ロック魂なJAZZノート




GRANT GREEN (g)
 Live At The Lighhthouse (Blue Note)
 前回紹介したドナルド・バードと同様ブルーバードに欠かせない人がこのギタリスト、グラント・グリーン。とにかく長い間同レーベルに在籍してアルバムも出しまくっている。
 この人も単純に「ギターの腕前」とかそういった点からはそれ程高得点をたたき出すことは出来そうにない。ギターと言えばケニー・バレルやジョー・パス、タル・ファーロウといったところがやはり「うまい!」と素人にも感じさせる芸がある。それに対してこのグラントさんはシングルトーン、つまり単音ばかりを繰り返し弾くタイプなので「ちょっとなんだかなあ」と思ってしまう。だから初期のアルバムは悪くは無いけど少々退屈で(レコードだと)B面はもういいかな、となってしまいがちだったのだ。
 しかし、後期の彼は違う。別にうまくなったわけでも無い。だがバックのR&B的な演奏に乗って、グラントのプレイはもの凄く光っているのだ。そのシングルトーンが織りなす音色の心地よさと言ったら、これはもう極上の味わい。しかも何とメロディアス。何とソウルフル。元々はゴスペル系の人だったとのことで、納得。どっぷりジャズの人ではなかったわけだ。
 今回推薦するのはライヴ盤。これがもう、グラントの魅力大爆発なのだ。ライヴなので「いつも以上に弾いております」ってな感じで弾く弾く弾く。同じフレーズを繰り返す繰り返す。しかもこの音色の気持ち良さはどうだ。全体的には「歌の無いリズム&ブルース」と言った趣で黒さがねっとり、濃ゆ〜いアルバムだが、グラントのギターはねっとりしていながらも清涼感があると言う、矛盾した良さを持っているのだ。
 いただけないのはジャケットの気味悪さ。ジャケ写のカッコ良さでも知られるブルーノートだが、デザイナーの替わった後期はクエスチョンマークがいっぱい頭上に点滅してしまうようなものが結構出てくる。これはそんな一枚だが、そういうものはCDに限る。普通はレコードで集めたいブルーノートなのだが、いやいや小さいジャケットで十分なものも中にはあるって事で。(03.4.24)



DONALD BYRD (tr)
 Black Byrd (Blue Note)
  ブルーバードに欠かせないミュージシャンと言えば?と問われれば、人によって様々だろうが、このドナルド・バードも上位にランクされるであろうトランぺッターだ。
  ただ、トランペットにはリー・モーガンがいる。はっきり言って、力量から見たらリーの方が断然上だろう。あの輝かしくも躍動的、耳の中を洗い流してくれるようなトランペットの「音力」は参ったと言うしか無いものだ。それに比べるとドナルド・バード、これと言って特徴のない吹き方をする。良い言い方をすれば「中庸」なのだろう。トランペットはマイルス先生が鳴らすミュートの音、クリフォード・ブラウンの「うまい!」としか言い様の無いテクニカルかつエモーショナルな演奏、アート・ファーマーのウォームな音など、結構プレーヤーによって違いが分かりやすい。
  言ってしまえば「特徴の無いところが特徴」というのがドナルド・バード。逆に分かりやすいかもしれない。ただ、キャリアの長い彼はブルーノートに長い間滞在していたが、そのスタイルを刻々と変化させ、最終的にはフュージョン的なものに行き着いた。それが73年にリリースされたこの「ブラック・バード」だ。
  サウンドはブラック、ファンクといったものでバード本人のヴォーカルまで入るのでどちらかと言うと「R&B」っぽさが強い。とてもその10年前にはバリバリのモダンジャズを演奏していた人と同一人物には思えないのだが、とにかくそういったジャズのお勉強的な部分を無視して、純粋にこのアルバムを聴けば楽しい事この上ない。後期ブルーノートというのはこうしたジャズから少し離れたサウンドも積極的に手掛けていたが、これはその代表。当時はチャートインする程の人気作だったらしい。(03.3.2)



DUKE PEARSON (p)
 Tender Feelin's (Blue Note)
  DUKE PEARSON (p) Tender Feelin's (Blue Note)
  ジャズを聴いていくうちに「自分だけの名盤」というやつを見つける喜びに目覚めていく。確かにビルエヴァンスはいい。マイルス先生は凄い。だが、それだけでは他の人と同じではないか。地味でも良いから何度も聴きたくなるような、ちょっといい感じのレコードが欲しいのだ。
  そんな1枚、あるいはミュージシャンがこのデューク・ピアソンだ。決してピアノがうまいわけではない(と思う)。本当に「普通」に弾く。ちょっと聞かせて「だーれだ」などとやったら特徴が無いので分からない確率は高いだろう。しかし、何か良いのだ。このアルバムは自作は一曲だけでいわゆる「スタンダードナンバー」的なものが多いのだが、原曲の持つメロディの最もおいしい部分を凝縮して引きだし、アドリブすら良質のメロディとなってあふれ出してくれるのだ。メロディメーカーとしての才能に秀でているのだろう。後にプロデューサーとしても活躍したのも頷ける話である。
  とにかく、どの曲も良質のピアノトリオとして楽しむことの出来る傑作だ。知っている人にとっては「何を今さら」というタイプのアルバムかもしれないが、私は最近見つけたのでまさしく「自分だけの名盤」だ。(03.1.25)



LOU DONALDSON (as)
 Mr. Shing-A-Ling (Blue Note)
  ルー・ドナなどと省略して呼ばれることの多い、このルーさん。ブルーノートにはかなり長いこと在籍していたが、悪く言えば「ぬるい」イメージがあることも確か。名盤と言われている「ブルース・ウォーク」でもコンガが入っているだけで硬派なJAZZファンからは忌避されてしまったりするのだ。60年代後半にポップチャートでもヒットした「アリゲーター・ブーガルー」に至っては無視、という悲惨な状態だ。
  このアルバムはそんなルーさんの「アリゲーター…」に続く作品。個人的にはこちらの方がむしろ面白いのだ。解説ではB面1曲目を推していた。確かにこちらはヒットした「アリゲーター・ブーガルー」風で、うねりまくるグルーヴ感が心地よく、DJの素材としても使いやすそうな曲だ。ただ、ちょっとまったりし過ぎと言う気もするのでここはA面2曲目を奨めたい。とにかくノリが良く、踊れるジャズなのだ。ルーも気楽そうに吹いて力強さだとかそう言った感じはしないが、止めどなく溢れ出るメロディーはさすがブルーノートの顔だ。主役はルーだがオルガンやギターといった他の楽器もかなり頑張って曲全体を彩っており、現在流行しているオルガン系のJAZZの匂いも濃厚だ。だから全く古さを感じない。
  そんな中でのスタンダード「いそしぎ」が、バラードなので、この中では変わってはいるが出色の出来。リラックスしながらも情感たっぷりに、メロディを大切に吹くルーのアルトが泣かせる。バックのオルガンも好サポートで、やはりルー・ドナはJAZZの人なのだ、と再認識。(02.12.16)



TAL FARLOW (g)
 Quartet (Blue Note)
  いわゆる「LPレコード」というやつは12インチ、つまり直径約30センチ。「シングルレコード」というのは7インチになる。実は、その中間の「10インチ」というサイズもあるのだった。正確には「あった」と言う方が正しいかもしれない。
  まあ、JAZZファンには「何を当たり前のことを言っておるのか」とお叱りを受けそうなので、この辺でそんな御託は止めるが、12インチが普及する前に存在していた「10インチ」、名門ブルーノートでも50年代前半まではこのサイズでのリリースが普通だった。
  今回たまたま中古盤で手に入れることが出来た10インチ盤がこの「タル・ファーロウ・カルテット」だ。3年ほど前に出た「日本初のブルーノート10吋復刻!」というシリーズの1枚で、そうでなければポンと中古屋でお目にかかる代物ではない。
  このタル・ファーロウというギタリスト、その後のブルーノートには吹き込みがないので、これは貴重なのだ。考えてみるとブルーノートに白人は珍しく、すぐに思い浮かぶのはズート・シムズとユタ・ヒップの共演盤くらいか。そういった意味でも貴重かも知れない。
  彼のギターは艶っぽく、また力強い。テクニックも物凄いものがあるようなのだが、それを良い意味であまり感じさせないところも好感が持てる。あくまでヒューマンな魅力が持ち味だ。ギターは他のアコースティックな楽器と違ってアンプを通すので、テクニカルな面だけが強調されるとつらいものがあるのだ。
  「カルテット」とあるので当然4人編成なのだが、サイドに徹するギターがもう一人という構成も独特。これで彼のサックスのように歌うギターが満喫できる仕組みも心憎い。特に「フラミンゴ」は必聴。(02.12.3)



中山康樹・編
 Cookin' with Blue Note (BlueNote)
  これはまた、凄いサンプラーだ。
  何せ、ブルーノートの1500番台が全部収録されているのだ。つまり、1501(マイルス・デイビス)から1600(スリー・サウンズ)まで、それぞれの代表曲98曲が平均して30秒から40秒ずつ順番に入っているという、大変分かりやすい(分かりにくい?)構成になっているのである。
  監修を務めたのは最近も「マイルスを聴け!」の最新版(物凄く分厚い!)を出した、中山康樹氏。何とこのリリースに合わせて、1500番台を一枚ずつ解説した「超ブルーノート入門」という本も出版された。当然著者は中山氏であるので、面白い読み物になっている。中山氏にしては妙に真面目(?)な語り口で展開される、それぞれの1500番に対する愛情あふれる解説(物語かもしれない)は、これまた必読だ。
  編集の妙と言おうか、なかなかきれいに曲間がつながっているのでただただ聞き流しても一向に差し支えないアルバムになっているが、やはり曲目&パーソネルと睨めっこで聴いてしまうものだ。そうして何回か聴いているうちに、また本のほうも読んでいるうちに1500番台の順番も憶えつつあるのだ。「ジミー・スミス(オルガン)はずいぶんとたくさんリリースしていたのだなあ」とか、「『モーニン』とかそのあたりの超メジャーなものは1500番台じゃあなかったのだなあ(4000番台です)」とか、決して時代順に並んでいるわけではないものの、「お、このあたりでリー・モーガンが登場したのか」といったような、いろいろな感慨にふけりながら聴くことも出来る。
  「ハートバップとは何か」と言われるが、いろいろ理屈を述べるよりもまずこれを聴け!と言ってしまっても構わないだろう。実際ここにはハードバップの全てがある。これを聴いて気に入った曲・演奏の入ったアルバムを買えばよいのだ。簡単ではないか。(02.11.10)



寺島靖国・編 
 Jazz Bar 2002 (DIW)
  早くも登場した第二弾、この種のコンピレーションとしては人気があるのだろう。ジャズという今となってはマイナーな世界で寺島靖国という存在がいかに影響力があるかが分かるし、またオーディオ界でも名が売れているので、その音の良さからリファレンスディスクにする人もきっと多いことだろう。私もそうである。
  前作に引き続き輸入盤からのセレクト、つまり日本でメジャーな人は殆ど出てこないのだが、一曲目は少し(?)有名なジャッキー・バイヤード。シャンソンの「セ・シ・ボン」をゆったりと演ってなかなか良い感じだ。そこに2曲目のドラム・ソロがバタンバタンと現れる様は編集の妙か。曲順にもかなり気を使っていることが分かる。3曲目のジャネット・サイデルは前作「2001」でも登場していたが、最近では寺島氏必死のプッシュもあってか、日本盤もリリースされるようになった。確かにこの人のさりげない歌い方はいい。落ち着いた気分で女性ヴォーカルを聴きたいときはまさにうってつけだ。力を込めて歌い上げるタイプは時として鬱陶しく感じることがあるからだ。4曲目のギル・エキミアンは澤野工房という、隠れた名輸入盤などを続々リリースしている趣味じゃなきゃ出来ない個人経営の会社から出ている。自分もこの曲が収録されたアルバムを持っているが、これは凄い。ピアノも凄いがドラムとベースがめちゃくちゃ凄い。寺島氏もこの曲が持つ音の凄さに惚れたのだろう。スタンダード好きの氏にしてはちょっと違ったセレクトだからだ。
  続く曲達も皆いずれ劣らぬ精鋭ぞろい。どちらかと言えば、やはり「bar=夜」というような雰囲気に相応しい大人し目の演奏が多い。それはそのように聴くと大変気持ちが良いのだが、やはりヴォリュームを上げて聴きたいものだ。そうすると、分かる。物凄い演奏をしているのだ、彼らは。ジャズとはカウンターで女を口説くときに流れるおしゃれなBGMと言う認識を180°転換させる音が現れるのだ。ピアノのアタックはもちろん、やはりドラムとベースだ。その鮮烈さと重厚さを大音量で味わって欲しい、そんな寺島氏の声が聞こえてくるようなコンピレーション。ぜひ一家に一枚。(02.10.1)



BRAD MEHLDAU (p)
 Largo (Warner Bros.)
 現役若手ピアニストNo.1であろう、ブラッド・メルドーの新作はあっと驚くものとなった。
 まずはジャケ写からして違う。素晴らしく色使いのきれいなデザインは「JAZZとは違うぞ」と語っているようで、今年のジャケットベスト1に推したいくらいのものだ。
 内容もこれまでとは違う。明らかに旧来フォーマットの「JAZZ」とは大きく異なるものだ。オーヴァーダビングなど、いわゆるロックの世界での「プロデュース作業」が大きくかかわっているのだ。確かにプロデューサーはロック畑のひとだし、全編に通じる感触、音触は、英国系のロックを想起させるものがある。これでヴォーカルでも参加している曲でもあれば本当にそう思ったかもしれない。
 ただ、どういう音作りをしようが、メルドーの弾くピアノ(今回はヴァイヴも弾いているが)はやはり恐ろしいまでの流麗なメロディを紡ぎだしている。それは全く変わらない。むしろそのメロディの威力はますます強大なものになっている。彼がピアノを「ぽろろん」と弾くだけで辺りの景色を一変させるだけの力があるのだ。それはむしろロック的(ニール・ヤングのギターや浅井健一のヴォーカル)とも言えるかもしれない。とにかく、現存するジャズ・ミュージシャンではこうした「一音で人を殺せる」タイプのひとは殆どいないと言ってよく、メルドーは貴重な存在ということなのだ。
 どうやらレディオヘッドが好きなのは間違いないだろう、今作では名曲「パラノイド・アンドロイド」がこれまたハマりとしか言い様のない演奏で収録されている。さらにはビートルズナンバーも収録、「ディア・プルーデンス」だ。これもいやはや恐れ入りましたの演奏。ロックミュージシャンでもこの曲をここまでのレベルでできるひとがいるだろうか、と思うくらい凄いプレイになっている。脱帽。
 さて、ジャズともロックとも言いづらい作品となったが、演奏楽器自体はアコースティックなものが中心で、言うほどジャズファンに嫌われることもないと思う。電子楽器を使いまくったフュージョンとは違うのだ。とにかく「良い曲、良い演奏」を堪能したい。(02.9.15)



LEE KONITZ (as)
 Motion (Verve)
 本当はこのリー・コニッツ、物凄く大物のはずなのだ。
 しかしここ日本での人気は今一つ。熱狂的なファンは大勢存在しているのだが…というどの世界でもよくいるタイプなのだろうか。そうなっているのは何故か。
 それほどコニッツを聴いたわけではないのだが、「地味」という印象は拭いがたい。やはり日本では分かりやすさとかメロディアスであるとか思いっきり吹きまくるとか、そういう部分でジャズを好きになる人が多いだろう。その点でまず不利だ。初期には「クール」と呼ばれた彼のプレイは確かに冷徹さだとか、感情を抑制してテクニックを出す、という特徴があるのだが、これは大変分かりにくい。と言うか、馴染みづらい。同じアルトサックスならばアート・ペッパーのように「ポップ」とさえ言える曲を情感豊かに吹けば、それはもう、分かりやすいことこの上ない。また、キヤノンボール・アダレイのように大きな体を揺らして「ファンキー」に吹きまくれば、そりゃあノリも良くて結構なことなのだ。
 コニッツの場合、さらに不利なことに「この一曲」というものが思い浮かばない。曲で聴く人ではないのだろう。しかしいくら「人」で聴くタイプの人間でも最初は「曲」という場合が多いなか、コニッツは何から聴いてよいやら分からない。しかも初期こそ「クール」だがそれ以後は結構情感溢れたプレイもしている。一体どっちなんだ。
 前置きが長くなったがまずはこの「モーション」から。ピアノレス・トリオという一風変わった編成ながら、エルヴィン・ジョーンズのドシンバシン・ドラムに乗せられてコニッツがいつになく激しさを出して吹くわ吹くわ、もう大変。特に有名なスタンダード「帰ってくれたらうれしいわ」。これが圧巻。始まりから終わりまで「え、あの曲だったの?」と、それと言われるまで気付かないほどのアドリブの嵐。もう一度聴いてみる。ああ、そう言われてみればコード進行はそうかあ、と思わず感心。それにしてもここまで原曲をズタズタにするかね、と驚くやらあきれるやら「さすが」と唸らされるやら。演奏の「熱さ」がとにかく凄い。コニッツ先生はここから始めよう。(02.7.30)



JOE PASS (g)
Virtuoso (Pablo)
 ギターという楽器は一番親しみやすく、習得しやすいと言われるが、「上手い」人のプレイは「どうやったら、あんなふうに弾けるんだあ」と絶望したくなるくらい凄い。また、それが分かりやすく提示されてしまう残酷な楽器でもあるのだ。例えばピアノやサックスの上手い下手は音程を外すのは問題外としてもギターほど分かりやすくはない。
 さてジョー・パス。この妙にシンプルな名前を持つギタリストはソロ作品が多いのだが、これはその代表的なもの。まあとにかく聴いてみて欲しい。聴く前は「ソロなんだし、静かで音の隙間の多い癒し系的なものかなあ」と思っていた。それが大違い。何でギター一本でここまで音数が多いのだ。多重録音でもないのに。ギターはリード楽器でもあり、リズム楽器でもある。そんなことは知っているつもりだったのだが、これほど思い知らされることはない。しかも両者が同時に展開されていくのだから、その超絶テクニックに驚くほかはないが、ジャケ写の風貌のせいもあってか、あまり「超バカテク披露大会」っぽくは感じない。むしろ温かさや、素朴さや、音楽の楽しさなどが伝わってくるのだ。
 曲もスタンダードが中心で、親しみやすいものばかり。「ナイト・アンド・デイ」「星影のステラ」「ラウンド・ミッドナイト」「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」「オール・ザ・シングス・ユー・アー」といったジャズでは超メジャーなナンバーをどうソロで弾いているのか。聴いてみれば分かります。凄いよ。(02.6.24)



QUINCY JONES (arr,cond)
 Big Band Bossa Nova (Verve)
 クインシー・ジョーンズ。そう、あのマイケル・ジャクソンのプロデュースで有名な人。元々はジャズの人だが、それでもやはりプロデュース的な仕事がメインだったりする。そんな彼が1962年にリーダーとして発表した作品だが、「アレンジャー、指揮者」としてのものだ。
 タイトル通り、ビッグバンドでボサノバを演奏する、というものでエンターテイメント的に楽しめる作品になっている。まずは最初の曲。前回ワールドカップ時のナイキCMでお馴染となった例の曲である。あの曲が1962年のものだったとは、という驚きがまず出てくる。それ程新しいのだ、これは。ちょっとばかりぶっ飛んだフルートを吹いているのは盲人マルチリード奏者、ローランド・カークだ。ちなみにこの人は3本のホーンを一遍に鳴らすという特技を持っていた。しかしこの曲は楽しい。たった2分44秒という短い演奏なのが残念で堪らない。フェードアウトしていくので、「きっとこの先もっともっと面白い演奏があったのではないか」と勘ぐってしまいたくなる。
 他にも「どっかで聴いたことあるような」という、ラテンノリのボサノバが並ぶ。ビッグバンドで鳴らされているので音も分厚く、何処か大げさで楽しい。しかもビッグバンドとは言っても30〜40年代の古臭いものではなく、パーカッションを効果的に配したりしているのでこれだけで妙に現代的。ジャズとか何とか考えなくても関係なく、とにかくノリまくって聴いて下さい。(02.4.21)



CHARLIE HADEN (b)
 Nocturne (Gitanes)
 銀行員のような風貌のベーシスト、チャーリー・ヘイデン。逆にこんなベタな銀行員はいないぞ実際には、と言いたくなる程である。
 それはともかく、先頃グラミー賞も受賞したこのアルバムは本当に良い。ヘイデンの弾くベースというのは、低い方へ低い方へ「ずごーん」と沈み込むような、それはもう深い深い音色なのである。深遠なのである。あまり冗舌にべらべらと鳴らすタイプではないのだ。そんなヘイデンのベースにピッタリの、味わい深い作品だ。
 キューバをテーマにした作品で、ピアノもキューバ人のゴンサロ・ルバルカバが弾いている。と言うことでルバルカバが前面に出てプレイしている印象も強い。元々この人はヘイデンが見いだしたようなものなので、喜んでバックアップに回っているという感じだ。
 さて、キューバン・ミュージックといえば最近では「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」で有名になったが、ジャズとは馴染みが深い。よってこの作品もとりたててキューバを云々しなくても、純粋にジャズとして聴くことが出来る。ルバルカバの演奏も実際にはそれ程キューバっぽさを出さないのだ。しかし、スパイスとしてほんのり感じることが出来る。意外にも2曲目でゲストとして演奏しているパット・メセニーのギターにそれを感じてしまったのだが。何かと賛否両論のパットだが、今回のこのギターは間違いなく良い。
 他にもヴァイオリンやテナーサックスを曲によって効果的に配して、統一したイメージを作りだしている。どの曲も楽器が全て「歌って」いるのが感動を呼ぶのだろう。本当にメロディアス。まさに曲よし、演奏良し、音質良しである。(02.4.3)



HAROLD MABERN (p)
 Kiss Of Fire (Venus)
 ジャズというのは「レーベル」の「色」が濃く出てくる、ということを以前書いただろうか。今はそんなことも無くなっているような気がするが、日本発「ヴィーナス・レーベル」は本当に「濃い」レーベルなのだ。
 とにかく「音」が凄い。前へ前へ、とグイグイ押し寄せてくるその音圧。ベースがドラムがピアノが、「聴け!」とばかりに迫ってくるのだ。これは本当に快感。ジャズの面白さを味わうにはうってつけ、「現代のジャズを聴きたい」という方にはさらにお勧めのレーベルだ。「静かに水割りを傾けながら聴きたい」と言う方にはあまり勧められないが。音が主張しているのでBGMには向かないのだ。
 さて今年に入って連続で2作も新作をリリースしてきたハロルド・メイバーン。かなりヴェテランで、以前レヴューしたハンク・モブレイの「Dippin'」にも参加している。ただ、印象としては地味で、「名バイプレーヤー」という本人にとっては有り難いのかその逆なのかよく分からない評価となっていた。ただ、最近はエリック・アレクサンダー(テナーサックス)を良くサポートしていて、「名伯楽」としての評価も得るようになっていた。
 このヴィーナス2作目となる今作は、エリックを何曲かフィーチャーしており、その引き立て方の上手さを存分に発揮した作品となっている。特にデクスター・ゴードンの名曲「チーズ・ケーキ」はエリックのパワー全開と言ったプレイがさすが、と唸らせる出来だ。あとはデクスターのような微妙な色気や退廃した感じを出すことが出来れば言うことはないが、まあそこまで現代人に求めるのは間違っているのかもしれない。
 メイバーンのピアノも「ノリノリ(古い?)」としか言い様のないファンキーな演奏となり、本人も踊っているのではないか、と思わせてしまう陽気なプレイを繰り広げている。前述した「Dippin'」の中の代表曲「リカード・ボサノバ」をピアノトリオで自ら演奏しているのも興味深い。ハンク達に思いを馳せているのだろうか。
 タイトル曲や「ブラジル」といったラテン調の曲が多く含まれているのも親しみやすく、ノリの良さを一層押しだしていて気持ちが良いことこの上ない。(02.3.17)




HERBIE HANCOCK (p)
 Maiden Voyage (BlueNote)
 私にとってハービー・ハンコックという人は何と言っても「ロックイット」である。思い出すのは当時のグラミー賞授賞式でのパフォーマンス。ファンキーなシンセ・サウンドに骸骨・ダンス。そして歌はなく、演奏だけ。衝撃的だった。まだ中学生だった私は「こういうのもあるのか」と驚くばかりだったのだ。
 さて、今回はあまりに定番の「処女航海」を推薦。「新主流派」がどうのこうの、といったことはとりあえず置いておく。とにかく聴いてみよう。冒頭アルバムタイトル曲の静謐感、澄み切った雰囲気など、夜のこじゃれたBGMにもぴったり。その手のコンピレーションにも収録されていがちなものだ。しかし、トランペットのフレディ・ハバード、ベースのロン・カーターといい、名手揃いなのだ。この人達のテクニックを聴くだけでも価値があるし、何と言っても個人的にはドラムのトニー・ウィリアムス。この超絶ドラマーのシンバルのみ、じっくり聴き込むことでもかなり楽しむことが出来る。あとテナーサックスはジョージ・コールマンと、多少有名度は落ちるが決して悪くはない。
 実はこのメンバー、フレディをマイルス・デイヴィスに替えれば当時のマイルス・コンボになるのだ。そう考えてフレディとマイルスを比較してみるのも面白い。例えば、「フレディはテクニックはマイルスよりも上かもしれないが、存在感ならばやはりマイルスが圧倒的だなあ」などと。まあ、これはハービーのリーダー作なので、仕方がないが、あれほどのテクニックを持つフレディのリーダー作が今一つパッとしないのも事実。人にはそれぞれ役割があるのか。
 ハービーという人もフュージョンへ行ったり、ファンク、ヒップホップ、ハウスと様々な音楽に目配りをしたりと、今一つ実態が見えにくいのだが、そうした好奇心が未だに若く見える秘訣なのだろう。最新作は良いのか悪いのかよく分からないが。(02.2.24)



WALTER BISHOP Jr. (p)
 Speak Low (Jazztime)
 ロックの世界では「一発屋」には事欠かない。一番有名なのは「マイ・シャローナ」でお馴染のザ・ナックだろう。最近中古屋で格安のレコード(アナログ)を探すのだが、結構出てくる出てくる、懐かしいやつが。ネーナ、スパンダー・バレエ(一発屋でもないが)、GIオレンジ、等々…一発でも当れば良いではないか。ロックではとくにこうした「初期衝動」的な勢いは大切なのだ。
 さて、ジャズの世界は「一発当てて後は消え去る」という人は少ない。このウォルター・ビショップ・Jr.というピアニストは例外的に近いかもしれない。とは言え、ジャズの場合はサイドマンとしてリーダー作は出さずとも地道にやっていくことが多いので、この人にしてもそういうことだった。
 この作品「スピーク・ロウ」はとにかく良い。普段はサイドマンとして目立たずしっかりと主役をサポートする役割を忠実に果たしていたウォルター、何故かこのリーダー作ではじけまくったのだ。とにかくどの曲も演奏の活きが良く、聴いていて楽しくなってくる。どちらかと言えば昼のジャズだろう。今、これを書いているのは夜なのでヴォリュームを落として聴いているのだが、音を大きくしたくて堪らない。やはり夜向けではないのだ。
 何故ウォルターははじけたのか。それはベーシスト、ジミー・ギャリソンのお陰だろう。このベースがもう、乗せる乗せる。こりゃピアニストとしてはガンガン弾くしかないだろう。この作品もジミーのベースを聴くアルバム、と見てもいい。持っているCDはノイズが多いのだが、それでもベースの音は結構生々しく聞こえてきて気持ちが良い。
 ボーナストラックを除けば全6曲だが、どれもいい。さすがに隠れた名盤と言われるだけある。(02.2.4)



寺島靖国・編 
 サニーサイドジャズカフェ(EMI)
 連続で登場の寺島氏編集もの。しかも別の会社からのリリースなのだ。2001年は著作といいCDといい、何とたくさんリリースされたことだろう。
 こちらは寺島氏が毎週「ジャズ初心者の御婦人方」を「一応」対象にしたウェブサイト「サニーサイドジャズカフェ」で紹介している曲を集めたもの。前回のコンピが少々マニアックめの選曲だったのに比べて(とは言え曲はわかりやすいが)、これはかなり親しみやすいものになっている。
 今を時めく小林桂、氏の大好きなズート・シムズやケニー・バレル、クリス・コナー、大西順子。「ジャズは人だ」という言葉があるが、まさにこのアルバムは寺島氏そのもの、といった感が強い。レコード会社の絡みもあった筈だが、よくこれだけ集められたとも思う。東芝EMIなので、ビル・エヴァンスやキース・ジャレットを収録できなかったのが残念だが、何せこの会社はブルーノートを持っている。これは強い。まあ、だったらばバド・パウエルやソニー・クラーク、ハンク・モブレイを入れて欲しかった、と言う声もあっただろう。なかなか難しいところだ。まあこのコンピは現代と50〜60年代が程よく混ざっているので、あまり過去の人ばかり入れられなかったことだろう。よくあるオムニバスと何ら変わらないものになってしまうし。
 個人的に今回良かったのがズートとユタ・ヒップが組んだ「コートにすみれを」。コルトレーンでも有名だが、やはりズートの方が数倍良い。音色の深みが違うのだ。
 他にはキューバのピアニスト、ゴンサロ・ルバルカバ(よくチャーリー・ヘイデンと組んでいる)、パット・モラン(歌う女流ピアニスト)、ジェリー・マリガン(バリトン・サックス)、ポール・スミス(デザイナーではない)、トニー・ウィリアムス(超絶ドラマー)などなど。
 ヴァラエティには富んでいるが、そこにあるのはやはり一貫した寺島色。続編をどんどん出して欲しい。そして今年はいっそのこと、テレビ出演もして「ジャズのおっさん」として有名になって欲しい。タモリか誰かやってくれないかな。(02.1.13)



寺島靖国・編
 Jazz Bar 2001 (DIW)
 こんなコンピレーションを待っていた人も多かっただろう。
 巷にはJAZZのオムニバスは溢れかえっている。しかし、どれもこれも「名盤、名演、JAZZ・ジャイアント」のものばかり、何枚か持ってしまうと結構ダブりもあったりして勿体無いし、そうそう誰もがいつまでもJAZZ初心者のままでもあるまい。
 そこで、寺島氏の登場。何せ彼は「現代ジャズ」の応援団長だ。現代、とは言っても小難しいものではなく、あくまで昔ながらの4ビートにこだわっているので、決してよそよそしくない親しみやすいものを紹介してくれているのだ。
 そしてほとんどの曲は国内盤が発売されていないものばかり。これもありがたいことだろう。地元にタワーやHMVがあればいいが、いやたとえあったとしてもなかなか手に入りづらいものばかりからピックアップしているからだ。まあ寺島氏が以前紹介しまくっていたものばかりだから、さらに入手困難になってしまったということもあろうが。
 1曲目はケニー・バロン「フラジャイル」。寺島氏が「90年代ナンバー1」と推す、スティングの名曲をケニーが崩しは加えず、あくまでメロディを大切に弾く。そしてベースが「ズガーン」と沈み込む録音のよさも特筆ものだ。そう、このアルバム全体に共通することは「音が良い」ことなのだ。どれも名録音揃い。氏が「JAZZは音だ」とも言う証拠がここにある。
 音質が良いと言えば以前紹介したジョン・ステッチも収録されている。やはり「チップス・フォー・クランチ」だ。曲良し、演奏良し、音良しの三拍子揃った現代の名曲。ベース弦の震える動きが「見え」たら言うこと無しだ。
 女性ヴォーカルのジャネット・サイデル、彼女の声はゾクゾクものだ。それにこれまたベースの引っかく音が物凄い。女性ヴォーカルではもう一曲、コニー・エヴィンソンが収録されているが、寺島氏の女性ヴォーカルの好みがもろに出ており(当然だが)、どちらも「愛らしい」。ジャズヴォーカルの代名詞的なハスキーヴォイスは苦手らしいのだ。とにかく彼女らの「息遣い」がふぅーっとスピーカーから伝わってくると、その気持ち、よーく分かります。
 他にもマーク・キャリー、ベント・エゲルブラダといった「知る人ぞ知る」タイプの通好みなピアニストも収録、やはりピアノトリオが多くなるのも寺島氏の特徴。
 タイトルやジャケットから「夜」のイメージで編集されていて、実際ヴォリュームを落としてさりげないBGMにすることも当然イケる。しかし、是非昼間大音量で聴きたくもなる、そんなコンピだ。(01.12.30)



BRAD MEHLDAU (p)
 Songs - The Art of The Trio Vol.3 (Warner Bros.)
 この耽美的なメロディには抗いながらも酔わされてしまいますぞ。
 煙草をくわえてちょっと斜に構えたような風情を醸し出すジャケ写を見ただけでも、「ああ、こいつは一癖も二癖もありそうだ」と思わせてくれる。実際ライヴではかなりナルシスティックな仕草を見せるらしい。現代ジャズ界ナンバー1ピアニストの呼び声高い、ブラッド・メルドー。こいつは一筋縄では行かない男のようだ。
 演奏は最初に書いたように耽美的。超美麗超端麗メロディをこれでもか、とばかりに繰り出してくれる。キース・ジャレットもそういうタイプなのだが、どちらかというと生真面目な演奏だ。しかしメルドー氏は違う。悪い言い方をすれば「女たらし」なメロディだ。もう下心丸見え、頭の中はスケベでいっぱい、そんな感じの弾き方に聞こえて仕方がないのだ。まあ外見からの偏見がかなり大きなパーセンテージを占めるのだが。
 また、「弾きすぎない」ことも彼の特徴。独特の「間」を持っていて、その短い静寂に「じらし」のテクニックを連想させるものがあるのだ。そうしているうちに登場するのが「ここぞ」というときの「決め」、もう勝利を確信したように流麗な歓喜のメロディが次から次へと紡ぎだされる様に、もう女性ならばノックアウト間違い無しなのだ。何と羨ましいヤツ、ブラッド・メルドー。俺より若いが頭髪は少し薄いぞ。でもいいのだ。こんな凄いピアノが弾けるのだから。
 ちなみに、レディオヘッドの曲も演っている。好きなんだろうか。
 この作品は1998年のもので、つい最近は2枚組のライヴ盤が出たばかり。こちらも是非聴いてみたいところだ。(01.12.9)



JOHN STETCH (p)
 Green Grove (Justin' Time)
 繰り返すけれども世の中ピアノトリオだらけだ。この作品もそうだ。
 結局自分もピアノトリオが好きなので、取り上げるのも多くなってしまう。オーディオとも関係しているのかもしれない。自分のシステムはベースとドラム、特にシンバルを聴くように調整してしまっているので、「分厚くてトロリとしたホーンを」と思っても今のところ叶わぬ夢だ。そうするとベースが鈍くなってしまうからだ。両立させたいとは願うのだが。
 さて、このアルバムもオーディオ・チェックには最適の1枚。最初聴いたときはあまりの生々しさに驚いた。ベースの実在感が凄い。指が現に触れ、弾き、離れる様子すら描ききっているのだ。耳を激しく刺激してくれるシンバルは、もはやドラムセットが目の前に。うわわわわ、本物以上にリアルかもしれない。恐いくらいだ。
 とは言っても、音だけではすぐに飽きてしまうことも確か。その点これは曲も良い。ジョン・ステッチさんは爽やかスポーツ少年でしかも学業も優秀、といった感じの風貌だが、何の何の、なかなか黒っぽい粘っこいピアノを聴かせてくれる。特に2曲目のオリジナル「チップス・フォー・クランチ」。思わず鼻歌にしてしまうくらい軽快な曲で、楽しいったらない。音質的にもこれが一番お奨め。ピアノが、ベースが、ドラムがあちこち跳ね回る様子を是非とも聴いて欲しいのだ。最近のジャズメン作曲オリジナルがつまらないなどと言わせない、名曲だ。スタンダードの「恋とは」や「身も心も」も演奏しているが、よく知っているこれらの曲がかすんでしまうくらい良い曲だ。
 本当にこのアルバムが輸入盤でしか手に入らないのは残念。いや、もっとたくさん流通していれば輸入盤の方が音質的には良いのだが、何せ手に入りにくい。見つけたら即買い、だ。(01.11.11)



BARRY HARRIS (p)
 At The Jazz Workshop (Riverside)
 現在もまだまだ現役のピアニスト、バリー・ハリスは早弾きが得意だ。
 「パウエル派」という言葉がある。まあ他にも「エヴァンス派」とかあるのだが、早弾きが得意のバリーさんはもろ前者なのだ。だからどうなのだ、と個人的には思うことなのだが。実際に何かが取り憑いているようなパウエルの切迫感や悲壮感は、彼からは感じ取ることはない。特にこの作品は「こんなに弾けて楽しいな」というトーンで統一されているので、いつ聴いても気持ちが良い。
 同じパウエル派でもハンプトン・ホーズなどはもっと黒っぽい粘っこさがあるが、このバリーさんはさらりとした爽やかさが持ち味だ。だから「早弾き」が際立つのかもしれない。特にこの作品(1960年録音)が愛聴されているのは、どちらかと言うと「地味」「いぶし銀」というタイプのピアニストで「通好み」的なところのあるこの人が、結構明るく弾いているからだろう。
 曲は「スター・アイズ」がお奨め。以前紹介したアート・ペッパーの「ミーツ・ザ・リズム・セクション」でも取り上げられたスタンダードだ。色々聴き比べてみるのも面白いだろう。チャーリー・パーカーの「ムース・ザ・ムーチ」もいい。
 最近はバリーさん、この爽やかなタッチが買われてか、日本プロデュースでスタンダードの多い作品をリリースしたりしている。ピアノトリオが流行している昨今、彼のような大ベテランまでが担ぎ出されるのだなあ、などと現状を憂いつつ、聴いてみようかとも思ってみたりするのだ。(01.11.3)



MILES DAVIS (tr)
 On The Corner (Columbia)
 「マイルスを聴け!」という本が目茶苦茶面白い。
 これは元スイングジャーナル誌編集長であった中山庸樹氏が、「ジャズを聴くならばマイルスだけで十分!」という自説を「ドバァ〜ッ(中山氏調フレーズ)」と展開し、ついつい洗脳させられそうになる、なかなかアブナイ本である。文庫(双葉社)で出ているので、是非一読をお奨めしたい。
 さて、私もマイルスとエヴァンスのアルバムが枚数にすると最も多いのだが、比較的初期に買ったのがこのアルバムだ。イラストのジャケットがイカしていて、帯には「NYのクラブDJが『バイブル』として云々…」と書いてあったのだ。こりゃ面白そうではないか。
 一言で言えば「恰好良い」。思わずリリース年を確認してしまった。本当にこれが1972年の作品か?なるほど、これならば帯の科白も頷きまくってお釣りが来るくらいのものだ。カッコ良すぎるよ、全く。
 全編リズム、リズムの洪水である。はっきり言えば普通イメージする「JAZZ」とは異なるものだ。「ファンク」と言ったほうが分かりやすいかもしれない。しかし、そんなことはどうでも良い。この洪水に身を浸していることがどれほど楽しいか…JAZZファンよりも、ロックやソウルのファンの方が先入観なく聴くことが出来るはず。
 マイルスのアルバムは何せ1950年から1990年まであるのだ。この40年という長い長い歳月のうち、今までこのコーナーで2枚紹介したに過ぎない。40年の間、「帝王」は変化に変化を重ね、それでも「自分の確固とした音」というものを持っていたのだ。どんなに音楽スタイルは変わっても、とにかく「マイルス・デイビスの音」が彼のアルバムでは鳴り渡っていたのだ。ワンパターンではない。変化しても変わらない。おかしな言い方だが、本当だから仕方がない。(01.10.21)



BOB JAMES (p)
 Straight Up (Warner Bros.)
 ボブ・ジェームズ、簡単に言えばフュージョンの人である。キーボードである。
 このCDを買ったのは、まだJAZZをほとんど聴いていないころ、適当なやつは何か無いかな、と中古屋を徘徊していたときだ。高校時代のほんの一時期フュージョンを聴いていたこともあって、「あのボブ・ジェームズがアコースティックなジャズを演っている」という、このアルバムを見つけて安かったこともあり、とりあえず買ったのである。
 聴いてみるとなかなか良く、ピアノもさることながら、ベースとドラムもバッチリ決まっていたので、ちょくちょく引っ張り出していた。
 そしてJAZZについてスポンジのように吸収しまくったある日、気付いたのだった。ベースはクリスチャン・マクブライド、ドラムはブライアン・ブレイドであることに。そりゃ良いはずだわ。恰好良いわけだわ。マクブライドについては以前触れたこともあったかもしれないが、若手ナンバー1ベーシストで、とにかく腕っぷしの強そうな、「剛腕ベース」を楽しませてくれる人だ。ブライアンも、凄腕のドラマーで、もう少し色々なアルバムに参加してくれると良いのだが、リーダー作(未聴)も出している個性派。こんな豪華な組み合わせだったとは。
 ボブのピアノも悪くはない。二人のパワーを受けて、それに応えるような、なかなか熱い演奏をしている。ビル・エヴァンスを意識したのか、「クワイエット・ナウ」といった曲も演奏していたりするが、ここに本物のエヴァンスがいたら、面白いなあ…と思ってしまう。どうしてもボブのピアノにはエヴァンス程の「内面への激しい切れ込み」といったような、狂人一歩手前の危うさは求めることはできない。しかし、「エヴァンス+マクブライド+ブレイド」というトリオなんて、まるで夢のようではないか。まあ無い物ねだりでしかないが。
 当然このアルバムはいわゆる「名盤」などではないが、「思わぬ拾い物」というやつで、しかもそのレベルは意外に高い。中古屋で見つけたら是非お奨めします。(01.10.14)



KEITH JARRETT (p)
 Standards VOl.1 (ECM)
 とりあえず、うなり声にビックリしないように。
 現代JAZZ・ピアニストとしてはチック・コリアと並んで第一人者であるのが、このキース・ジャレットだ。女性ファンも多い。特にこのゲーリー・ピーコック(ベース)、ジャック・デジョネット(ドラム)との「スタンダーズ・トリオ」はアルバム枚数も多く、文字通りスタンダードナンバーが多いので、親しみ易いだろう。
 しかし、最初は面食らうかもしれない。演奏がノッてくるころ、何処からともなく怪しげな「にゃにゃにゃにゃあ〜にゃにゃあ〜〜〜」という声が聞こえてくるのだ。何なんだ。心霊CDにしては明瞭なその声、実はキース自身の発するうなり声なのだ。そう、自分がノッてくると腰を浮かせたりして、メロディに合わせて唸るのである。いや本当に最初はビックリしたものだ。夜中静かに聴いているとちょっと不気味な感じもする。
 もっとも、キースのファンはこれが出ると「待ってました!」とばかりに喜んだりもするのだ。確かに段々慣れてきた、と言うか「キースの演奏にはなくてはならないもの」と思えるようになってきた。まあ、そのままだと「小奇麗なJAZZ」という雰囲気で聴くものになりがちだが、うなり声が合図のように演奏のよさに耳を澄まさせてくれるではないか。
 ところで曲だが、「スタンダード集」とは言え、有名なのは「オール・ザ・シングズ・ユー・アー」くらいのもので、どちらかと言うと「隠れた名曲を掘り起こした」という感が強い。最近の彼らの演奏する曲には有名どころが増えてきたが…
 キースも最初に選ぶアルバムの選択を間違えると、何だか訳の分からないものに当たって、聴かなくなってしまうことが多い(例・「愛と死の幻想」、花のジャケットのやつね)。普通のジャズを聴くのならば「スタンダーズ」物を買っておけば間違いはないはず。(01.9.30)



CURTIS FULLER (tb=trombone)
 Blues-Ette (Savoy)
 「ブルー・スエット」ではなくて、「ブルース・エット」が正しい。
 それはともかく、トロンボーンという楽器はどちらというとアンサンブルの脇役、というイメージがどうしても付きまとう。しかし、あの伸び縮みする独特の奏法はフロントに立てば意外に目立つような気もする。寺島靖国氏が最近楽器を始めたのだが、それがトロンボーンだという。
 そんなトロンボーンをリード楽器として扱うジャズマンは少ない。惜しくも最近亡くなったJJジョンソンや、このカーティス・フラーが代表だろう。そのフラーの代表作がこれだ。
 一曲目の「ファイヴ・スポット・アフター・ダーク」。数年前にテレビCFで流れて有名になった曲だ。一度聴いたら思わず口ずさんでしまう、そんなメロディ。いかにもコマーシャルが似合う曲なのだが、これを作曲したのはテナーサックスで参加しているベニー・ゴルソン。この人は演奏者としては特徴を挙げづらいのだが、作曲者としてはスタンダードに最も近い、日本人好みの曲を書く。
 やはり出だしのテナーとトロンボーンが織りなす「おと」。1年前にリリースされたリマスター盤はこの「おと」の出方がリアルで良い。空気感が違うのだ。この新しいリマスター盤を買って一層この曲が好きになってしまった。やはり「おと」も重要なのだ。
 「ファイヴ・スポット…」ばかりを語ってしまったが、その他の曲、アルバムタイトル曲や、スタンダードナンバーも秀逸揃い。トロンボーンという楽器を特別に考える必要はなく、いつしか曲や演奏の世界に引き込まれて行くこと請け合いだ。
 ピアノのトミー・フラナガンがここでも「名脇役」ぶりを発揮、これも聴きどころ。(01.9.22)



BARNEY KESSEL (g) with SHELLY MANNE (dr) & RAY BROWN (b)
 The Poll Winners Ride Again! (Contemporary)
 ポール・ウィナーとは「受賞者」ってこと。ジャズメンの人気投票でそれぞれ1位に輝いたギターのバーニー・ケッセル、ドラムのシェリー・マン、ベースのレイ・ブラウンという名手達が一堂に会し、素晴らしい演奏を聴かせてくれるものだ。「企画物」ではあるけれども、このセカンド・アルバムもレベルの高い、それでいて楽しいものになっているのだ。
 このアルバムを取り上げたのはイタリアの有名なカンツォーネ「ボラーレ」が2曲目に入っているから。メロディ自体はビールのCFで流れていたので聴けば「ああ、あれね」とすぐに合点が行くはず。あの馴染みの深いメロディを、バーニー・ケッセルのシンプルだが丁寧なギターで奏でられる。リズム隊が何せレイ・ブラウンとシェリー・マンだから決して軽くならない、重厚な、味のある演奏になるのだ。もちろんBGM風に聴くのも良いが、やはり3人の名手のまさに「職人芸」とも呼ぶべき演奏を堪能したい。
 このポール・ウィナーズ、ジャケットも面白い。「ポール=賞」に引っかけて、「棒=ポール」を3人が掴んでいるのだ。このアルバムではメリーゴーランドに乗った3人がそのつかまり棒(何というのだ?)のようなものを握っているのだ。他のアルバムでも何かの棒を握っている。そうしたシーンに照れ笑いを浮かべながら写っている3人。緊張感、というポイントでは少々落ちるかもしれないが、そこで繰り広げられる演奏は伊達じゃない。(01.9.9)



PAUL DESMOND (as)
 Take Ten (RCA)
 何処でも何度も書いているかもしれないが、自分は「アンチ・癒し系」である。音楽は刺激なのだ。頬を張り飛ばして、肺腑をえぐり取るような感動が欲しいのだ。音楽でリラックスなど持ってのほかなのだ。まあ、この「癒し系」なる単語が流行アイテムとして出回り、安易な音楽や安易な企画が市場にまかり通ることが最も嫌いなわけだが。ちなみに「癒し系」と称される女性達は何故か好みだったりする。そんなもんか。
 そんな中でジャズ界も癒し系流行り、その代表格のようにクローズアップされてきたのがこの、ポール・デズモンドである。
 この人が一番有名なのは、デイブ・ブルーベック・カルテット「テイク・ファイヴ」だろう。何度もCMなどに使われていて、もしかしたら「日本で最も有名なジャズの曲」かもしれない。ここでアルトサックスを吹いているのがポールさんである。この曲のリーダーであるブルーベックさんはピアニストであり、あの印象的なフレーズはデズモンドによるものだったわけなのだ。同じような例として「レフト・アローン」というこれまた有名な曲はマル・ウォルドロンによるものだが、マルさんはピアニストであり、あの哀愁漂いまくりのサックスはジャッキー・マクリーンなのだ。ただ、「テイク・ファイヴ」はデズモンド作曲であり、ますますブルーベックの影は薄くなっていく。
 前置きが長くなってしまったが、このアルバムのタイトルナンバー「テイク・テン」は「テイク・ファイヴ」の続編ともいうべき曲で、確かに出だしはちょっと似ているが、短い曲なので「テイク・フィアヴ」よりも逆に取っ付きやすいかもしれない。他にも「黒いオルフェ」など有名な曲、時代を反映(1963年)してボサノバナンバーが多く収録されている。
 さてポール・デズモンドが何故「癒し系」なのか、聴けばすぐに分かることだが、とにかく音色が温かい。優しさに溢れている。ぽわぁ〜、としたアルトを聴かしてくれて、決して「強力に吹きまくる」ということをしないのだ。確かにこれほどリラックスした演奏をする人はなかなかいない。
 しかし、決してこの人軟弱なのではない。ちょっと音量を上げて聴いてみよう。こんなに情感を込めて吹いていたのだ、ということが分かるはず。魂の込め方が尋常ではないのだ。吹きまくるだけがサックスじゃあない、まさに「デズモンド節」とも言える「ワン・アンド・オンリー」なウォーム感たっぷりの演奏をしてくれるのだ。ただの「癒し系」では勿体無い、ちょうどマスタリングされて再発されたばかりなので、是非聴いてみて欲しい。(01.8.28)



JESSE VAN RULLER (g=guitar)
 Catch! (Bluemusic)
 これは「乱れ撃ちディスクレビュー」の方で取り上げようかとも思ったが、こちらにした。
 いきなり今年の作品である。新しいのだ。別に古いジャズばかりにこだわっていたのではないし、いわゆる「過去の名盤」的なものはかなり紹介したと思うので、これからは新しい古いは関係無しにピックアップして行こうと思う。
 「ギター」がメインのジャズ、に関してはあまり気乗りがしなかった。最近までは。ジャズギターの音色は柔らかすぎて物足りないというイメージのためか、「やっぱりギターはロックだろ」という気分もあるし、アコースティックな演奏のジャズに、エレキギターというのもいかがなものか、とも感じていたのだ。
 しかし、このジェシ・ヴァン・ルーラーのディスクを聴いてその認識を改めることになったのだ。「かっこいい!」素直にそう思った。一曲目。早くもジェシの弾くギター・サウンドに酔わされること請け合い。ロックっぽい曲なので分かりやすいし、それでもバックはドラム、ベース、ピアノ、というジャズの基本に忠実なフォーマットになっている。それでこれだけの熱い演奏が出来るのだから凄い。曲によってはホーンの入っているものもあるが、個人的にはホーン無しのカルテット演奏の方が好みだ。よりジェシのギターを楽しむことが出来る。
 それにしてもグリーンを基調にしたジャケットだが、写真でギターを持つジェシは男前。こりゃモテルだろう。長髪じゃないのもいい。この「ルックス」という点も結構ジャズを広める意義においては侮れないことなのだと思う。(01.7.22)



HANK MOBLEY (ts)
 Dippin' (BlueNote)
 このハンク・モブレーという人はサックス奏者としては有名な方に入る。しかし、何が特徴なのだろう、と言うことになるとよく分からない。強烈なブロウをかまして、といったタイプではないし、叙情溢れるいぶし銀の持ち味、と言うのともちょっと違う。代表作とされる「ソウル・ステーション」にしても、今のところ良さが分からない。何とも地味なのだ。出てくる音も何か弱々しいし。
 しかし、そんな方にはこの「ディッピン」だ。このアルバム中の代表曲「リカード・ボサノバ」は、リー・モーガンの「サイドワインダー」に並ぶ「ジャズロック」の定番なのだ。純ジャズファンにはちょっと恥ずかしい想い出の「ジャズロック」だが、我々ロック世代にはエイトビートのノリはやはり親しみやすいものだ。思わず鼻歌でメロディをなぞってしまうことも多い、そんな「ちょっといい曲」だ。「リカード…」はアルバムの2曲目に収録されているが、一曲目の「ディップ」も負けず劣らずノリの良い名曲だ。ちなみのこのアルバムにもリー・モーガンが参加しており、強烈なトランペットを聴かせてくれる。実際のところ主役のモブレーがかすんでしまうくらい吹きまくっているのが彼らしい。個人的にはやはりこういう力強いプレをするモーガンが好みではある。まあ、そんなモーガンをマイペースに受けてさらにマイペースな音で吹いているモブレー、という図式も結構おかしくて良い。
 ドラムのビリー・ヒギンスはつい先頃残念ながら永眠された。冥福をお祈りします。(01.7.7)



CHICK COREA (p)
 Now He Sings, Now He Sobs (Blue Note)
 どちらかと言うと現在脂の乗りきっているピアニスト、というイメージのチック・コリア。最近も新作をトリオで発表している。今回紹介するのは初リーダー作で、1968年の作品だ。
 これまで紹介してきたものはピアノ・トリオが多いが、やはり好きだからだ。それにしても色々なタイプがいる。ピアノというのは誰が弾いても違いがわかりにくい楽器とされているが、実際には奏法、音数の多い少ないなどでかなりの違いを出すことができると思う。
 このチック・コリアは音数が多い。おしゃべりなタイプなのだ。この作品が出たころはあと少しで「フュージョン」が登場してくる時代、現にコリアもその後「リターン・トゥ・フォーエヴァー」というカモメが描かれてたジャケットの、歴史に残るフュージョン・アルバムをリリースしている。しかし、個人的にはこのピアノトリオの方がいい。
 1曲目の「マトリックス」が今でも十分衝撃的に写る。とにかく弾きまくるコリア。何もこんなに音で埋めなくても…と余計な心配をしたくなるほど音数が多い。それに併せてベースとドラムも性急なソロを決めてくれる。これは気持ちが良い。確かに60年代ももう終わりに差し掛っていたとはいえ、当時斬新なピアノトリオだったのではなかろうか。自分はクラシックには全く明るくないが、コリアのこのピアノはジャズというよりもクラシックの匂いも感じる。逆にロックっぽさも持ちあわせているようだ。それはその後の多方面(余りにも身が軽すぎという気もするが)の活動によって明らかになることだが、こうした一見オーソドックスなピアノトリオでそういった彼の多才さが一層浮き彫りになっているように感じるのだ。
 ただ、最新作のトリオアルバムよりもこちらの方が刺激的なのは困ったことだ。30年も経てば、人間丸くなりすぎて普通になってしまうのか。(01.6.23)



KENNY DORHAM (tr)
 Afro-Cuban  (BlueNote)
 このケニー・ドーハムというトランペッターは、特に日本では「静かなるケニー」が代表作となっていて、リー・モーガンなどとは対照的にタイトル通り「静かに」吹く、しみじみとした味わいを持つ人、といったイメージが強い。マイナー調の曲を吹かせたらもう気分はダウナー。それが日本人に合っていたのだろう。
 しかし、現在ではこの「アフロ・キューバン」をまず聴きたいところだ。何故かと言って、1曲目の「アフロディジア」。このコンガとホーンの織りなすリズムが体を揺らしたくなる、完全なダンスミュージックなのだ。イギリスのクラブ・シーンで80年代後半にDJが好んで取り上げたとも聞く。それもそうだろう。ここから現在のダンスミュージックはかなりのインスピレーションを得ているはずだ。「新しい!」と思って聴いていた音楽が、実はこのように1950年代に録音されたジャズを基にしていたのである。50年近く前の音楽なのだ。驚異と言っても良いのではないか。
 ところでケニー自身はそんなリズムの中で、やはりマイペースっぽく吹いているように聞こえる。リー・モーガンならば物凄く張り切って超ハイ・ブロウをヒットさせまくるところだろうが、ケニーはあくまで人柄を偲ばせるような、温かみのある吹き方をしている。同じトランペッターでも色々なのだ。そんなところも注目して聴いてみても面白い。そしてドラムはアート・ブレイキー。さすがのドラミングを展開しているのでこちらも注目。(01.6.18)



HAMPTON HORSE (p)
 The Trio Vol.1 (Contemporary)
 ファンキーなタッチのピアノを聴きたければ迷わずこのハンプトン・ホーズ。クラシックではあり得ないピアノを弾いてくれます。個人的にはリピート率のかなり高いアルバムになっていて、何度聴いても飽きの来ない、美味しいものなのだ。
 バド・パウエル直系の速弾きも随所に見られるが、パウエルが何となく暗い感じになりがちなのを、彼は明るく楽しそうに弾いてくれる。ユーモラスな風貌もそのイメージに一役買っているのかもしれないが。そしてよく知られているスタンダードが多いのも聴きやすさの要因だろう。「恋とは何でしょう?」や「オール・ザ・シングス・ユー・アー」を演っているが、特に後者の跳ねるような奏法はこの曲の中でもベストの演奏ではなかろうか。一曲目のガーシュイン作曲「アイ・ガット・ザ・リズム」も良い。
 オリジナルも良く、「ハンプス・ブルース」などは、他のジャズメンももっともっと取り上げてもいいのでないか、と思わせる名曲だ。
 しかし不思議なことに、これだけ何度も聴いて誰にでも勧めたい名盤なのだが、これ以上言うことがない。困ったことだが、逆にあまり理屈の要らないことが名盤の証明なのかもしれない。レビューになっていないが、決して損はさせない、ジャズ初心者にも安心してお奨めできるものです。(01.6.10)



THELONIOUS MONK (p)
 Trio (Prestige)
 この人ほど賛否両論分かれる人もいないピアニスト、セロニアス・モンク。それは独特な奏法にあることは間違いない。決して演奏中踊りだす、とかいった伝説についてではなかろう。
 個人的にはこの人ほど「ジャズならでは」なピアノを弾く人はいない、と思っている。響かせないでブチッととぎれとぎれの「た・た・たたた・た」といった弾き方をしたり、どう考えても音程の外れたよう音を出すので「ヘタ」と嫌いな人からは言われるのだが、これが自分には大変気持ちが良い。綺麗なピアノを聴くのなら、なにもジャズではなくとも、クラシック系やウィンダム・ヒルのピアノを聴けばよいのである。逆に物凄く上手いからこんな奏法が可能なのではないか。
 とにかくモンクの作品は一聴してそれとわかるものなので、代表作としては何を挙げても良いのだが、とっつき易さでこのリヴァーサイド盤「トリオ」を挙げた。モンクの場合はピアノトリオの作品は少なく、ホーンの入ったものや、逆にソロピアノ作品が多い。しかし、敢えてトリオを推したい。
 のっけからぶっと切れの不協和音の連発なので、ここで好き嫌いが分かれるだろう。これを「おお、外れてるけど何か恰好良いぞー」と思えばもはやあなたはモンク狂。曲にしても、「リトル・ルーティ・トゥーティー」「モンクス・ドリーム」「ブルー・モンク」「ベムシャ・スウィング」といった自作の代表曲が並ぶ。そう、モンクは作曲家としても、いやむしろ一般的にはそちらの方が有名かもしれない。ジャズ・スタンダードとなっている曲が彼には非常に多いのだ。マイルス・デイビスで有名な「ラウンド・ミッドナイト」にしてもモンクの曲なのだ。
 モンク入門にはとにかくこの盤から入って、それからソロや、「ブリリアント・コーナーズ」といった有名盤を聴いて行くのが順番としてはお奨めです。ちなみに私は全く逆のパターンを辿ったために、えらい遠回りをしてしまったのだった。(01.5.25)



STAN GETZ (ts)
 Stan Getz & Bill Evans (Verve)
 スタン・ゲッツという人は、テナー奏者としては超メジャーな人物で、事実素晴らしい演奏をするので好きなのだが、「決定的名盤」を物したかと言うとそうでもない様な気もする。例えばソニー・ロリンズと言えば「サキコロ」のような。もちろん数々の有名なアルバムを出してはいるのだ。ジョアン・ジルベルトと組んでボサノバ・ブームを演出した『ゲッツ=ジルベルト』といったものが有名だ。しかしこれは本当にいかにも、のボサノバ作品だし、あまりジャンルに拘りたくもないが「ジャズ」として紹介するには少々気が引けるのだ。
 そこでこの作品を挙げた。ゲッツは色々なミュージシャンとの共演作が多い人だが、このビル・エヴァンスと組んだアルバムがそれ程有名ではないにしても大変面白いのだ。
 ここから聞えてくるのはまさに「緊迫感」そのもの。ダラダラした感じは一切無し。ピリピリと張りつめた雰囲気が思いっきりこちらに伝わってくるのだ。やはり当時どちらも一流と言われたミュージシャンの、異色とも言える組み合わせ。まさに果たし合いと言っても過言ではないものだ。
 エヴァンスも内省的なスタイルは保ちながらも、普段よりかなり攻撃的に、挑発的に演奏している。それに応えてゲッツも以前は「クール」と呼ばれて、感情を抑えた演奏を得意にしていたのが、このアルバムではバリバリとヤクザなテナーを吹きまくってエヴァンスを逆に挑発している。これはもう、一流ミュージシャンにしか成しえない、激しい「対話」、あるいは「激論」とも言うべきものだろうか。端正な「ナイト・アンド・デイ」といった曲が、分かりやすさはそのままに激しいものになっている。二人のつば迫り合いが聞き慣れた曲を新鮮なものにしたのだ。
 脇を固めるリズム隊もロン・カーター(b)に、エルビン・ジョーンズ(dr)という名手が起用されており、特にエルビンのドラミングもこの迫真の共演をさらに煽り立てる役割を果たしている。いやあ、このメンバーでライブを見たかったものだなあ。(01.5.14)



RAY BRYANT (p)
 Ray Brayant Trio (Prestige)
 ジャケットにはくわえ煙草の主人公、レイ・ブライアントが微妙な表情で写っている。「微妙」というのは笑っているような、何か考え事でもしているような、はたまたカメラマンの後ろにいる誰かを見ているような、そんな顔をしているのだ。
 まあ内容とは直接関わりはないが、このアルバムも特に日本のピアノ好きからは「名盤」の誉れ高いものだ。確かにオープニングを飾る「ゴールデン・イヤリングズ」は日本人好みであることは間違いない。美しく、分かりやすいメロディ。やっぱりこれだよな、と言いたくなるような。そしてMJQでお馴染の「ジャンゴ」も流麗なタッチで演っている。これら2曲でこのアルバムのポイントは高い。
 レイ・ブライアントと言う人は、実際にはテクニックを売りにしたようなタイプのイメージが強いそうだ。「そうだ」と言うのは他のアルバムを聴いたことが無いからだが、このアルバムに限っては、美しいメロディを紡ぎ出す、どちらかと言うと女性に受けそうなタイプに思える。
 ところでこの盤に限らないのだが、「〜トリオ」とだけある同じタイトルでも全く違うアルバム、ということがジャズではよくある。今紹介しているのは、プレスティッジの、レイが煙草をくわえている白黒写真のジャケットのものである。(01.5.4)



DEXTER GORDON (ts)
 Go! (Blue Note)
 このデクスター・ゴードンという名前がやけにゴツいテナー吹き、実際に190cmもの長身を誇っていたので決して名前負けしていない。そんな人に「ゴー!」なんてアルバムタイトルを付けられた日には、もはや凄いものに違いないのだ。
 一曲目の「チーズ・ケーキ」。曲名は可愛らしいが、やはり凄かった。寺島靖国氏が「退廃的」と称したこの演奏、確かにそうかもしれないが太く厚い音でバリバリ吹きまくっている。そして日本人好みのマイナー調メロディーが嫌でも耳に残る、名曲だ。そして2曲目のバラードが対称的でこれまた良いのだ。ゆっくり吹くことで音の太さと厚さが一層際立っている。スタンダード・ナンバーの「Love For Sale」も、普通はもっとロマンティックに演奏されるものだが、彼の音でかなり威勢に良いものに変わっている。実際の大きさと同様、存在感のあるテナーと言わざるを得ない。こんな吹き方をして、よく疲れないものだ。「ごんぶと」と言う感じか。
 この分厚い音を堪能するには真空管アンプがよく似合う。より分厚く、太いテナーの音が腹にぐっと響いて、きっと1枚聴き終えた後は空腹感を催させてくれること請け合い。(01.4.29)



MODERN JAZZ QUARTET
 Concord (Prestige)
 追悼、ジョン・ルイス。
 先頃永眠したピアノのジョン・ルイスを中心に、ミルト・ジャクソン(ヴァイブ)、パーシー・ヒース(ベース)、コニー・ケイ(ドラム)といった4人でモダン・ジャズ・カルテット(MJQ)である。普通、ジャズはリーダーがいて、他はそのバック(つまり、バックの方がリーダーより有名な場合もある)という構成だ。つまりリーダーの個性がより出るようになっているのだ。これまで紹介してきたのは皆そうである。それに対してMJQのように固定メンバーのバンド編成にした場合、それぞれの個性は生かしつつ、バンドとしてのまとまりや一体感が表現される。よってジャズ特有の「勝手気ままな演奏」っぽさは薄れ、「端正さ」がそれに代って出てくる。あまり端正すぎるのも好みではないが、クオリティの高い演奏がそれを忘れさせてくれる。
 特にこのメンバーの中で印象的なのがミルト・ジャクソンだ。「ヴァイブ」というのは「ヴィブラフォーン」のことでつまりは「鉄琴」なのだが、一見ジャズにはマッチしなさそうなこの楽器を見事に筋金入りのジャズ楽器にしているのだ。独特の高音の響きが空気に溶けていく感じが堪らない。ミルトも残念ながら99年に亡くなっている。
 さて、このアルバムで最も有名な演奏が「朝日のように爽やかに」だ。いくつもの名演奏を生んでいるスタンダードだが、このMJQヴァージョンを一番に挙げる人も多いし、自分も今のところこれがベストだ。ミルトが奏でるヴァイブの音色はいつまでも耳に残り、ジョンのピアノも地味ながらもしっかりアドリブで主張している。名演奏、と呼ぶのにふさわしい。
 他にも「4月の想い出」やジョージ・ガーシュインのメドレーといった、スタンダードが並ぶ構成になっている。とにかく演奏の上手さを聴くにはうってつけ。(01.4.21)



JIMMY SMITH
 Midnight Special (Blue Note)
 ちょっとジャズの中では異端派扱いされがちなオルガンだが、昨今のダンスミュージックを聴いている自分には逆に耳慣れたものとして映る。特にこのジミー・スミスなどはオルガン・ジャズの第一人者で最近も新作をリリースしている御大なのだが、このブルーノートから出た50年代のアルバムも、立派に現役ダンス・ミュージックとして通用するものだ。特にこうしたちょっとデジタルっぽさを持ったアナログな楽器が、過度にデジタルデジタルしたシーンに対する揺り戻しとして機能しているのだろう。
 この鳴り渡るオルガン・サウンドが黒っぽいノリを見事に表していて気持ちが大変良い。確かにこれならば十分踊ることができる。ちょうど「アシッド・ジャズ」の元祖、と言うほうが分かりやすいかもしれない。確かにこのオルガン・サウンドには当時元々は不良っぽい音楽だったジャズの、最も退廃したイメージを体現しているようだ。
 オルガンという楽器は低音部も左手でかなり出すので、ベースが要らない、というわけでこのアルバムにもベースは入っていない。しかし、最近のインタビューでジミーは「おれにフィットするベーシストがいなかったのさ」とコメントしている。うーん。ま、ベース好きとしては、例えオルガンで低音が出ていても、さらにベースの「ビン」と弦をはじく音も欲しいところだけど。
 とにかく、他のジャズと違うな、と思うところは「鑑賞」と言うよりも「楽しむ」ものということだ。オーディオ的に座り込んで聴くものじゃあない。頭を空っぽにして楽しもう。(01.4.11)



HORACE SILVER (p)
 Song For My Father (Blue Note)
 今でも現役でファンキー・ジャズの元祖として頑張っているピアニスト、ホレス・シルヴァー。アート・ブレイキー&ジャズメッセンジャーズに在籍して作曲面でグループをリードしたりとキャリアや作品数はもの凄い数に上る。ただ、「代表作」と言われると「どれだろう?」という感じになるし、実際人によって挙げる作品はばらけるのではないだろうか。
 自分が最初に買い、しかも人にも、となるとこのアルバムになるだろう。特にタイトルナンバーの一曲目をやはりお奨めしたい。オープニングを聴いたらすぐに、ちょっとアダルトなロックファンなら、「あれ、これスティーリー・ダンの『リキの電話番号』じゃないか」と思わずヒザを打つはずだ。その通りでつまり、逆にスティーリー・ダンがこの「ソング・フォー・マイ・ファーザー」のフレーズを拝借したのである。ビートルズ「愛こそはすべて」の冒頭フランス国歌と同じである。
 そうしたロックにも相性の良い作品を収録したこのアルバム、こうした作品からジャズに入り、何曲と聴き進めてジャズの面白さを知るのも良いのでは?(01.3.30)



JOHNNY GRIFFIN (ts)
 The Kerry Dancers (Riverside)
 このジョニー・グリフィンは「リトル・ジャイアント」と呼ばれている。「小さな巨人」、まあつまり背が低いのだ。しかし「巨人」と言われるだけあって、豪快なテナー・ブロウをぶちかます。そんな人である。しっとりとオシャレに吹くタイプではないのだ。
 そんな彼の代表作だが、サブタイトルに「and other swinging folk」とあるだけに、フォークソング集である。フォークを見事にノリの良いジャズにアレンジしているのだ。タイトル曲や「彼女の黒髪」、そして「ハッシャバイ」といったメロディアスなフォークソングを、いつもの吹きまくりとは少し異なってはいるが、情感を込めまくって力強く吹いている。
 まあ、このアルバムはジョニー・グリフィンがどうの、と言うよりも曲が親しみやすいのでまずは聴いてみることをお奨めしたいものだ。「サキコロ」や「モーニン」のようにいわゆる「超名盤・定盤」の中には入らない作品だが、個人的には同レベルにある作品だと思う。ベースはロン・カーター、ピアノはバリー・ハリスといった有名どころが揃っているので彼らの音を聴く入門編としても良いかもしれない。そう言えば偶然3人とも今も現役だ。ドラムのベン・ライリーは分からないが。1962年の作品である。(01.3.17)



OSCAR PETERSON (p)
 We Get Requests (Verve)
 一口にジャズ・ピアニスト、と言ってもいろんなタイプが居るわけで、このオスカー・ピーターソンは万能技巧派の筆頭と言えるだろうか。バド・パウエルみたいに速弾きが際立つわけではないが、どちらかと言うとクラシックに近いようなテクニックを持った人だ。だからファンも多いかわりに嫌う人も多い。「上手すぎてつまらない」「ジャズらしい陰影に乏しい」というのが理由とされている。確かにビル・エヴァンスのような内にこもった感じではなく、あくまで陽性でカラッとしたピアノを弾く。見た目も大柄なためか、性格も大らかな人のように写る。
 このアルバムは特にそうした彼の明るさが前面に出ているので、超定番ではあるが通受けしない。ジャズ喫茶などでリクエストしてもマスターが嫌がってかけない代表的なアルバムでもあるのだ。
 前置きが長くなったが、これはリスナーからのリクエストで構成されたものらしく(邦題は「プリーズ・リクエスト」)、当時のボサノバブームの影響か、「イパネマの娘」といった曲もある。親しみやすいスタンダードがずらりとそろっているので分かりやすいし、リラックスして演奏しているように感じられるので、聴いている側も同じようにリラックスできる。そこが「食い足りない」とする向きも分からないではない。
 また、今でもこのディスクはオーディオチェックに使われることが多い。特にB面一曲目にあたる「ユー・ルック・グッド・トゥ・ミー」のレイ・ブラウンが弾きまくるベースだ。まずクラシックのコントラバスのように弓で弾き(「アルコ」という)、そして指でかき鳴らす。これの出方でスピーカーの調整などをしたのである。やはり大型のウーファーで鳴らすのが気持ちが良いかもしれない。自分は小口径しかないが…(01.3.4)



SERGE CHALOFF (bs)
 Blue Serge (Capital)
 サックスというのは結構種類があって、高いほうからソプラノ、アルト、テナー、バリトン、バスとなる。このサージ・チャロフはバリトン・サックスの人だ。アルトやテナーには数えきれない位のジャズメンが存在するが、バリトンはこの人のほかには一番有名で長生きもしたジェリー・マリガンや、ペッパー・アダムスが代表格で、それ程多くはいない。低くて鈍い音が出るので、一歩間違えれば田舎臭い音、と言うか鈍重でスピード感に乏しいものになってしまいがちなのだ。だから大抵はトランペットのような高音を出す楽器と共演することが多い。
 しかし、このアルバムはワン・ホーンなのだ。つまり、他にサックスやトランペットは無いのである。あとはピアノ・トリオが居るのみ。これで大丈夫か?と言う不安は聴けば綺麗に解消される。
 「オール・ザ・シングズ・ユー・アー」というスタンダードを演っているが、普通はゆっくり目に演奏されるこの曲が軽快にバリトンで奏でられるのには思わず「うーん」と唸らされてしまう。高いほうの音を使ってスインギーに演奏したかと思えば、バリトンならではの深い深い低音も繰り出され、その音域の広さが長所に繋がっている。そして最終曲のようなバラードでは、情感の豊かさがバリトンから溢れ出てくるようなのだ。まさに息遣いもリアルに出てくるのが素晴らしい。バリトンが鈍重というのは下手な人が演奏するからだろう。このサージ・チャロフは地声も低いのではないか、と思うほどサックスが歌っている。それが分かりやすく出るのがバリトン・サックスではなかろうか。
 少し前からはソプラノ・サックスが特にフュージョン系では多かったように思う。ケニー・Gなんかもアルトも吹くがソプラノのイメージが強い。高音の方が現代風なのかもしれないが、個人的には好きではない。サックスは低い音が魅力だ。高音はトランペットに任せておけばよいのだ。
 ちなみのこのアルバムもジャケットが魅力。バリトン・サックスって何て大きいのだろう、と言うことがよーく分かる。(01.2.25)



CHET BAKER (tr,vo)
 Chet Baker Sings (Pacific Jazz)
 最近メディアに頻繁に登場して若い女性のジャズファンを増やしているのが、若干21歳のヴォーカリスト小林桂だ。彼のスモーキーな歌い声は確かにこれまでジャズに興味の無かった層を確実に開拓している。
 その小林桂のオリジナルとも言える存在がこのチェット・ベイカーだ。彼の歌い声を何と表現したら良いのか、身も蓋もない言い方をすれば「ヘタウマ」である。はっきり言って上手い歌手ではない。しかし、その儚げで線の細そうな、しかし内側に何かもの凄い情念を秘めていそうな淡々とした歌い方は、当時(1954年)の女性ファンをガッチリと虜にしたのだろう。特に有名な「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」などは、夜聴くのがピッタリなのだが背筋に何かが伝わってくるような、ゾクッと来る感触を覚えずにいられない。他の曲も決して暗い曲ではないはずなのに、世を儚んだように物憂げな声のためか、ズブズブと奈落の底に沈んでいくような感覚に襲わせてくれる。しかし、これこそがこの盤の凄いことなのだが、そういった「負」の感情に襲われがちなところを、十分にリラックスさせて聴かしてしまうのだ。絶望感のヴァーチャル体験とでも言おうか。決して本当に絶望することはない。安心して誰でも気軽に聴くことが出来るのだ。きっとこの声は単なる天然の産物で、本人は大して暗い気分になっているわけではなかろう。
 ちなみにチェット・ベイカー、本職はシンガーではなくトランペッターである。もちろんこのアルバムでもトランペットとヴォーカルを交互に演っているのだ。そしてルックスも美形。こりゃもてたわな、きっと。しかし晩年は薬物の影響か、皺だらけの醜くなってしまった顔をジャケットに(敢えてだったのか?)晒していた。多くの人は「早死にすべきだったミュージシャンだ」と言うだろう。しかし老醜を晒すのもまた、ジャズな人生だな、と個人的には思う。(01.2.23)



BILL EVANS (p)
 Portrait in Jazz (Riverside)
 早くも2度目の登場、ビル・エヴァンスだ。以前紹介した「ワルツ・フォー・デビイ」がライヴ盤だったのに対して、今作はスタジオ盤。メンバーは同じく、スコット・ラファロとポール・モチアンだ。誰が聞いてもこの3人のトリオがベストだ、と言う。これに関しては全く異論はない。その通りである。このアルバムがトリオデビュー作になる。
 聴く前には何と言ってもジャケット写真に目が行かざるを得ない。タイトルの「ポートレイト」の通り、エヴァンスが大きく写っているのだが、何度も言うがまるで大学教授である。ジャズ・ミュージシャンというと、黒人が多く、不良っぽい、粗野な印象を与えるものだが、エヴァンスは白人であり、眼鏡をかけ、ネクタイをしっかりとしており、ドレスダウンもしていない。「ジャズ」と言うタイトルがなければどういう音楽か分からないだろう。
 このアルバムで一番有名なのはシャンソンで有名な「枯葉」だ。どうも越路吹雪などを思い出してしまってアレだが…そんな普通ならばゆったりめの進行の曲を、ここでは速い演奏にしているのが興味深い。逆にエヴァンスにしては珍しいくらいの速さだ。それが印象的になっているのだが、やはり3人のインタープレイが素晴らしい。ラファロのベースは圧倒的で、そんなラファロに引っ張られるようにしてエヴァンスもいつもの冷静な演奏をかなぐり捨てて熱いタッチで弾いているように感じられるのだ。もっとも、普通の黒人ピアニストのような「ノリノリ」な演奏では当然ないが。あくまで熱くなっても「外」へは向わずに「内」へと向っているようなピアノ、これがエヴァンス最大の特長だ。
 また、この「枯葉」は2ヴァージョン(ステレオとモノラル)収録されているのでその違いを聴くのも面白い。特にラファロはモノラルヴァージョンの方が面白い。エヴァンスのピアノに絡みつくように弾いており、ピアノと交互にソロを弾くステレオヴァージョンに比べると様々な試みをしていたようだ。全く、夭折してしまったことが悔やまれるベーシストである。
 その他にもスタンダード「晴れても曇っても」「いつか王子様が」「恋とは何でしょう」といった名曲をエヴァンス・トリオがどう料理しているかも大変興味深く聴くことが出来ると思う。
 最近、河出書房新社から「ビル・エヴァンス」というムック本が出版された。死後20年を経て、これほど語られるミュージシャンも少ない。全CDディスコグラフィーや、対談(寺島靖国×後藤雅洋)など、大変面白い内容だったので、興味のある方は是非。(01.2.18)



HORACE PARLAN (p)
 Us Three (Blue Note)
 楽しい。とにかくノリの良いナンバー「アス・スリー」(おれ達3人、って感じ?)が楽しくて堪らない。ちょっと勿体ぶって、ひっそりとした出だしがワクワクさせてくれる。そしていきなりグルーヴィーなチューンが炸裂するのだ。ホレス・パーランのピアノはハジケまくっているし、ベースがうねるわ引っかくわ、ドラムも狂喜乱舞、叩きまくりなのだ。モダンジャズにしては短い4分台という時間が短すぎて仕方がない、しかし濃密でダンサブルなナンバー、さすがにアシッド・ジャズ・ユニット「US 3」(ブルーノート所属)の起源だけのことはある。現在フロアでプレイしても立派に通用する名曲ではなかろうか。
 スタンダード「カム・レイン・オア・カム・シャイン」や「ウォーキン」も演っているが、良いのはオリジナルナンバーだ。前述した曲のほか、「ウェイデン」、「リターン・エンゲージメント」が自作曲で、ピアノを「ぴゃららららーん」とかき鳴らす前者は圧巻。首が疲れてしまうほど動かしましょう。後者はオープニングのドラムの乾いた音色が出色。そしてまた、ピアノが明るく跳ね回り、ベースはまるで動き回りながら演奏しているようだ(不可能だ)。
 こういう演奏をライヴで見たい、というものだ。ジャズの醍醐味を堪能することが出来るだろう。それと同時に、やはりこれはアシッド・ジャズの走りではなかろうか。本当にこれは50〜60年代のものだろうか?と思うくらい新しい。こういう恰好良い曲が40年も前に…と考えると不思議な感覚に襲われるのだ。
 最後にアルバム・ジャケット。数字をあしらったデザインが秀逸。レコードだったら飾りたくなる、芸術的なものだ。今って、あまりにも「飾りたくなるような」ジャケットって無いからねえ…(01.2.9)



BUD POWELL (p)
 The Scene Changes (Blue Note)
 冒頭の「クレオパトラの夢」で一般的には名高いバド・パウエルだが、これはまたしても「通」に言わせると評判がよろしくないのだ。つまり、「バドとは天才的なひらめきで神業とも言うべき指の動きをもって、恐ろしいまでのスピードの速い曲を物していた」ということらしい。確かにそうした曲を聴いてみるともの凄いものを感じるのだが、言ってみればへヴィメタの速弾きを聴いているようなもので、最初は驚くがすぐに飽きてしまう。このアルバムはメロディアスであり、それでいて甘くならずにスマートだ。
 確かにジャズ通の方にはもう聴き飽きたかもしれない「クレオパトラの夢」だが、やはり良いものは良い。衰えたとは言え、バドの指は快調に動いているし、曲の良さと演奏の良さが最高のバランスで保たれていると思うのだ。ドラム(アート・テイラー)は「スッチャスッチャスッチャ」という変わらないリズムをキープし、ベースは名手ポール・チェンバースなので悪いわけが無い。もっともこのアルバムでのポールはあまり出しゃばらずにバドをもり立てている。ビル・エヴァンス・トリオのように三者がそれぞれ主張する、といったタイプのピアノ・トリオではなく、あくまでバドのピアノが主役、というものなのだ。言わば古典的である。
 それにしても、このアルバムは良い曲揃いだ。一般的には作曲家というよりも、演奏家としての評価をされていることの多いバドだが、この全曲自作曲で占められたアルバムを聴くと、決して演奏が上手いだけの人ではなかろう、と思わせてくれる。(01.2.1)



LEE MORGAN (tr)
 The Sidewinder (Blue Note)
 いわゆる60年代に流行った「ジャズ・ロック」というやつなのだが、今となっては「エイトビートだから」という理由しかない位現代ロックとはかけ離れたものだ。逆に自分たちには普通のジャズに聞こえる「サイドワインダー」は当時大ヒットしたらしい。何も考えずにただただ楽しむのが一番だろう。確かに踊れる曲で、自然と体が揺れてしまう、ノリの良さを持っている。シカゴやブラッド・スウェット&ティアーズに代表される「ブラス・ロック」には確かに影響を与えたかもしれない。
 このリー・モーガンというトランペッター、伊達男といった趣の人で当時のアイビー・スタイルに身を包み(日本で言う「みゆき族」というやつね)、オシャレさんである。愛人に射殺された、という最期もいかにも「らしい」ものだ。そもそも、トランペットという楽器には恰好良いイメージがある。キカイダー01の影響かどうかは分からないが…
 それはともかく、前に紹介したマイルス・デイビスとは違ったトランペッターである。と言うよりマイルスがミュートを駆使した変わり種で、リーのようなタイプがオーソドックスと言えるのかもしれない。とにかく吹きまくるからだ。サックスというのは色々なタイプ(バス、バリトン、テナー、アルト、ソプラノ)があるが、トランペットはこれだけだ。どちらかと言うと優しい音が出るサックスに比べてトランペットは刺激的だ。それがリーのちょっとキザなイメージと重なる。
 このアルバムはどちらかと言うと後期のもので、リーは昔ほどバリバリ吹きまくっているわけではない。それでもまずはロックファンには親しみやすい物から紹介したわけだ。これを聴いた次は同じタイプの「ランプローラー」に行くか、サックスが入らないのでリーのトランペットに専念できる「キャンディ」に行くか、だろう。(01.1.26)



ART BLAKEY (Dr = drums) and THE JAZZ MESSANGERS
 Moanin' (Blue Note)
 そう言えばやっとここでブルーノートが登場したことになる。何せ日本では特にジャズを知らなくても「ブルーノート」という言葉は知っている人が多いのだ。言ってみればジャズの代名詞的な存在なのかもしれない。
 さてアート・ブレイキーである。彼はドラマーだが、同時にジャズ・メッセンジャーズを率いての活動で知られ、そのバンド名の通り、全盛期は毎年のように来日していたそうだ。このアルバムは彼らの中で一番有名な作品で、聴けば「ああ、これか」とすぐに分かる超メジャーナンバー「モーニン」がメインだ。ある意味ジャズと言えばこれが頭の中を流れる人もいるだろう。とにかく分かりやすいナンバーで、難しいところなどこれっぽっちもないのだ。
 しかし、ジャズ通にはこのナンバーは特に受けが悪い。「レフト・アローン」なんかもそうだろう。その分かりやす過ぎるところが深みに欠けるのだろうか、アドリブが平凡だからか、とにかくどの世界にもある「メジャーなものに対する反発」というものなのか。とは言え、やはりこの曲や「ブルース・マーチ」といった代表曲を含むこのアルバム、良くないわけはない。確かに最近は、さすがに飽きてきたことも事実だが、そんなときには「ドラム・サンダー組曲」。ただひたすらブレイキーのドラムを浴びまくるのだ。これがまた、大変気持ちが良い。(01.1.22)



TOMMY FLANAGAN (p)
 Overseas (Prestige)
 どんなジャズメンにもキャッチフレーズの様なものはついてくるが、このトミー・フラナガンは必ず「いぶし銀」と呼ばれてしまう。まあ、現在も現役で、今言われるのならばなのだが、若いころからそうだったのだろうか。日本でそう呼ばれていることも知らず(とは言っても英語でこれに相当する言葉があるのかどうかは分からないが)、よく来日している。
 なぜそう呼ばれているかは彼が「名脇役」、つまりサイドマンとして有名だからだ。例えば先に紹介したロリンズの「サキ・コロ」が最も知られている。人柄も良く、控えめな性格の彼はでしゃばることなく主役をもり立てる事の出来る腕の良いミュージシャンなのだ。
 しかし、決してそれだけではない。彼がリーダーとなって作った作品の代表作がこれだ。リーダー作だけあって、控えめではないピアノを聴くことが出来る。しかし、この作品で聴くたびにいつも感心してしまうのがドラムのエルビン・ジョーンズ。もう「パシーン、バシャーン」とビシバシ叩きまくりで、痛快なことこの上ない。「力のドラム」といった風情である。ドラムが大好きで、シンバルとスネアの乾いた音を頭から浴びまくりたい人にはぜひこの作品を聴いてみて欲しい。現在は輸入盤で手に入るはず。リマスタリングの年号を見ると1999年とあり、さすがに鮮明な音になっている。
 フラナガンも(よくトミ・フラなどと略して呼ばれるが)このエルビンの汗の飛び散るドラムに触発されたか、結構激しい演奏をしているのが面白い。「時々まじめな人が妙にテンションの高い、操状態のような行動をとるときがある」が、こういうことだろうか。ちょっと失礼な言い方だが。しかしこれがこのアルバムを大変エキサイティングなものにしており、何度も聴きたくしてくれるのだ。
 一曲目からドラムが飛ばしていて気持ちが良いが、7曲目「ヴェルダンディ」が短い曲だが中身が詰まっていてベストだと思う。(01.1.19)



MILES DAVIS (tp = trumpet)
 Kind of Blue (Sony)
 「帝王」の登場である。
 まあ、「マイルスは常にジャズ界に新しいものを呼び込んだ」とか「歴史的名盤を何枚もリリースした」といった事をここで説明する気はない。リリースした枚数も数多いので、どこから聴いたらよいのか分からない、という人が多いだろうと思う。まず1枚、というのならばやはりその「歴史的名盤」の内、最も名高い「カインド・オヴ・ブルー」をお勧めしたい。と言うより、マイルスの「これ以外の名盤」を聴くのならば、絶対に最初に聴くのは止めたほうが無難、という意味合いも含んでいるのだ。何せ「帝王」であるからして、悪く言えば「偉大なる俺様野郎」。大ファン以外には「???」という傑作も多い。まあ、どの世界にもあることだ。
 このアルバム全編を流れる静謐感と統一感。この美しさが魅力だ。ピアノにはビル・エヴァンスが参加。これがビルの作風に大きな影響を与え、後の大躍進に繋がっていくのだ。サックスにはジョン・コルトレーン、キヤノンボール・アダレイ、ベースは以前からのポール・チェンバース、ドラムはフィリー・ジョーではなくてジミー・コブという人。名前の通り地味だがおそらくこのアルバムにフィリーでは叩きすぎてしまって合わないかもしれない。
 とにかく冒頭の「So What」。チェンバースが鳴らすベースの刻み、これから始まる「凄いこと」の予兆を感じさせて好きだ。そして厳かに、しかし高らかに鳴り渡るマイルスのトランペット。これがまた、辺りの空気を切り裂くようでカッコ良いのだ。アルバムタイトル通り、全体に渡って「ブルー」という色がピッタリのクールで熱い演奏が繰り広げられる。一つ一つの「音」に唸らされ、ついついこの世界に引き込まれてしまうのだ。通常ジャズは「即興演奏」が特長だったりするが、マイルスは「仕切屋」なので、全てが統制されている。さすがは独自の世界観を持っていたマイルスならではの技だろう。少しも「作られた」感じはないのだ。いやむしろその「作り」に魅かれてしまう。(01.1.15)

ZOOT SIMS (ts)
 Down Home (Bethlehem)
 これまで3枚紹介してきたが、これら3枚は超有名盤で、ジャズ専門誌「スイングジャーナル」の「21世紀に残したいジャズ名盤」という読者投票で全てベスト10内にランクインしている。
 そこで、と言うわけではないが、ベスト100にも入っていないズート・シムズのこの作品を紹介したいと思う。しかし、これがランクインしていないのも逆におかしい気もするが。
 よくジャズで言われる「スイング」という単語。それは一体なんだろうか、といった質問に対しては「是非これを聴いて下さい」というのが自分なりの返答である。これは白人テナー奏者ズートが、ビッグバンド時代に思いを馳せた、1960年の作品である。「スイングを知りたけりゃ実際に30〜40年代のビッグバンド(カウントベイシー楽団、ベニーグッドマン楽団など)を聴けばいいではないか」と言う方もおられようが、個人的には音数は少ないほうが好みなのだ。しかも60年なので音質も良い。
 「スイング」を無理やり和訳すれば「ジャズ的なノリ」とでも言おうか。このアルバムには全編を通してノリの良いナンバーで統一されている。バラードも一切無し。誠に潔いものだ。前回紹介した「サキ・コロ」が緊張感を孕んだ名演奏だとすると、こちらはリラックス感に溢れた、大変楽しいものになっている。ドラムは常に「スッチャスッチャスッチャ」とリズムを保ちながらもズートをもり立て、ベースはカラッと乾いて心地よい。ピアノはいかにもジャズ・ピアノだ。そして主役のズート。ジャケットの写真はいかにも垢抜けない田舎のアンちゃん、といった風貌。チェックのシャツにクルーネックセーター、というのが一層その印象を濃くさせる。で、実際そのイメージ通りの演奏をしてくれるのだ。「ミュージシャンなんてみんな悪いやつで、その方が良い音楽が出来る」と個人的には思っている口だが、たまにはこういう善人の演る音楽も良いものだ。
 どの曲も好きだがやはり初っぱなの曲「Jive At Five」。ベースが「ドゥンドゥンドゥドゥン」と鳴って始まる。それに他が答えて「ジャッ、ジャーッ」。最高だ。(01.1.12)



SONNY ROLLINS (ts = tenor sax)
 Saxophone Colossus(Prestige)
 ソニー・ロリンズを初めて知ったのはストーンズの名曲「友を待つ」だ。そこでゲスト、ロリンズのソロが出てくるのだが、その割合静かな曲のトーンを壊さずに吹きまくるサックスの音に結構ビックリした記憶がある。これがジャズのサックスか、と。
 そしてこのアルバムもあまりにも名盤過ぎる名盤。1956年の作品で「サキ・コロ」と省略して呼ばれている。ブルーのジャケットがこれまた恰好良い。一曲目の「セント・トーマス」は聴けば「ああ、あれね」と分かるだろう有名曲で、明るいメロディラインと、それでいてアドリブのパートになると鬼のように吹きまくる、というその対比が素晴らしく、ロリンズを第一人者にしている大きな理由になっているだろう。
 その他にも「モリタート」「ブルー・セヴン」と名曲ぞろい。そして演奏も録音状態も良い。CDとアナログ両方持っているのだが、ドラムの乾いた音はレコードで聴いたほうが生々しく出ていた。やはり色々強化されドーピングされたCDが出ているが、当時のサウンドはまだまだアナログが強いのかもしれない。このレコードはJBLが似合う。同じブルーの4343辺りで鳴らしてやれば、ドラム缶をひっくり返したような威勢の良いドラムと、吹き荒れるサックスがいかにも「ジャズ!」という感じを醸し出してくれるだろう。つまりは「ジャズってどんな音楽?」と訊かれた場合、最も「これだよ」と聴かせてあげるのにうってつけだと思うのだ。悪く言えば「ベタ」なジャズ。
 ちなみにエヴァンスやペッパーは他界しているが、ロリンズは70を越えてまだまだ現役。最近もニューアルバムをリリース、と元気である。あまり最近の作品は聴いていないが、新作のジャケットを見るとやはり聴いてみたくなる。(01.1.8)



ART PEPPER (as = alto sax)
 Art Pepper Meets The Rythem Section(Contemporary)
 何と言ってもジャケットに写る主人公アート・ペッパーの男前なこと。LPならば飾っておいても洒落ている。そんな自覚があるからか、彼の作品は本人の写ったジャケ写が多い。ジャズの良さの一つには、ジャケットが恰好良いことが挙げられよう。本当に飾っておきたくなったり、ジャケ買いしたくなるものが多いのだ。
 このアルバムもジャケ買いしても損の無いものであることは間違いない。まあ、ジャズ界では超定番なので、入門盤としても最適なのだ。とにかくこのアルバムは録音も良く、とても1950年代のものとは思えない程クリアな音だ。
 そのクリアな音がこの演奏を、一聴すると大変端正なものに思わせており、これはメリットデメリットがあろう。「聴きやすさ、取っ付きやすさ」という点ではメリットだ。曲も「You'd Be So Nice to Come Home to」といったスタンダードが中心で、どれもメロディアス。分かりやすいことこの上ないのだ。左からペッパーの吹くアルトサックス、右からはその他(ピアノ、ベース、ドラム)という大昔のステレオ録音になっており、サックスだけ聴きたい、と言う方は左にバランスを絞ってしまえば、綺麗なBGMとしても通用する。自分は絶対そんなことしたくはないが。
 逆にそのBGMとして聴けてしまうことが食い足りない、という人もいるわけだ。あまりに爽やかすぎ、ということだろう。しかし、そんなことは無かろう、というのが個人的な感想だ。何と言ってもベースはポール・チェンバース、ドラムはフィリー・ジョー・ジョーンズという、名手なのだ。特にフィリーの叩くドラムは迫力十分。力と技がバランス良く出ていて思わずヴォリュームをガンガン上げたくなる。実際そうするとこれがBGMなどという安っぽいものではないことが分かるのだが。
 このリズム・セクション(ドラム、ベース、そしてピアノはレッド・ガーランド)は当時、マイルス・デイヴィスのバックで演奏しており、大変有名だったのだ。その彼らといきなり共演することになったペッパー…まあ、そんな逸話はどこにでも書いてあるので割愛するが、とにかくペッパーのテンションの高いこと高いこと。名曲と名演のオンパレードである。
 一曲目の「You'd Be…」も良いが、個人的にはレッド・ガーランドが作った2曲目が一番好きだ。ドラムが凄い。「ジャズのドラマーはロックの数倍上手い」ということが分かったような気がするのだ。(01.1.4)


BILL EVANS (P=piano
 Waltz For Debby (Riverside)         ※カッコ内はレーベル名です。
 まずは名盤中の名盤から。コアなジャズファンというものはこうした「定番的な名盤」を避ける傾向にあるらしい。それはロックファンとて同じことだが、このビル・エバンスは典型的な「するめ系」であり、噛めば噛むほど味が出る、そんなピアニストなのだ。
 この人のピアノはそれ程激しいものではなく、逆にちょっと聴きには大人しくも感じる。ジャズというよりクラシックに近いかもしれない。彼を評するときに必ず出てくるフレーズは「リリカル」だったりする。ルックスもミュージシャンというよりオールバックにメガネ、と大学教授のようだ。よってジャズを聴き始めた女性にも人気がある。特にこのアルバムはタイトル曲の愛らしさから、女性ファンが多いはずだ。
 しかし、それは彼の、またこのアルバムのほんの一面に過ぎないことが聴き込むと分かってくる。まず、彼の弾くピアノは大人しさの中にかなりの激情を秘めていることが分かる。いや、大人しいなんてとんでもない。実際にはもの凄く荒々しいものを感じるのだ。
 そして、何と言ってもベースのスコット・ラファロ。彼のベースは凄い。もはや一つの生き物のように、ただの伴奏からは全く外れた行動を示すのだ。一体どういう指をしているか、見たかったものだ。まあ、彼について「従来伴奏楽器であったベースが、リード楽器と対等な位置を占めるようになった最初の…云々」という講釈はよく言われていることなのだが、そんな小難しいことは知らなくても、左スピーカーから溢れ出てくるベースが紡ぎだす魔法のような音に酔いしれてみよう。これもこのアルバムの醍醐味なのだから。エヴァンスもまた、そんなラファロに触発されてかポーカーフェイスのまま(かどうかは知らないが)天才的なフレーズを奏でていく。
 さらにはドラムのポール・モチアン。ロックのドラムと違って、スティックのほかにもブラシを使う演奏があるのだが、彼のブラッシュワークは素晴らしい。「ささささささ〜」と気持ち良く流れるような音がエヴァンスとラファロの楽器によるやり取りを巧みにフォローする。まさに三位一体。
 とにかくこの3人の丁々発止とした緊張感溢れる演奏は誤解を恐れずに言えば、まさに「ロック魂」溢れるものと言っていい。是非聴いてみて欲しい。当然ヴォリュームはロックを聴くときより「ぐい」と上げて…(01.1.1)