中期集中連載(?)
長岡鉄男先生訪問記念「漫遊記顛末記」



 いやあ、本当に驚いたなんてもんじゃない。
 あの、オーディオ界で名を知らぬ者の無い、長岡鉄男先生が拙宅を訪問したのである!
 夢のようだが夢ではない。3月18日に発売した、「オーディオベーシック」に掲載されている通り、私の部屋でD-105の音を聴いていただいたのである!
 「!」ばかりで申し訳ない。それでも興奮の1日だったことは間違いない。忘れもしない、1月22日土曜日、朝9時半を廻ったところ、興奮を抑えきれないまま私は車を出発させた-----



 それは2000年を迎えてしばらく経ったある日のこと。いつものようにメールをチェックしていた私は、オーディオ関係の掲示板で御世話になっていた、「FMファン」の編集者から「取材のお願い」という、「?」とさせるタイトルのメールを受け取った。
 そしてその内容は私を大いに戦慄させた。長岡先生の「漫遊記」に掲載される!というのである。その時おそらく耳まで真っ赤になっていたに違いない。少し手をバタバタさせて冷静になろうと努めた私は、「こういうこともあるんだなあ」と思う以外何も考えられなかった。

 実際には予兆はあった。前述の掲示板で、次の「漫遊記」は東海地方であることは知っていたのだ。そうして候補者は決まりつつあり、私自身も顔を合わせた方でもあったので、楽しみにしていた。自分の中で冗談交じりに、図々しくお手伝いに家に行って、長岡先生に直接お会いしたいものだな、などとぼんやり考えたりもしたのだ。そりゃ考えが甘すぎだな、と否定しながら。

 しかし、考えは甘い、というのとは別の方向へ事態は進行していたのだ。

 また掲示板の話になるのだが、そこで東海地方在住の常連は私を含めて4人であった。何故かそのため、大変恐縮なのだが「東海四天王」などと称されていたのだ。つまり、当初単独で「漫遊記」取材を受けると思われていた「か○」氏は、編集者と密約を交わしていたのだ。「四天王全員を取材する」と。
 そして上記の様なメールを受け取ることになったわけだが、冷静さを取り戻しつつあった私は、ちょっと、いやかなり慌てた。「時間がない」。なにせ2週間しかない。部屋を見回す。どうしたってこの恐ろしく汚い部屋は誤魔化しようが無かろう。「掃除せねば!」。その時から、いきなり私は奇麗好きと化したのであった。一瞬ではあったが。

 年末に雑誌などはかなり処分していたとは言え、まだまだ散らかり具合は客観的に見ればとても人様を部屋に上げられる状態ではなかった。しばらく私は呆然と立ち尽くした。しかしいつまでも困っているわけにも行かない。まず友人に電話をかけて翌週のスノボの予定をキャンセルした。今シーズン初滑りだったので残念だが、遊んでいる場合じゃない…掃除だ掃除だ掃除だ。
 考えたことは押し入れに余計なものは詰め込んでしまう、という手だ。しかし押し入れを開けてさらにやらねばならないことが増えた、という事実にぶち当たった。押し入れから片づけねば…私はブチギレた様に押し入れに詰まっていた良く分からないものを片っ端から引きずり出した。それだけで部屋は大変なことになった。以前「D'You Know What I Mean?」で写真を出したことがあったことを覚えている方はいらっしゃるだろうか?もの凄く汚い「掃除」の写真を。これでまたしばらく呆然としてしまった。明日はどっちだ? 

 何度目かの気絶から甦った私は気合い一閃、ブルドーザーとなって自分の周りの余計なものを片づけ始めた。異様なハイテンションな中、次々と「可燃物」と「不燃物」に分けたポリ袋に詰め込まれていくモノ。…おれはこんなに要らないものを後生大事に持っていたのか。愕然とする事実。マスクをしていたのだが、舞い上がるホコリは無防備な目を容赦なく攻撃する。顔を苦痛に歪ませながら目の前の敵を各個撃破していった。ここまで来たら退却は許されない。
 そんなふうにして自分では「生活感溢れる、全てが手に届く場所にある」と勝手に自画自賛していた汚い部屋は、「こんなに広かったっけ」と思わせる、妙にこざっぱりとしたシンプルな部屋となった。ただ、結局押し入れに最後は放り込みに近い形となってしまい、後悔することになる。
 掃除は成功した。しかし、もう取材まで時間は殆ど残されていなかった。つまり、新たな不安、「取材のネタ」を何も用意していなかったのである。だがこれは断念せざるをえない。もはやタイムリミットだ。徒手空拳、どこからでもかかって来い、という半ば開き直った心境になっていた。と言うか、掃除で全ての体力、思考能力を使い果たしていたのだ。恐るべし、掃除。

 「明日のジョー」の様に燃え尽きて真っ白けに(ホコリで?)なっている場合ではなかった。あっという間に取材当日を迎えたのであった-----


 取材開始予定時間は午前10時。愛車エクシヴを走らせていた私が、到着を知らせる電話を受けたのはもう駅に殆ど近づいたときだった。意外に車を停める場所の無い駅周辺は、ただでさえ冷静な判断力を失っていた私を困惑させた。結局ズルズルと少し離れた場所へ停め、私は駅のホームへと自分の足を走らせた。

 ホームにはいくつかの荷物を足下に置いた30代と思われる男性がいたので、きっとそうだと思って会釈しながら近づくと、やはり「FMファン」編集者その人であった。そして歩いてきて、
 「どうも、長岡です」とこちらより先に挨拶をされた人こそ、まさに長岡鉄男その人であった!

 「うわわわわ、こちらこそ今日はよろしくお願いします」と慌てて挨拶する私。

 写真で見るより普通の人である。やはり写真では少し強面のように見せているのか。少し緊張がほぐれた私は、この日の寒さのことをネタにしながら他愛もない話をして、歩いて車まで案内した。長岡先生も昨日訪れた大須の話などしながら、機嫌は良さそうだった。

 先生は車では運転席(私)の後ろに座った。その隣には編集者の「炭○氏」、助手席には長髪のカメラマン「生○氏」が陣取った。それにしても今、長岡先生を車に乗せているとは…実感が湧かないものだ。きっとその時私は平静を装いながら結構緊張していたのだろう、あまり何を話していたか、記憶が薄いのだ。決して掃除疲れなどではないはずだが…こういう時間は貴重なので、勿体無いことである。くう…

 さて、家に上がってもらう。ちなみに私の住んでいる家は築3年、新しいのだ。昔の古い、40年以上過ぎていた家でなくて良かった、と思った。それはそれで味わいがあるが…何せ立ち上がるだけでレコードの針がとぶ、それはそれは凄まじいものだったからだ。舞い上がった胸のドキドキ音を聴かれやしないかと危惧しながら2階の私の部屋へのドアを開ける。

 「ほお」と3人の声。ちょっとうれしい。D-105(ブックエンド)とスワンaが設計者の長岡先生を迎えた。

 私もこうして改めて掃除した部屋に入ってみると、我ながら随分きれいにしたものだ、と感慨も覚えたりした。ま、今思うとほんの一瞬のことではあったが。「D-105ですね、このスワンはオリジナル?」「aです」などと会話しながら、先生はマシン群を観察していた。やはり往年の名機、「CDX-10000」に目を留めて、「ほほう、これは懐かしいね」と頬を緩ませていた。「これはね、中を開けるとセパレート状態になっているんだけど、その仕切りになっているボックス部分が結構鳴るんだよ、カンカンとね。その鳴きを止めてやるとさらに良くなったよ」と、江戸っ子弁のような口調で話してくれた。「炭○氏」も「本当にこれは良いプレーヤーですよ、今でも十分現役ですよ。今作れば60万以上すると思います」と、うれしくなるようなことを言ってくれる。

 「お、こっちにもあるねえ」と、パソコンデスク上の「BS-89t」を見つけた。何か楽しそうである。取りあえず先生はイスに座り、部屋をぐるりと見回した。そして「お、あれ作ったの」と自作したCDラックを指さした。近づいて行って、「もう少しペーパーをかけたほうが良かったね」とアドバイス。「なかなかここのスペースにしっかり嵌まるラックが売ってなかったので作ったんです」と私が言うと、「そうだよね、作るしかないよ」とにっこり。さすがである。「あ、これも作ったの?」と指したのは残念ながら市販品の「無印良品」ラックであった。MDFなので確かに手作りっぽい。そしてデスクのスキャナースタンド(ディスプレイの上を渡してある)とプリンタスタンド(マック本体の上を渡してある)も見つけて「これは作ったんでしょう」。その通りで、だいたい少々傾いているし、塗装もしていないし、ステッカーはベタベタである。いかにも出来損ない、と逆にそれを狙ったくらいの代物だ。

 これら雑多なオーディオ以外の自作品も写真を撮っていたのだが、掲載されることはなかった。これは勝手な想像だが、次の訪問で「超・本格的」な「か○氏」の緻密な工作があったので、あまりに粗雑な私の日曜大工をネタにするのはちょっと…という、私を気づかってのことだったのでは…それは考え過ぎか。オーディオとは関係ないのでネタとしては弱かったのだろう。でもこうした粗雑さが私の本来の持ち味&キャラクターと思っているので、ぜひ対比して欲しかったという気もしたりした。そういえば「漫遊記」での私の「マイルドで、エレガント」というキャラクターは周囲ではウケまくっている。「ワイルドでエレファントの間違いではないか」などと。でも、あの時は「借りてきた猫」状態だったからなあ、自宅だというのに。うーむ、もっと「地」を出したかった、今思えば。

 それはともかく、いよいよ試聴だ。先生はスピーカーセレクタ(これを書いている現在はもう使っていない、ラックスのやつ)を気に留めていた。「まだあるんだねえ、懐かしいな、これ。でも良くないよ、これ使うのは」と。「うーん、でもデスク用と105を切り替えるのは毎回なので」と私。先生は最初、スワンと105を切り替えるのだと思っていたらしく、それなら勿体無い、とおっしゃりたかったのだ。「それならナイフスイッチを使って自作したら良いよ。あれなら接点はしっかりしているから劣化は最低限で済むよ」とありがたいアドバイスを頂いた。そう。つまり例のセレクタはこのアドバイスから誕生したのでした。ありがとうございました。ただ、その時は「ナイフスイッチ」なるものがどんなものか分からず、幾度となく大須を探しまくることになるわけだが-----


 取りあえずセレクタをつけた状態での試聴。これは本文の通りである。まず聴いたのは自分のディスクで、UA「ターボ」。先生はしばらく聴くとすぐに「はい、分かりました、次何か無いですか」とおっしゃって、あまり何も考えていなかった私は少々焦りながら、綾戸智絵、ローリン・ヒルといった、いつもサウンドチェック的に使っているディスクを続けざまにかけた。

 「こんなに小さな音でいつも聴いてるの?」

 ひと通りかけ終わると先生はそう口を開いた。私は少々痛いところを突かれたように絶句した。自分があまり大きな音で普段聴いていないことを自覚していたし、この日は音量を上げようとも思ったのだが、ありのままで聴いてもらおうとも考えた末、「少しいつもより大きめ」というヴォリューム位置になっていたのだ。やはりこの程度ではそうか。

 「もう少し大きな音で聴こうよ。聞こえなかった音が聞こえてくるんだから」

 そして先生は、持っていた紙袋の中から無造作に御自分の「長岡ディスク」を何枚かかけて、試していた。長岡先生の試聴の仕方は興味深い。本当にサウンドチェックという感じで、聴きたい部分だけを聴いて、すぐに次のディスクに替える。流れるような作業だ。そしてやはり登場、宇多田ヒカル

 「あ、それは持ってますよ」と言うと、「そうだよね、何せ750万枚だもんね。みんな持ってるね。」と先生、またにっこり。チェックに使う曲は「オートマティック」と、「インタルード」だ。特に後者は色々な音が入っていて、チェックにはうってつけらしい。ただ、私のシステムの音がこうしたチェックの結果どうなのか、ということはおっしゃらなかったので、それが少々不安にさせた。

 「さあ、それじゃこのセレクタを外して聴いてみましょうか」ということで、本文写真にもある通り、アンプの後ろに手を回してケーブルの付け替えをした。この作業は結構頭に血が上ってつらいものがあるのだが、今回はさらに疲れた。それは写真撮影のためである。当然写真を写すときには動きを停止しなければならない。つまり、写真の私はアンプの後ろに手を伸ばしたまましばらく静止状態だったのだ。「ハイ、そこで止まって!」なんて感じで。苦しかった…もう少しで腕がつるところだった。モデルという仕事は大変なのだな?

 そして長岡先生はコンセント部分に注目していた。おもむろにプラグを掴み、「グラグラだねえ、これは。しかも勿体無いよ、変換アダプターは」とおっしゃった。キャメロット・テクノロジーの電源ケーブルのプラグは3Pであり、当時はまだコンセントをホスピタルに換えていなかったので「3P⇒2P変換プラグ」を使って接続していたわけだ。ちなみに本文にはテーブルタップをキャメロットで…とあるが、本当はキャメロットはアンプからダイレクトに繋いでいる。テーブルタップが2Pプラグなのだ。

 話を戻そう。本文にある通りだが、ダイレクトに接続するべく、キャメロットのプラグをばらし、3番ピンを外そうとした。「炭○氏」は「いいですか?やっちゃって」と少し心配していたが、自分に異論はなかった。面白そうだったからだ。ただ「炭○氏」は別の心配もしていた。キャメロットの輸入商社からクレームが来てしまうのではないか、という。結局掲載されたということは問題はなかったということか、それとも「イケイケ」だったのか。

 ピンは結局抜けなかったので例の消しゴムを使った対策。ただ、ここで困ったのは「消しゴムはないか」と訊かれたことだった。つまり、掃除をして、必要のないものは全て押し入れに文字通り押し込んだため、あったはずの消しゴムを探すのに苦労してしまったのだ。時間のロスと共に、先生をイライラさせやしないか、と1月の寒い日だというのに冷や汗が一筋気味悪く背中を伝った。さらにプラグのピンを拭くのでアルコールはないか、と言われてまたまた大慌て。「確かカセットデッキのクリーニング液があったはず…」と、探しまくったのだが、焦りもあって見つからなかった。後であっさり出てくるのだが…まあ、そんなものである。「マーフィーの法則」(ちょっと古いか)というのは本当に腹立たしい。

 さて、消しゴムをガムテープでぐるぐるに巻く。ガムテープは試聴用に前日届いていたCDプレーヤーの段ボール箱に巻かれていたものを再利用(これは「炭○氏」のアイデア)した。これで安定感バッチリ。見栄えは…なかなか凄いものがあるが。コンセントを交換しようと強く思ったわけである。

 さて試聴。なるほど、ダイナミックな感じになってきた。ただ思ったほど変わったわけではない。本文にもある通り、やはり音量だろうか。ヴォリュームを10時半くらいの位置にして鳴らすと、確かに伝わってくるものが違うのだ。今は家族も出掛けているので家の中は問題なし。

 「ちょっと外へ行ってくるよ」と、先生は家から出ていき、しばらくすると戻ってきて、「うん、外は全然聞こえないよ。これならもっとヴォリュームを上げても大丈夫だね」とおっしゃった。確かに新しい家は外への音漏れは少ないのだろう。昔の家はいくら戸をしっかり閉めてもかなり音が漏れていた。それでいつの間にか気にしてヴォリュームを絞るようになっていたのだろう。そのくせはまだ続いていた。

 しかし、どちらかと言えば問題は家の中である。特に妹が隣の部屋にいる状態は大変つらいものがある。土・日は向こうが仕事なので助かっているが、部屋の中で音楽を聴いているといつの間にか帰っていて、後で「うるさかった」と言われることが多いのだ。…にしても何故後で嫌みっぽく言うのかな、全く。音漏れ対策は思案の種だったりするのだった。
 



 まあ、確かにウォークマンからシャカシャカ漏れる音は耳障りだわな、同じことだよな、これからは遮音に励むことにするよ、と、それはともかく、しばし音量をあげての試聴をした。そして、次は前日に持ち込んだCDプレーヤーの試聴である。20万円台の両横綱、デンオンDCD-S10。ティアックVRDS-25XSの両機である。これは楽しみであった。我が愛機CDX−10000は定価は40万円だが、何せ13年前のもの。劣化もしているに違いないし、当時よりテクノロジーも進歩している。最新の機械はどうなのか?という興味が大変あったわけなのだ。

 あらかじめ電気を入れ、CDを回してウォーミングアップをしていた両機のうち、まずデンオンの方をセットする。重量は10000と比べるとかなり軽いが、これは10000が重すぎるのだ。試聴には先程まで聴いていたローリン・ヒルを使った。さてプレイ。…思ったほどの違いはない。しかし、迫力の点で10000の方に分があるかな、と感じた。正直に「10000の方が良いですね」と言うと、「そうだね、結構これも3代目になって音がかなり変わったんだよね」と先生はおっしゃる。「温かみが出てきたんだ」。なるほど、それを自分は「物足りない」と感じたんだろう。やはり10000のシャープな音が好きなのだ。

 「さて、時間もなくなっているし、次のをセットしようか」ということで、ティアックをセットする。これは結構重い。インシュレーターをまず置いてからセットするので簡単には行かない。「炭○氏」の力を借りてセットして、またローリンをスタンバイした。…ところが、鳴らない。「????」読み込まないのだ。先生も「もう散々使い回しているからダメなんじゃないか」と不安なことを言う。私が「これは輸入盤だから読みにくいだけなのかもしれません」と言って、UAをかけてみると、見事に読み込んだ。しかし、同じ曲で比較試聴できないのが残念。先生も「うーん、これは残念だ、同じもので比べたいなあ」。何度かチャレンジしてみたが、結局ローリンはかからず。UAや綾戸智絵で聴いてみたが、これは良かった。シャープな、自分の好きな音で、透明感は10000を上回っているのではないか。パワーで10000といった感じか。

 「これは良いですね、好きな音です」と言うと、先生は頷いていた。「さっきのデンオンはちょっと硬かったような…」という感想には「いや、むしろ柔らかい音じゃないかな」と言うお返事だった。自分の「硬い」「柔らかい」という認識が少し違ったかな、と思った。「自分にとってリアリティが無い」と言うのが「硬い」と言う表現だったのだが、普通は確かに違うものだ。つまり「硬い」音が実際には好きなのである。もう時間がなかったためでもあろうが、この辺は少し掲載された本文とは違ってくる。先生の中では私は「ソフトな音が好き」なタイプになっているのだ。まあ、確かに「シャープ&ダイナミック」の元祖である長岡先生の前では、この音はソフト、と言われても当然のことかも。そう言えば、ずいぶんハイ落ちの気もするし。自分の考える「シャープ」とはやはり一般的には違うのかもしれない。

 「コストパフォーマンスではデンオンでも10万円のやつの方が断然良いよ。追いついちゃった、って感じだね」とおっしゃりながらも至福の時はそろそろ終わりを告げようとしていた。

 どんな風に終わったのか、はっきり言ってその辺の記憶は曖昧だ。先生が「よし、じゃあこの辺で」とおっしゃったのか、「炭○氏」が号令をかけたのか…とにかく「撤収!」である。CDプレーヤー2台を片づけていると、私の携帯電話がいきなり(そりゃいきなりに決まっているが)、音楽が鳴り止んで耳鳴りがするくらいの静寂を破った。「誰だ、この忙しい時に…」と、よく電話をかけてくる友人Hの顔を思い浮かべながら携帯の画面を見ると「か○氏」であった。

 「はいはーい、hideです」

 「あ、hideさん?どお?」

 「ええ、ちょうど今終わったところっス。あと…45分位でそっちに行けますわ」

 本文にもあるが、終わったら私の車で「か○氏」宅まで先生御一行をお送りすることになっていたのだ。

 と、言うわけでえっさほいさとプレーヤーを車に運び込んだ。ちょっと時間が予定をオーバーしていたのでバッタバッタと急ぎながら、「ま、時間通りに終わることなんて無いよ」という先生のお言葉を聴きつつ。…ここで何か落としてしまうといったハプニングでもあるとシャレにはならないがネタにはなるということなのだが当然何事もなく、準備完了。部屋の外に用意しておいたお茶とお菓子を横目で睨みながら階段を下りた。結局出せず仕舞だったなあ…まあ、時間がなかったから仕方ないな。

 さて外に出て車に乗る前に顔写真撮影。しかし最初は澄ました顔になってしまい、カメラマン「生○氏」に「もっとリラックスしてよ」と、なにやらギャグを言ったのだろうか?破顔一笑した一瞬を流石プロのカメラマンは逃さなかった。それが掲載された「見たことの無いさわやかな笑顔」である。いや、自分ではそんなつもりはないのだが、何故かそういう評判だ。うーむ。それは今一つ納得がいかないが。

 そして出発。とは言っても2度ばかりバタバタと忘れ物を取りに行ったような気がしたが。何だったのかは忘却の彼方。しかし、そうして一度は50メートルくらい発車させたのに、「あっ!」と引き返したのは家の鍵をかけ忘れたのを思い出したからだ。やはり舞い上がりはまだまだ続いていたのだろう。いつものことだろうそれは、と言う声も少なからず聞こえるが。

 「うん、まずはうまく行ったね」と私の後ろの席で先生は機嫌が良さそうで、ホッとした。そして前日食したという名古屋名物「ひつまぶし」の話題が出た。うな丼のようなものだが、お茶漬けのように出し汁をぶっ掛けて食する、というものだ。「あれは本当にああやって食べるものなの?」「ええ、でも僕らも普段食べることはないですからねえ、一度だけだからよく分かんなかったですね」と、ライトな話をしつつ、工事に巻き込まれた。

 「か○氏」の家まではいろいろなルートがあるが、どの道にしても当時かなり工事が行われていた。それを回避しようとして結局そうなってしまった。これで大渋滞でもしたら、次の「か○氏」はともかく、「サワ○ウ氏」の取材は出来なくなってしまうかもしれない。焦った。またまた冷や汗が伝わったが、意外とあっけなく混雑は解消し、たいしたロスにはならなかった。ふう。

 車中ではオーディオ以外でも長岡先生の見識が伺われて面白かった。特に「スポーツってのは実際は体に悪いんじゃないかってね」という言葉が耳に残っている。どういう会話の流れでそうおっしゃったのか。思い出せないが、先生らしい逸話ではなかろうか。




 一本入る道を間違えたものの、無事「か○氏」宅に到着した。特徴的な傾斜のついた屋根の家を指さし、「あれです」と言うと、一同「へえ〜、すごい」の声。

 先生達に続いて図々しくも家に入っていくと、「ha○氏」と「サワ○ウ氏」は既に来ており、これで「か○氏」も含めて「東海四天王」が一同に会したことになった!実はこのとき「サワ○ウ氏」とは初対面であったのだ。爽やかそうな青年である。

 一度お邪魔したことのある「か○氏」宅だが、驚いたのは「ネタ」をしっかりと準備していたことだ。この点で既に私とは大きく異なる展開になりそうだ。そして先生に本文にもあるように、説明をする、する。先生もさすがに「ほう、こりゃ凄いねえ」と驚くばかり。くぅー、うらやましい

 一旦食事に。テーブルを並べて先生を囲んでの昼食。これまた楽しいひととき。一応「四天王」揃い踏み、ということで写真をパチリ、とやっていたが、掲載はされていない。あの写真も欲しいところだ。

 試聴が始まった。「漫遊記」本文に殆どのことは書いてあるのだが、印象に残ったことをいくつか挙げてみよう。何と言っても「か○氏」のスピーカー「小鳥ちゃん」は仕上げが素晴らしい。ユニットはD-105と同じではあるものの、私のと並べてみるとその違いはもはや「文化の違い」としか言い様の無いものだ。つまり私の仕上げがいい加減なのは、それも私の「文化」なのである。一体何を言っているのであろうか。

 ヒットだったのが先生曰く「ボーボー言うCD」だ。本来リスニングルームではない「か○氏」のリヴィングは特殊な形をしているため、特定の帯域での残響音が耳につきやすい。それで試聴にかけたクインシー・ジョーンズのCDは、ちょうどその周波数が強く出ていたのであろう、かなり響いたのだ。先生はある意味それを気に入って(?)しまい、その後の訪問でも「あのボーボー言うCDは無かったんだっけ?」などとおっしゃっていた。「ツボにはまった」と言うやつだろうか。

 「か○氏」宅から「サワ○ウ氏」までまた車で出発。配車は「か○氏」の車で先生御一行を、私が「ha○氏」と「サワ○ウ氏」を乗せた。ところが途中、遂に渋滞が!とは言っても、合流で混んだだけのことではあったが。一人でいればブチ切れてしまうそんなときでも、3人ならば話は弾む。普段あまりオーディオのことを話す相手がいないので、こういうときは盛り上がるものである。まあ、それ以外の、くだらないネタ振りをするのは私ではあるが…

 ロスタイムは幸い僅か、「サワ○ウ氏」のアパートに到着。そう、アパートなのである。いきなり大の男が主を含めて7人もワンルームに押しかける。これはいくら寒い日とは言え、暑苦しい。しかし、実際部屋は片づけられていて、システムの構成もシンプルだ。スピーカーは「モアイ」。ウーファー2発に、フルレンジ、スーパートゥイーター、という構成だが結構スペースファクターに優れるものである。

 それにしても、このころ先生はかなりお疲れだったことと思う。自分も結構疲れていたのだ。それでも、「疲れた」とは口に出さず、この日最後まで仕事を全うしたのは流石と思わせた。そして忘れ物事件は起こった。ここでの取材のネタであった高級テーブルタップを、「か○氏」宅に忘れてしまっていたのである。さらに、「ha○氏」がポーチを同じように忘れる、というダブルで事件は起こってしまったのだ。「か○氏」が結局奥様と連絡をとって互いに車で落ち合って受け取る、という事になったが、これでやはり「か○氏」はかなり疲れてしまったようだ。

 「か○氏」が取りに行っている間にも取材は続けられ、スピーカーケーブルを取り換えたりしていたが、高級タップが到着、早速使おうとするも、先生「こんなに高いもの、使うことないよ」と、つれないお返事。ありゃりゃ。「ええ〜、せっかく取りに行ったのに〜」という声。その声に応えて先生、「あ、そうか、じゃ使ってみようか」とあっさり変更。このやり取りは面白かった。

 この部屋はロフトつきであり、そこがベッドになっている。私と「か○氏」は梯子でロフトに上って高みの見物としゃれ込んだ。本文にある、「ベッドの上のやじ馬」と言うのは私たち二人の事だ。先生がタップを使って色々試しているうちに、「か○氏」は疲れからか、うつらうつらしていた。確かに暖房が直射で暖かい。自分にとっては暑いくらいだった。

 音はやはり、それまで小口径バックロードばかり聴いていたせいか、16cmを中心としたバスレフはかなり新鮮に聞こえた。それで
 「いやあ、10cmより大きなユニットの音をもの凄く久しぶりに聴きましたよ、やはり『大口径』の音は違いますね」
 と言うと、先生は

 「ええ?そうなの?大口径?」

 と、そりゃ面白いな、という顔をして答えられたのは印象的だった。先生に「ウケて」頂いたのは大変うれしいことだ。ま、事実を言っただけのことではあるけど。

 そしてこの日の全日程を終了。ティアックのCDプレーヤーはまた一日、自分のところに貸してもらえることになった。撤収!えいこらせと機械を車に運び込もうと部屋から外へ出ると、学生風の女性とすれ違った。礼儀正しくも目礼を交わした彼女は別の部屋へ入っていった。「良いところに住んでいるなあ、サワ○ウは…」と思いつつ、少し得した気分で車へと向った。

 皆で夕食を「か○氏」の知っている店にて食することになり、二台の車はそこへ向う。その台湾料理店での食事は大変おいしかった。長岡先生を囲んでの会話も楽しかった。印象的だったのは、「か○氏」が
 「なんか、本当の漫遊記みたいに3人で色々なところを廻るなんて、大変でしょう」
 と訊くと、

 「いや、悪代官とか出て来ないから楽なもんですよ

 とのお返事。これはウケた。流石である。
 前の漫遊記で食事についてかなり書かれていたので、皆かなり気を遣っていたのだが、先生は満足げであった。もっとも今回はあまり食事について触れられていなかったが。

 最後に店内で写真をパチリ。他の客は一体何事か、と思ったことだろう。楽しい時間はどうやら終わりになりそうで、いやあ、いい日だったと外へ出ると、さらに我々(特に私)を待ち受けていた、とんでもない事態とは!(続く…ウソです)

 …我が愛車エクシヴのテールランプが煌々と輝いているのを見た私は思わず走りだしていた。当然フロントもバッチリ点いている。キーを回したがいやな音を立てるばかりでエンジンは作動しない。屋外で大変寒い日だったにも関わらず、あの時は冷や汗をかいたはずだ。

 「その音は、上がっちゃったね?」
 とカメラマン「生○氏」の声。私は力なく頷いた。やってしまった。何もこんなときに…昔々、デート(おお、いい響きだ!)の待ち合わせの時間が迫っているときにキーの閉じ込みをしてしまったことを思い出した。ブースターケーブル…あれは以前使い物にならなくなったことが分かって捨ててしまっていた。何せ長岡先生がいらっしゃるのだ。先に行ってもらおうと思ったが、「炭○氏」と「生○氏」が私と一緒に近くのガソリンスタンドへケーブルを借りに行こう、ということになった。有り難いことである。

 果たしてスタンドでは、「ケーブルはありますが、貸すことは出来ません」という鬼のような返事。そういう規則なのか。以前タイヤがいきなりバーストしたとき、近くのスタンドへガタガタ言わせながら「タイヤ交換したいからレンチ貸して」と言ったら、「外に持ちだすことはいけないし、我々が手伝うことも本当は駄目なんですが…」などと言いながらこっそり手伝ってくれたことがあった。スタンドとはそう言うものらしい。いくらか置いてもらえれば、と言われたが皆手ぶらだった。とは言え、今更JAFを呼んでいたら夜が明けてしまう。

 「じゃ、おれがここにその間いれば文句無いでしょう」

 と言ってくれたのは「生○氏」だった。結局そういうことになり、大変申し訳ないと思いながら「生○氏」を言わば人質にしてケーブルを借りた。

 「か○氏」の車からケーブルを繋いでエンジンをかけると呆気ないくらい、すぐにエクシヴ復活。心底ほっとした。いや、しかし本当に恥ずかしい事件だったが、人質になってくれた「生○氏」には改めてここでお礼を何度でも言いたいと思う
 



  ※御存知の通り、長岡鉄男先生は残念ながらお亡くなりになってしまった。このコーナーも止めたほうが良いか、とも考えたが、続けることにした。なるべく感傷的にならないように、生死とは関わり無しに書いたつもりだし、今後もそうしていくつもりだ。とにかく、一度始めたことを中断することは良くない、と思うのである。

 復活した車の中、「ha○氏」と「サワ○ウ氏」を乗せて名古屋駅へ向った。その車中、私と「サワ○ウ氏」は「ha○氏」から翌日家に来ないか、との誘いを受けた。翌日は「デジビ」に登場する「ha○氏」の番である。私も「サワ○ウ氏」もその誘いに乗ることにした。何せ、長岡先生と翌日も過ごすことが出来るのである。月曜日から仕事のスケジュールは正直言って忙しいものだったが、構うものか。幸福な時間を明日も、得られるのだ。こんな素晴らしいことがあろうか。車の無い「サワ○ウ氏」を乗せていくため、時間を決めて2人を駅で降し、一旦「最高の土曜日」は終わることになる。

 家に戻り、またなかなか重いVRDS-25XSを運び込み、部屋に入った。静まり返った部屋は、午前中に起こった興奮の余韻を残しているかのようだった。電源プラグを固定するために使ったボール紙の切れ端とハサミが無造作に床に落ちていた。普段ならば目立たないがそれらは、片づけられた部屋の中で強烈にこの日の出来事を象徴していたようにすら感じられたのだ。

 そう、間違いなく長岡鉄男先生はこの部屋にいたのである。それだけが確かなことだ。
 


 やけに早く目覚めた日曜日、午後から「ha○氏」宅へ行くため、急いでVRDS-25XSをセッティングした。もしかしたらローリン・ヒルがかかるかもしれない。「か○氏」宅では何とか復調したような感じだったからだ。しかし、残念ながらローリンは駄目で、次々と手持ちのCDをトレイに乗せ、試聴した。

 やはりこれは良いプレーヤーである。クールでシャープ。芯の通った音だ。もし、10000が壊れてしまったら、真っ先に候補に上がるだろう。つまりは、10000を今すぐ買い替えたい、というほどの違いはない、ということでもある。ちょっと綺麗過ぎかな、という面があったのだ。これが現代的、ということでもあるだろう。

 しばらくVRDS-25XSの音を楽しんでいたが、時間もなかったので早々に撤収。再び梱包してエクシヴのトランクに入れる。さあ、再び出発だ。わくわくする。

 「サワ○ウ氏」との待ち合わせはHMV前だったが、彼は前日と同じ目立つ色のオレンジ色のパーカを着ていたのですぐに分かった。「分かり易いようにこれ着てきましたよ」と言ったが、本当か?ま、それはともかく小雨の降る中、「ha○氏」宅へスタートした。

 国道41号は割といつも混んでいる。いつ終わるともしれない道路工事(高速道路建設)が行われている所為もある。「サワ○ウ氏」がHMVで買ったCDを聴きながら、少しの渋滞に耐えた。「サワ○ウ氏」は今どきの若いモンにしては爽やかな青年で、バカ話をするのはどちらかといえば自分の方だった。自分の周りにはオーディオを趣味としている後輩などはいなかったので、「今の若者にオーディオをやっている奴はいない」と勝手に思い込んでいたのだが、決してそんなことは無いことが分かってうれしかった。ちなみに私も若いが。

 そして渡されていた地図を元に…って、結局少々道を間違えてしまった(その後そこからでも行けることがわかったが)ものの、無事「ha○氏」宅に到着した。車をどうしようか…などと思っているうちに、見覚えのある車が登場。「か○氏」のクラウンだった。

 「おやあ〜、何しに来たの〜?」

 と、にこやかながらもいつもの調子で現れた。当然来るものと思っていたので、別段驚きもしなかったが。車は「か○氏」の後ろに停めると、家の中から女性が現れた。

 彼女こそ、「ha○氏」の奥方であり、今では四天王を束ねる女帝(?)、「ka○様」である。掲示板ではまめなレスとその天然ぶりにその名を轟かせる存在であった。当然初対面である。

 「どうもどうもはじめまして、私がhideでございます。」

 恐縮しつつも入っていくと、そこはなかなか凄いことになっていた。

 何せこの日の舞台となる居間兼ダイニングは「ホームシアター」にするために遮光していたからである。「ha○氏」は「オーディオベーシック」ではなく、「デジビ」に登場するわけで、オーディオだけではないのだ。

 ところで我々4人は偶然にも、ピュアオーディオばかりで、ヴィジュアルをやる人間はいなかった。というわけで、実験的に「自宅でホームシアターを!」というテーマで取材は行われることになったのだ。

 その遮光たるや、「デジビ」にも載っている通りだが雨戸を閉め切っているのは当然、窓という窓を、すき間というすき間を黒ビニールのゴミ袋で塞いでいたのだ。なんでも、普通の遮光カーテンなどではまだまだ弱いということである。何せ、外からもその異様さを伺い知ることは容易だ。まるで夜逃げである。中村雅俊(夜逃げ屋本舗)でも来るんじゃないか。うーむ、ホームシアターというのは大変だな。

 結局食事を摂っていなかった我々2人は遠慮なく(おれだけか)出されたものを平らげ、談笑に花を咲かせた。掲示板でよく会話をしていたせいか、「ka○様」とも初対面の様な気がせず、遠慮なくツッコミを入れたりしていた。

 電話で連絡を受け、「ha○氏」が車で先生御一行を迎えに行く。しばらくして御一行の登場である。いたずら好きな「か○氏」の提案で、別の部屋に我々3人は隠れていることにした。扉の向こうから声がする。含み笑いを噛み殺す3人。とは言っても、いつここから出て行けばよいのだろう。タイミングを見計らっていたが、結局どやどやと、「いやいやいやどうもどうもどうも」などと言いながら出ていった。「生○氏」が「こりゃお久しぶりで」なんてボケてくれたが、どうやら皆我々がいることを知っていたようだ。そりゃそうかな。

 「炭○氏」が機材をチェックしていた。そして怒っていた。取材用に取り寄せていたケーブルが違っていたのだ。これではせっかくのプログレッシブ画像を見ることが出来ない。怒るのも無理からぬことである。

 仕方なく、そのままセッティング。長岡先生も「これでは実力の何パーセントも発揮できないね」とおっしゃっていた。スクリーンを設置するのは我々人足の仕事。えっほえっほと運んで、高さ的にピッタリな「バッキー」の上に置く。その写真も掲載されているが、まあ、あんなふうだ。

 そして、部屋を暗くして、機材の調整。三管プロジェクターの調子も悪いのか、なかなかピッタリの画質にならず、先生もイライラしていた様子。「これ、もう壊れてるんじゃねえのか」と江戸弁になっていた。主役の「ha○氏」以外の我々3人はカウンターキッチンの奥に引っ込んで、そのすき間から様子を眺めていた。何だかわからないけど、面白そうだ、という感じで。何せ、前述した通り、「四天王」はヴィジュアルの方面は明るくなく、こうした事は初めてだったからだ。「何が始まるんだろう、わくわく」なわけだ。

 これで完璧!…とはどうやら行かないようだったが、とりあえず映写会に移る模様だ。金曜日にDVDソフトをしっかり買い込んでいたとの事なので、ソフトに不足はないようだ。まずは何から始めるかはわからない(どんなのがあるのかも知らない)が、とにかく映写は始まった。しかし…
(続く)


 (続き)映画はどうやら「シン・レッド・ライン」のだったように記憶している(違ったかもしれないが)。しかし、何度も調整を繰り返している。長岡先生と「炭○氏」とで、あーでも無い、こーでも無いとメニューを呼び出しては色温度やら何やら調整しては、また初めから繰り返し、やっぱり駄目だといろいろ触っていた。しかし、自分が見るかぎりでは結構綺麗な画面で、映画館だってそんなに綺麗な画質でもないのでこれで良いんじゃないか、とも思ったのだが、また先生は「これはそうだね、本当の画質の3%だね」と、正確なんだかアバウトなんだか分からないコメントをされた。それでもこの言葉には驚かされた。何せ3%だ。では全然駄目じゃないか。100%は想像の及ばない、素晴らしいものなのだろう、と思うしかない。

 印象が強かった映画は「奇蹟の輝き」だ。とにかく幻想的なシーンの連続。これを100%の画像で見たら、言い表しようのない美しさなのだろう。

 何本かのソフトをかけた後、「うーん、残念ですよ、本当の画面の美しさを見せられないのは。」と先生はおっしゃって、映写会は一段落した。そしてスーパースワンの音を褒められていた。「うん、これはしっかりと良く鳴っていますよ」。確かに「ha○氏」のスーパースワンは盤石だ。力強さと繊細さの同居。どんなソースでもオールマイティに鳴らせそうなものなのだ。

 ただリアの「クレーン」があまり聞こえてない、ということで調整が始まった。位置をずらしたり、と言うことで我々の出番だ。またまた「デジビ」本紙に出ているような光景で、妙に私が出たがりの如く登場しているが、ちょっとカメラを意識していたか?…いや、すいません、「ちょっと」どころではなかった。「かなり」意識しまくっていたことは間違いない。何せ「オーディオベーシック」での自分のカットよりもここでの写真の方が多かったのだ。

 オーディオの時間が終わって、ちょうど「ha○氏」家の子供たちも二階から降りてきた。そして「映画を見よう」と、また子供たちも交えて映画の時間となった。とは言え、やはりそれまでの長岡先生流に次々に色々なシーンを見せる、というものだったが。

 そうしてリラックス・タイムとなった。「長岡先生と子供たち」というシチュエーションは滅多にお目にかかれない、イメージしにくいものだが、さすが先生は子供たちの心を惹き付けたようだった。そこで「ha○氏」は用意していた色紙をとりだし、先生にサインを頼んだのだ。

 これには伏線があった。実は前日、「サワ○ウ氏」は自分の部屋でちゃっかりサインをしてもらっていたのだ。そんなことは全く念頭に無かった私と「か○氏」は「あちゃー、やられた」と互いに顔を見合わせたものだった。その様子を見ていた「ha○氏」は当日色紙を用意した、と言うわけである。私もサインをもらおう、と思っていたのに結局何も持ってこなかったため、「ha○氏」から1枚色紙を譲ってもらった(ありがとうございました)。そして順番にサインを頂いたのだが、その時の長岡先生の妙に照れくさい表情が印象的だった。「こんなこと、柄じゃあねえんだけどなあ」とでも言っているような。サインは結構頼まれるはずなのだが、テレもあってかなり苦手のようで、1枚1枚字の大きさなどが見事にバラバラであった。「随分(余白が)余っちゃったなあ。じゃあ次はもっと大きく書こう」などと言って、最初の「長」を誰が見ても大きすぎ、といった感じで書き(みんな「えー」と思わず声をあげたような)、当然最後の「男」がもの凄く小さくなってしまう、というほほ笑ましい事柄は、最も場が和んだ時間だった。

 そして時間も迫ってきたので少しずつ撤収、ということに。愛車エクシヴには「VRDS-25XS」が積まれたままであった。時間があればここで聴くつもりだったのだ。「炭○氏」は次の日に送ってくれればいい、ということだったので今度は一日「ha○氏」宅に置かれることになった。これが後の「ha○家におけるCDプレーヤーグレードアップ」大作戦(大げさ?)に繋がるわけだが、それはまた後の話である。私はちょっと雨がぱらついていたのを見て、帽子をかぶって外に出た。プレーヤーを車から出し、その箱を抱えて戻った私を見て、一瞬先生は「?」とかなり怪訝な顔をされた。誰だお前は、といったような。

 「いやいやいや、僕ですよ」

 「ああ何だ、帽子をかぶると分かんなくなるねえ、運送屋か何かの人かと思ったよ」

 と先生は破顔された。そのすぐあとに「デジビ」にも載った全員集合の写真を撮ったのだ。だから帽子姿というわけ。怪しいかな、あれは。

 写真も撮って、最終的な片付けに入っているとき、「か○氏」が私に、
 「今度はhideさんの車で先生達を駅へ送っていく、って言うのはどう?」と訊いてきた。

 「か○氏」は今回かなり先生達を車に乗せて色々な会話が出来たので、私にもそのチャンスをもっとあげよう、というわけなのだ。

 遂に今回の「漫遊記」取材は終了した。そして私は愛車エクシヴに御一行を乗せ、スタートさせた。雨はもう止んでいた。暗かったので元来た道がわからず、少し間違えながらも幹線道路に出ることが出来た。まあ、気付かれることは無かったろう。内心、冷や汗モノだったが。

 後部座席で最初はこの日の取材について少し話していた先生だが、すぐに眠り始めた。やはり疲れていたのだろう。程なく「炭○氏」も船を漕ぎだした。本当にお疲れさま、である。考えてみると2日間、かなりの強行日程だ。それはすぐに眠ってしまっても当然のことだろう。しかし、先生は大変楽しかったように見えたし、満足している表情だった。

 そして「生○氏」と喋りながら駅へと車を走らせた。「生○氏」の話は面白くて、また大変興味深いものだったので大変盛り上がったものだったが、あの時「生○氏」は風邪を引いており、後で聞いた話だと熱もかなりあったようなのだ。それなのに、あれだけ話をしていたのは私を眠らせまいとする配慮なのかどうかはわからなかったが、いずれにしても有り難いことであった。

 名古屋駅が近づいてきたところで先生は目を覚ました。外の看板などに興味を示しながらあれこれと話している時間は短く、名古屋駅西口に到着してしまった。いよいよお別れだ。

 「お疲れさまでした」と互いに言いながらも、先生はすーっと立ち去ろうとしていた。私は慌てて先生を呼び止め、
 「あ、今回はありがとうございました。今度は方舟へ行かせていただきます。」と挨拶をした。

 先生がどのような返事をしたのか。…「うん」とか、「そうだね、いらっしゃいよ」とか、そんな短い言葉だった様に思う。何故か記憶が曖昧になってしまっているのだ。最後に交した会話だというのに、最も鮮明でも良いはずなのに…今(先生が逝去されている現在)となっては、自分に何らかの防衛本能が働いてそうさせているのかもしれない。

 夢のような日々はこうして終わった。しかし、自分にとっては本当にこれからとも言える2日間だった。時はちょうど2000年1月、始まったばかりのミレニアムは、まさに大きな区切りとなる激動の年だった…と後になってもこう振り返ることは間違いないだろう。

(完)