「風を継ぐ者」

スギノハヤカゼ


スギノハヤカゼ(1998/6/14安田記念at東京競馬場)  不覚にも彼を初めて知ったのは彼が4歳の(96年)スワンSだった。 それまでにも彼は重賞を2つも勝っていたし、東京でもたくさん走っていたにも関わらず、 私は彼を知らなかった。彼はそのレースで美しい栗毛をなびかせ、美しく勝った。 私がいくら抵抗しても逆らうことのできない魅力を彼は持っていた。

 そもそも私は人でも馬でも「いかにも万人うけしそうな美しさ」には興味がない。 「美しいだけで許されてしまう存在」に対する潜在的な嫉妬などというものが そういった形で現れているのかもしれない。しかし、彼の美しさは私のちっぽけな了見などを 超えたところにあったようだ。私はいつしか彼を追い続けるようになっていた。

 98年の高松宮記念は彼にとってG1をとることのできる大きなチャンスだった。 条件はほぼ揃っていた。前年のスプリンターズSでは、圧倒的な強さを誇っていた タイキシャトルの2着。が、シャトル陣営に出走の意思はなかった。 得意の中京コース。過去には重賞2勝の実績もあった。 前哨戦のシルクロードSは5着に敗れたものの、59Kgを背負っていたことや休み明けであった こと、さらに勝ち馬とのタイム差は大きくなかったことなどから決して悲観すべき内容では なかった。但し、重要な要件が不確定要素として残っていた。

"良馬場限定"。

 彼は荒れた馬場を極端に苦手としていた。 「晴れてくれさえすれば、馬場さえ良ければきっと・・・。」 彼の勝利の瞬間、その空間を、至福の時間を共有したい。 日増しにその思いは強くなり、終には友人を巻き込んで中京競馬場へ行くことにした。

 当日の朝方、徹夜組の人々と無事合流。開門を待つことにした。 もう陽の射していい頃なのに、空は変わらず薄墨色のままだった。 天気予報も雨。ぽつぽつと、時折しずくが舞い下りる。それでも、・・・私は奇跡を信じた。 しばらくすると列が整理され、私達は屋根のあるところに移動した。 と、それを待っていたかのように空は壊れはじめた。 やがて、その雨音は私達の声をもかき消していった。 奇跡は起きなかった。

 あの日、あの時間、雨の降ることが何者かによって定められていたかのように (それが神という者の仕業なのだろうか。)レース終了後、雨はあがり 夕焼けすら見えていた。

#追記
 冬には中山競馬場できっと逢えると思っていた矢先、彼の骨折のことを知りました。 全治6ヶ月は今年7歳の彼には大きなタイムロスとなります。 大好きな中京競馬場でのG1に間に合うかどうかも微妙です。 それでも、もし間に合うのなら、私は再び中京へ行きたいと思ってます。 その時は、彼の横断幕も一緒に・・・。


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