伊王野資壽
資信の末子。3男?
資壽の子資年は鳥取池田藩に仕官し、江戸後期〜明治初期には緒方洪庵の弟子となり、日本初の臨床書「察療亀鑑」表わした伊王野坦(資明)を輩出。
伊王野坦は明治維新後に久美浜知事となっている。従五位を贈られ蘭学史に残る人物である。また、三条実美(さんじょうさねとみ。幕末・明治初期の公卿。急 進的な尊王攘夷派。維新後は議定、副総裁、右大臣、太政大臣などを歴任。)とも交流があった。
室は不明。
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