれた。
ダラダラと書き連ねたが、別にレポートでもないので総括もしない。ふっと我に返ると、それまでの遊びの疲れが襲ってきて、帰途に就くこととなった。(01.2.9)
見聞録(前編)
「オーディオフェスタ・イン・ナゴヤ」へ行ってきた。日曜日の夕方近く、つまり終わるちょっと前、と言う時間帯のせいなのか、それともこういうものなのか、「ごった返している」と言うほどの人数はいなかった。それでもオーディオに熱心な人間がこれだけいる、と言うことはまだまだこの世界も捨てたもんじゃない。
各ブースでは交替で試聴会が行われており、聴いたのはティアック(タンノイ)、マランツ(B&W)、ソニー、トライオード、といったところ。ただ、こういった会場で、しかもこれだけ人間という吸音材が詰まった中で聴く音が果たしてどうなのかはわからない。正直な話「ふーん、良い音だねえ、お終い」という形の感想しか言えなくなってしまう危険性を孕んでしまう。
それにやはりヴィジュアルの方に力を注いでいるメーカーも多く、例えばデンオンやヤマハがそうだった。パイオニアなどもDVDオーディオをアピールしていたが、やはり映像関係にかなりウェイトが置かれてもいた。
そうした中で、やはり純オーディオと言えるのがアキュフェーズ、ラックスといったあたりだ。特に現在アンプが気になっているためか、両メーカーのラインナップは当然気になる。ラックスの方は残念ながら音を聴く機会に恵まれなかったが、薄型モノラルパワーアンプ(B-1)は写真で見るよりも魅力的で、多いに興味を引かれた。また、アキュフェーズも最新プリメイン(D-307)がかなりの力作であることを社員の方と話していて感じることが出来た。また、アキュでは¥25万上代でCDプレーヤーをリリースする予定になっており、どうやらティアック(VRDS-50)にぶつけるようで、これも多いに気になるところ。まだまだコンパチではないCDプレーヤーも頑張って欲しいところである。確かにDVDオーディオもようやく3月にソフトが発売されるし、SACDの音質は素晴らしいものだ。しかし、多くの人はたくさんのCDを既に持っている。聴きたい新譜だって殆ど普通のCDだ。同時発売はまだまだ先の先だろう。そうした中で、「CDを聴くことのみに注力した」というプレーヤーの方が多くのオーディオファンにとっては有り難いことではなかろうか。
しかし、SACDの音は何度も言うが素晴らしい。聴いたのはソニー、マランツのブース。ソニーはソニーらしいソリッドで目の覚めるような音、マランツは温かみのある瑞々しくも分厚い音、と両者のスタンスの違いが現れていて面白かったが、デザインはやはりマランツ。これも¥25万と、ティアックなどと重なり、「純CD対コンパチ」という図式にもなりそうな展開だ。これは大いに頭を悩ませる人を増やしそうなことだろう。こういう悩みならいくらでも悩みたいけれども。(01.2.6)
電線病がひどくなる?
遂にそのまんまの本が出てしまった。その名も「ケーブル大全2001」だ。もう内容は当然ケーブル、ケーブル、ケーブルなのだ。素晴らしい。現代オーディオにおいてケーブルの重要性はもはや言うまでもないことだが、まさにオーディオマニアは「一家に一冊」の本だろう。
巻頭にはジャズとオーディオとケーブルをこよなく愛する寺島靖国氏と、ケーブルを評論させたら右に出るものはいない福田雅光氏の対談。これは面白かった。音の好みこそ違え、「理想の音を追い求めて」ケーブルを取っ換え引っ換えする、まさに「男のロマン」が2人の熱い会話から迸り出ていることを伺い知ることが出来たのだ。
内容は書き下ろしが少なかったことがちょっと残念。「オーディオアクセサリー」誌に掲載された内容がメインになっており、どちらかと言うと「編集物」に近い。それでもこうやって一冊がケーブルオンリー、と言うのは壮観だ。AV時代を反映して、映像ケーブル(コンポーネントケーブル、Sケーブルなど)も取り上げていたのは正解だろう。それでもまだまだ掲載されていないものがたくさんある、というのが凄い。欲を言えばもっとスピーカーケーブルを取り上げて欲しかった。やはり一番効果がわかりやすくて、試しやすいのはスピーカーケーブルだからだ。さらにはそれに伴って端子(バナナプラグ、Yラグ)も特集してくれるともっと嬉しかった。
と、まあ要求ばかりをしてしまったが、さらに病気は深まってしまうのか。ハイエンドに手を出すことはないとは思うが、この本を見て「ふーん、PADねえ、ワイヤーワールドねえ…」などと言っているだけなら害はない、はず。(01.1.8)
ベストバイのバイはあくまでBUYなのか
年末ということはオーディオ界では毎回ベストバイを取り上げるわけだ。まあ、どの部門も上位は予想できるものばかり。それは雑誌が違えど同じことである。国産では特にデン○ンが強いのも最近の通例だ。よりこの会社が積極的に評論家の先生方に試聴させてもいるのか、殆どの審査員が聴いている。特に審査員全員が聴いていないと絶対に上位に行かない「ステ○オ」誌ではそれが顕著になっている。平均点を採る「サウ○ドパル」は、以外なものがランクインすることがあるが、聴いている審査員があまりにも少ないものが上位、というのもどうか。よって、どちらの審査方法が良いのか、判断が難しいところである。
この結果如何で売れ行きに影響が表れるのは当然だろう。前述の会社はかなりの宣伝費をこれに注ぎ込むわけだ。宣伝が全てを制するこの時代、当たり前のアプローチだ。しかし、普通ならば「自分の音を探求する」ことがこの趣味の楽しみ方の一つでもあるのに、こういう点数でオーディオ機器を評価するのはいかがなものなのだろうか。点数が低いものは「良くないもの」と見なされてしまわないだろうか。そういう人も多いはずだ。しかし本来音の好みは人それぞれである。ある意味、人そのものが音となって表われるのがオーディオの面白いところなのだ。ベストバイというものは「ただ良い音が聴きたい」という人はこれを買っておけば間違いない、損はない、というくらいに考えておけば良いのかもしれない。欠点のない、中庸な音、と言い換えることも出来よう。だんだん自分の音が見つかってきたら、そこから一歩踏み出すのだ。今の自分がそういう状態で、「自分の音」探しに夢中になっている。これが面白くて堪らないのだ。
とは言え、ベストバイになったものをそれ程聴いたことがあるわけでもないので偉そうなことは言えないが、一つあった。「漫遊記」のときだ。デン○ンのCDだった。良い音だったけど、普通の音だった記憶がある。「普通に良い音」。一つだけで判断してはいけないかもしれないが、まあ、やはりそう言うことなのだろう。(00.12.18)
作るものだらけ
ロクハンユニットでのスピーカー製作、ただいま鋭意設計中だが、そんなことをしているうちに、また作らなければならないものを買ってしまった。
2割引の誘惑に負け、壁コンセントの中古品を2個ばかり買ってしまったのである。今のところ本当に壁のやつを替える気はない。コンセントボックスを製作するのだ。実際には中古で安いやつを…と思っていたのだが、これは人気が高く、「ハイファイ堂」でも出た途端に「売約済」となってしまうのだ。これではいくら待っても自分が手に入れられるのは先の話だ、と痛感したのである。何せ、現在使用しているテーブルタップは4個口。足りないのだ。
買ったコンセントは「レヴィトン」というアメリカ製で、白いやつとオレンジ色のやつだ。オレンジのほうが少し高い。コンセントにオレンジ色とは、さすがアメリカというべきか、でも良い色である。そう言えば「PAD」の高名なオーディオ用コンセントもこのレヴィトンを加工したものだった。
作ろうと思ったのは「テーブルタップ」ではなく、「コンセントボックス」だ。つまり、ケーブル直出しのではなく、交換可能にして楽しみたかったのである。なぜなら私が電線病だからだ。と言うことで、「フルテック」のインレットも買った。これで完璧…と思ったが、完璧どころか全く駄目駄目であることが分かったのだ。
つまり、自作に使うコンセント用空ボックスは、ケーブル直出しにするしかないタイプしか見当たらないのである。なるほど、道理で皆そうしているわけだ。これは参った…それだけでは終わらなかった。さらに、このアメリカ製コンセント用のプレートが無いのだ。これくらいあるだろ…くらいに思っていたら、無い。ネット経由で取り寄せるしかないか…と思ったが、まあよい。プラスチック削れば何とかなるだろう、という力技で切り抜けるつもりだ。まあ、まだ時間はある。ちょっとどちらも探してみようかな。でないと、全部木で作っちゃうよ。(00.11.13)
礼に始まり礼に終わる
私は「買い物の悪魔」に憑かれてしまったのだろうか。
真空管アンプの甘美な世界を知ってしまった私、そうすると「これにより合うスピーカー」と考えてしまうのも当然といえば当然のことなのだ。べつに我が愛機「D-105」が合わないというわけではない。いやむしろ、中域の張ったフルレンジにピッタリとも言える。まあ、要するに違った感じの音を聴いてみたいだけなのかもしれない。また作りたいだけ、なのかも…
やはり昔っぽいフルレンジが良いか。例えばJBLの「LE-8T」がこうしたフルレンジの代表格だが、気軽に試してみるには少々高い。これはやっぱりマッキンにでも合わすのが良かろう。そこで、たまたま見つけて私の気を引いたのが昨年パイオニアから限定生産で出た「PE-16M」だ。これは古典的フルレンジの復刻版であり、有名な「ロクハン」ユニット、三菱の「P-610」とはライバル関係にあった由緒正しいユニットである。ロクハン、とは16cmユニットのことだ。もともとは「ロクハンに始まりロクハンに終わる」という言葉があったように、基本中の基本なのだ。これは良さ気、だ。
買うべきか買わざるべきか。ハムレットになった私だったが、こうなった私がこれまで買わなかった試しはない(高額品はその例にあらず)。もう買うしかないのだ。掲示板などでも背中を押された私は1セットのユニットを気が付いたら手にしていた。またまたゲット、である。しかも限定生産品がまだあったことも嬉しい。売れていなかったのかな…
さあ、どんなやつを作るかな。こいつはかなり容積を必要とするらしいから、大きくはなるだろうが、置けるスペースには限界がある。それを考えて設計するのが、これまた楽しそうなのだ。とりあえず、ニヤニヤしながら思い悩むとしよう。(00.11.1)
電球でござる
ある日、いつものように11時過ぎのネット巡りを楽しんでいた私は、「ハイファイ堂」のサイトを見て手が止まった。「おっ、これは」と思ったのだ。
そこにはトライオードの真空管アンプ、「VP MINI 88 Mark2」が載っていたのだ。以前からここの小さいアンプに興味があったのだ。特に、前にも買うチャンスはあったのだが、ちょうどCDプレーヤーが壊れたときであり、やむなくあきらめたという経緯もあったのだ。
値段は¥34.800。定価が¥75.000と言うことを考えると大変お買い得だ。しかも現行商品である。こりゃ買うしかないな、とは思ったがすぐに「買います」メールを出すことはしなかった。別に翌朝行けばいいや、と思ったからである。一方ではメールでの先客がもしいたら…という危惧は当然あったが、それもスリルだ。別にどうしても必要、というわけではないので無かったら「ああ、畜生」と悔しがるだけのことだ。
そして翌日の朝。実際には疲れていたのでこの日は出掛けないつもりだったのだが、そうは行かない。勇んで出掛けるのだ。持ち金の確認…よし、足りる。ドキドキしながらハイファイ堂。まさかもう無い、なんてことは…と。自然に足は速まる。
朝から忙しそうだった店内は、私に口火をなかなか切らせてくれなかった。店員も私が普段あまり買わない客であることをよーく分かっているためか、放置された状態が続いた。しかもよく話す馴染みの店員は休みのようだった。それにしてもこの店、いつも何故か朝方からバタバタしているのだ。景気が良さそうなのは結構なことである。しかし肝心のトライオードは見当たらない。どこだ。もしや。いやそんなことは。やっぱりメールを。
ようやく一人が空いたので「ネットに出ていたトライオードだけど…」と訊くと、「あーあれ、ちょっと待って下さいね」と妙に取り出しづらい、入り口のショーウィンドウに当たるところから持ってきた。そんなところにあったか。気が付かなかった。かくして試聴が始まった。合わせるスピーカーはその近くにあったアコースティック・ラボ(だったっけ?)の「ボレロ」。およそ、真空管には合いそうにない。しかしすぐに動かせそうだったのは他にはソナス・ファベールの「ミニマ」。一層合わないので「ボレロ」で行く。まずはベタなジャズから、とリー・モーガン「キャンディ」をかける。……うおおお、いいじゃないの、いいじゃないの。まさか「ボレロ」からこんな分厚く、元気の良い音が出てくるとは思わなかった。何だか楽しくなってきた。ロック系も聴きたくて、店にあったレニ・クラの名盤「ママ・セッド」にチェンジ。おー、分厚い。濃い。音そのまんまなレニーの風貌がもろに、そこに登場した。もはや私の心は決まっていた。「これ!」
しかし、「あ、これメール来てる!」の声で私の体は冷や水を浴びせられたようになった。何食わぬ顔でCDをかけていたが、内心ヒヤヒヤである。これで駄目でも仕方がない、メールしなかった自分が悪いのだから…とまで思っていたが、「あー、良かった、単なる問い合わせでしたので」という声で私は復活した。ゲット!これでこいつは私のものだ。エアパッキンでくるんだトライオードを生まれたばかりの赤ん坊をそっと抱くように抱えてちょっと離れた駐車場まで歩いた。
…またこの続き、試聴記などは次回、別のコーナーでにて。
特集のいろいろ
「オーディオ・アクセサリー」最新98号での長岡鉄男先生追悼特集は少ないページ数にびっしりと細かい字で埋め尽くされた、内容の濃いものであった。御家族へのインタビューという思いも寄らなかった視点からの特集は、それまで長岡先生本人が家族についての言及を殆どされなかったことを考えるとまさに「追悼特集」ならではのもの、と言うことが出来る。
「人間・長岡鉄男」という面を浮き彫りにした形のインタビューだったが、やはり実際にお会いしたことのある身としては、「確かにそういう人だった」と頷けるものになっていた。文章や写真から受けるイメージと、現実とのギャップはかなり違ったものだったのだから。それにしても、御子息があんなにも長文で「父・長岡鉄男」を語るということも驚きであった。そして無闇に父を神格化することは良くないといった旨のことが書かれていた。その通りだと思う。私自身も前に述べたが、「今度は自分が何をするか」が重要なのだから。
やはり「ステレオサウンド」や「サウンドパル」のように連載が無かった雑誌はともかく、長岡先生の連載が売りだった雑誌は今後しばらくは何らかの特集を組んでいくようだ。「FMファン」は既に4週にわたる特集を終えた。最終回の「読者から贈る言葉」では恥ずかしながら拙文を掲載して頂いたが、もう少し総括的なことをやって欲しかった気もする。しかしどうやらムック本が出版される予定とのことだ。「ステレオ」ではしばらく未発表作品を少しずつ掲載していくようだ。
少しずつ「次」に向けて進んで行かなければならない。今のところ気になるのはフォステクス。次回限定作はリリースされるのだろうか。しかし是非ともリリースして、我々自作派をワクワクさせて欲しいものだ。(00.8.27)
中継ぎかリリーフか
前回一時的に復活したCDX-10000だったが、それも本当に一時凌ぎに過ぎなかったことを思い知らされた。またすぐにアクセス不能の症状が現れ、そして息を吹き返す、というまさに瀕死の病人のごとく状況は一進一退だったが、遂に演奏中にストップして「No Disk」状態になってしまった。これはもう覚悟を決めねばなるまい。買うか。
最近は中古のCDプレーヤーは今一つ入荷が無い。新フォーマットの普及を控えて「待ち」状態なのだろう。ハードオフに行ったところ、目に留まったのはマランツの最上級機「CD-7」。定価45万円で売値は約半額。中古とは言え現行機種にしては半額という値付は安いとも言えるが、それでもさすがに高い。CDX-10000と争うことの出来るランクの商品ではあるが。その隣にティアック「VRDS-25X」が定価19万の半額、新古品扱いだった。これには心が動いた。「25XS」の方は既に聴いていて好印象を持っていたので、それ程変わらないだろう、という気がしたのだ。ただ、何せ試聴の出来ないハードオフ。即決はせず、とりあえず大須へ向った。目指すは「ハイファイ堂」。
ネットでもチェックしていたのである程度はわかっていたが、現在は出物が少ない。これは駄目か、とも思った。あとは「25XS」の新品があることは分かっていたので少々無理をしても買おうか、とも考えた。新品ならば長い間使うことが出来るであろうからだ。
しかし、馴染みの店員と話していたところ、ちょうど前日入荷した商品を紹介された。それがエソテリック「X-1」で、10年前のものだ。当時の定価¥390000。CDX-10000の¥400000とつり合う価格だ。正直言って迷った。何せ1990年製ということで、またすぐに壊れてしまうのではないか。そして外観的に、ちょっとした傷とそれを隠そうとして塗装した後が目立つ。また、電源ケーブルが交換不可能。10000もそうだったので、次は交換できるのが欲しい、と思っていたのだ。
しかし、音を聴いて心は動いた。まあ、店頭ではパワーにジェフ・ロウランド、プリにはマーク・レヴィンソン、そしてスピーカーはティール、と強烈にハイエンドな組み合わせではあったが。しかし、「これはおれの好みの音に違いない」と思わせるものがあったのだ。それにエソテリックはティアックの上級ブランド。ここなら高解像度、シャープな音に違いない。とにかくハイエンドにありがちな、柔らかい、ふんわりした音はお断りである。音楽に癒されたくはないのだ。
また、これならば1年位して強力な機種が中古で入荷したとき、ある程度の価格で下取りしてもらうことも出来る。中継ぎには勿体無いくらいのものだ。何の不足があろうか。
そして決定、翌日CDX-10000を抱えて店に向った。そしてX-1が我が家に登場。考えてみると、シンプルな名前だ。面白いことにCD「X-1」0000、と真ん中だけになったのだ。これも何かの縁だろう。とにかく、3年というちょっと短い間だったが、いい音を聴かせてくれた、CDX-10000にひとまずお礼を言うことにしよう。
さて我が家のシステムの仲間入りしたX-1、音についてはまた次回ということで。このコーナーにするかは分からないが…でもいい音よ。それだけは言えます。(00.8.6)
危機は突然やって来る
そりゃまあ、これまでもだましだまし使ってきたことは確かだ。再起動(パソコンかい)しないと聴けないことも幾度となくあった。しかし、それにしても今回は恐かった。
愛機CDX-10000のことである。今日(7/23)の朝、一枚目のCDを聴き終わった後、もう一枚聴くか、とディスクをトレイに乗せ、再生ボタンを押した。すると「きゅるきゅるきゅる」とシーク音が続いたのだ。「ありゃ、またか」と思った。よく「迷い」が出る、と言うのか、待たさせてしまうことが最近多いのだ。結局いつまでも同じ状態なので電源を切る。そしてまたONにする。これで今までは普通にアクセス成功していた。ところが。今回は全く駄目だったのである。焦った。次々と異なるディスクを試してみるが、どれも読むことが出来ない。これは大変だ。遂にオシャカか。いきなり昇天か。ひどいじゃないか。修理ったって13年前のものだぞ。出来たとしても大体いくら掛かるんだ。買ったほうが良いのか。とは言ってもいきなりだから予算の捻出はどうしたら。汗が。ティアック。デンオン。マランツ。ワディア。リン。
訳のわからない状態になりつつボーッと大須へ。もの凄く暑いがそれすらも上の空。訊いてみると「レンズのクリーニングをとりあえずした方が良いんじゃないか」と言う。しかし、クリーニングディスクだってアクセスできなきゃ仕方ないではないか。困った。中を開けてみるか。そしてレンズを見てやろう。どうせもう壊れるんなら同じだ。最後に分解してやる。けけけ。
そしてまた家へ。一縷の望みを託してまたCDをかけてみよう。…また例の「きゅるきゅるきゅる」。しかし、今度は違った。スピーカーから音が鳴ったとき、思わず「おお」と小さく声が出た。他のも時間はかかるが大丈夫だ。そしてクリーニングディスクを挿入。それをかけた後は、見事にすんなり読み込むようになった。やれやれ。慌てさせおって。
それにしても、あらためて苦手な掃除を怠っていたことを思い知らされる出来事だった。しかし、結局「だましだまし」に変わりはないということだ。少し寿命を先延ばしにしただけのことなのだ。今のうちに「CDプレーヤー貯金」でもしておこうか。無理かな。(00.7.23)
アナログかアナクロか
「アナログ再評価」という言葉を持ち出すまでもなく、レコードや真空管アンプの人気は高く、オーディオ雑誌でもよく特集が組まれたりしている。
真空管の方は、確かに「暖かみのある音」が出ているし、ソースによっては応えられない「味」となっている。自分の聴く音楽とはあまり合わないが、最近聴き始めた古いジャズにはハマル音だ。キットなども安く出回っているのでいつか作ってみるのも良いかもしれない。
レコードも最近プレス工場が大忙しの状態だそうだ。カートリッジもまだまだオーディオ店にはかなり置いてあり、プレーヤーも新製品が出ている。レコードに「針を落とす」作業は「音楽を聴くぞ」という気持ちにさせてくれるのだ。しかし、レコードの場合は「DJカルチャー」から火がついていることも見逃せない。中古盤屋にはジャズやクラシックを主に扱う店と、ヘッドフォンを離さずに横ノリしているBボーイが集まるショップとに見事に別れている。もっとも、ジャズについては彼らのネタとして利用されることも多いだろう。
個人的にはどういう形であれ、レコードがまだ利用価値があるということは喜ばしい、と思っているのだが、オーディオ雑誌関係のライターさん達はかなりそれを苦々しく感じているようなのだ。
「レコードをあんなに雑に扱うとはけしからん」
「あんな回転を加えては(スクラッチのこと)、針がすぐ駄目になってしまう」
「あんなものはオーディオではない!」
まあ、確かにDJ達のレコードの扱いについては細心の注意を払っている、とはとてもじゃないが言えない。しかし、彼らは何よりも音楽が好きなのだ。レコードは彼らにとって大事な楽器である。ギターの弦が消耗品ではないとでも言うのか。DJブースにおける彼らのストイックなまでのパフォーマンスをライターさん達は見たことがあるまい。それはまさに「演奏」なのだ。ちょっと現状認識が甘い、としか言い様が無い。オーディオは一般的には「ダサい」のだから、オーディオでない方が良いに決まっているではないか。
もちろん、主要読者層に対する「リップサービス」も多分に含まれているのだろう。しかし、逆にアナクロな人間が多いのがオーディオ界、というのは自分としては大いに不安である。高年齢化が招いたノスタルジア的な固定観念、こういったものはあくまで独り言にすべきだ。
アナログの世界は楽しい。楽しむ、それで良いではないか。何も昔を「懐かしむ」必要はない。(00.6.26)
成長?それとも
エージングはもう終わったかな、と思っていたD-105が、最近また変わってきた。
もしかしたら、新しいF-168との比較でそう感じるようになっただけかもしれないが、いや、そうではなかろう。明らかに違うのだ。
悪く言えば、音がこもってきた。何というか、明瞭さが幾分後退したような感じなのだ。これまで高解像度を誇ってきたが、ここに来てまた一体何があったのだ?と思わせる変化だ。良く言えば、音に「味」が出てきた。音楽によってはこれが気持ち良く作用する。決して悪いばかりではないのだ。結構病みつきになりそうな「味」だ。古いジャズなどにはこれがはまって、絶対105でなければジャズは鳴らさなくなった。
まだまだ音は変わるのだ。8月で1年になるが、そう、まだ1年も経っていないのだ。これはおそらく、一つの通過点であろう。どうなるか楽しみである。そして、F-168の方はまだやっと1月経ったばかり。音が変わってくるのはこれからだ。これも楽しみだ。今の爽やかすぎる音が少しは粘りが出てくるだろうか。考えてみると、耐入力の小さいD-105に比べ、168はかなりパワーをぶち込めるのだった。もっと音量を上げてエージングしなければなあ…(00.6.22)
哀悼
長岡鉄男先生が亡くなられた。
あまりに突然のことだった。最初掲示板でその死が伝えられたとき、信じられない、いや信じたくない気持ちでいっぱいだったのだが、新聞に掲載されてはもはや覚悟を決める以外なかった。出張先のホテルにいた私はフロントにあった新聞全ての死亡記事に目を通した。真実は過酷だった。
1月、寒い中を我が家にいらっしゃって頂いた長岡先生は思ったより体は小さく、意外に普通の人、という感じではあったが、話していたり音を聴いている姿を見るとエネルギッシュで若々しかった。70代であれほど生き生きとしている人を私は他に知らなかった。あの、夢のような2日間は、本当に最初で最後になってしまった。
正直な話、この悲しさや喪失感は、最近お会いしている、ということにも大きく起因してはいる。先生との邂逅は私の人生において大きな何かをもたらしてくれたような気がしたのだ。そして今回の突然の死。やはり何か感じずにはおれない。おかしな言い方だが、これも一つの「縁」ではないか、と。
もちろんのこと、長岡先生という存在は私という人格形成において大きな影響を及ぼしていたことは確かだ。オーディオだけでなく、先生の考え方や思想は10代から20代前半に於ける私の中に実に心地よく浸透していったのだ。「影響を受けた人物」の欄には間違いなく「長岡鉄男と筒井康隆」の名を揚げるだろう。だから、例え会っていなくてもかなりのショックを受けたであろう事は間違いない。
しかし、形あるものは必ず滅ぶ。そして私はまだ幸い生きているし、普通ならばまだ折り返し地点までも到達していない。生きている人間の役目は、「自分」がどう生きていくか、だ。
長岡先生の人生は、自分から見れば大変うらやましいものだと思う。最後まで現役だったのだ。「老い」ることなく、生を全うしたのだ。最近の引退宣言とその撤回は何かを悟っていたのかもしれない。そしてふらりとあの世に行ってしまわれた。結局引退して「老人」になることはなかったのだ。
そして、今後である。長岡先生の替わりになる人など存在しないし、その必要などはない。それでも先生の功績は不滅だし、その精神は消え去ることなく生きている私たちが守っていく。私もそれを伝える、のではなく、自分の生き方で「何か」を示すことが出来るような人間になりたい。
長岡鉄男先生、本当にありがとうございました。(00.5.31)
三役揃い踏み?
「D.I.Y.」のコーナーで紹介したように、また新しいスピーカーを作ってしまった。スワン、D-105(勝手にペットネーム「ブックエンド」)、そして今回のF-168がぎっしりと並んで、なかなか壮観である。当然のことながら「こんなに作ってどうするのか」という声もあることだろう。「何のために?」とさえ言われるものだ。しかし、「面白いから」「楽しいから」「色々な音を聴いてみたいから」としか言い様はないし、それがオーディオの面白さの大きな部分を占める以上、仕方がないのだ。バカボンのパパではないが、「これでいいのだ」。
今エージングをしているのだが、かなり良くなってきた。ただ、どっちをメインにするのか、というのはまだ分からない。まあ、そもそもは興味本位で作ったのだから仕方がない。やはりバックロードの音は特徴的なので、どうしてもバスレフ・2ウェイは「普通の音」に聞こえてしまうのだ。
それでも「普通の音」も捨てがたいレベルにはなってきた。トゥイーターによる爽やかな、切れのある高音は今まで得られなかったものだ。ウーファーからの重い低音は決して単にドカンドカン言っているだけではないものだ。また、たまたま家にやって来た会社の後輩(オーディオのことは分からない)は「緑色(F-168)の方が聴きやすい」と言っていた。やはりバックロードの音は個性的なのかも知れないし、バスレフは普通に聞き慣れた音に近いのだろう。それは大変興味深いことだった。言われてみれば確かに、聴きやすく爽やかな音がする、今の所。「ロックをガンガン」というのとはまた違ってきたかもしれないが、これからまた、どうなっていくか楽しみである。(00.5.18)ヘッドホンというのは
一応密閉型で¥7〜8000のやつ(テクニカ)は持っているが、滅多に使うことはない。あまり好きではないのだ。たまに使うとすぐに聴き疲れというのか、圧迫感に耐えられなくなってしまう。サングラスとかすると目や鼻の辺りが疲れてくるのと同じようなものだろうか。つまりいつも耳につけていればメガネをいつもしている人と同じように気にならなくなるのかもしれない。しかしそんなシチュエーションはあり得ない。
いわゆるウオークマンと言うやつも最近は全く使わなくなった。まあ通勤時間も短いせいかもしれないが。それでもインナーイヤー型はさらに苦手である。「耳の中に入れている」という状態が駄目だ。絶対良く無いに決まっている。あれで他人にメロディーまでが聞こえるくらいシャカシャカ鳴らしているのは一体どういう耳をしているのだろう、と思う。
そんなヘッドホン嫌いの私が久しぶりにテクニカのそれを取り出した。ミッシェル(・ガン・エレファント)の新作を早く聴きたかったのだ。時間は夜11時少し前。出張から遅く帰ってきて、買ってきたCDを聴こうと思ったが、この爆裂サウンドを小さな音で聴くのは全く意味がない、というわけで、ヘッドホンの登場と相成ったわけだ。
これを書いている今、6曲目でちょっと疲れてきたが、やはり小音量で聴くソースではない。夜のミッシェルはヘッドホンが正解だろう。耳のためなのか、刺激的な音は出さないのが難点だ。もう少し「スパーン」と来て欲しいが、まあこの価格帯のものにそれを望むのは贅沢だろう。
考えてみると、ステレオらしさを感じられるのはヘッドホンが一番だ。バッチリ定位する。それも頭の中に、という普段とは違った音像が現れるのだ。たまには新鮮で良いかな。(00.2.29)
心優しき人
寺島靖国さんの「JAZZオーディオ快楽地獄ガイド」をたまたま書店で見つけて買った。
この人の文章は大好きである。「こういう音が欲しい」と血眼になって様々な機器やケーブルを試していく、そしてそのためには金を惜しまない…といったまさに「オーディオ餓鬼道」のドキュメントな訳だが、決して「ハイエンド」派っぽくはない。それどころか我々「貧乏臭さが持ち味」の長岡派の心意気にも通ずるものがあるのは何故だろうか。
それはやはり「努力」しているからだろう。普通高いものを買ってしまえばそれで満足してしまい、完結してしまうが、寺島さんは「これはおれの音じゃない」とばかりに「自分の音」をあくまで求道者的に追究していく。その様子が豪快なタッチの文体と相まって、大変面白く読むことが出来る。
また、最近ジャズを聴き始めたのでガイドとしても役に立った。そのため、音の好みが寺島さんに似てきてしまってもおかしくはないだろう。ベースやドラムの音だ。もっとも、文章や擬音で表現しても実際に聴いてみなければ分からないのはつらいことだが、音楽の聴き方の一つとして参考になった。「音は音楽なのだ」。
読み終わって、長岡先生の「観音力」で寺島さんとの対談を読むと、相乗効果で面白く読むことが出来る。長岡先生は寺島さんのことを「豪快そうに見えて、実は神経の細かい、優しい性格」ではないか、と書いておられた。本当にその通りだと思う。(00.1.30)結局音というものは
デスクトップスピーカーBS-89Tは今、低域周波数のある部分にかなりピークがあるようだ。100ヘルツあたりだろうか?そのため夜ヴォリュームを絞って聴くには低音をブーストしたような感じになって丁度いい。しかしこのFE107と言うユニットはエージングをしていくと大人しい音になるという。どうやら今の「ドンシャリ」サウンドは一過性のものらしい。面白いものだ。動物や人間と同じで成長するわけである。
このスピーカーで聴いた後、D-105に戻るとやけに上品な音に聞こえる。「低音出ていないんじゃないか?」と感じるくらいだ。「慣れ」というものは意外に恐ろしい。普段「うん、これはいい音だ」なんて言っていても、状況によってかなり印象は異なるものになるのだ。当然客観的な「音」なんてものは誰もわかりはしない。同じ周波数の音波も人によって快・不快があるのだ。「どのように聞こえる」かなんてまさに千差万別。だからこりゃまた面白い、というわけだ。人によって違いがある。しかしそれを楽しむ。本当にオーディオの世界は面白い。みんな「良い音」が同じだったら何とつまらないことか。その「良い音」をどう聴くかで優劣が決まってしまう趣味の世界なんて、つまらないからねえ。
ところで殆ど衝動買いで、ACプラグ「フルテックFI-15G」を購入した。これをどう使うかは未定。今のキャメロットのを交換するか、キャブタイヤケーブルを買って一本作ってみるか…(00.1.17)視点
最近「引退」を仄めかしている長岡先生だが、個人的にはおそらく「仕事をセーヴする」という意味だろうと思っている。そりゃ、70歳を過ぎているのにあの仕事量・活動量は並大抵では出来ない。
さて、FMファン誌の「ダイナミック大賞」だが、長岡先生らしいセレクトとなったのではないか。以前から褒めていたケンウッドのローコスト・スピーカーがグランプリJr.を獲得したことは「やはり」という感じである。自作を何十年もしていると、あのローコストでミニコン用としてはもの凄く手の込んだ作りである「LS-SG7」がよく見えることは確実である。実際に音を聞いたことが無い(セットのミニコンが電気屋で鳴っているのは聴いたことはあるが、これは参考になるまい)ので何とも言えないが、気になることは確かだ。前面の表面積が小さい割には奥行きが長いことも音の良さそうな印象を受ける。
話は変わって、奥行きをオリジナルより少々縮めたデスクトップスピーカー「BS-89T」を完成させ、出掛けるときも鳴らしっぱなしにするなどエージングに努めている。そう言えば、みなパソコンに向っているときは音楽は鳴らしているのだろうか?テレビをつけて横目でちらちら、あるいは時々振り返りながらという人もいるだろう。が、是非デスクトップ・リスニングをお奨めしたい。本当に普段の音楽鑑賞とはまた違った聴き方、あるいはこの聴き方の方が正しいような気にさせてくれるものだ。
またまた話は変わって、TOTOの「Mindfields」を中古屋で買ってきた。優秀録音だというのが今頃買った理由だが、確かに音は優秀。切れが良く、拡がりもある。昔から彼らの音の良さは折り紙付きだが、さすがの音である。しかし、だ。肝心の内容の方は「?」を付けざるを得ない。ディスクレヴューしようにも言うことが無いくらい心の何処にも引っ掛かって来ないのだった。やはり、過去のバンドかなあ、彼らは。単なるオーディオテスト用になってしまった。(00.1.4)制作意欲
今、スピーカーをまた作ろうと思う。と、言うよりもうハンズで板をカットしてもらってきたのだが。「DIY」にコーナーにもそのうち載せることになるだろう。
…とは言え、今回は大げさなものではない。何せパソコンデスク用のが作りたくなったのだ。現在タンノイの小さいのを使っているが、どうもこれが好みに合わない。机で聴く、というのは丁度いいリスニング・ポジションがとれるのでそういう点は捨てがたく、気に入るものが無いなら作ってしまえ、というわけだ。実際にはコントロール1の中古でもハードオフで買おうかとも思ったんスけどね。
参考にしたのは、と言うよりそのものなんだけども「BSー89」という、長岡鉄男先生の「世界でただひとつ自分だけの手づくりスピーカーをつくる」に掲載されていたものだ。そしてそれをスペース的な理由からサイズを変え、少し細長くした。ちょっとトールボーイ?ユニットはフォステクスFE107で、予約してあるのだがまだ入荷していない。遅いな(←短気)。もう板はここにあるので、もしサイズが計算ミスで組み立てても全然合わなかったらどうしよう…という懸念もあり、そうしたらそれはそれで笑い話のネタ(ならないかな)として写真入りで掲載したいと思う。請う御期待?
その次には、遂にヴィジュアル界に進出?テレビ用にマトリックススピーカーも作ってみたい。台兼用のやつも良いかもしれない。下手の横好き、この不器用者の暴走はどこまで続くやら。(99.1219)
「レコパル」は何処…
少年時代、自分にとってオーディオ誌といえば「FMレコパル」であった。
当時はFM誌が隆盛を極めていて、ヤング層には少しミーハー度の高い「FMステーション」がウケていた。まだ「FMファン」は敷居が高い、という感じだったし、「週刊FM」は地味だった。何と言ってもレコパルは小学館ということもあり、当時好きだった「うる星やつら」「めぞん一刻」のカセットレーベルが付いていたのは高ポイントだったのだ。紙面にも勢いが感じられ、今一冊も手元に無いのが全く残念だ。オーディオに的を絞った増刊号も楽しみの一つだった。
レコパルを現在に引き継いでいるのが「サウンドパル」である。これは季刊オーディオ誌の体裁を採っており、それは現在の状況を考えれば正解だと思う。前号はコンポ組み合わせ特集など、なかなか面白かった。
しかし、だ。今号は「ステレオ」誌の向こうを張ったベストバイ特集になっていた。これには首をひねらざるを得なかった。完全に二番煎じ的で、面白みが無い。もっと全く別の結果になればまだしも、大して違いはなかったのだ。面白いのは寺島靖国氏の連載くらいか。これは大変残念なことだ。執筆陣やレイアウトなどには昔のレコパルの匂いを残している貴重な雑誌である。おそらくターゲットは自分のように昔レコパルの愛読者だった人ではなかろうか。それならばなおさら頑張って欲しい。厚さは「オーディオベーシック」よりかなり分厚いのにすぐ読み終えてしまった。一層「レコパル」を懐かしんでしまう、というのは後ろ向きで良くないと思うので次号にまた期待をしたい。(99.12.12)真打ち登場
…とタイトルに書いた通りの雑誌だ。「オーディオベーシック」のことである。
「ベーシック」とあるが、今号からは中・上級者向けの紙面となった。それでも分かりやすく現在のオーディオのトレンドに切り込み、カラーも多く大変楽しめる内容になっている。特別難しい内容は見当たらず、初級者も十分受け入れられる懐の深さを持っていると思う。
どんどん下火になっていたオーディオだが、SACDやDVDオーディオの話題などで盛り返しつつある。この雑誌はそれを頭に打ち出しつつも、「ベーシック」な内容も興味深く取り上げており、その内容の濃さに読了するのに随分時間がかかったものだ。これより分厚い「ステレオ」などは大抵すぐに読んでしまう。飛ばし読みが多いからだろう。つまり「オーディオベーシック」は隅から隅まで読ませた、ということにもなる。
また、同じ出版社から出ている「デジビ」も読んでみた。自分はあまり映像の方は詳しくないのだが、最近のDVDの成長は目を見張るものがあり、そのせいかもの凄く面白く読め、DVDプレーヤーが欲しくなってくるくらいだった。これもカラーが多くて「旬」を伝えており、ホームシアター時代の到来を感じさせるに十分であった。果たして私は本当にDVDを買ってしまうんだろうか?こうなってしまってはきっとプレステ2では満足しないに違いない。いや参ったなあ。テレビはともかく、ちょっとしたアンプを買おうかなあ、AVアンプでなくても良いから。そしてスピーカー作ろうかなあ、マトリックスで。フォステクス3個付けて。うーん、段々ワクワクしてきた。やるなこれは。いつかは未定にしても。
そう言えばDVDオーディオプレーヤーがまた販売延期とのこと。なかなか難産のようだ。これでまたソニーが…(99.12.4)オーディオとデザイン
マックユーザーである私は、「マックパワー」を愛読しているが、そこで連載されている工業デザイナーの川崎和男氏がオーディオ、特にスピーカーについて書かれていた。そしてこれからもたびたびスピーカーの革新的なデザイン、音について書いていくようだ。
私はこの辛口なことを書くデザイナーを尊敬している人物の一人に挙げているのだが、こういう人がオーディオ界に関わってくれていることは心強い。この人のデザイン哲学には共感できるものが多く、あれほど絶賛の嵐である「iMac」もこき下ろしたことは有名な話だ。
日本のオーディオはデザインという言葉から最もかけ離れてしまっているのが現状だ。と、言うより皆横並びなのだ。それはオーディオに限った話ではないが、日本からは独特のデザインはなかなか生まれてこない。一つ独特なものが出ても皆それを真似してしまうという誠に日本人的な現象もある。
海外のオーディオ機器を見ると、皆個性的だ。特にB&O。デザインだけが遊離してしまっているのは本当のデザインではないのだ。機能や音を追究していったら必然的にこのデザインになった、というのがあるべき姿なのだ。
とにかく「オーディオからダンディズムを学んだ」と言う川崎氏が再びオーディオを手がけることは大変興味深い。リストラの嵐が吹き荒れる世紀末、これから重要になってくるだろう感性を豊かにする「音」、オーディオは確実に変革の時を迎えている。(99.11.28)「ベストバイ」の意義
「ステレオ」誌の恒例特集、「ベストバイ・コンポ」だが、楽しみにしていたのだが何か今一つ、盛り上がらない内容であった。
大体予想通りの受賞、と言うのはまあ良いとして、前回に引き続いて…というのが多かったのだ。これだけ多ければもう年1回で良いのではないか。ピュアオーディオの世界はもはや半年ごとに新製品が出る業界ではない。年1回でそれ程内容が変わるとは思わないし、その方が受賞対象商品にも箔がつくではないか。
ただ現在はオーディオにとっても過渡期にあり、またどんどん新しいものが登場してくる。次は面白くなっているかもしれない。
ところで話は全く変わるが、昨日新コーナー「Do It Yourseif!」をアップした。今後はこのコーナーがメインとなりそうだが、最初から現在ある専用スピーカーケーブルを否定してしまいそうな内容となった。まあ、やはりオーディオとは趣味性の最も高いものであるから、真に「客観」というものは存在しないのだろう。江川三郎先生などは「いや、違う」とおっしゃるかもしれないが。オーディオの醍醐味の一つは「音の違いを楽しむ」事だから、大変意義のあることだったと思う。(99.11.21)まだまだ不景気なオーディオ業界
「週刊ダイヤモンド」という経済雑誌でよくやる特集に「倒産しそうな企業ランキング」というのがある。1000位までカウントされているのだが、何と1位と2位が「山水電気」と「ラックス」であった。オーディオメーカーでワンツーフィニッシュという全く笑えない状況なのだ。前回のコラムでは「オーディオ熱は復活しつつある」というようなことを書いたが、まだまだ世の中の不景気はこうした真面目に物作りをしてきたメーカーに冷たいものなのだ。
確かに両社とも単品コンポがほとんどを占めており、特にラックスはアンプ専業と言っても良い。最近AVアンプの売り上げが普通のプリメインを抜いたそうだ。どちらも今の所その分野では弱く、そう言ったいわゆる「ホームシアター」需要に対応していくしかないだろう。サンスイは実際そう言った方向へのシフトが行われそうだ。しかしただでさえ「勝ち組」と「負け組」の差がはっきりしている分野、新規参入はいくら伝統を誇るメーカーでもつらいものがある。ピュアオーディオほどの好みの多様さはまだ少ないと思われるからだ。
得意のピュアオーディオにしても最近はアンプと言えばデンオンが強く、両社は以前ほどのネームヴァリューを発揮できずにいる。会社自体の体力が弱くなると当然物作りにも影響してくるわけで、悪循環に陥るのだ。一方日本の現在「売れている」オーディオメーカーは総じて他分野で利益を得ているはずだ。パソコンの周辺機器で「ティアック」の名前はよく見かけるし、テクニカにしてもそうである。結局世の中金なのか。趣味の世界でも経済を考えずにはいられないのか。なんとも寂しい話である。(98.11.14)
続・オーディオ入門者という存在
今回は長岡鉄男先生の「わけのわかるオーディオ」という単行本を読んだ。「ステレオ」誌に連載されていたものだ。
さすが長岡先生、と言った名調子でなるべく分かりやすく、という方向でオーディオについて語られている。ただ、当然のことながら噛んで含める、といった文章ではないので超初心者というよりも、自分のような例えば文系のオーディオファンが読むにはうってつけだ。結構用語は知っていても意味はさっぱり、ということが多かったからである。
このようにオーディオ関係の本が数多く発行されるというのは大変良いことである。実際にオーディオ熱は復活しつつあるのではないか、と思わせてくれるのだ。オーディオ誌の役割も果たしていたFM誌がどんどん廃刊に追い込まれ、自分も少し距離を置いていた時期はあった。しかし、自分がそうだからかも知れないが、また世間でもオーディオが「大人の趣味」としてクローズアップされているのは間違いないことだろう。
おそらくインターネットの普及も無関係ではあるまい。自分にしても様々なオーディオ関係のサイトを見て、刺激を受けたのだから。そうしたマスコミ以外の存在によって高まっていく、ということは大変素晴らしいことだと思う。若年層にも必ず訴えるものがあるはずだ。
長岡先生も今年になって単行本は2冊目、ムックも出していたので70を超えてますますお元気のようだ。最近は昔のイメージよりは丸くなったような印象が文章から感じられるが、逆に年をとっても変わらない情熱は自分も頑張らなくては、という気持ちにさせてくれる。(99.11.13)オーディオ入門者という存在
「Audio Beginner's Club」というムック本(音楽之友社)を読んだ。表紙には「オーディオ入門者のためのABC」と銘打たれている。
かくして読み進めてみると、「これで入門者はついてこられるのか?」とまず感じた。内容は様々な筆者がその項目別に代わる代わる書いており、もしかしたら「ステレオ」誌にでも掲載されたのを再編集したのかもしれないが、とっ散らかった印象があり、しかも筆者により正反対のことを言っているのでかなり混乱してしまうのではないか。
確かにオーディオというのは絶対的な正解のない世界であり、だからこそ面白いのだが、あまりにも「入門者」には不親切だ。かなり悩んでしまうのではないか、と思ったのだ。
しかし、良く考えてみると、この「オーディオ」と言う趣味に今から入り込む人というのはおそらくかなりの少数派だ。パソコンとは訳が違う。きっかけはわからないが、あまり気軽に「やってみようか」程度の事はあるまい。レコード全盛で音の悪さに悩まされた時代と違い、今はCD、MDによりライト感覚でかなりいい音が楽しめるのである。
するとこれを読む「入門者」というのはもの凄く気合いの入った人達と言えよう。それならばこういう「ついて来れなければ置いていくよ」的な編集で良いのかもしれない。自分にもかなり基本的なことが分かって役に立った。文系オーディオ・ファンにも多少は理系的なことも分かってお奨めである。
また、こうも言える。最近オーディオ業界が少しではあるが活況を呈して来た感がある。一時期オーディオから離れていたファンへの「再入門」としてもこれはベターだ。あとはもう少し編集が良ければねえ…まあ、順番に読むより知りたいことを調べる、と言う感じがいいのかもしれない。(99.10.31)
モノラルの勧め
音楽を聴くとき、実際には色々な姿勢を取っていることと思う。いわゆる二等辺三角形の頂点に座って聴くことは意外と少ないのではないか。例えば寝転がったり、ダンベル体操をしたり、本を読んだりカップラーメンを作ったりと様々な状況で音楽を流すことも多いだろう。自分も寝転がって聴くことは結構多い。
そうした状態で果たしてステレオ再生は必要か?ということである。よく店内で音楽が流れているが、そこの例えばボーズのスピーカーから流れるステレオサウンドは時に違和感を感じることがある。音が左右にはっきりと分かれている場合、スピーカーの位置がいい加減なせいもあるが、ただバラバラに鳴っているだけということが起こるのだ。人が色々な場所に移動する店内はステレオ再生は向いていない、ということであろう。
そんなとき、アンプにモノラルスイッチがあると便利だ。普段ほとんど使うことがない、と思われていたこのスイッチ、意外と使えるのだ。これでとっ散らかった音を聞かなくて良い。自然に周囲を満たす音に鳴るのである。
しかしそう考えると、ほとんどの人はステレオ再生なんて必要無いんじゃないか?という気もする。スピーカーは一つでいいのだ。オーディオマニア以外はメーカーに騙されているのである。極論だけど。そう言えば、ドラゴンアッシュの降谷建志は最初の頃、「何でスピーカーは二つあるんだろ?」と言ったことがあるそうだ。それで今に至っているのだからさすが天才は違う。(99.10.28)