関山の戦いでの傷が原因で21歳で早世するも、嫡男資直まだ若く(その年に生まれたばかり)、家督は弟の豊後守資友が継ぐ。関山の戦いの際にも、まだ、父
資信より家督を譲り受けていないのではと考えると、21代目は弟資友とすべきであろう。
室は不明。
関ヶ原合戦とほぼ同時期に行われた関山の戦いにおいて負傷し、同年11月にこの世を去
る。関山の戦いでの勝利は資重と家臣薄葉備中の功が大きい。優秀な跡取りであったのに残念である。資重が存命であったなら、跡継ぎ問題で改易になることも
無かったはずである。
家
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